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Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
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 まぁ、スタッフが誰なのかを事前に知って観ていたせいってのも多分にあるんだろうけど、のび太たちが画面に映るまでに街中の風景描写に4カットも使う、『ドラ』らしくない外界を意識したアバンの時点で、かなり分かりやすい渡辺歩絵コンテ回
 いつも『ドラ』は寄り寄りなカメラワークなのに、今回はロングショットを多用したレイアウトの取り方になっているのを見ても分かりやすいか。
 芋焼いてるしずかちゃんの後に、しずかママも焼き芋取り出してきたり、その芋が顔よりもデカイ、とかの小ネタも渡辺歩演出っぽい。
 


 演出に宮下新平を投入し、劇場版布陣でお送りする豪華仕様。
 作監はテレビ版総作監の丸山宏一だけど、リピート作画やパターン演技をほとんど使わず、キャラを細かく動かしまくるのが劇場版臭のする作画になっていたなァ~
 女の子がお兄さんに小包を放り渡すシーンという別段何でもない部分で、「①放るための前行動として身体の重心を少し後ろにずらし→②力を入れずに、肩のひねりと手首のスナップを活かして小包を投げる」という細かいモーションを付けていたりして、動きに対する拘りが尋常じゃない。


 尺の都合で、後半部分を水増ししていたのは、「感動させてやれ」というあざとさを感じたせいもあって、制作者の意図に反してあまりいい印象がないなぁ~
 窓に映る景色拘ったストイックな構成と、余分なものがなくストンと落ちるラストが原作での魅力でもあったし。

 ただ、前座の前半部分がなかなか良くって、いい齢した大人が見るには(見るなよw)退屈になりがちな願望充足型のストーリーが、結構面白く見せられていて、やっぱりこの人は腕があるなぁ~、と思わされる。
 部屋から動けないのび太を主軸にした今回のストーリーは、同ポジを上手く使いこなせてる渡辺監督の面目躍如だろう。

 それ以外の部分では、スネオの家の窓景色を見て散々笑った後、「あー、もう、次行こ次」とぞんざいな感じで言い捨てる水田わさびの演技が個人的に印象的だった(笑)


 そして次回が、登場人物のほとんどが黒焦げにされる「おもちゃの兵隊」と、顔の形を消しゴムで消してしまってのっぺらぼう多数のトンデモ回…
 おおっ、久々に黒い『ドラ』の予感(笑)

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・釘宮理恵の配役並みに、敵役に山口勝平が配されていること、さらに同じく敵役で田中亮一(=元・のび太の先生役。ちなみに今話にはその先生が高木渉の声で出てくる)が出演してたことが気になる
・想像通り、『ドラ』に出てくる美少女ロボットのハイブリッド(「ロボ子が愛してる」のロボ子+『鉄人兵団』のリルル)
・敵の攻撃であるネバネバがルリィに直撃する様が、その、何かエロい…(^^;)
・未来人にのび太が狙われる理由が、途方もなく間接的だった(のび太の抹殺に拘らなくても、いくらでも方法がある)のはどうしてくれよう…。まぁ、かつて『木曜の怪談 タイムキーパー』の第1話で「タイムマシンを使った歴史改変も、しやすいポイントとしにくいポイントがある」というアイデアがあったから、納得できなくはないかもしれないが、どうにも納得できんなー

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 他サイトで「感動モノに仕上がってた」という感想があったので、もう『ドラえもん』も『サザエさん』みたいに、原作のテイスト(『ドラ』の場合だと、ギャグ)をまるで変えてしまって、日本国民それぞれが思う『ドラえもん』像の最“小”公約数だけに収斂させていって、感動至上作品としてのアイデンティティしかなくしてしまう路線になってしまったのか……などなど思ってしまった。
 いや、それが世間的に受け入れられれば、別に全く悪いことだとは思いませんけんどね。

 ただ、今回に限って言えば、のび太たちがパパのゴルフを晴れにしようと奮闘することに、「父の日のプレゼント」という理由付けをしたり、原作では一発ネタだったスネ夫のひどい雨男っぷりを、原作では解決策だったはずの晴女・しずかちゃんの登場を覆すピンチメーカーとして利用したり、原作のネタをうまく補完・拡張していて、良かった面の方が大きかったなぁ~

