4年前、『ドラえもん』のキャストとスタッフが一新されると知ったとき、プロデューサーら辺の言葉を知って不安に思っていたことがある。
「ドラえもんは“努力・友情・希望”がテーマの作品なので、その原点に返ってリニューアルを~」という感じのコメント。
確かに『ドラえもん』はそういうテーマを含んでいる作品ではあるけれど、まるでその3本柱だけで『ドラ』が成り立っているかのような言われようで、そういう認識しか持っていない人が制作者ということは、そういう方向で『ドラ』がこれから作られていくのだ、という感じがした。
そういう方向ってのはつまり、映画版が作り上げた「ドラえもん」像の延長ということなんだと思う。
あるいは、いろいろなところで語られる、「『ドラえもん』、感動のベストエピソード」みたいな感じの話からの発想というか。
のび太は他人と比べて“見劣りする(≠ダメダメな)”部分もあるが、正義感を発揮し勇気を持ってカッコよく困難に立ち向かっていくキャラであり、しずかはそんなカッコイイのび太に常に惹かれて、困難を共にする仲間だという友情も手伝って相当好意的に見ている性格。ジャイアンは乱暴だが友情に厚い、頼りになるとってもイイ奴。スネ夫にはそうした信念はないが、ここぞという時にはのび太たちの正義感を援護して、彼らの正当性を補強する役目を受け持つ。ドラえもんの道具は、彼らのそうした長所を延ばし活かす形で使われ、ドキドキワクワクの冒険を可能にする夢のツールとして描かれる。
ここらへんは、『映画ドラえもん』の魅力として語られ、多くの人間に評価されている。
でも、注意しなければならないのは、これが『映画ドラえもん』の魅力であって、TV放送されている版の『ドラえもん』の魅力とは必ずしもイコールにならないということ。
なんで『映画ドラえもん』の登場人物がそこまでカッコイイ描かれ方をされているかといえば、「映画なんだから、普段できないような活躍の場を持たせてあげよう」という制作者側の考えというかサービス精神で、特別に魅力的に描かれているから。
ということは、普段はこうでないのが『ドラえもん』なのであり、すなわちそれが『ドラえもん』の普通なのである。
のび太はとことんまでダメな奴で、ひみつ道具で楽をしようとして自滅する自業自得な少年であり、しずかはそうしたひみつ道具にのび太が頼りたくなるほどにのび太に興味があるようには見えない高嶺の花であり、ジャイアンはのび太の天敵として襲ってくる脅威であり、スネ夫はその脅威を助長し、ストレートなジャイアンではカバーできない捻くれた部分からのび太を攻撃してくるイヤな奴であり、ドラえもんの道具は暴走して特に益ももたらすことなく害だけ撒き散らして終わる「悪夢のツール」だ。
そして、こうしたキャラたちや道具が、ナンセンスギャグであったり、時に社会派であったり、たまにホラーであったり、学術説明が多用されるSFであったり、ほんの少しのホロリとする心の交流や教訓であったり、様々なストーリーを紡いでいくバラエティ性が普段の『ドラえもん』なんだ、と主張したい。
じゃあ、そのバラエティ性……ここでは物語の重層性といってもいいかもしれないが、そうしたものの上に乗っている夢なり友情なりだけに目を向けて、底にあるものを全部無視してその表層だけをすくいとって、何か形作ろうとしても、物足りないにもほどがあるんじゃないの?
というか、ひどい場合には、底の部分にあった大事なものが欠けてスカスカな構造になった物語を見せられるのでは?
