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しかしその反面、彼の内面には繊細で、特に身内や友達に対しては非情になることができない。
そんな主人公の心を理解し、恋慕の気持ちから彼に寄り添って助けになろうとするヒロイン。
しかし、主人公を敬愛する暗殺者の嫉妬によって、彼女は殺される。
主人公は彼女の死を前にして激しく打ちのめされるが、暗殺者は主人公の正体を知った危険人物を処理できて良かったと心底嬉しそうに報告する。
暗殺者はこの先の戦いにおいても計り知れない利用価値があるが、彼がヒロインを殺したことは容赦することなどできない最大事である。
しかし主人公は暗殺者に対して事も無げに言う。「よくやってくれた」
その言葉に喜ぶ暗殺者。
ところが、次に主人公が発した言葉は意外なものだった。「そうだ、ギアス教団を殲滅しに行こう。手伝ってくれるな?」
それまでの主人公の作戦スケジュールからは完全に軌道を逸した突発的な行動。
主人公の頭にあるのは、暗殺者にヒロインを殺す特殊能力を与えた教団に対する復讐。
彼の精神は根本から壊れてしまっていたのだ…
…というシナリオの場面を、映像として演出するとき、普通ならばどうするだろうか?
先週の話であれだけヒロインの死を悲しんでいた主人公だ。
まず人間的な感情が、冷静に殲滅作戦を打ち立てるまでぶっ壊れてしまうという、心境(精神)の変化を伝える、という方法を考えるだろう。
直接的に顔の表情の変化で表す必要はない。顔の表情が読み取れない位置…例えば背中…からの画を数瞬間、数カット、話の中に紛れ込ませるだけで、容易に気持ちの変化の筋道を読み取らせない「負の感情の蓄積」というものが彼の中に起こっている、ということが表現できるだろう。
この画的な表現によって、シナリオの流れを補強するのだ。
ところがこの作品では、その心境の変化の過程を描く演出を、バッサリと切り落とす。
切り落とす、と言うよりも、何事も無かったかのようにさらりと流して、主人公が得意げな顔で「よくやってくれた」と返答する。
視聴者はここで引っかかりを覚える。「どういうことだ!? 悲しんでたんじゃないのか!? アレは芝居!? それともこっちの方が…?」
そのような考えを巡らせていると、しばらくして次のセリフが耳に入ってくる。「じゃあ、教団をぶっ潰しに行こう☆」
…ここでようやく視聴者は、主人公が怒りを通り越してどこか別の境地に到ってしまったことを悟るわけだ。
普通だったら、今回のこの演出は、感情の変化を描写できていないダメな例として挙げられることになる類のものだ。
しかし、この話の中では、これはそう間違いではない演出として機能する。
視聴者のテレビ画面への興味を、画的な演出ではなく、お話の流れが引っ張っているからだ。
あるいはお話の流れのために、演出がお話の流れの邪魔にならないよう、お話の流れに任せている感じになっているとも言える。
そしてこの感情の流れの画的演出を“省略”する方法は、分かりやすい説明過多の演出をクドいと感じる者にとって、無駄を削いだスマートでスタイリッシュな現代的演出として好意的に捉えられ、それがこの番組の視聴者層の求めるものとなっている、という状況…
相変わらず、不思議なバランスの上にあるなぁ、この番組。
関西方面では本日から放送開始だぜ!