 しかし、原作では山の中にしずかちゃんがお風呂ごと移動させられてドラたちに怒りまくるってのがオチだったのに、その後大自然での入浴を満喫してしまうとは、原作軽視というか、でもしずかちゃんらしいというか(汗)

  

 しかもその後、バスタオルを身体に巻いて、のび太に見られることを特に恥ずかしがるわけでもなく、「のび太さんのおかげで気持ちよかったわ」と礼を言ってどこでもドアで帰ってしまうしずかちゃん、というシチュエーション…
 何か変な意味を想像してしまったのは、何か溜まってるのかオレ…(笑)


 次回は、最初ニュースを見たときに「また時節柄に陳腐に合わせただけの陳腐なネタを出してくるんかい!」と思わされてしまったターミネーターネタということですが、登場するゲストキャラの声…

  
美少女ロボット「あなたを消去します」

 釘 宮 理 恵 か よ っ !

 っていうか、女性型ターミネーターが味方になるってのは、『T4』の話題に乗っかったというよりは、『サラ・コナー・クロニクルズ』?

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DoraLogo.gif「過剰演出は、時にパロディになる」という言葉が頭に浮かんだ。

折角リニュ版でリメイクを作ったというのに、その後初期版の「帰ってきたドラえもん」を流すバランス感覚のなさは何?保険?
おかげで、この話はシンプル・イズ・ザ・ベストだなぁ、というのをしみじみと感じてしまったり。
渡辺監督版の中篇映画のやつも好きですがね。

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DoraLogo.gif(書きかけ)

「ゆうれい城へひっこし」
 もー、こういう路線でいくつもりか、原作の上質なサスペンス感を台無しにする後半のおふざけストーリー…
 ただ、相手を怖がらせようとして味方ばかり狙い打つ形になる足の引っ張り合いはちょっと面白い。
 絵コンテが渡辺歩だったんだけど、渡辺歩のクセが全然出てないじゃないか、と思ってビデオ再視聴したら、ちょこちょこそれっぽい演出はあった。
 しかし、お城の水路が動き出したら財宝が出てくるって、どこまでハヤオコンプレックスなんだ…

 評判が良かったってことおで地底の国探検が再放送されたけど、やっぱり面白くない…
 子ども目線で見てみると面白いんだろうか、と考えてみるけど、最低限の話の整合性や盛り上がりどころがないのは、見ていてやっぱりうーん…

「のび家が無重力」
 ところどころ無重力の解釈がおかしい演出も散見できるけど、上下関係なくなって無重力が視覚的に分かりやすい画作りは面白い。

「ネズミが去るまであと4時間」
 地球破壊爆弾キター
 光線銃撃つたびに家中に穴が着実に増えていく、という小技が楽しい。

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 タイムマシンを使って過去の自分を“弟”として連れてくる話。
 ママが自分の実子がいつの間にか増えたと本気で思いこむという、そんなのありえねー素っ頓狂な展開がかなり印象的だが、その下地作りはかなり技巧的な作劇によって成り立っている。

ママ「誰なの、その子?」ドラ「ええっ!! 自分の子どもの顔を忘れちゃったのー!?」
3歳のび太「(年上の小学生のび太に対して)お兄たん、おんぶしてぇ~」
ママ「パパ、ウチは3人家族よね!?」パパ「何言ってんだ、ウチは4人家族だろ?(パパ、ママ、のび太、そしてドラえもん)」

 誰もママを騙そうとしているどころかウソを言ってるつもりすらないのに、ママが壮絶な勘違いを起こす準備が着々と出来上がっているのが、ドタバタモノの話作りとして、すごく真っ当に作られている。
 こういう両義的な意味を持たせるセリフ選びは、素晴らしいなァ~
 それに、ドラえもんの存在に対しては割とドライなママと、ドラえもんも家族にカウントしてあげる優っぷりのあるパパという性格の違いを端的かつ効果的に表わしている。
 やはり偉大なり藤子・F・不二雄!