のび太は心優しく、ジャイアンは友情に厚く、人間的な負の部分がない聖人のような描かれ方をされ、ドラえもんはただただのび太に同情し道具を出すだけの「歩く四次元ポケット」としかいえない存在になり、物語はそうした小学生の聖人たち(うわぁ、矛盾が過ぎて気持ち悪いなぁ…)の善行を讃えるハッピーエンドとして終わる。
そこに人としての葛藤や弱さといった起伏あるストーリーはなく、聖人としての成長を坦々と映し出すのみ…
実際、大山ドラ末期はそれの一歩手前な感じだったので、リニューアルしたらそれがさらに推し進められて、もはや『ドラえもん』の雰囲気など何もない、努力や友情や希望が無造作に転がっているだけのナニかになってしまうのではないか、という不安はかなり現実味を帯びていた気がする。
まぁ、幸いにして出来上がってきた『リニューアル版ドラえもん』は、それとは真逆の、負の感情とそれを原動力にしたパワフルさに溢れた楽しい『ドラえもん』になっていて、ホッとしたけど。
…でも、その安心も束の間、
当初の勢いはどこへやら、今、その想像が現実のものとして訪れている気がする。
…という感じで、ケチョンケチョンに貶してやろうかと思ったが―
アレ?
今日のはオリジナルストーリーはそんなに悪くないじゃないか!(汗)
ブリタニア側『テロ組織“黒の騎士団”を骨抜きにするために、仮面の男・ゼロを国外追放だ!』
↓
黒の騎士団側『じゃあ、全員ゼロになるから、団員も全員一緒に国外追放ね☆』
↓
行政特区参加者100万人全員ゼロの格好で国外逃亡
誰だ、こんな大バカなオチを考えたヤツは!?(笑)
いや、Aパート終了間際で「ゼロの真価は行動で決まる(=正体が誰であっても関係ない)」とか伏線張られてたから、「ゼロの処分を国外追放で済ますという裏取引と、ゼロの正体を誰も知らないという設定を利用して、合法的に国外逃亡を図る」という流れは納得できんことはないけど、ブリタニア側の第一声が「その手があったか!」というマジメすぎる反応なのは、この大バカな展開に合ってないぞ!
せめて、誰か一人でも「んなアホなッ!」という常識的な反応を示して欲しかったぞ!
…えっ? その一言あれば、この大バカ展開をマジメな話として全部納得できるのかって?
ええ、もちろん。関西漫才に慣れた人間の思考回路には、たやすいことです。
ツッコミが入れば、どんなボケでも許せる!(笑)
…っていうか、黒の騎士団の皆さん。
日本国の独立のために今まで戦ってきたのに、ノリノリで国を離れてしまっていいモンなの…?
一体、何て言いくるめられたんだ?
次回にそこらへんのフォローがあることも考えられるけど…
えっ? 次回は緊急特番で番組紹介バラエティ!?
ま た 制 作 が 追 っ つ か な い っ て の か !!?
1期と同じ過ちを繰り返してどうする!!
それとも、低すぎる視聴率対策? そういうことだったら哀しいなぁ…
『アイ・アム・レジェンド』が公開され、『仮面ライダー牙』が始まったことに影響されまくっているかのような内容。
他作品のアイデアに頼った安易な企画というべきか、タイムリーなネタを拾ってくるドラえもん的な姿勢というべきか…
22世紀で、コンピューターウイルスにより全てのロボットが吸血鬼化して暴れまくって世界が破滅し、吸血鬼ウイルスの弱点であるメロンパンを武器に最後まで残っていたドラミも餌食となってしまい、21世紀のアニキ(=ドラえもん)も犠牲にしようとするけど、弱点の日光に邪魔されまくって、ジャイアンたちになめられまくる…という、分かるような分からんようなオリジナルストーリー。
だから、なんでユートピア的な『ドラ』世界の22世紀がこんなに脆弱なんだ!?
トーキョーだけならいざ知らず、世界中が完全に制圧されてしまうって、どれだけセキュリティがなってない未来なんだ!?
ドラミが関わってくる話だったら、何やったっていいと思ってるのだろうか?
というか、リニュ『ドラ』の22世紀は、もうそういう方針で行く気か?