ネット上では完全に出遅れた話題ですなぁ、ハッハッハッハー!!!
orz チクショー…なんで関西の民放深夜アニメは悉く放送が遅くなるんだよ…
おまけに、『RD』に至っては遅れてる上に録り溜めてるわな、ハッハッハッハッハー!!!
orz もう関東では2クール目ですよ…
まぁ、それはさておき…
いろんな感想サイトで言われているけど、メチャクチャ動画枚数をかけて動き回る第1話。
動画によるアニメーテッドをことごとく排して、一枚絵的な奇抜レイアウト画をテンポよくカッティングしていく省力的な作りが『ひだまり』だったのに、間逆の方向の作りになっている。
しかもその間逆方向っぷりが突き抜けていて、圧倒されるほど。
例えば、遅刻しそうで街中を大疾走する主人公・ゆのの、斜め70度近くという顔や体が描きにくい角度から、“そんなに運動が得意でない女の子が必死で走っている”ことが楽に分かる動きが描けていたり、前から来る風と走りの上下運動の両方の力がかかっているのが一目で分かる複雑にして重量感のある髪の動き(しかも見栄えがする動かし方が楽な可能なロングヘアーではない、ビミョーな長さのショートカット)になっていたり、踏み切りに遮られて地団駄踏む動きがリピートではなかったり、と目を惹く動きがアバンだけでもこれだけ。
こんな感じの作画が、全編の到る所でそこかしこに見られる。
3D手描き問わず、動きまくる背景動画。どちらにしても手間がかかる。
道路側・ドア側・庭側の3つの絵でしか表現されてこなかった「ひだまり荘」が、3Dで描かれて(しかも2カット数秒のためだけに!)カメラの動きに従ってぬるぬる動く姿は、1期から見てる私にとっては何か凄いものを見た気分。
1期のチーフディレクターだった上坪亮樹が降りて、総監督の新房明之が監督に就いた影響か?
でも、「前の住人の表札を発見→ゆのがうろたえる」、「ヒロに失礼を働く宮子→部屋から殴り放り出される」のところは、一枚絵カッティングによる面白さが出ていて、1期と変わらずの部分も健在。
…ただ、地上波アナログでは、サイドカットの影響で文字が切れていたりして、ところどころ見づらいなぁー
お話の方は、1期の物語が遡って、ゆのたちの入学試験とひだまり荘引越し、という真のファースト・エピソードを描くものではあったが、1期を見てきたこちらとしては、各キャラの性格や背景が分かっているので、クスクスと笑ってしまった。
やたら動揺する小心者のゆのの挙動、愛すべきおバカキャラ宮子の横柄さ、体重を気にしているヒロの弄られっぷり、ヒロに対するさえのデレデレな様子、など。
そして、Bパート中盤で、ゆのと宮子がファーストネームで呼び合うようになって、1期のようにカウントリーダーが始まる…
『ひだまりスケッチ』という“番組”が始まる合図だが、『ひだまりスケッチ』という“物語”が始まる意味にもなっていて、ちょっと面白い。
しかし、お話的にはあまり考えなくていい番組なので、見ていて楽だなぁ~
さっきまで談笑していたと思ったら、笑い顔が急速に崩れてワンワン泣き始め、そのまま延々と「ゴメンナサイ、すみませんでした!!」と日本語で喋ってんだかどーなんだかな口調で謝り続け、そうかと思うと、急にまた笑顔で話し始めるという、ヤバイぐらいの躁鬱っぷり。
周りが必死で慰めてやってるのに耳も貸さないという感じで、我の世界に入りまくり。会話が成立しない。
あまりの滑稽さに呆れてしまったヨ。
しかし、こういう人間が実際に傍に居られると、ウザイことこの上ないんだわ、コレが。
楽しい酒の席が興ざめる!
