しばらく再放送がなくて
タダ見できずに悔しい寂しかったが、久々の、それも結構最近の話数の再放送なので、テンション上がったわさ。
途中まで櫻井武晴脚本だと思い込んで、「恩賜の懐中時計なんて一般的ではないレアアイテムを話に持ってくるところが、櫻井脚本の凝り性なところだなぁ」などと勝手に想像していた私は、全然脚本のクセが読めない大バカ者でございます(汗)
でも、だってさー、須藤プロデューサーと共に『相棒』の作品構造を作り上げた功績者であるとはいえ、輿水泰弘の脚本って、2時間スペシャルでは時間持て余している感があるというか、時間配分に間を与えて俳優の演技に任せる部分を作っているけど物語進行的には間延びしている感があって、テンポ良く進んでいくイメージがないんだもの。
レギュラー放送では「Season2-10.殺意あり」と「Season2-18.ピルイーター」でも間延びしてたなぁ…
ただし、輿水脚本の真髄は、薫の作ったマッチ棒タワーを書類を広げるために逡巡なく薙ぎ倒す右京、とかのキャラのセリフや挙動の可笑しみにあるけれど。
このシリーズから旗上げ役の須藤プロデューサーが抜けているので、そこら辺が薄めになってきてテンポ重視になってきてはいるみたい。
そんな感じで、5分に1回不審な点を右京が見つけたりする二転三転するストーリーとか、セリフの機微の違いが犯人特定に繋がる細かい仕掛けとか、結構楽しめた話でしたわ~☆
普通なら「熱い思いが届いて、二人は巡り合ったんですねぇ」としみじみとさせて人情を謳い上げるべきところのネタ(『はぐれ刑事』ならオチに使っていただろう)を、「そんな都合のいい展開があるものか。何か裏があるに決まってる」と冷酷なまでに合理的に物語の解答を与えてしまうシニカルさも『相棒』らしくて、面白い。
…と確かに純粋に楽しんでいる気持ちはあったけれど、引っかかる部分が多かったのもまた事実でありまして(汗)
まず誰でも思うだろうことは、冒頭のミリタリーマニアのホームレス襲撃事件と本筋がほとんど関連性がないというところ。
冒頭からありったけの火薬(=派手なシナリオ要素)を使ってデカい花火を打ち上げ、視聴者の興味と目を惹きつけてから、その後火薬を必要としない話をじっくりと進めて、花火で出た火の粉を回収していくのが『相棒』スタイルとはいえ、今回は打ち上げた花火がデカいのに火の粉を回収しようとしてないので、気になってしまう。
まぁ、これが本放送の頃は、イラク派兵の撤退問題やら格差社会やらが槍玉に上がってた時期だから、時事性を狙ってシナリオにねじ込んでみたというだけの、物語のスパイス的な扱いに済ませたかったということなのかもしれないけれど。
冒頭の事件がその後の本筋と関係なくなるのは、『相棒』の最初の話でも使われていた手でもある。
…が、その時はちゃんとその冒頭部分だけで解決し完結していて後腐れなかったので、繋がってなくても問題ないのだけど、今回のミリマニは思わせぶりに登場してしばらく捕まらず、襲撃犯の正体に迫っていく流れができていたのに、「彼らの行動にはどんな謎が含まれているのだろう?」という伏線を期待し始めた頃合に、あっさりと犯人バレして解決しちゃうもんだから、冒頭の事件の扱いにこちらが困ってしまう。
ここで頭を切り替えるべきなのか、それとも何かの裏があるから留意しておいた方がいいのか…?
