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Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
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下半身露出した少女がでっかい銃器を持ち脚にプロペラ付けて飛ぶ、とかいう、とんでもコンセプト。
キワモノだが、話ががっしりしているから、という話を聞いて見てみた。
(SEが違うとか軍事考証とかにもこだわりがあるとか)

カメラがパンツを映そうと被写体に攻めていったり、役者がパンツを見せようとカメラに近付いていったり、というワザっとらしい撮り方っつーのは、(実写ではまず難しく、アニメだからこそ可能な得意分野の表現だとはいえ)不自然であるので、パンチラとは呼びたくないなぁ
パンチラっちゅーのは、ちょっと自然に撮っていたら映っちゃいましたぐらいの感じでですねー

…って、なんでパンチラ談議しとるんだ、私は(汗)
ていうか、そういうのが気になるんだったら、ハナっから見ようと思うなという話ですね、ハイ。

確かに話はかっちりしている。
昔話を見せてもらっているのに近い安定感ではあるが。
「昔々あるところに、魔法使いの少女が住んでおりました~」という感じの延長。
あまり多くの作品に触れていなくて覚えている物語のパターンもそんなに多くない私でさえ、「パターンすぎますね」と感じられるストーリーライン、というか。
この作品独自のセリフ回しであるとか物語の段取りみたいなものがない。
絵的にはこれでもかというぐらい独創的だがな(笑)
まぁ、それも基本に忠実という良ポイントか。

1、2話
気になったのは、主人公・芳佳が戦いに身を投じようと決意するきっかけ。
守りたいから戦うという「攻撃は最大の防御」という考えで出て行くのかもしれんが、どこか矛盾をはらむ理由より、「他の人でも代用できる仕事」ではなく「他の人ではできない仕事」ということを強調してやった方が、好戦的な行動を取ることも容認できたのになぁ…
まぁ、そうしないと納得できんというよりは、ここまでやってくれてたら満足、というレベルの高い要求ではあるが。

絵的な部分は他にも。
的に狙いを付ける視点カットで、照準を定めていると不意に敵のビームが画面に向かって飛んで来て、見ているこっちまで「うわっ!!」と緊張してしまうぐらいリアルなタイミング取りは、さすがはガイナックス出身スタッフという感じ。
「これは私たちが存じ上げる普通の武器では適わないなぁ」と思わせる敵のビーム物量というレイアウトも、ちゃんと説得力のある画ヅラを用意できていて良い。

3話
当然のごとくレベルダウン。
テンポが落ちて、パンツをなめるように下から単純にパンアップで女の子たちの姿態を見せていくとか、こだわりのカメラワークも並レベルに。
でも、パンツだらけのレイアウトとか、やっぱり風景が異常。

戦闘シーンになると、はるか遠くの敵を発見したときとか、高速すぎて姿を捉えるのにカメラがブレるとか、そこらへんにはセンスのすべてを注ぎ込んでいる気はする。

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原作の違いとはいえ、「セキレイ」「ストウィチ」の方がまだ健全の域だなぁ
こちらは下の毛トークで盛り上がったりするし。
50歩100歩にもなりませんか、そうですか(汗)

国を治めたりする主要メンバーが女だらけという異常状況なのに、「女だけしかいない(映さない)世界観なのか?」と思えば、普通のおっさんも味方側のキャラとして存在しているし、世界観のリアリティレベルをどこにとっているのかよー分からん。
あと、かなりほのぼのした空気が流れているが、本当に乱れに乱れてる時代の話なのか?

1話はだいぶ安心して見られたのに、2話、3話とだいぶテンポ的に辛いものが…

SDキャラの使いどころを割と外している。
演出でそうしようと決めてるんじゃなくて、その場面を割り当てられた原画家の趣味に任せてるんかひょっとして?

制作協力相手がいながら、3話にいたってはさらにグロスに出している。
動画工房に元請はまだまだ早いということ?

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 『ヤッターマン』をちょこっと覗いて見たら、作画がやたら濃く躍動的に動いていた。
 水着回、水着回だからか!!?(笑)
 普段見てないんだけど、『ヤッターマン』っていつもこんな感じの作画なのかな?


