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Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
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 人体もロクに動画させられないクセに、車なんか動かさないでくれー!!!

 …と叫びたくなる、映画『スピード』か、はたまたそれを元にした劇場版『時計じかけの摩天楼』を元にしたパニックアクション話。
 「推理モノの『コナン』のテレビシリーズの短編で、アクション主体の話を出してどないすんねん」というスケール的な不満がないわけではないが、まぁどうせ最近の推理主体のオリジナル話も窮屈で大したことないし、脚本陣の気晴らし半分でも面白いパニックアクション話を見せてくれるなら、そんな番外編的な見せ方もたまには歓迎するぜ、と期待したりもしていた。

 …が、今の『コナン』脚本陣にそんな“普通の”芸当ができるワケもなく(笑)

 とりあえず、この手のストーリーはスピード感が大事なので、テンポよく話を進めないといけないと思うのだけれど、何かこう、15分ぐらいでパッパッパッと展開しなければ面白くならない話を、倍の時間かけてのんびり見せられているような感じをAパートで覚えさせられた時点で、もう今回の話はダメ。

 それに、動く密室とも言える車、それも内部空間が狭いセダンを利用した話なのに、途中からそっち方面の緊張感がまるで足りなくなってしまうのはどういうことですか?
 爆弾を搭載した動く凶器のせいで交通規制が掛けられて、街が異質空間に変貌していく様子は面白かったし、警察が決死の覚悟で臨む救出話は、お約束通りの妨害要素もあってそれなりに盛り上がるのだが、あくまでそれは「外側」の部分。
 主人公たるコナンは車の中にいるのだから、車内のパニックっぷりが強調されていないと、外野だけがワイワイ騒がしいという感じがして、視聴者の感情と連動しないのではないか?
 それどころか、車中の人物が悟りきった僧侶のように落ち着き払ってて、何のドラマも展開されないのだから、これはもう、どうしてくれよう…

 んで、この状況下に相応しいドラマ的なものが展開されたと思ったら、主人公だけが救出されて視点の比重バランスが大きく崩れた後だしな。

 でも、そのドラマ的なものは、割と面白かった。
 運転してる小五郎が娘の蘭に、「いざとなったら車から飛び降りろ。ケガは免れんが、命には変えられない」と言うのだけれど、蘭は「お父さんを置いては行けない」と、まぁ、お決まりのな展開。
 で、その直後の小五郎のセリフがグッと来たのだけど、実は「オレの言うことを聞きなさい」というセリフを「親の言うことを聞きなさい」と聞き間違えてしまったせいで面白かっただけだった(笑)

 小五郎って、娘からもだらしなさを叱られるようなダメ親父で、たぶん本人も自覚はあるんだろうけど、でも、そんなダメ親父でも娘を思いやる気持ちというのは人並みにあるもので、信用されてない娘を説得するほど自分に親としての権威がないのは分かってはいるけれど、それでも精一杯「親」という立場を利用して、何としても娘を説得して助けたい、という、まぁ親のワガママといえばワガママなんだけど、そんな不器用なカッコのつけ方に、子を持つ親の心理を感じられた、というところが良かったなぁ、小五郎のキャラクターの掘り下げも出来ていたし……
 …って、言いたかったんだけどね、聞き間違いだった(笑)

 ただ、小五郎のキャラクターのことを言うならば、前半は神谷明のカン高い声で
「バ、爆弾!?  たたたたたた大変じゃないか!!!!  どーしよー、どーしよー!!?  こんなことなら昨日の麻雀に参加しとけば良かったー!!!」
 …と言いながら、精一杯醜態を晒してくれた方が、小五郎の軽薄なキャラクターに合ってたような…
 そして後半になってもう助からない段階まで近付くに従って徐々に落ち込むというか落ち着いていって、深刻な表情を見せてくれれば、それはそれで「ピンチにゃ冴える」小五郎のキャラクターも深まるだろうし、ドラマ的にも感情の起伏がはっきりしていて、感動と興奮を呼び起こすアクセントにもなったんじゃないかしら。
 そこらへんのところは、あまり脚本、考えてくれなかったようで。


 まぁ、脚本があまり考えてないのは他にもいろいろとあるけどさ。

 前述の小五郎と蘭のシーンのところで、母親の妃英理のことが全然セリフに出てこないのが不思議。
 別居はしてるけど、小五郎と英理って、なんだかんだで仲がいい部分があって、互いに愛し合ってるんだなぁ、ということが感じることができるので、命の危機を前にしたら小五郎が蘭に「無事に脱出できたら、英理に伝えといてくれ」みたいな感じで伝言ぐらい残しそうなものなのに、それをやらないというのは、キャラクターを大事にしていないなぁ~、と不満を感じてしまう。

 それに、そんな『コナン』特有の設定なんて脚本書く時に頭に入ってないとしても、「父と娘の命の危機」という場面なんだから、普通だったらこの場にいない家族(母親)の話題が出てきて然るべきだ、という作劇の原則というか人間心理のことを、脚本の枝葉末節を考える時に頭に浮かべるモンじゃないだろうか?

 それがないということは、ひょっとして脚本家、蘭の家は片親だと勘違いしていた…?
 あるいは、今回画面に出てこない人物の話題なんか出したら話が混乱する、という判断が働いた結果かもしれないけど、今回の話はただでさえ薄っぺらいんだから、そういう部分でちょっと深みを出しても良かったものを…

 たぶん今回出したセリフ以外は興味なかったんだろーなー…

 逆に、犯人の方は、キャラクターに深みを出そうとして失敗してる。
 車が停止できない特殊な状況を好き好んで作り出している犯人なんだから、もっと考えの軽薄なマッドなヤツにした方が、話はすっきりしただろうに。
 『コナン』の犯人の犯行動機はそれなりに同情できるものでなくてはならない、という縛りが災いしてるなぁ…

 そして今回の脚本の最大の疑問点は、クライマックスの犯人追いつめシーン。

 殺人犯である自分の兄は警察の執拗な追跡が原因で死んだ、と思い込んでいる犯人に、目暮が「何を言っている、ちゃんと自殺だという証拠があるんだ」と諭すんだけど…
 いや、状況証拠はそうだが、警察に追跡されてバイクで逃走中に、そのまま故意に壁にぶつかって自殺、なんてのは自殺の方法として聞いたことがないし不自然なんで、まず勘違いして思い込んでも仕方ないだろうに…
 「何を言っているんだ」と無知を貶す発言は、セリフの選び方間違ってる。

 その後で小五郎が犯人に向かって吐くセリフ。
「良かったじゃないか。お前の兄貴は人を殺めちまったが、お前はまだ誰も死なせちゃいない。本当に良かった」

 …あのー、スミマセン。爆弾という非常識なモンを使って町中に迷惑かけたというのに、何が良かったと言うの?
 犯人のことを思いやった小五郎の心からのセリフだとしても、そんな風には聞こえないし。
 そんな軽薄なセリフなのに、それまで聞き耳持たずで怨み節たらたらだった犯人がそれを聞いてすぐさま「毛利さーん!!!(ウルウル」と改心してしまうのには、おいおいおい!!!

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