まぁ、吸血鬼(=ホラー)ネタにしたがってるくせに、恐怖感や緊張感を一切出してないのは、もうこの際どうでもいいだろう。
演出力云々の問題ではなくて、もう放送コードと局側の意向に則って意図的に外してる。
でも伏線が解消される瞬間の意外性を台無しにしてしまっているユルい作りは一体何なんだ!?
「そうか!メロンパンが吸血鬼の弱点なんだ!」というセリフと演出が、なんで3回も出てくるんだよ!? クドいわ!
…いや、その設定自体もどうかと思うけど。
ドラミが吸血鬼になってしまった受け入れがたい事実もすんなりドラえもんたちに認められてしまった上に、吸血鬼の弱点晒しまくってちっとも恐怖感っぽいものがない場面で、ジャイアンたちがあの世のものに出会ったかのように恐怖しまくるし。
どうせ『アイ・アム・レジェンド』にあやかるなら、同じ原作から作者がインスピを得たSF短編の『流血鬼』のネタをちょっとは下敷きにすれば良かったのに…
いや、アレをそのままやったら、とても『ドラえもん』にならないのは分かっているけど、何らかのエッセンスを引っ張ってきてだねぇ…
『流血鬼』に出てくる吸血鬼たちに、血を吸う理由だとか日光や十字架が嫌いな理由だとかに、何らかの科学的な説明をつけていたのに比べて、今回の話ってかなりファンタジーなんだもの。
ウイルスみたいなあやふやな悪影響しか出さないものがなぜきっちり吸血鬼になってしまうのかの説明はなくて「そういう設定だ、納得しやがれ」のレベルだったし、ロボットのはずなのに日光浴びたら砂になるし。
せめてコンピューターウイルスがどういうものかというのをトリビア的に説明してくれれば、ちょっとは『ドラえもん』っぽい知的好奇心を満たせただろうに……『ブリキの迷宮』ぐらいの親切心はないのか?
ただ、そんな子どもも見向きしないような子供だましのどーしょもない話の中で、ちょっとした
吸血鬼化したドラミが日光に当たれずに日陰で「あぅ~」と困ってウジウジしている様が、意外な萌え要素に…
…っていうか、洗脳されて従順になってしまって親しい人間を襲わなくてはならない、という背徳的な設定自体が、何かしらのニッチ的な萌え要素だったりする(^^;)
ジャイアンの歌としずかちゃんのバイオリンを最終兵器にしてしまうのはかなり安易ではあるけど、助かったのに「しかしヒドい音だ!」と助かった後も被害を受け続けてしまう、というヒドいオチは、ある意味藤子F作品らしい。
…でもそれはただ“らしい”だけで、根本的には面白さに繋がってないんだけどさ。
30分も持たせられない長さの原作を何とか持たせるように引き延ばす策を、悲劇に向かってジワリジワリと進んでいく緊張感を生み出す演出として機能させようとする意図は正解だと思うが、今回はクドいぐらいに引き延ばしているので冗長感の方が目立ってしまって逆効果でしかない。
準レギュラーが死亡するという衝撃の展開にして、しかしこうしなければ前には進めない・これがあるから次に進めるんだという区切りの話にもなるストーリー構成なので、見た後にかなり寂寥感からくる読了の満足感があるはずなんだけど…
このアニメであのキャラがそこまで視聴者感情に影響するポジションを手にするまでだったのか、ちょっと疑問。
マンガの読者層とアニメの視聴者層はビミョーにズレてるからなぁ、マンガとして考える段には人気が出るキャラやストーリーだっただろうけど、アニメ的に直せていたかはちょっと…
「死を悼む」という感じで、総集編っぽく過去話数の回想で引き延ばすのは、ちょっとした工夫だと思うけど、ほとんどシーンカット無しで映像を垂れ流すのはやめてくれんかなぁ…
今回の話だけ見てたら繋がりがよく分からなくて、しかも分からないまま長い時間見せ付けられるのだし、今回の話に繋がらない箇所の描写やセリフまで視聴者が受け取らなきゃいかんので、見ていて頭が痛い。