 しかし、嫌がる3歳時のび太を連れ出す時の口説き文句が「お菓子あげるから」なのは、壮絶に犯罪の臭いがしてきて、不道徳なものは見せないのが原則のアニメ版にしては、ヤバイものをそのままアニメ化してるなぁ…
 Bパートの、悪事を働きまくるのび太の話をほぼそのままアニメ化してるのも含めて、大丈夫か?(笑)

 ただ、お金を盗んだのが道具を使う前だったので、道具の効果がなくなって怒られてしまう、という改変は、未見の人には緊張感を、原作既読の視聴者には、最終的に悪事を容認していたイマイチな原作ラストに比べて納得のエンディングを与える形になっていて、上手い改変だったなァ~

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(書きかけ)

 なかなか面白いじゃないか

 「無敵砲台」は、原恵一演出版が好きなんだ
 リクエストがあったドラミ初登場回は、千秋版のことなんじゃなかろうか
 この前、「海底ハイキング」のリメイクがあったばかりなのに、旧作放送していいのか?

 「ざぶとんにもたましい~」は「ロボッター」の要素がちょっと入ってるかも。
 個々のエピソードの分線・絡ませ方の芸が細かかったなァ
 ドラ・のびvs掃除機のシーンは、面白く良く動いていた。

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(書きかけ)

『のびロボは役立たず』&『のび太の出会いはカタログ』
 作画、演出ともにいい感じ。工夫がいろいろと見える。
 コミカルに躍動的な作画は、芝山監督時代末期のような、本筋以外のところに労力を費やすムダな力の入れ具合のようではあるけれど、その時よりは抑制的な感じがするし、何より、今のリニュドラの平板さを見るに、これぐらいの元気よさがあった方が楽しげに感じられるので(汗)
 安藤敏彦&江島泰男コンテ・演出

『海底ハイキング』&『アイスショー』
・スケートネタをやるような時期に、海底ハイキング…なんだこの季節感のなさは…
・「よく分かるわね」「長い付き合いだからね」は、もとひら監督時代のアレンジから持ってきてるなぁ。
・スケートが巧く滑れないというのび太に対し…↓
ドラ「ボクは気にしないよ」
ドラ「いつものことじゃないか。ボクは笑わないよ」

ドラ「一昨年は、スケート靴をはいただけで大ケガ」

ドラ「去年は、リンクに出ただけで病院送り。今まで進んだ距離が確か…」

のび太「…12.3センチ」
ドラ「ぷーーーーっっっ!!!!」
聖者のような顔で迎えていたのが一転、堪えきれずに悪意に満ちた笑い顔になるというのが、かなり的確なお笑い表現で、こちらも思わずノってしまう(笑)

・スケートの方はゲストキャラが可愛く描かれているなぁ。スケートで滑ってる時の作画は割とがんばってた。
・浅田真央の棒読みっぷりが半端ない。しずかちゃんとゲストヒロイン(堀江由衣かよッ)のハキハキ喋りが取り囲むから、余計にダメダメに聞こえるというトラップ。誰か、フォロー的な配役とか設定を持ってきてやれ
・っていうか、今回のゲストキャラって、“子どもの頃”に浅田真央に憧れるぐらいの年齢か?

『レポーターロボット』&『タンマウォッチ』
・レポーターの方は、「報道の加熱でプライバシーが侵害される」なんてネタが子ども時分に原作読んでたときには全然面白くなくて、その辺、今の子どもたちに分かりやすく、そして面白味があるようにどうアレンジするのか気になったが……「恋が実りました」という変に感動的な路線で〆るのか。何か妙な感じだが、これで間違いではないのが、あのネタの難しいところだなぁ…
・タンマウォッチではパンチラ発見(笑) アイスショーの時の衣装といい、規制緩くなった?

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(先週分)
「アドベン茶」
 いくら、矢継ぎ早に押し寄せる事件に巻き込まれてしまうパパの冒険がテーマでも、ちょっとでも跳ねるものにのってしまったら、毎度毎度100メートルぐらいの高さまで飛び上がって移動してしまうなんて、ありえなさすぎるだろう!
 だがそれがいい(笑)

 ヒーローっぽく子どもを助ける、って要素は蛇足だった気がしたのだが、しかし冒険の要素の一つであり、原作が取りこぼしてた要素だなぁ~、と思ったり。
 ただあそこは、「名乗るほどのものではありませーん!」というパターンより、「名乗ってるヒマがありませーん!」の方がよりパロディっぽくて面白かったかもしれん(笑)



