前回ラストにようやく謎の一端が見えてきた、という段階なのに、今回冒頭で急激に深刻な身の上話をとつとつと始めるし。
そんな重い話を「御本をいっぱい読んだの」ぐらいの単純語しか使わないことみのおぼつかない言葉遣いで言われても…
身の上話を情緒感いっぱいに描いたのに比べ、朋也がことみを立ち直らせるために思い出の庭を復活させようとする、という決意の程が良く見えず、いろいろ考えあぐねてその結論に到ったという自然な感じではなく、あたかも用意された答えを知っていたかのように行動し始める、というのはちょっとおかしい。
つまり、尺のとり方が巧くいってない。
それなりに思い入れのあるバイオリンが壊れてしまう、というそれなりに衝撃的な展開も、ショック性なくあっさりと回想扱いで端折られてスルーっぽく流されたし。
脚本:古内一成 絵コンテ:青木雄三 演出:戸澤稔 サブキャラクターデザイン・総作画監督:佐々木恵子 作画監督:増永麗/アベ正己
今までアニメでは放ったらかしにしていた「水無怜奈争奪戦」(笑)の伏線を含むエピソードを一気に消化するつもりか、「命がけの復活」シリーズみたいな固定サブタイトルに。
しかし、ビミョーにダサさを感じるのはなぜだろう?(笑)
そして、そのビミョーなダサさは新OPにも漂うという…(汗)
感じたことを素直に書けば、歌の調子とOPアニメに80~90年代臭が(笑)
まぁ、OPテーマがZARDの遺作「グロリアス・マインド」に代わって、ZARDが1991年にB面で出した「愛は暗闇の中で」になったから仕方ない部分があるけど(エレキがキンキンに響くハードロック調が、すごくあの時代的;笑)、アニメーションまで古くさく感じるのは何かの仕様ですか?
やたらメカニックが強調されると、『シティハンター』とかその辺りの時代のアニメのOPっぽい。
背景が都市風景だったらもっとそれっぽかったけど、相変わらずの手抜き一色テクスチャー(汗)
それでも、EDよりはいいか。アニメーションは別に普通だけど、歌がなぁ…
相変わらず三枝未希INdbはイマイチな曲しか作れてない。聴く人に何を感じて欲しいのか分からない歌詞に、アップテンポなのにサビで決定的に盛り上がりが欠けるスコアに、覇気も透明さもない歌い方にエフェクトかけて誤魔化してる手段に、とにかく私の感性と合わない上に、1分30秒の時間内に収まってないと来た。
まぁ、収まってないのはED担当のせいだけど、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
本編の方は、後々重要になってくる血液型確認に必要な水無怜奈の映像を入手する、というただそれだけの話で終わるべきところに、振り込め詐欺事件が絡んで、事件エピソード化してしまったお話(笑)
「(振り込め詐欺が)流行ってる」と言っていたけど、どう考えてもアニメ化の時期を逃しています(笑)
やたらレイアウトやカットの使い回しが多かったけれど、リミテッドアニメとしては正しい省エネ作画法だから無下に扱き下ろすわけにもいくまい。むしろ、俯瞰のレイアウトを多めに入れて、カッティングが単調にならないように工夫していたなど、評価できる方なんじゃないかな。
ただ、蘭たちがミドルショット気味ところで、オバさんの顔のクロースアップのショットが頻繁に使い回されていたから、大して重要でないのにオバさんの顔ばっかり印象に残って仕方ない(汗)
ラストショットにEDテーマが被るようになり、十数年続けてきた予告の仕様も変えて、これからのエピソードにかけるスタッフの本気度がアップした模様。
両方とも「なんでこのタイミングで…?」というのは大勢の思うところだろうけど、この業界で「なんでこのタイミングで?」というのは、なぜだか知らんがかなり頻繁に起きているので、もうとやかくは言わない(汗)
問題はアニメの放送枠が、『結界師』の不人気による枠移動で「よみうりアニメ7時枠」にできた空白に滑り込んで、こんなゴールデンタイムという大舞台になってしまったことだ。
ゴールデンタイムって、良い意味でも悪い意味でも「大衆性」が誰からも求められる時間枠なので、しかもその「大衆性」ってのが目まぐるしく変わっていっている近年なので、『ヤッターマン』って、現代のそういう場所で頑張っていけるコンテンツだったけなぁ……と、不安に思えてしまう。
結局空回りに終わった『結界師』のなりふり構わない宣伝っぷりに近い前宣伝の仕方なので、余計に不安…
とはいえ、「子供アニメ大会」で再放送を数回見ただけの私なので、「『ヤッターマン』はこうでなくてはならない!」という思い入れってのはあんまりないんだけれど。
ゴールデンタイムアニメの砦・よみうりアニメ枠の存続の方が心配だったり…(汗)
風子復活!!