困ってしまう更なる要因は、そこに同時並行して「落ちぶれたホームレスが持っていた、高貴な菊花御紋の懐中時計」という興味が惹かれるにも程がある組み合わせの謎についての捜査が進んでいって、例えば「ミリマニたちがホームレスたちを襲撃したのは、その内の一人が持っていたこの時計が真の目的であり、それがその一人がホームレスの立場に甘んじていた理由も含めて、時計の元々の持ち主と関連がある」とそれぞれの要素を関連付けて疑ってもいい余地があって、いろいろ考えを巡らせていたにもかかわらず、その疑いに実は解答がなかった点にもある。
せめて、「なんであれだけの人がホームレスなんかになっていたの?」と登場人物たちが口々に言って、そこに何か隠された理由があるように見せていたのを何とかすれば良かったのに。
あれじゃ、「彼は、関連性の薄い冒頭の事件と本筋とを結び付けるためだけの物語的なバイパス役でしたー」とタネ明かしされても、「ミスリードしすぎ」という否定的な感想が…
その割に、最後にその彼を強引に本筋に絡めて、しかも絡めたことにさほど意味がなくて、何だかスッキリさせない終わらせ方にしているし。
そうそう、懐中時計をなぜ盗まれた扱いにしていたのか、という理由も、思わせぶりだった割に凡庸だったし。
同じように様々な謎要素がいっぱい出てくるものの、その要素それぞれに解答が与えられてスッキリした「Season6-1.複眼の法廷」とは違う感じ。
まぁ、それらは流行要素(?)の取り入れという形で納得するとしても、時事性が関係なく、シナリオ側の提案であろう「右京が最初に関わった事件が、時を超えて再び浮上してくる」というアイデアが、全然活かされてないのは不思議。
最初の事件だから右京が執拗にこだわって捜査してしまう、という使い方なのかもしれないが、まぁあの人が執拗なのはいつものことなので、普段と差異なし(汗)
右京がその当時の現場を実際に目にしていたからというアドバンテージを発揮するわけでもなく、過去の回想シーンに若かりし頃の姿を現してファンサービスを行なうわけでもなし。
…でもまぁ、回想シーンに現れないのは大正解だけどね。
過去シーンを描くとなると、右京のよく分からない性格の形成の過程も多かれ少なかれ描くことになるだろうけど、あの性格の形成がどのように行なわれたか(生まれつきああなのか、この事件の時は普通人なのか、ということさえ)「整合性の取れた過去描写」は難しいだろうから、直接描写しないで視聴者の想像に任せておくのが一番。
だからって、右京がその事件の話をあまり語らないというのは何か違うとは思うが。
シーズン中の各話でこれらの続きの話をする、という手段もあるので、それならいろいろ出てきた要素もこの程度の扱いでいいだろうけど、あらすじ見る限りどこにも絡みそうにないしなぁ…
容疑者がたっぷり出てくるが、本ボシが途中参戦ってのは、反則…
でも、そんな反則はこれまたいつものこと?(笑)
美和子が変なオリジナル宗教にかぶれていた妙にも程がある様子も、もっと本筋と絡んでこなきゃ意味がない……と思っていたが、4年も続けてきた新聞社勤務という重要な設定変更を視覚的に知らしめているので、まぁいいか(笑)

まぁ、つまらんというよりも、この手の謎の解答としては無難の域か。
…でも、だったら先週の「仮面越しの顔の描写演出の違い」は、ただこちら(視聴者)の予想を翻弄するためだけの仕掛けであって、違うということに物語的な意味を持った有意義的な演出ではなかったということで、なんか引っ掛け問題みたいでイヤだなぁ。
あの見せ方だと、中国にいた方が替え玉で、日本の学園にいた方がホンモノという感じになってたから、どんなトリックを使えばそんなことが可能かと、解答をかなり期待していたのに…
それに、誰にもバレないレベルのカンペキ変装が「あり」ということになってしまうと、もう何でもアリな感じがしてしまって、「自分の能力の限界内で何とか危機を凌がなければならない」という緊張感がなくなるなぁ…
まぁ、別人が変装しているということを、トリックのオチとして使うだけではなく、別人の勝手な行動で本人が危機的状況を迎えてしまうというドラマを生み出す仕掛けにしていて、安易な解決策と思わせない工夫をしているのがこの番組の侮れないところではあるけれど。
でも、ギアス発祥の秘密、なんてこの番組のかなり重要なポイントを、何の伏線もなしに主人公が視聴者よりも先に既に承知していて、おまけにその技術を狙う策を前々から巡らせていた、というところまで行ってしまう進行の稚拙な駆け足ぶりを見ていると、シナリオの出来がプラスマイナス0な気もする。
四面楚歌の状況で新型ロボを駆って颯爽と登場し、華麗なるキーボードタイピングでロボを操って敵を殲滅してしまう主人公…
…って、これはひょっとして、『ガンダムSEED』のキラの引き写しか!?