絵コンテ:青木雄三・鎌仲史陽 演出:戸澤稔 作画監督:増永麗

 それはさておき、『コナン』。
 端整な作画ではあるが、のびのび動くというにはあまりにも動きが硬い…

 「Aパート:解決編」と「Bパート:導入編」が混在するが特殊な回ではあるが、基本的には原作の雰囲気を損うことない、無難な仕上がり。
 ただ、尺不足があったのだろう、放火犯を追い詰める際の説明が省略されていて、そこの部分は何か話の流れが不自然だった。
 コナンの説明が一区切りつくたびに、犯人に凄む弓長警部のリアクションカットをリピートで差し込んでいて、不自然さを画的なテンポを補っていたから、まぁいいか。

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 過去の時代の人間が現代に迷い込んだときの混乱ぶり(テレビを見て「箱の中に小さい人間が!!」等)を丁寧に描写しているのは、展開が速いこの番組にしては意外。
 しかし本当の狙いは「テレビリモコンで電源を切る要領でボタンを押して何かを止めようとしたら、間違って大爆発の悲劇発生!」の伏線か?(笑)

 ルルーシュが立ち上げた超合衆国の1号決議で、日本の奪還戦争を仕掛けることが決まって、それを悲願だと語る黒の騎士団。
 おおっ、やっぱり日本列島という国土に固執してくれていたか! 良かった良かったー

 先週だけかと思ったら、これからずっとなのか『ガンダム00(第2期)』の予告。
 何やらこの番組に『ウルトラマンネクサス』臭が…(笑)

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 時系列が一気に遡った。
 バラバラに放送されてる時系列を、頭の中で並べ替えて出来事の順を整理し直すのも『ひだまり』の楽しみだが、冒頭でゆのたちが作ったひだまり荘の看板が出てきたのを見て、「あれ?あの看板っていつのエピソードで作ったんだっけ?」とか、最近私の記憶力が弱っていることしきり(汗)
 楽しめてねぇーorz

 前回流れた予告編に使われていたものとほとんど同じ画が今回の本編中に出てきた。
 いつもは予告編用の絵を別に用意していたのに、今回ばかりは何かあったのだろうか?

 今回の作画は、ゆのと宮子が丸っこくかわいく描かれている感じ。
  というより、髪をアップに結った宮子のビジュアルが新鮮なだけかも(汗)
Hidamari365-3a.jpg Hidamari365-3b.jpg Hidamari365-3c.jpg
Hidamari365-3e.jpg Hidamari365-3f.jpg Hidamari365-3g.gif

 お話の方は、先週のより分かりやすい笑いどころが多かったなぁ~

 Bパートでまったりするのは、先週とは逆でいつも通りかもしれんが、ちょっとダレてる気も…
 もう少し工夫すればいいのに………と思いつつも、しかし、『ひだまり』1話1話の基本スタンスは1日の流れを追っているだけなので、同じような流れになるのは当然といえば当然かもしれないが。
 Bパートでは必ず誰かの部屋に集合しているのがパターンだなぁ~

 ダレてる気がしたのは、演出があまり尖がってなく、ノーマルにこなしていたところが多かったせいかも。
 普通、ノーマルな演出なら歓迎されてしかるべきだが、お話を引き立てるための演出、というよりも、独特な実験的演出を入れられそうなところに無理からに入れる、という変なスタンスが『ひだまり』なので、そうは問屋が卸さない(笑)
 元々ストーリーがゆるゆるのつくりなので、ストーリーに対して演出が的確でなく、ただ先鋭的なだけだとしても、尖らせるとそちらの見応えでストーリーのゆるゆるさを払拭できている感じが。

 …の割りに、道端で管理人さんが振り向くフとした挙動をわざわざカット数かけて描写したり、宮子が褒められて喜ぶところとかも同様で、間の使い方が妙に長めだった部分もあったなぁ~

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GintamaED10th.jpg
こんな可愛い神楽は神楽じゃねぇ!!(笑)

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 『相棒3』7巻に収録されてる2話は、どちらも重いテーマを語らせる話で、砂本量vs櫻井武晴、という図式。
 軍配は櫻井脚本に上がった感じかな?
 しかし、重いテーマの扱い方について、それを大上段に掲げて話を作るのか、エッセンスとして用いるのか、というスタンスがそもそも違うので、この比較にさしたる意味があるとも思えないが。




 砂本量脚本の「予告殺人」は、電話で予告された名前と同じ人物が殺される連続事件が発生、事件に振り回される人々のパニックぶりを描くことが中心の、砂本脚本らしいインパクト重視の作り。