…って、速ぇぇぇぇぇぇ!!!!
物語的には、あれだけ煽った感動を無に還してしまうのだから、アウト。
でも、ギャグ的には、クリーンヒットだったのでOK。
「近所では、クレーンにかけては右に出るものがいないと評判です」という長めのボケをかましたとき、朋也の表情が途中で変わっていたのが、良いなぁ~
相手のボケを最後まで聞かないと反応し始めない、不自然な反応になっているギャグアニメが多いモノで、ちょっと感激すら(笑)
椋が大事故に巻き込まれたかもしれないと、緊張感を煽っていたのは、ひょっとして杏ルートとの同時並行的に進める意欲的な構成にするのか、と期待したのだけれど、結局椋は無事で、ことみルート一本集中継続中というメチャクチャ保守的でした(汗)
能登麻美子の叫び演技が聞けるものになっていたのは、成長が見えて、ちょっとした収穫。
『ルパンSP』でゲストヒロインやってた時はなんであんなことになったのか…(汗)
Aパートでグループ交際に流れ込む過程が唐突。
しかしBパートでマジメ、というのは、もうテッパンの構成なのか?
並行宇宙論なんて話題が飛び出してきたが、SFを取り入れてるのは、Key作品っぽくないなぁー
『ナウシカ』の時の久石譲というか、坂本龍一チックな音楽で盛り上がる終盤。こちらも気持ちが盛り上がってきた気がする。
でもよく考えれば、朋也は他人の家に不法侵入していて、盛り下がる行動なこと請け合い(笑)
バイオリン演奏によって、人々が次々に『あしたのジョー』風に散っていく、というのが今回のお話のすべて。
いや、ウソですが。
でも単話構成的には、ことみによるバイオリン発表会の「企画→練習→発表」という成長図的な順序をなぞっているので、成長図の最終地点である発表会がクライマックス=物語の目的ということに。
一応は生真面目な恋愛モノのカテゴリーに入る番組で、いくら一話完結的であっても、そんな脇道的なギャグ完結話を差し込むのはどうかなー、とは思うけど、おそらく、原作ゲームにおいてなら、それほどの乖離感というのはなかったんじゃなかろうか。
一枚画とテキストデータ主体の選択肢ゲームにおいては、定期的に差し替えることはできるけれど基本的には動きのない絵と、プレイヤーに読む速さを委ねるしかないテキストの表示によって、物語を進めていくのであり、まぁ音楽やキャラボイスも印象操作に一役買うけれど、BGMはループすることが基本だからざっくりとした場の雰囲気を伝えるためにピンポイント的なテーマ性に乏しいものも多いだろうし、ボイスはキャラ毎・パラグラフ毎に別々に保存され使われているからキャラ同士の声を被せて会話を進めるなどの高度なことは行なわれないので、要するに、アニメほどの「見る側の印象を強烈に操作する」演出力はないという「限界」が存在しているわけで…
しかし逆をいえば、それは各シーン・各シナリオが明確な色を持って意味付けされることを回避し、何色にも染まる曖昧さというか、解釈の余裕の部分を生み出していて、「ここは笑いが許されるシーン」「ここはシリアスでないといけないシーン」という境界線が薄れているので、シリアスと笑いが隣り合わせに同居する状況が受け入れやすい…
…いや、もっといえば、シリアスと笑いという意味そのものの差異も薄まっているのではなかろうか。
