今更ながら『サマーウォーズ』見てきました。
アニメ版『時をかける少女』とかでオタク界隈では言わずと知れた細田守監督の最新作。
ネット上の感想サイトでは、細田監督初期作の『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』との類似点を比較しながら見るとさらに楽しい、などの意見が出てたりするんですが…
とんでもない!
比較してたら、とてもじゃないが、この映画単体のまともな評価なんか下せそうにない!
まぁ、私が『ぼくらのウォーゲーム(Children's War game)』にどっぷりハマり込んでいるのが最大の理由ではあって、わずか40分という短い上映時間内に、強敵に出現で徐々にかつ一方的に悪化していく状況が的確に演出(シナリオ&画面ともに)され、また、本家テレビシリーズにはなかったであろう「デジタル世界の出来事が現実の世界に影響を及ぼす」という設定を、コミカルに分かりやすくテンポよく表現して、『“デジタル”モンスター』のメインタイトルに恥じぬ形で描写しており、さらには劇場版らしい“シリーズ史上最強の敵出現!!”みたいな謳い文句を実際に形にできていて、それを打破するカタルシスもバッチリ、という贅沢な諸要素を、まるで無理なく詰め込めているのが強力な魅力だったので。
『サマーウォーズ』は『ぼくらのウォーゲーム』アイデアを一般作化するに当たって、『デジモン』成分を一般作成分に置き換え切れなかった、という感じがある。
たとえば、『ぼくらのウォーゲーム』なら、世界に問題を起こしている敵がデジモンという作中の一般人的には未知の存在なので、デジモンと交流できる太一たち主人公が主になって問題に対処しても…いや、むしろ主人公たちしか対処できない設定になっているから、他に事件に対して解決を図ろうとする人が出てこなくとも問題ないんだけど、『サマーウォーズ』の場合、敵がコンピュータウイルスという既知の脅威なのだから、主人公一家だけが事態対処に動かなければならない理由が―開発者の中に一族の者がどーのこーのというエピソードを足したところで―特にないので、他に事態解決のために動いている人(システム管理者とか公的機関とか)が誰も見えないのが気になってしょーがない。
っていうか、『ぼくらのウォーゲーム』に大家族モノ要素を追加した時点で、大家族だということを活かす設定に作り変えなければならないはずなのに、賭けに使うためのアカウント数稼ぎに使われるぐらいしかないだなんて…
もっと設定やエピソードを『ぼくらのウォーゲーム』から刷新してもいいのに、中途半端に使っているという印象がある。
逆に、『ぼくらのウォーゲーム』の中でも一般作成分としても使えるだろう部分が採用されてなかったのも多々あったのが、残念。
個人的には、応援メールの扱いを残しておいてほしかったなァ
『ぼくらのウォーゲーム』では、最終決戦に向かう主人公たちや主役デジモンたちに、世界中の子どもたちから「がんばれ」「負けるな」という応援メールが次々と届くんだけど、ネット上で戦っているデジモンたちにとっては、メールが多く送られてくるほど情報処理のために回線負荷がかかってしまい、動きが鈍くなって敵の攻撃の的になってしまい、主人公たちが「頼むから応援しないでくれッ!!」と心の底から叫ぶという、応援が邪魔になる捻くれたアイデアがとても好きだった(笑)
それをただ捻くれたアイデアに留めるのではなく、最後早く敵にトドメを刺さないと核ミサイルが爆発するというタイムサスペンスの中、動きが素早くて補足できない敵に対して、さっきのメールを転送することで逆に相手の動きを鈍くさせるという、一発逆転の最後の手段として使われて、「みんなの気持ちが一つになって敵を打ち破る!」という王道パターンに落とし込めているのも、目から鱗の構成力だったし。
子ども用作品である『デジモン』でこれだけの毒が入れられたのに、一般作の今作でなぜこれが入っていなかったんだ…?
