バイオリン演奏によって、人々が次々に『あしたのジョー』風に散っていく、というのが今回のお話のすべて。
いや、ウソですが。
でも単話構成的には、ことみによるバイオリン発表会の「企画→練習→発表」という成長図的な順序をなぞっているので、成長図の最終地点である発表会がクライマックス=物語の目的ということに。
一応は生真面目な恋愛モノのカテゴリーに入る番組で、いくら一話完結的であっても、そんな脇道的なギャグ完結話を差し込むのはどうかなー、とは思うけど、おそらく、原作ゲームにおいてなら、それほどの乖離感というのはなかったんじゃなかろうか。
一枚画とテキストデータ主体の選択肢ゲームにおいては、定期的に差し替えることはできるけれど基本的には動きのない絵と、プレイヤーに読む速さを委ねるしかないテキストの表示によって、物語を進めていくのであり、まぁ音楽やキャラボイスも印象操作に一役買うけれど、BGMはループすることが基本だからざっくりとした場の雰囲気を伝えるためにピンポイント的なテーマ性に乏しいものも多いだろうし、ボイスはキャラ毎・パラグラフ毎に別々に保存され使われているからキャラ同士の声を被せて会話を進めるなどの高度なことは行なわれないので、要するに、アニメほどの「見る側の印象を強烈に操作する」演出力はないという「限界」が存在しているわけで…
しかし逆をいえば、それは各シーン・各シナリオが明確な色を持って意味付けされることを回避し、何色にも染まる曖昧さというか、解釈の余裕の部分を生み出していて、「ここは笑いが許されるシーン」「ここはシリアスでないといけないシーン」という境界線が薄れているので、シリアスと笑いが隣り合わせに同居する状況が受け入れやすい…
…いや、もっといえば、シリアスと笑いという意味そのものの差異も薄まっているのではなかろうか。
おそらく、ゲームにおいてなら、この番組の基盤となっている通常のリアリズム重視&シリアス気味な語りの文法からは完全に浮き離れている今回のジャイアン的リサイタル(笑)も、表現の「限界」が意味付けの「抑制」となって働き、ゲームの語り口を等価化しているので、浮き離れている感じではなかった、と言うことができるかもしれない。
話の方は、杏が朋也のことを好きであることを(今までそういう意味として受け取りにくかったのと比べ)強烈に示唆し始めて、メインストーリーに絡んできているようでもあり、私の言っていたヒロインの各ルートをパラレルに進行する話運びになってきた感じ。