おそらく、ゲームにおいてなら、この番組の基盤となっている通常のリアリズム重視&シリアス気味な語りの文法からは完全に浮き離れている今回のジャイアン的リサイタル(笑)も、表現の「限界」が意味付けの「抑制」となって働き、ゲームの語り口を等価化しているので、浮き離れている感じではなかった、と言うことができるかもしれない。
話の方は、杏が朋也のことを好きであることを(今までそういう意味として受け取りにくかったのと比べ)強烈に示唆し始めて、メインストーリーに絡んできているようでもあり、私の言っていたヒロインの各ルートをパラレルに進行する話運びになってきた感じ。
というわけで、2006年大晦日の「笑ってはいけない警察」に続き、今回は「絶対に笑ってはいけない病院24時」。
いつもはダウンタウンの松ちゃん、浜ちゃん(あるいはココリコの田中か遠藤)、どちらかが仕掛け人になってもう一方を笑わせにかかる対決モノなのだけれど、今回は、「笑ってはいけない」レギュラー全員参加の豪華版。
去年までの、ただ貪欲に出演者&視聴者を笑わせようとしていた構成に比べると、アトラクションゲームに見せかけたコーナーがあったり、爆笑ソングライブがあったり、夕飯にネタが仕込んでなくて鍋の具がおいしそうに撮られていたり、ホラーハウスチャレンジがあったりして、笑わせること主体というよりは、年末の3時間半という貴重な時間を『笑ってはいけない』だけの需要で終わらせてしまわないように、様々なバラエティ要素をぶち込んでいろいろな視聴者層を取り込むために抑揚をつけている感じ。
そのおかげで笑いの濃度が薄味になってしまった気もする。
とはいえ、今年も抱腹絶倒の笑いどころはちゃんとあって、時間をおいての「落とし穴」ネタの連発にはしっかり笑わせてもらった。
一回目のココリコ遠藤の落下は、松ちゃんが言うとおり、「看板に何か笑わせるネタが書いてあるんだろう」というミスリードが見事だったし、半時間もおいての二回目は、マイケル富岡の登場が『ダウトをさがせ!』世代にとっては懐かしく、そのキザっぷりを発揮して颯爽と車から降りるかと思ったら、情けなくも落とし穴に見事に落下というギャップがすばらしく、三回目は楳図かずおの登場自体がサプライズな上での落とし穴だったので、余計に効いた。
去年のバラエティ化特番が悲惨で無残な結果に終わったことから、今年は存続すら危ぶんでいた「大晦日だよ!ドラえもん」だけど、何とか首の皮は繋がったようで、去年と同じく2時間に縮小しての放送。
というか、リニューアル直後でストックないのに、大山時代と同じ様に3時間SP続けてた一昨年の方が狂気の沙汰だったわけだが。
今年の目玉は、SPの半分をかけて描く新作「ドンジャラ村のホイ」。
原作通りにアニメ化してたらどーやっても1時間も持たないので、オリジナル要素多数投入。半分ぐらい別モノになってる気がする。
まぁ、しずかちゃん・ジャイアン・スネ夫が参加してくるという改変のは、アニメ版の定石(※大山時代の)なのだし歓迎なのだけれど、藤子作品の典型的な一般服で描かれていたホイたちの衣装を、わざわざアイヌの民族衣装っぽいヤツに変えたことが腑に落ちない。
去年のSP回(ドラミ回)は劇場版っぽく全部過去世界の異国の話だったし、SP化するには何でもかんでも異世界や異文化にしないと気がすまないのか!?