「ベロ相うらない」
 冒頭の間の使い方で一発で分かる渡辺歩回。
 歩いているのび太を映したカットから始まって、空き地に入っていくスネ夫たちを見るのび太の視点ショットに映るんだけど、いつもだったらそこから「空き地を覗くのび太」というカットに映るはずのところで、そのまま同じカットでジャイアンがこそこそと後を付けていく部分が足されてワンカットの尺が長くなり、それを訝しがるのび太のカットに再び戻ってくる、という間を長めに使い、カット繋がりを意識しているところなんか、個性が丸分かり。
 のび太が悪だくみを思い付く瞬間に、空き地から飛び去るセミを映した風景ショットを差し込んだりして、人物以外の部分も印象的に描こうとする編集をしているところなんかも、渡辺コンテらしさ。
 他にも、画面端の出来事も子細に動かしてたり、生活用品とかの小道具にこだわったり。

 現在と未来を行き来しているおじさんの家周辺では、同ポジのカメラアングルを繰り返していくのも、知らない土地でも印象深く身近なものに感じてもらえるようにすると同時に、変わってない部分と変わった部分を強調するやり方で、こうした同ポジを意識する人には、やり手のコンテマンが多いようにも思える。



(本日)
「無人島で3000日」
 だめぇぇぇーーーー!!!!
 この話を情感たっぷり交えてやっちゃダメぇぇぇーーーー!!!!!


 いやぁ、まあ、感動的に作り上げる話としては、白ける部分がないようちゃんと作られていて(いや、船の定期航路が島に近いのは何かツッコミどころか)、それはそれでいいのだが、10年も助けが来ないままで孤独死しそうです、というトンデモネタをそのまま重く描かれたら、さすがにシャレにならん!!!

 ちゅーか、夜になるたびに貝殻を積み上げていく演出が加えられていたのだけど、10年の歳月の重さを見た目から語っていたのだが、三日坊主ののび太がそこまで続けられるとも思えない(笑)
 1,2ヶ月続けられれば習慣化して、そのまま10年続けられるだろうけど、まず習慣化するまで続けられるとも思えない(笑)

 芝山監督版では(って、また引き合いに出してしまうなぁ、オレの悪い癖;)、わずか10秒で10年経ってしまう、という、原作よりさらに呆気ない歳月の経ち方をしていて、内容知らずに見ていた当時の私にとってはサプライズになっていたのが、面白いと言うか呆れると言うかで、いい匙加減になっていたと思うんだけどなー

 全体的に時間稼ぎのための部分が散見されて、間延びした演出だった印象。

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 『ドラ』を知る者の間では語り草になっているバイバインが登場。
 バイバインをかけたくりまんじゅうは、道具の効果で分裂増殖して、5分で倍になる。
 食べきれずに1個残して1時間ぶらついていたのび太に、食べきったと思っているドラえもんが確認する場面…

Dora_Baibain1.jpgドラえもん「とんでもない!(1時間で)4096個(に増殖する)」

 乗数どころか、かけ算も分からんような年少者にとっては、いきなりそんな説明をされても、なんでそこまで急に増えるのか、分からんのじゃないだろうか?
「同じ2倍になるのでも、1個の倍は1つ増えるだけだけど、100個の倍は100個も増える」というワンクッション置いた説明が必要なんじゃないだろうか、と思わなくもない。原作も文字だけの説明だし。(でもまぁ、数を文字として眺めるのもまた面白いか)
 まぁ、アニメだからそこら辺は絵の勢いで押して、理屈はともかく結果の壮絶さを説得力を持って描写していたが。

Dora_Baibain2.jpg Dora_Baibain3.jpg 
Dora_Baibain4.jpg Dora_Baibain5.jpg

Dora_Baibain6.jpg Dora_Baibain7.jpg Dora_Baibain8.jpgのび太「……………!!!」

 今回のアニメでは、ちょっと凝ったアングルからの動きが見られた。平板な画になりがちなリニュ『ドラ』にしては珍しく意欲的だ。カメラに迫ってくる感じが、何かいい感じ。
Dora_Baibain9.gif Dora_Baibain10.gif

 原作では呆気なくロケットで宇宙に全部処分した投げっぱなしオチになっているけど、今回のアニメ版は、回収し損ねたくりまんじゅうが人知れず家の軒先で増殖していく、というホラーっぽいラストに改変されていた。
 それはそれでパターンだから面白いが、今回の話は数の不思議を思い知らせるのが主題っぽいものだから、別にそんなパターンは要らんかった気がする。