 狙われる人物が名前しか明らかにされず、ある種の無差別殺人となっている状況下で、市民は戦々恐々、警視庁も全庁挙げて連日連夜の広域捜査を余儀なくされ、否応なしに増していく緊迫感…
 大規模ロケも爆破シーンもない低予算的な撮影なのに、僅かなパニック描写だけで、下手なアクション映画よりも遥かに大きく深刻なスケールとサスペンスを感じさせる、効率のいいシチュエーションを作り出す手腕は相変わらず見事。
 シチュエーションをただの設定だけに腐らせず、話が後半に進むに従って全体的に「ピリピリとした空気」がひしひしと感じられてサスペンスが盛り上がっていったり、その雰囲気が原因で登場人物たちの葛藤が生まれたりするなど、ちゃんと充実したドラマが繰り広げられて、ストーリー的に有効に使われているのも、当然と言えば当然ながら、素晴らしい。

 そこに、過去に警察と世間の無関心のせいで姉を殺され心の傷を負った被害者とそのカウンセラーの話が絡む、という重い要素が加わっている。
 普通の推理モノのセオリーからいくと、「自分(や姉)の味わった恐怖を他の人間にも思い知らせたい」動機があるこの二人のどちらか犯人(もしくは共犯)で間違いないのだが、そういう普通の話にしないという壮大なミスリードを行いつつ、しかし、二人を犯人にしなかったがために、動機として疑われたその思いを、犯罪に走る歪みのない純な思いとして視聴者にテーマを投げかけることを可能にし、捜査に協力せず事件を複雑化させる第3勢力として物語の緊張感をさらに高める役割を担い、またその怨みと心の傷を解消するためのドラマが用意されることで物語内容が充実される…
 …という単なるミスリード要員に終わらせることない抜かりのなさ。


 ただ、ところどころに見ていて引っかかる部分もある。

 心の傷を解消するドラマ部分として、「自分も姉を救えなかった罪悪感」を、犯人逮捕に協力することで、自分が感じたのと同じ恐怖に陥れられている人々を救い、自分をも救うという流れになっているけど…
 「君の協力があれば、救えるんだ」と薫はお願いっぽく言ってはいるけど、人々が恐怖でパニックになっている場所まで強引に連れ出されて光景を見せられては、お願いではなく、ほとんど強制だ。
 それに、この解決方法では、彼女が一番強く憤っている「警察と世間の無関心のせいで姉を殺された」問題については何も触れるところがなく、その部分では救われた感がほとんどないのがどうも…

 ミスリードにしたおかげで、犯人が割と安易な人物に収まってしまったし、その犯人が予告殺人を“行わなければならなかった”理由がまったく不明になってしまった(これが上記の二人なら問題はないのに)。

 あと、撮影方面については、犯人の車が最後のターゲットの家まで来ていたのが警察に見つかるシーンで、結局犯人の車に逃げられる結果が待っていたのだが、車と伊丹たちが対峙するカットが長めに入れられていて、緊張感はあるけれど、今回の慌しい展開の中では、妙に浮いた間になっている気もしないではない。
 間と言えば、右京たちが病室で犯人を捕まえた後、右京たちを直接は映さない廊下のカットに移るのだが、警官たちが「どうしました!?」と駆けて部屋に入っていき、右京「この人が犯人です。連行してください」―警官「はい!」というセリフが音声だけ流れてきて、しばらくして犯人が警官たちに捕まえられて出てきて画面下側へフェードアウトしかけるまで描かれており、端折ったり短縮描写にしても構わないのに、やけに逐一経過を描いていて(しかも一部は音声のみで、ちょっとマヌケさを感じる雰囲気がある;)、それが何か可笑しかった。





 櫻井武晴脚本の「警官殺し」は、サブタイトル通りの警官殺しが話の発端ではあるが、市民から慕われていた交番巡査が隠していた不祥事を暴き出して以降の後半からは、それを隠蔽しようとした警察上層部の陰謀という『相棒』お得意の「組織腐敗」のテーマが浮かび上がってきて、さらに警察と自らの良心との板挟みから自殺したその巡査の悲痛な決意を踏みにじってまで真実を明らかにすべきかという物語上の葛藤もそこに加わっていく構成。

 上記の砂本脚本が重いテーマをエッセンスにとどめたのに対し、こちらはほとんど直球勝負。
 右京たちの捜査で明らかになる、事件の裏に隠された「意外な真実」は、推理モノを見慣れた人にとっては、死んだおばあさんの話が出てきた時点で真相が読めてしまって、意外でも何でもない真相だったりするが、そういう推理モノの話を途中で解決させてしまって、むしろ重点はその後の顛末を如何に描くかというところに置かれている。二重構造のシナリオになっている、とも言えるかも。
 数々の障壁や懸念材料がある中で、どうやって真実を明らかにしていくか、という過程を坦々と進行させて、組織の膿というか人の業を炙り出していく、「ありふれた殺人」を書いた櫻井武晴らしい、重いテーマに見合った重いストーリー。