っていうか、また回想シーンへの導入部分が唐突で(せめてフェードイン効果ぐらい付けてよ)、回想に入った意味が一瞬見えにくいし。
というわけで、ほぼ半年も引っ張ってきた「赤と黒のクラッシュ」編も、今回で終わり。
単行本で一気見してきた身分から言わせてもらえば、正直言って、この話は3月中に終わらせておくべきものだっただろう。
病院での組織とFBIの駆け引きは、矢継ぎ早に繰り出される組織の作戦にFBIが対応しつつも翻弄されるという、一種のパニック感から来る緊張で読者の興味を引っ張っていた部分が(単行本で読んでいた分には)あったから、アニメみたいに毎回延ばし延ばしでやっていたのでは、そこらへんの面白さが出てくるわけもなく…
面白さを犠牲にしてまで引き延ばして話数を水増ししなければならないというレベルなんだろうね、今のアニメ版は。
オリジナル要素をぶち込んで中身の充実を図ろうとしても、原作が密かに貼っている伏線がオリジナル要素で台無しになったり、伏線として使えなくなったり(改変で伏線自体がなくなったり)するおそれがあるから無理というので、作る側としてはなかなか辛いところ。
「みんなで行政特区に参加しよう☆」
世界の超大国に対してテロなんて大層なモン吹っ掛けてる連中の大親分が、その行動とはかなりかけ離れた小市民的な平和的呼びかけを唐突に叫ぶという、ただそれだけの陳腐なシーン(しかもラストカット)なのに、なんでこんな『仮面ライダー』の変身ポーズの如くにリキ入ってるんだ!?(笑)
まぁ、この人の仰々しいリアクションは毎度のことなんだけど、今回は際立って滑稽だなぁ~
しかし、ここまで元気を取り戻す(笑)までにルルーシュが立ち直る理由がイマイチ理解できん。
妹ただ一人が幸せに暮らせる世の中を作れるなら、虚言・裏切り・殺人、何でもやってのけてやる、という歪んだ動機と精神で(30話以上も)行動してきた人間が、その歪んだ動機をへし折られて廃人寸前まで憔悴していたのに、仲間の優しさに触れて「今度は、みんなが幸せに暮らせる世界を作るためにがんばるぞ!」というとっても素直な動機を新たに得て立ち直られても…
あとついでに、海底のメタンハイドレートを活性浮上させてブリタニア軍を殲滅するというルルーシュ側の作戦…
ブリタニア軍側がまんまとひっかかりすぎでないか?
採掘基地があるぐらいなんだから、自分たちが今作戦を行なおうとしている近所に、そういうものがあるってことはちゃんと把握しているだろう。
作戦始める前に、危険性をちゃんと確認しておけ。
しかしながら、軍艦20隻も沈められてしまったのに自分だけちゃっかり生き残ってるスザクは、現場責任者として進退問題に繋がるぞい。
変なタイミング蘭が登場した上に、過去の総集編に突入。
そして変なタイミングで次回に続く……って、まだ続くんかいッ!
もっとテンポアップして話を進めた上で総集編部分がなかったら、余裕で次の回の分の原作まで消化できたんじゃないのか?
オリジナル展開が思いつかないからって、こんな小癪な技を…
…とはいえ、この後の赤井の身に降りかかる事態を考えれば、このタイミングで赤井と蘭の邂逅の話が出てくるのは、そう場違いなことではない。
むしろ、蘭と赤井との関係性については、原作ではまだ総括されておらず放っぽりっぱなしのような気がしなくはないので、やるべきなのに原作ではやれていなかったことをやっている、ということで評価高いほど。
…でも出てきた瞬間は「なぜ今こんな回想を!?」という風にしかならないけど(汗)
今回はやけに「目が点」描写が多かった。
原作読んでるときはそうも気にならなかったけど、アニメで見るとちょっとクドいなぁ…
ついでに、この後大笑いする少年探偵団に混じって、目を閉じながらかなり大きなアクションでクスクスと笑う灰原には何か違和感が…
書きかけたまま放置している初代のYahoo動画視聴の感想が…
人気があって何よりだが、変な古臭さを感じているのは私だけ?