なんか、劇場版コンプレックスみたいで、嫌だなぁ…
深夜枠で定期的に放送されていたスペシャル番組『すべらない話』―ダウンタウン・松本人志率いる宮川大輔・千原ジュニアなどの芸人たちが、聞けば必ず笑ってしまう実体験談を次々と語っていくという、シンプルながらも高い笑いのヒット率を誇る―のゴールデンタイム進出第二弾。
『すべらない話』というタイトルには本当に偽りがなくて、どの話を聞いても確実に笑わせてくれて、第8弾で初めて観た視聴歴の浅い私もこの番組は気に入っている。
“すべらない”のは、面白いネタがそろっているからというだけでなく、出演者の話術が巧みなことも理由のひとつ。例えば、今回の松ちゃんの話で、「目的地まで目と鼻の先なのに、カーナビが“高速道路に入れ”としきりに案内してきたので、従ってみたら…」というオチがミエミエのヤツがあったけれど、それでも大笑いできてしまったのは、語りのテンションを緩急自在に変化させて話を進めていったからだし。
個人的には、前々から「笑い飯」を推してたんだけど、ここ最近は劣化が激しいような…
今回のネタなんて目も当てられない。
元々ネタの練度が高いとは言えない、小学生レベルのギャグをただただ連発するだけのダブルボケコンビだけど、最初のうちはそこそこ考えたネタをぽつぽつ出してきて客の関心を惹き、徐々にネタを繰り出す速度を上げていき、最後にはダジャレとそう変わらんレベルのネタをマシンガンのごとく撃ちまくり、そのインパクトが抱腹絶倒の火力になるのが「笑い飯」の新基軸的な特徴だというのに…
一昨年から、一つのネタに新しい要素を互いに次々足していって、最終的にそのネタが完遂される段にはものすごいカオスな笑いの塊が出来上がっている、というスタンスを開拓して、本質を見誤っている気がする。
このスタンスだと、次のボケが炸裂するまで時間がかかるし、今までに積み重ねられてきたボケで笑おうとしても、慣れてしまって爆発力がなくて、全体的にイマイチな印象になってしまうので、オススメできない。
それでも、マリリン・モンローの時よりは、幾分か改良されてた気がするが。
やっぱり4年前の「奈良歴史民族博物館」のネタは神がかってたんだなぁ、と今更ながら思う。
7話かけて紡いできた風子エピソードなんて存在しなかったかのように話が進んでいき、ことみエピソード一辺倒になってしまうちぐはぐさ…
まぁ、風子エピソードの性質で、登場人物全員から風子の記憶が吹っ飛んでるかので、仕方ない部分もあるが。
…そうか! ギャルゲーを映像化する場合に厄介な「分岐ルートによって複数存在するシナリオとエンディングの一本化」の問題を解消するには、登場人物全員を記憶喪失にしちまえば、構成的な矛盾がなくなって楽だぞ! …って、ンなワケにいくかッ!