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 島上空から海中へ入り、様々な魚が泳いでいくのをカメラがなめて、海底付近のドラたちの潜水艇にクロースアップしていく、というじっくりとした映し方が映画版みたいで、スタッフのやる気が見えた。
 …テレビ放送版では、そういう色気を出さない方がいい、と思ったりもするが。

 唐突に南の海から始まってしばらくそのまま進行するものだから、てっきり解説は後回しでアトラクションだけ先に済ませるものだとばかり思っていると、全然解説が始まる様子もなく進み、ようやく前回から繋がっていることに気付く。

 最近、録り溜めてて気が向いたときにしか見てないから、気付かなかった…

 …やっぱり『ドラ』にこういう連続ドラマ的なスタイルは不釣合いだと思うなぁ

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 4年前、『ドラえもん』のキャストとスタッフが一新されると知ったとき、プロデューサーら辺の言葉を知って不安に思っていたことがある。
 「ドラえもんは“努力・友情・希望”がテーマの作品なので、その原点に返ってリニューアルを~」という感じのコメント。
 確かに『ドラえもん』はそういうテーマを含んでいる作品ではあるけれど、まるでその3本柱だけで『ドラ』が成り立っているかのような言われようで、そういう認識しか持っていない人が制作者ということは、そういう方向で『ドラ』がこれから作られていくのだ、という感じがした。

 そういう方向ってのはつまり、映画版が作り上げた「ドラえもん」像の延長ということなんだと思う。
 あるいは、いろいろなところで語られる、「『ドラえもん』、感動のベストエピソード」みたいな感じの話からの発想というか。
 のび太は他人と比べて“見劣りする(≠ダメダメな)”部分もあるが、正義感を発揮し勇気を持ってカッコよく困難に立ち向かっていくキャラであり、しずかはそんなカッコイイのび太に常に惹かれて、困難を共にする仲間だという友情も手伝って相当好意的に見ている性格。ジャイアンは乱暴だが友情に厚い、頼りになるとってもイイ奴。スネ夫にはそうした信念はないが、ここぞという時にはのび太たちの正義感を援護して、彼らの正当性を補強する役目を受け持つ。ドラえもんの道具は、彼らのそうした長所を延ばし活かす形で使われ、ドキドキワクワクの冒険を可能にする夢のツールとして描かれる。
 ここらへんは、『映画ドラえもん』の魅力として語られ、多くの人間に評価されている。

 でも、注意しなければならないのは、これが『映画ドラえもん』の魅力であって、TV放送されている版の『ドラえもん』の魅力とは必ずしもイコールにならないということ。
 なんで『映画ドラえもん』の登場人物がそこまでカッコイイ描かれ方をされているかといえば、「映画なんだから、普段できないような活躍の場を持たせてあげよう」という制作者側の考えというかサービス精神で、特別に魅力的に描かれているから。

 ということは、普段はこうでないのが『ドラえもん』なのであり、すなわちそれが『ドラえもん』の普通なのである。

 のび太はとことんまでダメな奴で、ひみつ道具で楽をしようとして自滅する自業自得な少年であり、しずかはそうしたひみつ道具にのび太が頼りたくなるほどにのび太に興味があるようには見えない高嶺の花であり、ジャイアンはのび太の天敵として襲ってくる脅威であり、スネ夫はその脅威を助長し、ストレートなジャイアンではカバーできない捻くれた部分からのび太を攻撃してくるイヤな奴であり、ドラえもんの道具は暴走して特に益ももたらすことなく害だけ撒き散らして終わる「悪夢のツール」だ。
 そして、こうしたキャラたちや道具が、ナンセンスギャグであったり、時に社会派であったり、たまにホラーであったり、学術説明が多用されるSFであったり、ほんの少しのホロリとする心の交流や教訓であったり、様々なストーリーを紡いでいくバラエティ性が普段の『ドラえもん』なんだ、と主張したい。

 じゃあ、そのバラエティ性……ここでは物語の重層性といってもいいかもしれないが、そうしたものの上に乗っている夢なり友情なりだけに目を向けて、底にあるものを全部無視してその表層だけをすくいとって、何か形作ろうとしても、物足りないにもほどがあるんじゃないの?
 というか、ひどい場合には、底の部分にあった大事なものが欠けてスカスカな構造になった物語を見せられるのでは?
 のび太は心優しく、ジャイアンは友情に厚く、人間的な負の部分がない聖人のような描かれ方をされ、ドラえもんはただただのび太に同情し道具を出すだけの「歩く四次元ポケット」としかいえない存在になり、物語はそうした小学生の聖人たち(うわぁ、矛盾が過ぎて気持ち悪いなぁ…)の善行を讃えるハッピーエンドとして終わる。
 そこに人としての葛藤や弱さといった起伏あるストーリーはなく、聖人としての成長を坦々と映し出すのみ…