変に説明や描写を省いてテンポを作っているのが昨今のアニメだと思うのだが、それに比べたら、妙に律儀なところがあってさぁ…
今ドキの深夜アニメだったら、カレーの福神漬けのようにさも当たり前のごとく、何の説明もなく投入されるであろうオツムの足りない妹属性キャラを、説得力を持って成立させるために背景説明を割とやっているあたりが特に。
いっぱしの飛行機乗りっぽく、主人公が恋人(としておこうここでは)からの贈り物を自分の戦闘機の風防に飾る、なんていうパイロットモノとしてかなり正当派なことやってる辺りも。
ポロリや乳揉み、ケータイのバイブが局部で起動、なんてセクシー要素で萌えオタに媚びようとする姿勢すら、扱い方にちょっとした硬さがあるもんなぁ~
『相棒』の愛すべき脇役、鑑識課・米沢、捜一トリオの4人でお送りする、『相棒』公式のショートコント集。
番外編企画だから天下の右京と薫の主役級が出てこないのはもちろんとしても、脇役でも角田課長とか内村部長とか話には挙がってくるものの写真出演だけで、ギャラが安いのか、本当にこの4人だけしか出てこない(笑)
でも、特命とベッタリな米沢と特命敵視の捜一が遺恨なく絡んでる様子ってのは、何か違和感が…
全8話ある構成なのだが、中でも最終回の『恋するイタミン』が最高
臭いで記憶をなくすムー大陸の秘薬とか、毛根から摂取する麻薬の効果で踊りだすとか、500円と同じ形の地雷とか、なぜか花の里で働いてる米沢と伊丹とか、非現実的な設定ばかりのくだらない(褒め言葉)話ばかりの中で、割と現実寄り。
むしろ、『相棒』本編に差し込まれていても違和感のないストーリー設計で、しかもモーレツ結婚願望男・伊丹というキャラクター設定と、劇中の右京と薫の状況を踏まえてみるとかなり面白い。
途中まで、他の話と同じように、主役担当が状況に振り回される滑稽な様を楽しむ話かと思っていたら(しかしこれも、演出と川原和久の演技力の御蔭で妙に笑える)、かなりナイスなタイミングでオチが別のところにあると判明して、物語の意味が再構成される瞬間からが爆発力が発揮されるという、短い放送時間でそこまでの意外なストーリー性に満ちているというのが良い。
凄みとギャグをきっちり演じ分けられる川原和久の演技とあのナチュラルな口調は最高ですな。
土曜ワイド劇場第1回の話を、映画公開に合わせ、新撮カットをアヴァンとエピローグにくっつけて、再構成したもの。
新撮カットは、ウイルス兵器所有の犯人という設定だけがスゴくて、それ以外はかなり凡庸という話の出来なんだけど、第1話の出来事を踏まえて、右京の助けなしで人質になっている状況から抜け出す成長を見せる、ある種感動的ですらある薫を印象深く見せながら、でもまたまた人質になってしまうという、根本的なところで変わってない点を右京に指摘されるというのが、8年間やってきたことの集積による感動と、変人右京を主人公にした『相棒』らしさがあって、ちょっと面白かった。
まぁ、本当に“ちょっと”なんだけど。
皆さん、その新撮カットの方にご執心だと思うが、私は、義野裕明の音楽が全部池頼広のに換えられていたことの方が気になった。
そんなに『相棒』の歴史から義野裕明を消したいか!
それとも、新作扱いするために、音楽だけ新作のスコアから取ってきただけなんだろうか…?
