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Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
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水野晴郎さん死去「シベ超最終作」製作予定だった

mizunoharuo.jpg 「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」の名文句で親しまれた映画評論家の水野晴郎(みずの・はるお)さんが10日午後3時5分、肝不全のため都内の病院で亡くなった。76歳だった。葬儀は近親者による密葬で執り行われる。

 関係者によると、水野さんは今年に入って、持病の肝臓の調子が思わしくないため、都内の病院で入退院を繰り返していた。
 映画評論家の木村奈保子さんは、「5日前にお見舞いにうかがったときは『背中が痛い』とおっしゃっていた。でもお年の割に頭の回転が速く、クリアで映画の話で盛り上がりました。私がジャッキー・チェンの新作の話をすると『ジェット・リーとの戦いが見たい』とうれしそうに話してらしたのに…」と話した。

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 水野さんは骨が弱く、4年前と昨年6月に背骨を骨折。さらに昨年末に自宅で転んで肋骨を折った。今年3月13日に都内で行われた、日本映画批評家大賞の授賞式に出席したのが公に姿を現した最後だった。この時は松葉杖をつき壇上に上がれず、いすに座ったままあいさつを行っていた。
 映画評論家の渡部保子さんは授賞式での水野さんについて、「体調が思わしくなく『病院から直行してきたよ』と力なく話していた。式が始まるまでずっと部屋で横になっていた。自宅で転んだ骨折のダメージがかなり大きかったようで、見ていてつらかった」と話した。

 1931年、岡山県高梁市生まれ。幼少時は中国東北部(旧満州)で過ごした。両親を亡くしたが戦後は郵便局職員として兄弟を支えた。アメリカ映画から民主主義を学んだことで映画に夢中になり、56年、24歳で20世紀フォックスに勤務。5年後に日本ユナイト映画の宣伝総支配人となった。
 ノルマンディー上陸作戦を描いたハリウッド大作「ザ・ロンゲスト・デイ」を「史上最大の作戦」と名付けるなど邦題で大ヒットさせるアイデアマンだった。72年から日本テレビ系映画番組「水曜ロードショー」「金曜ロードショー」の解説者となり、97年3月まで担当。日本アカデミー賞、ゴールデン・グロス賞の発案者として知られ、特に日本映画批評家大賞は批評家が選ぶ賞として、水野さんが中心となって91年にスタートした。

 また、96年には主役の山下奉文陸軍大将を自ら演じた「シベリア超特急」を「MIKE MIZUNO」名義で監督した。
 棒立ち、棒読み-の素人風の演技が、かえって北野武監督やイラストレーターのみうらじゅん氏らに絶賛され、サブカルチャー界から人気が拡大。“シベ超”の愛称でファンを生み、映画と舞台でシリーズ化された。昨年には最終作の製作が予定されていたが延期となっていた。

 83年当時の新自由クラブから参院選に出馬したが落選した。内外の警察事情に精通し、『世界の警察』などの著書がある。

6月11日17時3分【夕刊フジ】


 夕刊の端の有名人お悔やみ欄でこの人の名前を見つけた瞬間に、思わず「ハァッ!!?」と大声で驚いてしまった。

 ジブリやルパンというアニメを楽しむためだけに『金曜ロードショー』を観ていた幼少時代…
 おかげでこの番組を観ることが習慣化してしまい、私が映画好きになるキッカケの一つだったのかもしれない。
 そういう今の自分があるのは、この人のおかげだったのかもなぁ、とちょっとしみじみ。

 …まぁ、[映画好き&映画評論家≠優れた映画が撮れる]ということを、最もネタになる形で証明してしまった『シベリア超特急』という問題作も作っていたりする“困ったさん”でもあったのけれど(汗)
 しかもそれほどまでに酷評されたってのに、全然懲りずに何作もシリーズ化してしまったのだから、よっぽどの身の程知らずだとは思ったが、まさか↓のような事情があったとは…


水野晴郎、戸籍上の名前を改名していた!恐るべし『シベ超』への愛!今日都内で会見

 11日、高円寺にある日本映画批評家大賞事務局にて、10日に逝去した水野晴郎監督の愛弟子であり、水野が長年手掛けていた『シベリア超特急』シリーズにも出演している俳優の西田和昭ら関係者が会見を行った。

 軍服姿の水野のイラストが入ったシベリア超特急のTシャツを着た西田らは、悲痛な面持ちで会見に登壇。恩師である水野を悼みながら、約1時間に及び水野の最期を語った。

 水野はシリーズ8作目となる『シベリア超特急』の最終シリーズ監督に向けて意欲を燃やしていたという。しかし、クランクインを予定いしていた昨年の10月から体調を崩し、12月からは入退院を繰り返していた。4月22日に再入院してからも、自ら台本に新たなアイデアを加えたりしていたが、今月の始めに容体は急変。歩くこともままならない日々が続いた。

 そんな中でも、映画への愛はいつまでも水野の心から消えることはなかった。先週5日には、病床で配給会社から送られてきた『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』のDVDを楽しんだが、その映画が水野が観た最後の作品となった。

 また、生涯独身だった水野にとって、自らがメガホンをとり、主演し、配給、そして宣伝まで手掛けていた『シベリア超特急』シリーズはまるで子どものようなものだったという。とりわけ、第2次世界大戦当時、陸軍大尉だった山下奉文への思いは強かった。「先生は、僕らが知らないうちに、自分の本名まで変えていたんです。本名の水野和夫から、いつの間にか、山下奉大に変えていて……。保険証を見せてもらったんですが、本当に山下に変っていてびっくりしました」と西田が話すと、集まった報道陣からも驚きの声が上がった。

 28年間、水野を支え続けてきた西田は、「最後の最後まで映画しかない人でした。意識が混濁していた2日前も、映画を撮らなきゃ……と言って、手すりを持ち立ち上がろうとしていた。『お疲れ様でした。ゆっくり眠って』と言ってあげたいです」と声を詰まらせた。

 台本はすでに出来上がっていたという『シベリア超特急』ファイナルは、遺志をついだ西田らがなんらかの形で完成させるという。映画を愛した水野が、自らの最後の作品につけたタイトルは、『シベリア超特急 旅路』。長い旅へと出た水野は、きっと今ごろ、大好きなクラシック映画の俳優や、監督たちと楽しく話しているのではないだろうか。

6月11日20時15分配信 【シネマトゥデイ】


 彼は身の程知らずではなかったのですね。
 とことんまで行った映画バカだったんかい!!(笑)
 ここまでのレベルだとものすごく清々しいなぁ~

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