純粋な正義感から出てきたのではなく、ドス黒い計算を腹に秘めてみかけを繕って行動しているというのを見ると、引き写しではなくやはり当て付け。
じゃあ、主人公側に付いてた赤髪の少女が敵軍にさらわれる、って展開は『SEED』のフレイへの当て付けかも…
…って、ここまでこじつけると、もはや言いがかりだなぁ~
でもこれが当て付けだとしたら、カレンはこのまま物語と絡まないままフェードアウトしていくことに…
…って、当て付けだったら、原点に対するアンチテーゼがないと、当て付けにならんわな。
つまり、カレンが捕まったことで、物語的に何らかの意義が生じるということでないと。
捕まってる最中に敵軍の重要な情報を掴んでしまい、それを聞いた後で助け出されて、主人公側に情報を提供することになる、とかが無難?
一番キツい展開は、皇帝のギアスで記憶を書き換えられて敵軍に寝返るという辺りか…
…ええ、大好物のシチュエーションです(笑)
って、あっ、須藤昌朋・山中純子とか、劇場版スタッフも再参戦!?
散々「赤と黒のクラッシュ」編を引き延ばしたので、当然のごとく変更されたOPテーマとOPアニメーションだが、逃げる不審人物(実は小五郎)をコナンたち少年探偵団が見つけて追いかけ捕まえるというストーリー仕立てになっている(その追跡の間にその他のレギュラー・準レギュラーキャラが顔見せする)のが、ちょっと昔のアニメOPって感じで、懐かしい雰囲気に(笑)
3週間の放送休止の甲斐(?)あって、作画はかなり良好。
『コナン』スタッフではベテランクラスの増永麗作監を始め、各話の作画でも活躍している実力派の原画家を集結させて、映像クオリティ的には磐石の布陣。
…その贅沢な作画リソースを一点集中させないで、他の話数にも分散させて、シリーズの作画クオリティを一定に保とうという考えは、相変わらずないのだろうか?
おかげで、次回の作画がぁぁぁ…
オリジナルの追加エピソードがいい感じ。
監督が代わって、今後は無理な引き延ばしなしに、こういう感じで間隙を埋めていってくれるのだろうか?
それが本当になれば、大変に嬉しい。
ラスト間際になってコナンが今回の事件のポイントを振り返るのも、どーせ来週も冒頭でやるだろうからクドく感じるのだが、「視聴者にも一緒になってトリックや謎の真相を考えてもらうのが推理マンガというものです」という親切さを感じられて、いいなぁ。
夜の事件ということも影響しているだろうけど、コントラストの効いた画面構成で、なかなか引き締まっていて良い。
監督が直々に切っている絵コンテも悪くない。
犯人の心境を語る部分で、巧くないと感じられる場面も多かったが、犯人と探偵役の内面を同時に語るストーリーのいう特殊な形式の話を効果的に演出するのに慣れてないだけかも。
…などと褒めちぎってはいるが、本当は、長々とした「赤と黒のクラッシュ」編で視聴感覚がマヒした影響で、相対的に善く見えているだけだったりして(汗)

藤堂「フッ。まさかこの斬月(=新型メカ)の初仕事が、花嫁の誘拐とはな」
しまった!!
これは、『ガンダムSEED DESTINY』のカガリ誘拐エピソードへの当て付けか!!