 事件の裏に組織の隠蔽工作があり、真実を明らかにすることで、その悪事と深い関係にはない善人の人生を破壊する虞への葛藤、という流れは、Season1で同じ櫻井脚本の「下着泥棒と生きていた死体」と同じ構造なのだが、「覚悟はありますか?」という右京の質問が「真実を明らかにするために、自らの進退をかけることができるか」というヒロイックな問いかけではなく、第三者を巻き込んでまで真実を明らかにできるか」というさらに深い意味だったとガツンと気付かされるSeason1の方が、テーマが効果的に現れている気がする。
 第三者を巻き込む虞の存在をあらかじめ告げてしまう今回の話は、その意味では親切というか、ちょっとヌルいよなぁ…

 Season1のは、普通の推理モノのように事件の解明を称えるわけではない、苦い終わり方だったが、今回は、組織を壊しかねない不正の暴露には関わりそうもない小野田官房室長や内村刑事部長まで担ぎ上げて、特命係側に勝利(?)を与えるシナリオになっている。
 小野田や内村が、理由はどうあれ、“こっち側”の人間になる、っていうのは、そうなる理由(というか右京と小野田の誘導の仕方)も含めて面白いなぁ~

 「ハトのえさ」を使った、仲違い中の薫と美和子との仲の改善に向けた布石も、なかなかに面白い。
 前回のDVD感想のときは、砂本脚本のときだけこの二人の関係がドラマ的に充実した描かれ方をしている、と書いたけど、今回は櫻井脚本の方が充実している。

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 おおっ!
 『ルパン』的かどうかはともかくとして、今年はキチンとしたお話になることに期待できるんじゃないのか!
 そう思わせてくれた、ルパンと銭形の攻防が拮抗する実に愉しげなアバンバトルに、ルパンの記憶がフッ飛んでしまった(=視聴者に物語の進行具合が伏せられた)がために状況が混乱してしまったことを契機として謎の解明に興味を持たされていく前半の進行。
 この調子でいけば、久々に満足できるTVSPになるのでは、と思えた…

 …のだけれど、後半に行くに従い、トーンダウンしていって、いつも以下のクオリティに…(汗)


 後半は、前半で面白味を出してた要素がほとんど出てこない。

 いつもTVSPの話は、マジメに作ってない底の浅さが感じられて、ルパンファンは元より、「一本の作品」を楽しもうとする私みたいな視聴者から見ても面白くないのだが、それを今回は、人体デッサンや動きの軌道などを物理的に忠実に描くリアル系ではなく、逃げる車を生き物のように描く非リアル的なメタモル系作画にしていて、画的にその浅さを「他愛なさ」に変換してつまらなさを軽減する工夫がなされていたのがポイント。
 その一方で、冒頭で車のタイヤを交換している次元が仕草の付け方が割と細かい方だったとか、道端のネコの動きをキャラクター的に描くなど隅の部分まで手を回していたりとか、積極的に画的な面白さを出そうとしているところもあって良かった。
 至近距離から追ってくるミサイルを避けちゃうルパンなどなど、誰が見たってそれはありえないと思うような箇所もあったけど、まぁそれはご愛嬌の範囲かなぁ(汗)
 あと、『名探偵コナン』風な表情で呆れてみたり、ルパンの表情付けがいつもと違う方向で多彩。

 カートを蹴って加速するところで背景の動きを連動させて目を惹くカットを作っていたり、病院からムササビ飛行法で逃げるところのグラグラした画面だったり、カメラワークが面白い箇所があった。

 ルパンの電話が切れた後冷静に「コーヒーおかわり」と間の抜けた行動をする次元とか好き。
 装甲車の側面に次元の運転する車が片輪走行で寄りかかって、その後バックですごすごと戻っていくところとか、滑稽で面白い。
 次元の言葉じゃないけれど、間にちょっとこだわっているような気がする。


 お話的にも、記憶を奪われたルパン、という、現実的かどうかはさておき、かなり魅力的な柱を用意できていて、製作側が望んでいるであろう「ファミリー層向けのヌルい展開」の中でも、面白いストーリーを繰り出せる仕掛けになっている。
 ルパンの記憶が飛んだ瞬間からのパニックぶりは愉快で「一体何が起こってる?」と視聴者もテレビ画面に惹き付けられるし、「ここまで事態を悪化させてるなんて、消えた記憶の間、何があったのか?」というところを探っていく流れは推理モノっぽくて知的好奇心を、面白さのギミックが充実している。
 さらに、「前半にアクションシーンを持ってきてつかみにしたい」という要求が製作側からあるだろうが、それを物語の整合性をブチ壊しにすることなくアクションシーンに持っていける(状況設定の解説を後回しにできる)、という物語的クオリティと商業的クオリティの折り合いが付けられる。
 また、記憶の整理のために回想シーンを入れやすい(=既存の制作部分を使い回せる)し、作品的ではないところでいい影響が出てくる。