もう、『映画コナン』はこれで良い感じがしてきたよ、はははははは…海洋アドベンチャーという冒険ものを謳っておきながら、『世紀末の魔術師』の毛ほどもワクワク感がない財宝探し。
一体犯人は誰なんだ? どういう動機でこんなことを? …という推理モノの醍醐味が全然なくて、犯人も動機も見たまんまモロ分かりなので、推理の余地がない探偵パート。
蘭たちがさらわれる危機的状況下で、今蘭たちがどういう状況になっているのか知らないはず(むしろ最悪の事態ばかりが想定される状況)なのに、なぜか蘭たちが危機を回避していることを見越して先回りするコナンとか、逆に蘭たちのとりあえずの危機が去ったことが観客に示された後に、娘の安否を必死で心配する小五郎の様子を映すという、緊張感を煽る順序を間違えてるせいでムダなカットに変化させてしまっているところとかの、物語の整理しきれてなさ。
さすがは柏原脚本、というどうしようもなさが全体を覆うように(汗)
まぁ、でも、これの前の映画ではイマイチやりたいことが分からないという残念な状態だったのと比べれば、話が一本調子な分だけ基本に忠実で見やすいということはあるけど…
それに、小五郎関係の部分はなぜか出来がいい。
居酒屋以降の小五郎が繰り出すギャグ的状況や、嵐が強まっていく様子を見ているのに「弱まってきたみたいですよ!救助に行きましょう!」と気でも狂ったかのように娘を心配している様子を描いて「キャラでドラマを作れている」ところなんかは面白い。
…って、ああ、またおっちゃん逮捕されてるよ。
前作でも犯人と間違われて連行されていたし、『あぶない刑事』の映画でも3回も主人公の刑事コンビを警察に追われる側にしているし、柏原寛司は本当にそういうアウトローなのが好きねぇ
…という前情報を知っていれば、容易に想像できる仕上がり。
堤幸彦特有の遊び演出がなくなっていて、しかし遊びがあったせいで漂っていたストーリーのイマイチ感とグダグダ感は解消されておらず、何もかもが中途半端な作品になってしまった。
石原さとみ演じる、金にがめついくせに英語が全く出来ない英語教師が、二重性格を利用しながら謎を解いていくという、大雑把に言えばそんな話。
ふだん土曜ワイドとかでマジメにドラマを撮っている演出屋が、がんばって『TRICK』っぽくしているように感じられる。
それはそれで、「どうやればその作品の演出のように見せられるか」というのを作品からちゃんと技術的に分析していて、ちゃんと再現して見せられるという演出技術力の高さを示しているのかもしれない。(編集かカメラマンが『TRICK』と一緒なだけかもしれんが)
固定位置から撮った映像をジャンプカットで見せて時間経過を伝えるやり方とか、ボケが炸裂したら短く甲高いBGMが差し込まれるとか、ちゃんと『TRICK』の演出になっている。
しかし、ところどころでマジメっぷりが漏れている。
最初の剣道部の練習風景を映すところなどでは、“順当に”1ショット2秒ぐらいかける短カットとか、移動カメラで全体の様子をちゃんと見せていくところとか、なんでもパッパッパッと見せて流してしまう『TRICK』らしからぬ丁寧さがある。
そのマジメさが悪影響になっているのが、笑いの演出。ことごとくそのシチュエーションから生まれるだろう笑いのツボを外している
例えば、夕方に「待ってて」と言われて、寒い真夜中まで待ちぼうけを食らうというギャグの部分。
ここは、夕日の中でウキウキと待っている男子学生連中が、次のカットでは凍えながら、あるいは無感情で突っ立って「もう終電過ぎた…」と力なく呟いて、そのカット繋ぎのギャップで笑いを取るべきところ。
でも実際には、散々待たされた風でもなく、むしろ「なんか遅いよねぇ~?」と余力さえある普通の演技で撮ってしまうマジメさ。
この手のギャグは、ちいと様式めいているから、土曜ワイド的な笑いの取り方では合わないんだよなぁ…