先週の段階で勘付いても良かったのに、このセリフが出てきて初めて気付くとは、ちいと悔しい。
味方になってくれる可能性もあった星刻をわざわざ裏切って強引に天子をさらって、ブリタニア帝国・中華連邦・星刻一派の三方を敵に回すような危険なマネをしたのは、何か裏の秘策があってのことかと思ったら、全然何もなかったのにはガッカリ…
…という登場人物の考えのなさも、当て付けじゃあないだろうな(笑)
しかし、ここまで分かりやすい当て付けは久しぶりだなぁ~
充実した頭脳的戦術バトルあり、圧倒的数量でせめぎ合う迫力のロボ戦あり、体育座りで露出過多になる少女天子のサービスカットあり、危険を承知でヒロインを救いに行く主人公のヒロイズム行動あり、などなど、あらゆる層の視聴者を惹き付けられる要素を、あざとすぎずバランスよく物語に組み込んでいくストーリーテリングの手腕は見事。
視聴者が「見たいと思っている」だろうポイントを外さず盛り込むだけでなく、敗北するしかない絶望的な状況下に追い込まれる主人公サイドという緊張感で、次回も「見たいと思わせる」要素もちゃんと組み込んでいて、その両輪をコントロールできてるのはスゴイな。
しかも、ラストは東京の学園で電話受けてるルルーシュのカットで〆。
ち ょ っ と 待 て 、 お 前 は 今 中 国 で ピ ン チ の 真 っ 只 中 に い る ん じ ゃ な い の か !
クソッ! ゼロの仮面越しにルルーシュの表情を見せる演出が、いつもは顔を全部見せていたのが、今回ばかりは顔の半分しか見せない演出になっていて、違和感感じた時に何か気付くべきだった!
…という謎も謎な、どういうトリックを使ってるのか知りたくてしょうがない展開まで用意していて、次回も「見たいと思わせる」仕掛けに抜かりがないのがスゲェ…
…って、いかんいかん。
見かけのストーリーのことに対してしか目が行っていないじゃないか。
作品の見方が浅くなっとる…
水野晴郎さん死去「シベ超最終作」製作予定だった
「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」の名文句で親しまれた映画評論家の水野晴郎(みずの・はるお)さんが10日午後3時5分、肝不全のため都内の病院で亡くなった。76歳だった。葬儀は近親者による密葬で執り行われる。
関係者によると、水野さんは今年に入って、持病の肝臓の調子が思わしくないため、都内の病院で入退院を繰り返していた。
映画評論家の木村奈保子さんは、「5日前にお見舞いにうかがったときは『背中が痛い』とおっしゃっていた。でもお年の割に頭の回転が速く、クリアで映画の話で盛り上がりました。私がジャッキー・チェンの新作の話をすると『ジェット・リーとの戦いが見たい』とうれしそうに話してらしたのに…」と話した。

合法的に国外脱出することに成功し、中華連邦に与えられた人工島で嬉々として新生活を始める日本人たち。
…そりゃあ、抑圧されていた今までの暮らしと比べれば嬉しい境遇だろうが、何かこの島で永住でもしそうな勢いなのは、やっぱり解せんぞ。
日本国独立のために活動しとったのに、日本列島という土地に執着がないのか、コイツら!?
ゼロにどういう風に説得された結果そういう考えになったのか、というところの説明も一切なし。
…ということは、これがこの作品内の日本人にとっての普通の独立願望の形、ということ?
どんな民族…というより、どんな人間でも、自分が生まれ育った土地・国土で何かを成し遂げたいというのが普通の願望だと思うのに…
自治権の回復こそが最も重要って考え?
でも国土なき自治権ってのも、なーんか人間心情に合ってない感じが…
とにかく何か解せないが、まぁ、もういいや。
中国がものの見事の末期清王朝のまま(裏設定では、この作品の世界に太平洋戦争は存在せず、日本は大日本帝国のまま21世紀までやってきていた、というのもあるらしいし)、というのを見せられて、なんかこの作品のリアリティのレベルに対する自分の認識を修正できた気がするから。(いやぁ、イレギュラーな世界観要素はブリタニア帝国だけで、後は現代と同じ世界観だと思っていたので)
今時、男女が倒れたはずみでキスする体勢になってしまうという昔ながらのベタなシーンを見せられるとは…
…って、これは1期でもスザクとシャーリーもやってたな。
ただ、今回みたいにじっくりたっぷりタメを使って背徳的な雰囲気を醸し出さずに、さらりと流す感じだったので結構現代的な演出ではあったが。

コラコラ、アイキャッチでしおらしく内股になるんじゃない!(笑)
いやぁ、見た目と内面がイコールで結ばれることばかりなアニメ界においては、こういう外見キャラはもうちょっと、こういう問題に対してはデーンと余裕を持って対応するようなキャラになるもんだから。
10話

派手に動きまくるCGのバルキリー戦以外は、静止画としての美しさを追求するタイプの本作なので、ヒュドラが襲ってくるシーンを省略したデザインの手描き背景動画でグリグリ動かしてたのには驚いたというか、こちらも何か違和感だなぁ~
そこだけがアンバランスでミスマッチな画なので、全体から浮きまくっていたが、手描き動画で動かすというその心意気やよし、か?