 あと、ギミック的な部分でもなくて、敵のヘリが近付いている最中に列車へ乗り込むときなんかで、派手なアクションではないが、ヘリに見つかるか見つからないかのサスペンスで盛り上げるなど、「主人公になので銃弾は当たらないが、とりあえず危機感演出のために敵にバカみたいな量の銃弾を撃たせる」みたいな“無駄なアクション”にならないようにアイデアを凝らしていた。
 

 …そういう期待感に満ちた展開が、雨が降り出した意味が話的にはもとより、雰囲気作りの演出的にも意味がなくなっていたシーンが出てきた辺りから、トーンダウンが始まる。全然効果的でなく手抜き感しか出てなかった止め絵演出が出てきたり、こだわっていたはずのネコの描写は全然なくなったり…
 敵キャラののガーリックが背後から銃弾の雨あられを受けているのに、真横レイアウトにリピート走りで画面奥と手前に移動(作画的には単なる縮小拡大)して全弾避けきる、という緊張感皆無のマヌケな図が出てきたときは、一体何のギャグが始まったのかと(笑)


 せっかくの記憶喪失ギミックも、「ルパンは不二子を裏切ったのか?」という大きな謎が、たったの1分のものすごいマヌケな展開を見せられて謎解きにされたりしたところを始めとして、全然面白く調理されていない。
 取り戻した記憶に視聴者にとって衝撃の事実が含まれていて、それがクライマックスのアクションなり泣きのシーンなりを盛り上げる仕掛けぐらいあっても良さそうなのに、ほとんど皆無だし。
 別に、押井守的な高度な記憶に関する問答、とか、目を覆いたくなるような重い事実がある、とか「作品的には引き締まるが、重い展開になる」ようなものはいらないけど、ヌルいなりにもうちょっと何かあるでしょう…
 「あんまり謎を引っ張ると、途中から見始めてくれる視聴者に不親切になって、視聴率が下がる」「長く謎を明かさないでいると、最初から見ていた視聴者が飽きて、視聴率が下がる」というオトナな事情があってあまり高度な伏線は張れないのかもしれないが、別に今回みたいにちょこちょこと謎解きをして事実をヌルく明らかにしていっていいので、最後に「実はまだ残っていた謎があった!」ぐらいのものがあれば、オトナの事情にも配慮しつつ作品的なクオリティを上げることができただろうに。
 

 銭形の扱いの悪さには辟易するが、中の人の年齢を考えるとこういう感じでフェードアウトさせて出番を減らしておいた方が都合がいいのかも。
 …っていうか、記憶をなくした銭型の挙動が痴呆老人にようになっていたのは、担当声優の納谷悟朗の最近の様子を見るに、何かブラックジョーク的だぞ(汗)

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 『クレしん』は基本的にキャラは明色系の影なしベタ塗り、という単純な彩色になっているんだけど、今回のBパートで陰影の使い方が妙に印象に残ったところがあった。
 別に雨の日だから全編暗めに統一、というわけではなく、部分的に現れるので、どういう意図で入れた画なのかよく分からないが…
CraShin_Kage1.jpg CraShin_Kage2.jpg CraShin_Kage3.jpg

 ちなみにその他の部分の塗りは↓のような感じ。
CraShin_KageEx.jpg

 しかし、雨の日をどう過ごそうかとあれこれやってみる、ということでダラダラ1話まるまる費やすなんて、『クレしん』も『サザエさん』級にたわいないなぁ…

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 『ドラ』を知る者の間では語り草になっているバイバインが登場。
 バイバインをかけたくりまんじゅうは、道具の効果で分裂増殖して、5分で倍になる。
 食べきれずに1個残して1時間ぶらついていたのび太に、食べきったと思っているドラえもんが確認する場面…

Dora_Baibain1.jpgドラえもん「とんでもない!(1時間で)4096個(に増殖する)」

 乗数どころか、かけ算も分からんような年少者にとっては、いきなりそんな説明をされても、なんでそこまで急に増えるのか、分からんのじゃないだろうか?
「同じ2倍になるのでも、1個の倍は1つ増えるだけだけど、100個の倍は100個も増える」というワンクッション置いた説明が必要なんじゃないだろうか、と思わなくもない。原作も文字だけの説明だし。(でもまぁ、数を文字として眺めるのもまた面白いか)
 まぁ、アニメだからそこら辺は絵の勢いで押して、理屈はともかく結果の壮絶さを説得力を持って描写していたが。