 実際、大山ドラ末期はそれの一歩手前な感じだったので、リニューアルしたらそれがさらに推し進められて、もはや『ドラえもん』の雰囲気など何もない、努力や友情や希望が無造作に転がっているだけのナニかになってしまうのではないか、という不安はかなり現実味を帯びていた気がする。

 まぁ、幸いにして出来上がってきた『リニューアル版ドラえもん』は、それとは真逆の、負の感情とそれを原動力にしたパワフルさに溢れた楽しい『ドラえもん』になっていて、ホッとしたけど。

 …でも、その安心も束の間、
 当初の勢いはどこへやら、今、その想像が現実のものとして訪れている気がする。



 …という感じで、ケチョンケチョンに貶してやろうかと思ったが―
 アレ?
 今日のはオリジナルストーリーはそんなに悪くないじゃないか!(汗)

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 1週遅れだけど、まぁいいか…

 『アイ・アム・レジェンド』が公開され、『仮面ライダー牙』が始まったことに影響されまくっているかのような内容。
 他作品のアイデアに頼った安易な企画というべきか、タイムリーなネタを拾ってくるドラえもん的な姿勢というべきか…

 22世紀で、コンピューターウイルスにより全てのロボットが吸血鬼化して暴れまくって世界が破滅し、吸血鬼ウイルスの弱点であるメロンパンを武器に最後まで残っていたドラミも餌食となってしまい、21世紀のアニキ(=ドラえもん)も犠牲にしようとするけど、弱点の日光に邪魔されまくって、ジャイアンたちになめられまくる…という、分かるような分からんようなオリジナルストーリー。

 だから、なんでユートピア的な『ドラ』世界の22世紀がこんなに脆弱なんだ!?
 トーキョーだけならいざ知らず、世界中が完全に制圧されてしまうって、どれだけセキュリティがなってない未来なんだ!?
 ドラミが関わってくる話だったら、何やったっていいと思ってるのだろうか?
 というか、リニュ『ドラ』の22世紀は、もうそういう方針で行く気か?

 まぁ、吸血鬼(=ホラー)ネタにしたがってるくせに、恐怖感や緊張感を一切出してないのは、もうこの際どうでもいいだろう。
 演出力云々の問題ではなくて、もう放送コードと局側の意向に則って意図的に外してる。

 でも伏線が解消される瞬間の意外性を台無しにしてしまっているユルい作りは一体何なんだ!?
 「そうか!メロンパンが吸血鬼の弱点なんだ!」というセリフと演出が、なんで3回も出てくるんだよ!? クドいわ!
 …いや、その設定自体もどうかと思うけど。
 ドラミが吸血鬼になってしまった受け入れがたい事実もすんなりドラえもんたちに認められてしまった上に、吸血鬼の弱点晒しまくってちっとも恐怖感っぽいものがない場面で、ジャイアンたちがあの世のものに出会ったかのように恐怖しまくるし。

 どうせ『アイ・アム・レジェンド』にあやかるなら、同じ原作から作者がインスピを得たSF短編の『流血鬼』のネタをちょっとは下敷きにすれば良かったのに…
 いや、アレをそのままやったら、とても『ドラえもん』にならないのは分かっているけど、何らかのエッセンスを引っ張ってきてだねぇ…

 『流血鬼』に出てくる吸血鬼たちに、血を吸う理由だとか日光や十字架が嫌いな理由だとかに、何らかの科学的な説明をつけていたのに比べて、今回の話ってかなりファンタジーなんだもの。
 ウイルスみたいなあやふやな悪影響しか出さないものがなぜきっちり吸血鬼になってしまうのかの説明はなくて「そういう設定だ、納得しやがれ」のレベルだったし、ロボットのはずなのに日光浴びたら砂になるし。
 せめてコンピューターウイルスがどういうものかというのをトリビア的に説明してくれれば、ちょっとは『ドラえもん』っぽい知的好奇心を満たせただろうに……『ブリキの迷宮』ぐらいの親切心はないのか?