そういう話を聞いていたので、ロクな紹介番組にならないのは重々承知しているつもりだったが……
うわっ、紹介番組でございというポーズすら見せない!
アキバ散策に、『コードギアス』の話題を無理からに混ぜてみました、という構成になっている。
ちゅうか、途中でそれさえも放棄した作りになっとるぞ!
いやまぁ、それは想像の範疇だったともいえるし、アニメに興味がないバラエティ番組班が撮影してるから(そういうスタンスのスタッフを回すのはどうなの、という問題もとりあえず忘れる)、アニメ紹介という部分がおなざりになったのかもしれんのだが、アニメ制作サイドの人間が唯一関われるであろう番組内容を伝えるダイジェスト映像の編集さえ、短い時間で同じ場面も何度もリピートさせていて、映像の幅が狭かったのは、この番組のヤバさを伝えているようで…
新撮の手間は省くためのダイジェスト映像を編集する手間さえも取れないほどの、急ごしらえだったんじゃあないのか、ひょっとして?
まさか、元々、ただ単にアキバを紹介するバラエティ番組を撮るという企画が立ち上がっていて、それを無理やり『コードギアス』特番に仕立て上げた…とか?
4年前、『ドラえもん』のキャストとスタッフが一新されると知ったとき、プロデューサーら辺の言葉を知って不安に思っていたことがある。
「ドラえもんは“努力・友情・希望”がテーマの作品なので、その原点に返ってリニューアルを~」という感じのコメント。
確かに『ドラえもん』はそういうテーマを含んでいる作品ではあるけれど、まるでその3本柱だけで『ドラ』が成り立っているかのような言われようで、そういう認識しか持っていない人が制作者ということは、そういう方向で『ドラ』がこれから作られていくのだ、という感じがした。
そういう方向ってのはつまり、映画版が作り上げた「ドラえもん」像の延長ということなんだと思う。
あるいは、いろいろなところで語られる、「『ドラえもん』、感動のベストエピソード」みたいな感じの話からの発想というか。
のび太は他人と比べて“見劣りする(≠ダメダメな)”部分もあるが、正義感を発揮し勇気を持ってカッコよく困難に立ち向かっていくキャラであり、しずかはそんなカッコイイのび太に常に惹かれて、困難を共にする仲間だという友情も手伝って相当好意的に見ている性格。ジャイアンは乱暴だが友情に厚い、頼りになるとってもイイ奴。スネ夫にはそうした信念はないが、ここぞという時にはのび太たちの正義感を援護して、彼らの正当性を補強する役目を受け持つ。ドラえもんの道具は、彼らのそうした長所を延ばし活かす形で使われ、ドキドキワクワクの冒険を可能にする夢のツールとして描かれる。
ここらへんは、『映画ドラえもん』の魅力として語られ、多くの人間に評価されている。
でも、注意しなければならないのは、これが『映画ドラえもん』の魅力であって、TV放送されている版の『ドラえもん』の魅力とは必ずしもイコールにならないということ。
なんで『映画ドラえもん』の登場人物がそこまでカッコイイ描かれ方をされているかといえば、「映画なんだから、普段できないような活躍の場を持たせてあげよう」という制作者側の考えというかサービス精神で、特別に魅力的に描かれているから。
ということは、普段はこうでないのが『ドラえもん』なのであり、すなわちそれが『ドラえもん』の普通なのである。
のび太はとことんまでダメな奴で、ひみつ道具で楽をしようとして自滅する自業自得な少年であり、しずかはそうしたひみつ道具にのび太が頼りたくなるほどにのび太に興味があるようには見えない高嶺の花であり、ジャイアンはのび太の天敵として襲ってくる脅威であり、スネ夫はその脅威を助長し、ストレートなジャイアンではカバーできない捻くれた部分からのび太を攻撃してくるイヤな奴であり、ドラえもんの道具は暴走して特に益ももたらすことなく害だけ撒き散らして終わる「悪夢のツール」だ。
そして、こうしたキャラたちや道具が、ナンセンスギャグであったり、時に社会派であったり、たまにホラーであったり、学術説明が多用されるSFであったり、ほんの少しのホロリとする心の交流や教訓であったり、様々なストーリーを紡いでいくバラエティ性が普段の『ドラえもん』なんだ、と主張したい。
じゃあ、そのバラエティ性……ここでは物語の重層性といってもいいかもしれないが、そうしたものの上に乗っている夢なり友情なりだけに目を向けて、底にあるものを全部無視してその表層だけをすくいとって、何か形作ろうとしても、物足りないにもほどがあるんじゃないの?