Dora_Baibain2.jpg Dora_Baibain3.jpg 
Dora_Baibain4.jpg Dora_Baibain5.jpg

Dora_Baibain6.jpg Dora_Baibain7.jpg Dora_Baibain8.jpgのび太「……………!!!」

 今回のアニメでは、ちょっと凝ったアングルからの動きが見られた。平板な画になりがちなリニュ『ドラ』にしては珍しく意欲的だ。カメラに迫ってくる感じが、何かいい感じ。
Dora_Baibain9.gif Dora_Baibain10.gif

 原作では呆気なくロケットで宇宙に全部処分した投げっぱなしオチになっているけど、今回のアニメ版は、回収し損ねたくりまんじゅうが人知れず家の軒先で増殖していく、というホラーっぽいラストに改変されていた。
 それはそれでパターンだから面白いが、今回の話は数の不思議を思い知らせるのが主題っぽいものだから、別にそんなパターンは要らんかった気がする。

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 私がギアス能力の謎解きの求めていたものって、何だったんだろう…

 描写のされ方や設定が魔法みたいな能力だから、地に足の着いた科学的(SF的)な解説がなされるとは思っていなかったけど、教団で人為的に能力者を量産できているのだから、常識人では手の届かないような異世界的(ファンタジック)な能力でもなく、もっと科学寄りだったりするし…
 そういう感じで、どっちに転んだらこちら(視聴者)が納得できるのか自分でも分からない、変なバランスの上にこの能力が存在しているので、「ギアス能力がどうやって生まれたか、どんな原理でそれが可能となっているのか」ということが謎解きされる場合、結構デリケートな感覚でもってやってもらえんと、平手を叩いて「なるほど!」とは思えそうにないのだが…

 C.C.が、その先代から(特に説明もなく)受け継いだ力で何百年も生き続けている不死の魔女であり、ギアス能力はその魔女が与えることができる魔法(的な何か)である、ということをバラされても、「えー、そんなに単純な魔法寄りの解答でええんかいなー!?」という気になってくる。

 まだ隠された真相や過去がありそうなので、これからの謎解きで科学寄りに持ってきてくれるのかもしれないけど。



 ところで、冒頭でルルーシュが鏡の反射を利用してギアスの力を飛ばしていたけど、確かギアスは有効範囲が700メートル程度で、ある程度遮光効果のあるものは透過できないという設定だったはず…
 あれだけ反射させたら、反射させた分だけ光が減衰しまくって、マトモに届かないのでは?

 それでも届いたギアスで、ルルーシュが皇帝に命じたことは「死ね!」
 そしてそれが達成された直後に、「殺してしまった… まだまだ聞きたいことがあったのに」と後悔するルルーシュ。
 …普通だったら性格破綻者か大バカ者以外の何者でもない行動の支離滅裂さだが、シリーズを通して「ルルーシュはその場のノリで行動してしまう性格」ということが示されているので、さほど違和感はなかったなぁ~

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クリックで公式ホームページを別枠表示 多くの感想サイトでご指摘の通り、客寄せの役割があるがために労力かけまくって動画しまくりな第1話に比べ、当然のごとく1期の『ひだまり』っぽい省力作画に戻ったわけだが、キャラの髪の毛のハイライトが第1話と同じくグラデっぽい感じのままになっていたのは意外。
 グラデーションって、キレイな感じになっているのである種の見応えみたいなのを感じて良い反面、一枚絵ならともかく動画の彩色としてそれをやるのは手間なので、そうそう使えない手だと思っていたけど、最近は
結構簡単にできるようになったのだろうか…?

クリックで公式ホームページを別枠表示 お話の方は、Aパートの分かりやすい笑いどころが足りなくて、まったりほのぼのしてた。
 一応、クスッ、とできるところはあるんだけど、ハハハと声を上げたり思わず噴き出したりするような笑いどころはなかったなぁ~
 笑いどころをまっとりとした雰囲気で包み込んで滑稽味を抑えている感じ。

 ただし、Bパートは4コマっぽい笑いどころが満載で、個人的には「キタコレ」状態(笑)



 今回ちょこっと出てきた夏目って、運動会のときに意味なくさえと張り合ってたキャラか。
 こんなあからさまなツンデレキャラだったっけ?