何とかならんもんかねぇ、この男…
…そういう風に、鏡で自分を見ながら思った |||○| ̄|_
…何が溜まってたんだろう。
ちゅーか、アニメ『銀魂』は今放送されてるアニメの中でもかなり好きな(というより見やすい?)作品なので、何かその意思を表現するために感想を書きたいとは思っていたんだよねぇ~
今日放送されたのは、オカマバーのオカマがホストに恋をするアニメオリジナルと、オシャレな傘を手に入れてご機嫌な神楽のショートエピソード。

なので、原作話をアニメした時の話って、アニメ的に再構成しづらいのがありありと見えて、変に動いてなくて止め絵が多かったりする。
そんな制限的な状況がある中でも、動かしどころを見つけて、あるいはオリジナルシーンを補完挿入して、アニメ栄えさせようと頑張っていて成果に表れているのが、このアニメの良いところだと思う。
今回の話は、オリジナルだからいつもの制限的な状況がないので、自由に動かせている感じがよく出ていた。
それも、何か懐かしい方向に…(笑)
あのオカマの妙にオーバーで軽やかな一挙手一投足の動画は、何か90年代的なモノを感じる(汗)

傘を手に入れてからの神楽の有頂天ぶりが原作をアニメ的に再現できていて良い感じだなぁ、とは思いつつも、自動的に否定的な意見になる(汗)
尺を埋めるためにオリジナル分も混ざって長くなったサブタイトル前のダイアログは、それ単体としては『銀魂』として良い出来なんだけど、それが余計なもの削ぎ落として神楽のウキウキぶりだけで面白く見せていた本編のミュージカル仕掛けとの繋がりに、決定的な齟齬をきたしてしまっているのが残念。
雨の日に傘を差して出歩くのが何よりの楽しみになった神楽の様子を描写する微笑ましいシーンが、台風の日にまで笑顔で出かけてしまうので、同じようなシーンでも完全にギャグになってしまうという部分。
普通の雨の日には上機嫌の神楽と同じく笑顔で志村家の縁側で談笑するお妙だが、台風の日には変わらず上機嫌の神楽と違ってそれどころではなくなってしまい慌てふためいているという、そのいろいろなギャップが面白かったりするのだが…
アニメでは嵐の日のところは最初志村家やお妙は普通の雨の日と同じ感じで、途中から障子が飛んだり慌てふためいたりするようになる、という風に演出しているのが、何かギャップ感を薄めているようで、あまり好きじゃないなぁ…
ラスト、ボロ傘を差しながら鬱向いて出歩く神楽に、今まで散々傘に対して興味なさげにしていた銀時がただ一人傘を褒めて、良い感じで〆るのだけれど…
褒めるのが「ただ一人銀時だけ」という空しさと、同時に粋な感じがするという不思議なバランスで成り立っているものが、アニメすると、やや長めのセリフのせいで、空しさが増して強調されてバランスが崩れてるなぁ…
この原作話、あの捻くれた作品の中にあって異色的にストレートすぎて、単純すぎる上にベタというところが逆に面白かったりするのだが、そういう単純な話というものは逆に変なバランスの上に立っているのだなぁ、と思うことしきり。
絵コンテ:松本佳久 演出:山崎茂 作画監督:アベ正己・岩井伸之
………今週も作画がビミョーだ |||○| ̄|_
しかも東京ムービーの自社制作回だというのに、この乱調っぷり。
でも、ところどころでキャラデザに忠実な作画も散見できたということは、以前私が提唱していた「作画リソースの分配」が実現されてるということなのかも。
…って、瞬間的に作画が良くはなるがトータルではダメダメ、ってのはオレが思ってたのと違うんですけど(汗)
今回は全体的に間延びってる感じで、テンポはタルかったけど、現場に揃っている全員を見渡して映す場面を曲線パースで構成するとか、俯瞰でできるだけ多くの登場人物を画面に映すような位置取りになってたりとか、犯人が項垂れて苦悩を語る場面を真下から撮るとか、レイアウトはちょっと凝ってた。
今回は動かす部分が少なくて一枚絵的に見せるところばかりなので、当然なすべき工夫がなされているのは喜ばしい。
あまり『コナン』では見ないコンテマンなので、監督変更の効果か、監督を含めた“製作”サイドの采配か…
…しかし、ビミョーな作画のせいで、絵コンテのレイアウト要求に応えられないスカスカな画面になってしまっていたが(汗)
ちゅーか、動かないってことは原画枚数少なくて済むのに、ビミョーな作画になってるのはどーよ!?