というか、ひどい場合には、底の部分にあった大事なものが欠けてスカスカな構造になった物語を見せられるのでは?
のび太は心優しく、ジャイアンは友情に厚く、人間的な負の部分がない聖人のような描かれ方をされ、ドラえもんはただただのび太に同情し道具を出すだけの「歩く四次元ポケット」としかいえない存在になり、物語はそうした小学生の聖人たち(うわぁ、矛盾が過ぎて気持ち悪いなぁ…)の善行を讃えるハッピーエンドとして終わる。
そこに人としての葛藤や弱さといった起伏あるストーリーはなく、聖人としての成長を坦々と映し出すのみ…
実際、大山ドラ末期はそれの一歩手前な感じだったので、リニューアルしたらそれがさらに推し進められて、もはや『ドラえもん』の雰囲気など何もない、努力や友情や希望が無造作に転がっているだけのナニかになってしまうのではないか、という不安はかなり現実味を帯びていた気がする。
まぁ、幸いにして出来上がってきた『リニューアル版ドラえもん』は、それとは真逆の、負の感情とそれを原動力にしたパワフルさに溢れた楽しい『ドラえもん』になっていて、ホッとしたけど。
…でも、その安心も束の間、
当初の勢いはどこへやら、今、その想像が現実のものとして訪れている気がする。
…という感じで、ケチョンケチョンに貶してやろうかと思ったが―
アレ?
今日のはオリジナルストーリーはそんなに悪くないじゃないか!(汗)
ブリタニア側『テロ組織“黒の騎士団”を骨抜きにするために、仮面の男・ゼロを国外追放だ!』
↓
黒の騎士団側『じゃあ、全員ゼロになるから、団員も全員一緒に国外追放ね☆』
↓
行政特区参加者100万人全員ゼロの格好で国外逃亡
誰だ、こんな大バカなオチを考えたヤツは!?(笑)
いや、Aパート終了間際で「ゼロの真価は行動で決まる(=正体が誰であっても関係ない)」とか伏線張られてたから、「ゼロの処分を国外追放で済ますという裏取引と、ゼロの正体を誰も知らないという設定を利用して、合法的に国外逃亡を図る」という流れは納得できんことはないけど、ブリタニア側の第一声が「その手があったか!」というマジメすぎる反応なのは、この大バカな展開に合ってないぞ!
せめて、誰か一人でも「んなアホなッ!」という常識的な反応を示して欲しかったぞ!
…えっ? その一言あれば、この大バカ展開をマジメな話として全部納得できるのかって?
ええ、もちろん。関西漫才に慣れた人間の思考回路には、たやすいことです。
ツッコミが入れば、どんなボケでも許せる!(笑)
…っていうか、黒の騎士団の皆さん。
日本国の独立のために今まで戦ってきたのに、ノリノリで国を離れてしまっていいモンなの…?
一体、何て言いくるめられたんだ?
次回にそこらへんのフォローがあることも考えられるけど…
えっ? 次回は緊急特番で番組紹介バラエティ!?