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 (笑いのために)キャラ設定のパターンを捻る『銀魂』の中において、珍しくオーソドックスな設定や性格をしているアンドロイドキャラ・たまにクロースアップする回。
 同時に、この作品に珍しく、素直に(私を含めた)オタクどもの萌えに繋がりそうなキャラでもある(汗)

 おそらくは原作をさして改変せずそのままアニメ化しているのだろう、ちょっと間がある演出になっている。
 ある種の引き延ばしには違いないのだが、休日の過ごし方が分からず階段でたまがじっとしたままの無音のシーンで、出かけていったはずの銀時のベスパの原動機音が、次第に戻ってくる(しかもアイドリング中のトットットという小気味いいテンポと音量の音で)ところに、何かの情緒的なものを感じて面白かった。
 自動車でごった返す大通りに、二人乗りのベスパが居るところとかは、ちょっと青春ムービーっぽい画ヅラだったし、スクランブル交差点を通っていたときの銀時が「ちなみに給料いくら貰ってるの?」と言った後、たまが「?」と反応する姿を若干長めに尺とっていたところとかは、邦画的なタイミング取りのようにも見えたし、全体的にちょっといつもとは違った雰囲気が感じられたなぁ~

 ところで、ロボットに感情は必要ないということが本人の口からも語られ、話の流れでも終盤まで強調されてる割に、ネジに尋常ならぬ興味を抱いているたまは、その段階でも充分感情的なキャラだと思うヨ。

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 積極的に見る気は無かったのだけど、家に帰ってきて親が見ていた番組がCMに入ったときに様子を見てみようとチャンネル変えて、そのままラストまで見てしまったという…
 くそっ! 大好きなカラオケボックスシーンを見るには、帰ってくるのが遅すぎた!
 
 スポンサーや製作サイド等々、特に後ろ盾がなさげな、それもアニメ映画なのに、こうして晴れて天下のフジテレビで2度目の地上波放送と相成ったのはちょっとした驚き。
 ひょっとしてフジは、繰り返し放送することでこの映画を、日テレのジブリのように成長させようとしてるのか!?
 おお、お目が高い!!

 …と思ったら、直後に放送される『ハチワンダイバー』のための、単なる前座でした。
 嗚呼、所詮は後ろ盾のないアニメ映画…
 (…とは言い切れんけどね、2時間もゴールデンの枠を貰ってる訳だし)


 途中から見たので、やっぱり作品の面白さが激減してしまったような感じだった。
 前半に出てきた描写を後半で伏線として機能させているからこその面白さがこの作品のキモなんだから、その大事な前半部分を見逃していては、以前見た記憶を頼りにするだけじゃ、何か物足りない。
 そういう意味では、この映画は真に映画的なんだなぁ~
 劇場の椅子に縛り付けられてスクリーンから目を背ける自由を与えられないからこそ得られる感動があるのだもの。
 基本的には日常生活を営んでいる合間に見るテレビでは、受験勉強に追われる学校風景を映すシーンであったり、千昭が時を止めた世界で歩き回るシーンであったり、千昭のいるグラウンドに向かう真琴の疾走シーンであったり、がああいう無音に近くてリリックな場面は、単なる環境ビデオにしか見えなくて、見ていてタルいと感じられてしまうけど、スクリーンに出てくるものしか注目できない映画館では、かなり重い意味を持った体験として私らの目に映るんだわ。

 そう考えると、さっき比較に出した宮崎駿作品って、テレビと映画という放映形態の違いを考える上では、奇跡のバランスの上に成り立っているんだなぁ、って思う。
 多くの論者が指摘しているように、宮崎作品のシナリオ構成って結構矛盾が多くて“甘い”作りになっているんだけど(っていうか、殆どの作品で、制作を始めた段階で話が半分しかできていないという時点で、何か察しなくては^^;)、しかし、それはテレビで放送するに当たっては、映画を頭から見ていないとその後の展開が理解不能になるということではなく、割とエピソードが細切れになっているので、どの瞬間から見始めても大丈夫な感じになっていて、好都合な部分が多いということ。
 しかし、テレビじゃあの豪快かつ繊細な作画力の勢いを堪能することはできず、劇場で見ないと意味がないと言えるレベルであり、その意味では実に映画的である。
 いち映画作品として高品質であり、なおかつ大衆に知らしめるのに適した構造になっていて、ここら辺が奇跡のバランスといえる所以。