いや、風子エピソードの特性を考慮したとしても、風子エピソード進める合間にことみエピソードへの橋渡し的な伏線を張っておけば、こうも急な印象にはならなかったんじゃないのか、ってことで…
それに、朋也は今まで渚とずっと行動を共にしていたのに、開始わずか5分でことみとのツーショットばかりになってしまうので、杏のツッコミじゃないけど、「アンタら、いつからそんなに親しくなったの?」という時系列的な違和感が発生して、それも急な印象になる原因のひとつ。
「この番組はエピソードに対して尺が足りない」とはいつも言っているので、急にならざるを得ないかもしれないが、今回ばかりは結構尺の余裕があった気がしたので、もうちょっと何とかならんかったんかい…
(▲よみうりテレビサイト・実写ドラマ版『名探偵コナン』ページより)
う~ん…
放送前から期待していたスケールに比べると、少々こじまりしたものに落ち着いてしまった感が…
爆弾が出てきたのでスケールアップ感はあるけれど、爆弾ってのは「これさえあればスケールアップ感が出ます」リストの第1位と言っても過言ではないので、安直すぎて安っぽい話に感じられたし、そもそもそれだけ話がデカいブツを扱っておきながら、セットの中で話が完結してしまったのは窮屈に思えた。
大体、主人公が爆弾解体に悦に入ってて、周辺の人間の避難のことを(ストーリーが)考えないのは後味悪いって。ちょっとはフォロー入れればいいのに。もしくは、「これで失敗しても、死ぬのはあの二人だけ」ぐらいに規模を抑えておくとか。
そして、そもそもの疑問は、爆弾解体に「探偵モノ」の醍醐味ってあるんかいな?…ってこと。
爆弾以外では「探偵モノ」らしいトリックがいろいろと出てきているので、それで釣り合いが取れるのかもしれないけど、トリックのアイデアはともかく、それの演出が少々薄いところが残念。
謎の提示から、それの解決まで、あまり間(タメ)がないので、カタルシスが出てないのが問題なんだな。
それに今回ばかりは、そのトリックはオーバーテクノロジーすぎて、納得しかねる(笑)
こっちが期待してたのはさ、シリーズ最大の敵との対峙なんだから、相手が手の内を見せない不適な性格をしていることで、解決の先が見えず、もっと緊迫感があるストーリー展開になってる、ってことだったんだけど、割とあっさりとした軽めの描写に抑えられたね。
そして、トリックよりもこっちの方がキモかもしれない「二人の恋の行方」だけど(笑)、「女の論理」ってのが振りかざされてる気がして、ちょっと疑問。
相手への思いやりの気持ちから派生してるとはいえ、「どうせアンタはそういう風に思ってるんでしょ?」と勝手に思って去ってしまうのは、ただ一人で勘違いして迷走してるんだったら可愛いんだけど、相手を目の前にしてロクに話も聞かずに自分の勝手な想像をゴリ押しして決め付けて、相手が正直に「前はそう思ってたときもあった」と枕詞代わりにポロッと漏らしたら、「そら見なさい、やっぱりね」と自分の正当性を勝手に強調する発言をして、そのまま女側優位のまま別れ別れになってしまうので、「ちょっとは男の話を聞いてやれよ」ってな具合でイヤな感じがしたなぁ…
なんかヒステリックみたいで。
んでもって、ここでの一番のイヤな感じは、「二人の仲がそれほど良くなかった時期だったために、勝手に早とちりしてしまった」という流れでもないのに、上記の話にもつれ込んでいることで、ラストでの和解による感動を狙って、状況が急性に仕立て上げられたという「ストーリーの都合」がありありと主張されてることなんだよな。
…でもまぁ、主な視聴者は女性だろうから、女側の気持ちを優先したこの流れの方が、視聴者的にはいいのかもしれんが。
…などなどと不満を述べてきたが、実は、それほど「つまらない」と感じたわけではない。
今日の話のみならず、このドラマシリーズは「あまり話の質的な深度が深くなく、安直なときもあり、時折安っぽささえある」という軽い作風を磐石な基盤として成立させていて、しかしその基盤のアベレージをできうる限り高い位置に置くことが心がけられ、そのアベレージは下がることがなく、むしろ基盤の上に足されている部分が面白く感じられて、魅力になっている。
軽い作風・高いアベレージというのは今回も維持されていて、その部分への期待には応えられていて、良かった。尺が長くなった分に足された量がイマイチだっただけ。
商業的にはともかく、作品的には凡打だったかもしれないけど、『ジョシデカ』みたいな三球三振や低い内野フライみたいなのではなく、ちゃんとヒットになっているのだから、その点は評価したいな。
この勢いで、来年の映画を作っていただけると、とても安心な気がする。
楽しめる出来にするのは、上記の不満が解決されるべきだけどさ。
そんな感じで、今日で終わりなのが残念だよ、『ガリレオ』は。
(▲フジテレビサイト・『ガリレオ』ページより)
えっ、実写版『コナン』?
ナニ ソレ オイシイ ノ?