ま た 制 作 が 追 っ つ か な い っ て の か !!?
1期と同じ過ちを繰り返してどうする!!
それとも、低すぎる視聴率対策? そういうことだったら哀しいなぁ…
『アイ・アム・レジェンド』が公開され、『仮面ライダー牙』が始まったことに影響されまくっているかのような内容。
他作品のアイデアに頼った安易な企画というべきか、タイムリーなネタを拾ってくるドラえもん的な姿勢というべきか…
22世紀で、コンピューターウイルスにより全てのロボットが吸血鬼化して暴れまくって世界が破滅し、吸血鬼ウイルスの弱点であるメロンパンを武器に最後まで残っていたドラミも餌食となってしまい、21世紀のアニキ(=ドラえもん)も犠牲にしようとするけど、弱点の日光に邪魔されまくって、ジャイアンたちになめられまくる…という、分かるような分からんようなオリジナルストーリー。
だから、なんでユートピア的な『ドラ』世界の22世紀がこんなに脆弱なんだ!?
トーキョーだけならいざ知らず、世界中が完全に制圧されてしまうって、どれだけセキュリティがなってない未来なんだ!?
ドラミが関わってくる話だったら、何やったっていいと思ってるのだろうか?
というか、リニュ『ドラ』の22世紀は、もうそういう方針で行く気か?
まぁ、吸血鬼(=ホラー)ネタにしたがってるくせに、恐怖感や緊張感を一切出してないのは、もうこの際どうでもいいだろう。
演出力云々の問題ではなくて、もう放送コードと局側の意向に則って意図的に外してる。
でも伏線が解消される瞬間の意外性を台無しにしてしまっているユルい作りは一体何なんだ!?
「そうか!メロンパンが吸血鬼の弱点なんだ!」というセリフと演出が、なんで3回も出てくるんだよ!? クドいわ!
…いや、その設定自体もどうかと思うけど。
ドラミが吸血鬼になってしまった受け入れがたい事実もすんなりドラえもんたちに認められてしまった上に、吸血鬼の弱点晒しまくってちっとも恐怖感っぽいものがない場面で、ジャイアンたちがあの世のものに出会ったかのように恐怖しまくるし。
どうせ『アイ・アム・レジェンド』にあやかるなら、同じ原作から作者がインスピを得たSF短編の『流血鬼』のネタをちょっとは下敷きにすれば良かったのに…
いや、アレをそのままやったら、とても『ドラえもん』にならないのは分かっているけど、何らかのエッセンスを引っ張ってきてだねぇ…
『流血鬼』に出てくる吸血鬼たちに、血を吸う理由だとか日光や十字架が嫌いな理由だとかに、何らかの科学的な説明をつけていたのに比べて、今回の話ってかなりファンタジーなんだもの。
ウイルスみたいなあやふやな悪影響しか出さないものがなぜきっちり吸血鬼になってしまうのかの説明はなくて「そういう設定だ、納得しやがれ」のレベルだったし、ロボットのはずなのに日光浴びたら砂になるし。
せめてコンピューターウイルスがどういうものかというのをトリビア的に説明してくれれば、ちょっとは『ドラえもん』っぽい知的好奇心を満たせただろうに……『ブリキの迷宮』ぐらいの親切心はないのか?
ただ、そんな子どもも見向きしないような子供だましのどーしょもない話の中で、ちょっとした
吸血鬼化したドラミが日光に当たれずに日陰で「あぅ~」と困ってウジウジしている様が、意外な萌え要素に…
…っていうか、洗脳されて従順になってしまって親しい人間を襲わなくてはならない、という背徳的な設定自体が、何かしらのニッチ的な萌え要素だったりする(^^;)
ジャイアンの歌としずかちゃんのバイオリンを最終兵器にしてしまうのはかなり安易ではあるけど、助かったのに「しかしヒドい音だ!」と助かった後も被害を受け続けてしまう、というヒドいオチは、ある意味藤子F作品らしい。
…でもそれはただ“らしい”だけで、根本的には面白さに繋がってないんだけどさ。
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