ついでに苦言を呈しておくと、コナンが園子の陰に隠れて推理するカットを入れた後、目暮警部たちなんかを一旦映してからまたコナンのところに戻ってくるところなんかでは、前後で似たような絵なのにわざわざ別なものを作ってあったりして違和感があり、カット同士の繋がりのコンティニュティについては甘い部分もあるけど、まぁ、あそこは選べるレイアウトが限られるから誰がやっても難しいしなぁ…
今回で一応退場する瑛佑は、原作者も扱いに困っていたのか、変な決着になって去るのよねぇ…
一応過去に散りばめていた「行動が怪しいから、ひょっとして黒の組織の関係者!?」な伏線(笑)を回収するものではあったけど、さほど重要キャラでもないのにお手軽に新一の正体を知ってしまう流れになっているし。
っていうか、蘭に恋してます、って伏線はどこにあったのか(ただ、コナンの口から正体を明かしたいがための、その場凌ぎのでっちあげ設定にも見えちゃったり)
この唐突な後付設定が、後々あるかもしれない再登場の際に活かされればいいんだけど。
そして予告を見ていると、次回1話で原作3話分を昇華する気ですな。
話を刈り込まないと絶対収まらないと思うから、削るとすると、光彦を盾に灰原が黒の組織の人間を確認しようとする辺りをごっそり切るとか…
…あそこは重要そうだけど、実は最初の遭遇で出てきた伏線と重なる部分ばかりで、「先週のおさらい」って意味の方が大きそうだし。光彦がケガする件は、画面の見えないところで転んでたぐらいにすれば、大幅に尺を稼げるぞ。
でも、ここのスタッフはそんな畏れ多いことはできんだろうねぇ…どこが後々(ヘタすりゃ数年単位の)伏線になるか分からない作品だから、コレ。
「黒の組織の人間が現れる!!」という強烈な引きで予告を終わらせ、サスペンスフルな雰囲気を作り上げていたのに、サブタイトルの能天気さで全部おじゃんになった気もする(汗)
えーっと……
なんだこの、作品の雰囲気と全然合ってない、微笑ましさ溢れるOP映像は(汗)
OPで、藤堂のナイトメアが画面奥の巨大なメカに向かっていくのは、『ガンダムSEEDディスティニー』のOPで、デストロイガンダムに向かっていくディスティニーガンダムへの当て付けっぽいぞー
本編の方は、シャーリーの乙女チックモード大暴走(笑)
ルルーシュが親の敵であるという記憶を取り戻すものの、「あっ、この人、孤独なんだ…」と勝手に思い込んで同情してすっかり許してしまった挙句、テロリストである彼に助力しようとまで考え、さらにその愛する人が戦っているとなぜか察知するや、別に来なくてもいいのに、警官の制止を振り切って立ち入り禁止地区に侵入し、「あなたはルルが好き?」という具体的なようでいてポエムのように抽象的な質問の返答で相手を敵か味方か判別し、「それでもあなたが好き…」という少女マンガのような言葉を最後に呆気なく死んでしまいうという、思い込みだけで突っ走っていく刹那的な行動が、とっても青春人っぽいリアリティがあったように思える。
おお、このseasonから地デジ対応画面。
横長になったレイアウトを持て余してる感があるのは、草創期だから仕方ない……ってか、今だってほとんどの番組でアナログ放送に配慮してそうなってるし。

脚本:砂本量 監督:長谷部安春
「特命係に新しいメンバーがやってくる!」というアイデアが出た時点で勝ち、という視聴者・制作者共にお得なお話。
出てきたキャラクターの造形がこれまた素晴らしく、思い込みが激しく勝手に行動して場をかき乱し、張り込みのたびに監視対象と親しくなっていったり、特命コンビが真相を掴み始めた頃合になって「勘違いかもしれないから捜査をやめましょう」と弱気になって話を後退させたりという空気の読めなさっぷり、しかし顔立ちも性格も誠実そのものだからタチが悪い、という暴走気味なキャラで、どうにでも話を転がせる体制にしているのは心憎い。