演出はまぁ仕方ない部分もあるとして、脚本の方ももう少しマジメな演出家スタッフに歩み寄ってやればよかっただろうに…
たぶん、『TRICK』後期のゆるゆる世界観であれば許容されたであろうトリックも、この演出の語り口では単に「甘い」だけ。
「密室かと思ったけど、こんなところに隠し部屋が!」というトリックも、「これで犯人の姿が消えた謎は解けるが、この後一体どうやって脱出するんだろう?」という二重トリックかと疑わせる謎をわざわざ出してきた直後に、「こんなところに出入り口に使えるトコが!」と安易に解決してしまったり。
最初の暗号トリックも、爺さんの書いた英文の暗号をなぜ強引に日本語で読まなければならないのか、という肝心の解き方の理由・根拠が説明できていなくて、単に英語ができなくて何でも日本語で考えてしまう英語教師という主人公の設定を活かすためだけのものにしかなっていない。
これを例えば、「あの年齢のジジイに、英語がわかるわけないだろ」とでも何でも理由を付ければ、多少はマシな暗号になるだろうし、その後生徒に「なるほど、年齢が近いから同じ発想で解けたんですね」とでも言わせて怒った主人公に威圧させれば、キャラで遊びながらストーリーを紡ぐこともできただろうに。
そもそものキャラ設定にしたって、いろいろとウケた要素・ウケるであろう要素を組み込んで作ってるんだろうけど、逆に組み込みすぎて、何かあまり巧くギアが噛み合っていない感じがするものに仕上がってるような…
なぜ主人公の性質を、『TRICK』の山田と上田のキャラクターを一緒くたにしたようなものにしてしまったのか。
あれは、博学で小心者の教授キャラである上田を、学はないけど頭はキレる山田がフォローするという逆転現象、そして時に山田の知恵が及ばない部分を上田が博学でカバーする、というバディムービーとしての役割分担が基本を抑えられていて、なおかつバランスがいい具合に取れているから面白いのに。
石原さとみが一人で、上田のように物語が始まるきっかけを作って牽引し、山田のように謎を次々と解いていき、上田のように虚勢を張って周りに迷惑をかけ、山田のようにがめつさを発揮して失敗し、しかし上田のように巧く立ち回って立場を良くする、という『TRICK』の面白いところの役割を担っていて、お付きの生徒たちの意味があまりなく、面白くない。
それに、主人公らしからぬ金へのセコイがめつさというのは、『TRICK』では山田が万年崖っぷち金欠の貧乏キャラという同情できる背景があったから許容されるものなのに、『パズル』の主人公はあの外ヅラの良さで順風満帆そうに見えるから、いまいちキャラ設定にノれない。
いや、同情できる背景を作る必要は実はなくても良くて、臆面もなく堂々とがめつさを発揮するような、感情移入不要の超人キャラクターにしてしまえば、「そういうキャラなら仕方ない」と納得してもらえるし、「どこまで傍若無人なんだろうか?」という期待感による面白さも出るだろう。
そこまで精神的に無敵だと話を転がしにくい、ドラマの登場人物たるもの何か一つは弱点を持っていなければ……というのなら、散々無敵っぷりを披露してある程度物語が進んだ後に、ふとしたきっかけで「アレ? 先生ひょっとして…」と弱点が発覚する、という流れなら、第1話のキャラ紹介話として順当な仕上がりになるのだが…
出てきてすぐに弱点が露呈していて、事あるごとに相棒役の生徒たちからつつかれていて、傍若無人キャラの権威がなくなっているのがなぁ…
とにかく、生徒役の役割が、頭いいクセしてボケ担当なのか、傍若無人の主人公に対するツッコミ担当なのか、その二つがうまい具合にミックスされたキャラなのか、はっきりしてくれないとどうしようもない。
3人もいるんだから、何とかしてくれ!
でも、続けているうちに役者や脚本や演出がノってくる作品ではあると思う。
そこまでいけば、この番組独自の面白さというのが出てきて、見ていて楽しくなってくるはず。
だからそれまで、個人的にはサヨウナラ~

