Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
今更ながら買って読む。『PLUTO』最終巻。
まぁ、巧いことまとまった…のかな。
この連載の中盤ぐらいから感じていた「伏線回収放棄になることへの不安」を思えば。
今まで出てきた目立つ伏線にはすべて概ね納得がいく解説が付けられ、期待を煽り続けて拡がっていた大風呂敷に見合う規模のクライマックスの舞台も用意され、いろいろと滲み出ていたドラマ的な諸要素にも「そーゆー要素を出すんなら、コレコレこういう展開が後々必ず待っていて、作者なりの見解でオチを付けるんだろうなぁ」という感じで想像していた通りに展開と結末が与えられた。
…でもなー、納得はいったが、期待に応えてもらえた感じではないんだよなー、個人的には。
●物語がかなり慌しくなってきた頃に、「さて皆さん、ここで落ち着いて…」という風に流れをぶった切る感じで、ほとんど物語の蚊帳の外だったアトムに、謎の解答を一気呵成に全部喋らせたことで、「謎が明かされた!」という爽快感が特になし。
●クライマックスに起こる地球の危機については、地球最強のロボットたちの間で構成されていたレベルの話に「地球の危機」というレベルの違う要素を持ってくるには、突然危機が現れた感じであり、展開が唐突。
●憎悪で戦い合ってたアトムとプルートゥが、何がキッカケだったのかよく分からないうちに、憎悪の虚しさを悟って号泣し合って和解、その果てにプルートゥによってもたらされる原理不明かつ拙速な地球の危機の回避、という、やはり唐突な決着。
●話のオチが付き協力スタッフ一覧が載った後に、「あー、回収してなかった伏線があることを忘れとりましたが~」という感じで始まり、ブツ切りで終わる、ブラウ1589とMr.ルーズベルトの結末。
…とまぁ、ストーリーの展開・流れにドラマの感情が乗っていかなかったんだよねぇ…
あと、「ロボットに心はあるのか」という題材は、この作者の作風にはイマイチ合ってないんじゃないか?…と強く思った。
『YAWARA』とか『マスターキートン』の頃ならまだしも、『MONSTER』以降の浦沢作品って、シナリオや画のタッチが無機質で、でもそこから時折有機的というか、心の温かみに触れる話や表情・行動が漏れてくることで感動が増す、という作風なのだけど、それは人間を題材にしていたから無機質な感じでも琴線に触れるようにできていたのであり、無機質なロボットを無機質に描いて、何かロボットに感情移入するのは、難しい。
それは作者も分かってるだろうから、主要キャラのロボットは完全人型になってるんだけど、そうすると今度はどうやって描いてもロボットではなく、人間くさくなりすぎてしまうし…
今巻のゲジヒトとロビタの親子エピソードにそれが顕著で、表情があるかどうか…というより顔があるかどうかさえ見定めにくい無機質すぎるデザインのロビタがガッションガッションと歩く姿を見て、人間臭すぎるゲジヒトが「生きているという言葉の意味が今本当に分かった!」と感動しても、白々しくってしょーがない…
廃棄されかけたロビタが何も言わずにゲジヒトの服を掴む、という場面があるけど、あれがロボットに“心”を感じさせられる描写の限界だと思う。
…まぁそれか、「姿が無機質なロボットに心があっても拒絶した感情を持たないことができるか」という逆の発想のテーマが『PLUTO』だったのかもしれないけど。
まぁ、巧いことまとまった…のかな。
この連載の中盤ぐらいから感じていた「伏線回収放棄になることへの不安」を思えば。
今まで出てきた目立つ伏線にはすべて概ね納得がいく解説が付けられ、期待を煽り続けて拡がっていた大風呂敷に見合う規模のクライマックスの舞台も用意され、いろいろと滲み出ていたドラマ的な諸要素にも「そーゆー要素を出すんなら、コレコレこういう展開が後々必ず待っていて、作者なりの見解でオチを付けるんだろうなぁ」という感じで想像していた通りに展開と結末が与えられた。
…でもなー、納得はいったが、期待に応えてもらえた感じではないんだよなー、個人的には。
●物語がかなり慌しくなってきた頃に、「さて皆さん、ここで落ち着いて…」という風に流れをぶった切る感じで、ほとんど物語の蚊帳の外だったアトムに、謎の解答を一気呵成に全部喋らせたことで、「謎が明かされた!」という爽快感が特になし。
●クライマックスに起こる地球の危機については、地球最強のロボットたちの間で構成されていたレベルの話に「地球の危機」というレベルの違う要素を持ってくるには、突然危機が現れた感じであり、展開が唐突。
●憎悪で戦い合ってたアトムとプルートゥが、何がキッカケだったのかよく分からないうちに、憎悪の虚しさを悟って号泣し合って和解、その果てにプルートゥによってもたらされる原理不明かつ拙速な地球の危機の回避、という、やはり唐突な決着。
●話のオチが付き協力スタッフ一覧が載った後に、「あー、回収してなかった伏線があることを忘れとりましたが~」という感じで始まり、ブツ切りで終わる、ブラウ1589とMr.ルーズベルトの結末。
…とまぁ、ストーリーの展開・流れにドラマの感情が乗っていかなかったんだよねぇ…
あと、「ロボットに心はあるのか」という題材は、この作者の作風にはイマイチ合ってないんじゃないか?…と強く思った。
『YAWARA』とか『マスターキートン』の頃ならまだしも、『MONSTER』以降の浦沢作品って、シナリオや画のタッチが無機質で、でもそこから時折有機的というか、心の温かみに触れる話や表情・行動が漏れてくることで感動が増す、という作風なのだけど、それは人間を題材にしていたから無機質な感じでも琴線に触れるようにできていたのであり、無機質なロボットを無機質に描いて、何かロボットに感情移入するのは、難しい。
それは作者も分かってるだろうから、主要キャラのロボットは完全人型になってるんだけど、そうすると今度はどうやって描いてもロボットではなく、人間くさくなりすぎてしまうし…
今巻のゲジヒトとロビタの親子エピソードにそれが顕著で、表情があるかどうか…というより顔があるかどうかさえ見定めにくい無機質すぎるデザインのロビタがガッションガッションと歩く姿を見て、人間臭すぎるゲジヒトが「生きているという言葉の意味が今本当に分かった!」と感動しても、白々しくってしょーがない…
廃棄されかけたロビタが何も言わずにゲジヒトの服を掴む、という場面があるけど、あれがロボットに“心”を感じさせられる描写の限界だと思う。
…まぁそれか、「姿が無機質なロボットに心があっても拒絶した感情を持たないことができるか」という逆の発想のテーマが『PLUTO』だったのかもしれないけど。
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