 ただ、そんな子どもも見向きしないような子供だましのどーしょもない話の中で、ちょっとした
 吸血鬼化したドラミが日光に当たれずに日陰で「あぅ~」と困ってウジウジしている様が、意外な萌え要素に…
 …っていうか、洗脳されて従順になってしまって親しい人間を襲わなくてはならない、という背徳的な設定自体が、何かしらのニッチ的な萌え要素だったりする(^^;)

 ジャイアンの歌としずかちゃんのバイオリンを最終兵器にしてしまうのはかなり安易ではあるけど、助かったのに「しかしヒドい音だ!」と助かった後も被害を受け続けてしまう、というヒドいオチは、ある意味藤子F作品らしい。
 …でもそれはただ“らしい”だけで、根本的には面白さに繋がってないんだけどさ。

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「のび太隊長にけい礼!」
 アニメ版がどうのこうのという話ではないけれど、「階級ワッペンの効果は、服を脱げば切れる」という設定を捻り出した藤子・F・不二雄は素晴らしいなぁ、と思うわけですよ。

 ドラえもんの道具の効果って、未来永劫続くようなものって無くて、簡単に無力化してしまうものばかりなのが『ドラえもん』の「お約束」なワケだけれど、それは簡単に効果が消えることで、ひみつ道具が原因で起こる騒動という非日常性を一気に日常に戻して、また次の回でも登場人物たちが新鮮な気持ちで非日常的な騒動に、驚きながら巻き込まれることを可能にする、有効かつシンプルな手段となっているんだよね。  でも階級ワッペンの設定はそれに加えて、「人間、着ている物(服に限らず)を脱ぎ捨てれば、誰もがみんな同じヒト」という人間哲学を含んでいるのですよ。

 そういう機能性とテーマ性を、ここまでシンプルな形で、願望充足型のエンタメストーリーとして練り上げてしまう作者には感服するしかないなぁ、と。



「天才・出木杉のロケット計画」
 無難にアニメ化しているので、特に言うことはなく、とても良か良か。
 強いて言えば、ロケットの動力源担当であることを忘れてみんなと一緒に大喜びしてしまうのび太のシーンは、のび太が操縦席から離れる仕草を順序立てて描写するのではなく、そこを飛ばしてしまって、大喜びするのび太という結果だけ見せて、「ん? ちょっと待て。じゃあ今誰が息を吹いてるの?」と視聴者が考える時間を一瞬でも与えて、「…って、のび太、そんなことしてる場合じゃないだろ!」とツッコミ思考に移行させた方が、面白かった気がする。
 まぁ、芝山監督時代にやっていた手ですが。



「無敵のウルトラ・スペシャル・マイティ・ストロング・スーパーよろい」
 のび太がよろいの性能を信じ込んでしまうときのラッキーっぷりが、「そんなに一度に災難が襲ってくるかッ!!(上からペンチ→犬にかまれる→終いには、トラックの荷物の下敷き)というご都合主義と非現実性に満ちていて、思わず笑った。
 面白いアレンジ。



「のび太に恋した精霊」
 この話はいろいろとバランスが良くて好きなんだけど…

 こちらは面白くないアレンジだなぁ…

 雪の精だから雪を自由自在に操れる、と言っても、原作では自然現象に添った能力の発動しかできないのが良くて、それはファンタジーの中のリアリズムを感じさせてくれるのですんなり読めるからということだけど、自然現象に反したことばかり(雪でビッグウェーブを作る&雪祭り会場を即席&雪で食事を作る)起こす魔法みたいなことになっているのは、「とことんファンタジーにした方が、子どもは喜びだろう」という単純な計算でしかシナリオを構築していない気がして、なんか白ける。

 …っていうか、ここのスタッフは『ドラえもん』に魔法を持ち込むことが好きねぇ…
 確かに『ドラえもん』ってのは実のところ、魔法使いの現代的翻案ではあるのだけれど、それを多くの場合において科学的な視点から描写して説得力を持たせることで、現代的翻案と成りえているのに、何のパッケージ付けもなしに魔法をホイッとそのまま出すのは、前時代に戻ってるぞ。

 『ハリポタ』が子どもたちに支持されてる時代なんだから仕方ありませんかそうですか。

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