 『時かけ』は、近頃のアニメ映画……いや、邦画の中でも珍しく、思いっきり映画的なバランスに仕上がっているので、そこら辺が難で注目を集めるのに損かもなぁ、と。

 「時間を遡ってやり直せたら…」というのは誰しもが望む夢想であり、その夢想をタイムリープというアイデアとして作品の中で実現してしまうのが『時かけ』を魅力にしている要素だけど、映画というものを「夢を夢として叶えるもの」とするならば、この作品は、齢を食った人間の「青春時代っていいなぁ、戻れたらなぁ」という夢想を、作品の概要それ自体が形にしているという側面もあり、その意味でも映画的だったりするなぁ……とか考えた。


 親は去年の放送でこの映画を一度見ているのだけど、こういうドラマ的なものについての記憶力が全然なくて、1時間前に見たドラマをもう一度見るときでも「アレ? この後どういう展開になるんだっけ?」と訊いてくるぐらいのドラマ健忘症(笑)
 ところが、この映画のラストのことだけは覚えていて、真琴が千昭を画面から押し出そうとしている場面で、「ここ覚えてる! この男の子、この後戻ってくるんやなぁ?」と珍しく正常な記憶力を発揮していた…
 …のだけれど、それを聞いた私は、「いや、戻ってこなくて、女の子泣くやん」と、さも親の方が間違いであるかのように細かい間違いを意地悪く指摘してしまった(汗)
 シークエンスの大枠としては、親の方も何も間違っちゃいないわけだけど、でも、あそこで一旦千昭の姿がなくなってしまうというその意味は結構大事だと思ったりしているわけですよ、私は。

 タイムリープ能力を利用したことで発生した数々の負の要素を解消したり元に戻したりして、最後に残った懸案事項である、真琴は何より観客も待ち望んだ千昭の告白イベントの回復。
 しかしそれは叶わず、結果として時間を弄んだ代償として真琴が受けるちょっとした因果応報の罰となってしまう(真琴の横を通り過ぎるカップルの自転車が分かりやすい象徴)
 そこで終わっても作品のテーマ的にはまとめられる(=映画が終わることができる)んだけど、最後の最後になって千昭が戻ってきて施される、回復とは言えないけれど、真琴に対して千昭の気持ちの前進を示して上げるという救い。
 「リアリティがないと夢は語れない」という鉄則と、「夢を夢として叶える」という映画としての役割の、両方を果たして終わるのは、この映画が持つ作品的なバランスが見えたりする部分だなぁ~、と。



 作品の作り的に敷居が高めだから、敬遠していた部分もあったんだけど、何だかんだで私もまだ語れるなぁ、この作品。

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絵コンテ・演出:鎌仲史陽 作画監督:斎藤新明

 おや? 今夜で原作3話分を一気に消火するにしては、端折ることなく随分忠実に再現していて、こんなんで尺が足りるのかなぁ…
 …と思いながら見ていたら、そのままペースが上がることなくAパートが終わり、Bパートになっても話の進展速度が変わらず、これはもしや……いや、そんな変則的な手を使うとは……しかし考えられるのはそれぐらいしかない…といろいろ考えてたのだけれど…

 ああ! やっぱりそうきたかッ!!
 今回の解答編を次回のAパートで終わらせてしまい、Bパートで今回登場した沖矢が絡む事件の導入編を始める、という変則構成!

 原作1話=アニメ15分に対応するという私の持論からいけば、余計なものを足すとか変なところを延ばしてダレるとかのネガティブ要素なく理想的に原作を再現できる手段であり、良い工夫でしょう。
 …が、そうなると、短編エピソードの独立性が損われてしまって、変な感じがする構成になるのだけど。
 前後編と銘打ったエピソードでは、視聴者が長々しいのを嫌って前編を見なくなる傾向にあるから、サブタイトルと構成で視聴者の興味を誤魔化そうという算段?(笑)

 これに合わせて、OPに沖矢の絵が追加。
 …って、これはちょっと登場が早くないか?
 今回での沖矢は事件の容疑者なので、これでは今回の犯人として今話でフェードアウトするのでない、という興味を削ぐネタバレになってしまっているのだけど。
 せめて、あと2話は待って欲しかった。


 構成はともかく、今回の作画はかなり丁寧。
 演出は卒がない仕上がりで、水無怜菜が黒の組織の内部情報をFBIに漏らすシーンでは、ちゃんと隙を見て短く伝えようとしてる感じが出せていたり、良い部分もあるのだけど…
 冒頭、博士の家に探偵団を誘導しようとしようとして得意気になっているコナンに、灰原が「博士と会って何を相談しようとしているのかしら? 名探偵さん」と冷や水を浴びせかけて、コナンが動揺するというシーンで、灰原がセリフを言い終わるまでリアクションを取らない不自然なタイミングがあるなど、様式的(=“お約束”的)に済ませてしまっている部分がちょこちょこあるのが気になる。

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