いや、今作でも、サーバー冷却用の氷を警官の兄ちゃんがおばあさんのために持ってっちゃって、サーバーが熱暴走を起こしてネット上で戦ってた主人公たちが負けてしまい、警官兄ちゃんからは「こんな時にパソコンに夢中とは、呑気なモンだねェー」と悪態突かれちゃう辺りがそれに近いか…
『ぼくらのウォーゲーム』との比較を置いておいて、今作単体で見た場合でも気になるところはあって、シナリオ構成がやけにごちゃごちゃしてるところがそうだった。
『時かけ』がいろいろなネタや小エピソードを盛り込んでいた割にキレイに進行がまとまってたのと比べれば。
…とまぁ、そういうシナリオ分析はどんな人にでもできるし、しているだろうから、オタ的には演出技術分析をせねばならんのだろうが…
あれだけ画面上に人物がひしめいているのに、にわか知識でレイアウト演出分析なんてできるかい!(血涙)
目立つであろう、細田作品の御馴染みの同ポジ演出さえ、あったかどうだか記憶に留めて置けなかったのに…
まぁ見づらかったり、訳分からない感じがほとんどなく、むしろ場面場面の様子をすんなり理解できていたので、上手い具合だっただろうが…
…って、こんなんじゃ分析になってませんね(泣)
無音空間に吐息だけが聞こえてきて思い詰めてる登場人物を映す「細田空間」(笑)が3回連続というのは、思い起こせば、少しくどいかも。
あと、最終決戦を前に家族全員で飯を食うシーンのところは、もっと作画が暴走してくれても良かったかなぁ、とは思う。 「時間がないのに全員で飯喰ってるなッ!」というツッコミどころがあるので、マジメに描写されるとちょっと脱力感に見舞われるから、あそこは「理屈はどーでもいい、腹が減ったら戦ができんだろッ!」という勢い押しが欲しかった。宮崎アニメみたいにキレイかつナチュラルな動きで描かんでも……もうちょっと“まんが”でいいのよ。
それまで、ネット上の危機に対してスタンスがバラバラだった一家が団結するターニングポイントなんだし、お話的にどーにかできなくても、作画・動画の勢いで誤魔化すことはできたのではなかろうか。
ラストのキスシーンで、動画の勢い重視で割と崩し気味に描けていたので、できんことはないのだろうし。
いろいろ気になるところがあって、素直には楽しめなかった部分もあるのだけど、今回の細田作品は、前作『時かけ』に比べて、テレビ放送栄えする話になっているのではないかな、と少し思った。
『時かけ』は映画の頭から尻尾まで全部通してみることで、ラストの感動を引き起こすというストイックな構成をしていたので、間にCMを挟み、全国のまちまちな視聴者の生活状況に視聴状況が左右されるテレビ放送には向いていないように思えたんだけど、本作の場合だと、そこまでシナリオ的な伏線がかっちりはしていないので、テレビ放送用にブツ切りにされても、場面場面で面白さや感動を味わえるんじゃないかなぁ~
あと、事前情報をなるべく頭に入れないで観に行ったせいで、スタッフロールを見て初めて気付いたんだけど、音楽が松本晃彦だったんかい! 『踊る大捜査線』ファンの私に何たるサプライズ!
いやぁ、『時かけ』の時はもっと叙情的なスコア書く音楽家と組んでたから、『踊る大捜査線』のように分かりやすいメロディーラインの音楽家が出てくるとは、予想してなかったもので。
…とはいえ、『時かけ』以外だと、分かりやすいスコア書く人と結構組んでるか…
ところで…
音楽:松本晃彦、過去の監督作からの構成・エピソードの引き写し、ラストに感動ポイントの目白押し、エンタメ重視の姿勢、前作に比べてスキの目立つシナリオ構成…
…私の過去作品蓄積容量の少ない脳内コンピューターが、本作と『踊る大捜査線2』とのリンクを形成しました!!(笑)