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Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
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ツバメって、いつ頃いなくなるもんなんでしょうかね?
個人的に、ツバメというと5月、6月ってイメージがあるんですが、最近は4月の頭にはもう来日していて、どうも季節感が狂う…
地球温暖化がツバメの生態に影響として出てるんでしょうか?
毎年そんな風に思ったりはするんですが、いなくなる時期がどれぐらいズレてるのかは全然関心がないんですよね。
今までなかったものが現れる場合は目立つから関心を持つのに、居たのが居なくなる場合は慣れと脳の忘却機能も相俟って気にしなくなるという、新しいもの好きで飽きが早いのが人間の愚かな性といえば性。

そんなことを考えたりしたのは、今日、ツバメの不思議な行動を見たからなんですけどね。

今日は雨だったのでツバメが低く飛んでいて、飛んでく様子を比較的近くから見られました。
それでツバメが一匹、ガレージから出てくる場面に遭遇したんですが、出てきた途端に嘴に咥えていた何かを落としたんですね。
エサでも落としたと思って、ドジなヤツだなァ、とかせせら笑ってたんですが、よく見てみると、なんとフンだったんです。

なんだ!? 最近のツバメはマナーをわきまえて巣の下にゴミが固まらないよう外に出してるのか!?
フン害を嫌がってツバメが巣を作るとすぐに壊すところもあるので、度重なる被害にツバメの方も学習して、フンは軒先より外に出すように生態が変化したのか!?
…などと思ったりしました。

でもひょっとして、巣の下にフンをボトボト落とすというのはパッと見の偏見であって、元々ツバメには時折巣のテリトリーの外に出す習性があるのかもしれない、とも考えたり。
ツバメの生態についてよく知らないので何とも言えんのですが。
まァ、ネットに繋げて雑記書き込んでるこの時点になっても全然調べてないので、私の探究心の弱さと知識の無さは推して知るべし。
その程度のことで探究心が弱いと言うのは違うのでは、とおっしゃる方もいるかもしれませんが、漫画描きにとってはそういう細かいことも気にすることが大事だったりします。
円谷英二も電柱の高さを素で言えるほど知識蓄えてて、ミニチュアで画面構成するのをスムーズに行なるようにしていたと言いますし。

そんなことだから、昨日漫研で勉強会やってて、登場人物が死ぬ場面の演出のことを話し合ってたときに「人間は死ぬとき目を開けるものなのか、それとも閉じるものなのか」という質問をぶつけられたので、何も知識がないのに知ったかぶりであることないこと後輩に吹き込むことになっちゃったわけですが(笑)
それでなくともマンガというのは、そこら辺にあるもの持ってきて利用できる映画とは違って、一から全部形を描かなきゃならないので、ちょっとした小道具でも外見を描くための知識を持っていなくてはならないのです。
…だからみんな背景描きたがらないんだよ。面倒臭いという理由に加えてさ。というか面倒臭いと言っちゃうのはそれが一因でしょうて。
まぁ、人間ってのは人間の形を見極めることには当然ながら長けているから、ちょっとした形の違いもすぐ目に付いてしまうので、一番大事にしなきゃならないのは人体を描く上での知識なんですが。

それでも『ストレンジドーン』の異世界キャラみたいに、デフォルメが効いたデザインで統一するなら理詰めで描く必要はそんなに無いだろうな、などとGyaoで観ながら思った。
まァ、デフォルメキャラ描くなら、それはそれで知識というか技術と工夫が要るわけですが。
そして、あのキャラで割と生々しいドラマを語ろうとする佐藤順一の心理やいかに(笑)

普段はあまりGyao利用してないんですが、『ウィッチブレイド』1、2話の視聴期間が切れるので観に行って、ついでに『ストレンジド-ン』と、それから『リュウケンドー』観ました。(ちなみに『MUSASHI』は残念ながら3話でやめております。ネタな見方で観続けるのは個人的に辛い…)
Yahooシアターで『未来少年コナン』全話一気観したりと、なんか最近ネットテレビを使う機会多なってるなァ。

ネット界隈では『ウィッチブレイド』の“尻”について萌え萌え言われとったりますが、私はむしろ娘の方に激しい萌(以下自主規制
あと、「児童福祉庁」とか「親子に誘拐罪適用」とか、我々が疑いもせず馴染んでる純な常識を歪ませるような珍妙な設定がなんか良いですなァ。個人的に好きだわ。
それが好きなのはたぶん、その設定を完全なSF世界の中で描くのではなく、現代とほぼ同じ生活が上に成立している未来の日常の中で描いているのが、とても良いバランスになっているからなんでしょう。

設定ならば『リュウケンドー』も結構興味深かったですねぇ~
超常的な敵に平凡な警察が立ち向かっていたり、一井の市民の生活が面白おかしく、しかし、生活しているという感じがしっかり出るように描かれたりと、日常性を重視して形成された世界観がなんだかコロンブスの卵みたいで面白かった。今まで観ていなかったのを後悔するほどに。
日常をしっかり描くことで(その上で一井の市民の狼狽振りを描くことで)、超常的な敵の強さだったりヒーローが活躍だったりが際立つというのは、よく言われることですからねぇ。
ヒーロー以外でも、騒動系の『ゴジラ』然り、『ドラえもん』然り。
(ちなみに『ゴジラ』の日常性については「ギドラの巣」というサイトで興味深い考察や提言をされています。私の考えもここの言説に大きく影響を受けています。興味があれば検索して議論まとめを閲覧してみるのも一興かと)
まぁ『リュウケンドー』にハマりかけたのはそんな理由よりも、警察署の描写が完全に『踊る大捜査線』だったのがツボに入っただけという直情的な理由のような気もするけど(笑)
それに観なかったのは、我が家のテレビ大阪の映りの悪さも一因であるし。

あ、だから『ARIA The NATURAL』がGyao配信されるのはとてもありがたい。
『~The ANIMATION』の方も映像悪くて見終えた傍からデータ消去してたので、今びわこ放送で夕方に放送しているのを機に映りの良い実家のデッキで保存版を録ろうと、神戸―彦根間でのアクロバティックな録画をすることになったし(笑)

どうでもいいけど、実家の裏の田んぼが埋め立てられちゃいまして、新しい住宅地ができることになりまして、2階の部屋から見る風景がすっかり変わっちゃいました。
引っ越しもしてないのに景色変わるというのは、何か変な気分ですなァ。
というか、今まで家の裏は田んぼだ、というのが私の常識だったもので、他の住宅団地では普通のことでしょうが、裏に家が建つというのはどうも居心地悪いですよ。「窓伝いの幼馴染」みたいなシチュエーションが可能な環境になるかもしれないと思うと(←バカ

そこ、田舎モンとか言うな。

あと、ウチの住宅団地と新しくできる住宅団地の道を繋げて利便を良くしよう、という話が以前持ち上がったりしたんですが、「新参者と仲良くできるものか」「ウチらの団地〈シマ〉はウチらで司る」というナワバリ意識が働いたようで、結局道は通さず、お隣同士なのに行き来が容易に出来ないという奇妙な地理になってしまいました。
まァ、どちらかというウチナワバリ意識の強い派なんですが。
時々当てもなく散歩してると通り抜けできない土地とかに遭遇することがあって、「通り抜けできない道が多いのは国が道路整備計画をきちんとやっていないせいだ。国は整備をしっかりやれ」と思ったりしたんですが、「ああ、こういう理由で意図的に繋がないこともあるから仕方ないかも」、と今なら実感をもって納得できますよ。

そこ、田舎モンとか言うな。

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