ちゅうか、感情移入ができなさそうなのにできそう、というビミョーなラインを狙って狙えているバランス感覚がすごいなぁ~
右京とは元より、薫とも正反対のようでどこか似ているので、互いにぶつかり合ってしまう、というバディムービーの基本もちゃんと抑えられている。
自分が思い込み捜査をしているのを自覚せず、終いには「自分を怒ってばかりの薫はダメダメ、頭の良い右京最高!」(←これは一理ある^^;)と自己肯定してしまう辺り、蔑ろにされる薫の悲哀と相まって、なんか好きだなぁ~
この3rd Seasonでは薫と美和子が別れてしまっているんだけど、他の話ではそれが無かったかのように、毎回「花の里」で顔を合わせていたり、ちょっと薫と痴話ゲンカをして登場シーンが終わるぐらいで、あまり触れられていなかったりする。
でもこの話では、その設定をストーリーに関連させながらちゃんと膨らませていて、ボリュームがある内容になっているのが嬉しい。
1~5話までのスペシャルエピソードが終わって初めてと言っていいレギュラー話の第1回目だから親切めに描写したという理由もあるだろうが、こういう部分でシリーズ構成を踏まえた仕事をしている砂本量がステキ☆

脚本:櫻井武晴 監督:猪崎宣昭
えーっと……
渡辺哲、お疲れ様でした(笑)
登場人物全員から泥を顔目がけて投げられる役回りのためだけに出てきたと言っていい登場だったのは、ちょっと可哀相な気がするわ。
部屋の壁のど真ん中にデカデカと飾られている渡辺哲の肖像画がファーストカット、というどこか妙な画ヅラだったり始まり方をした時点で、「今回の話は何か違う…」と気付けてしまう。
話の4分の3が同じ部屋の中で進んでいくという、ゴールデンの刑事ドラマでそんなのやっていいんかい、いいぞもっとやれと言いたくなる室内劇(笑)
ちょっと、ヒッチコックの『ロープ』を思い出した。
最後まで室内劇だったら面白かったかも。
そして、終盤に向かうに連れて濃くなっていくギャグ色。
『相棒』でギャグをエッセンスじゃなくて、こんな風に出してきて良いのか、スゲェなぁ~
物騒なしゃれこうべを出してもシャレになってる辺りもスゲェ…………
…って、ヘタなギャグ、スミマセン(汗)
でも、パニック障害がギャグになりかけたのは、「オイオイ、いくらなんでもそれはちょっと…」と思ってしまったが、寸でで止める辺り、匙加減が分かってるなぁ制作者。
第10話「ゴースト」
脚本:東多江子 監督:長谷部安春
女性脚本家らしい、というとセクハラになるんだろうか、心の機微を面白く捉えた脚本。

脚本:櫻井武晴 監督:和泉聖治
そうそう、櫻井武晴はこういう重い話を担当することが多いのよねぇ。
その割に、セリフ回しに気を遣っていないような気もするが(汗)
時効を迎えた後に犯人が見つかったことから始まる、数々の悲劇……ってな具合で、社会派色の強い作品。
同じように社会派的でも、『チーム・バチスタの栄光』をパクったような「Season6-18 白い声」でキレイにすべての伏線が回収されたのと違って、犯人は何に狙われていたのかとか、「あの時、娘は何が言いたかったんだろうか…?」とか、意味ありげな伏線がボロボロ取りこぼされて解答が与えられていないのが、逆にリアリティを感じさせる。
人並みらしく人情を見せた薫を、情をかけたからこそ他人を傷つけ自らを窮地に追いやり罰を受ける役回りにし、心理的に徹底して追い詰めるところには、人情を大事にする刑事ドラマの定石から外れた、『相棒』らしいシニカルさというか非情さが見られるんだけど、最後に薫が非情なセリフを吐くものの、それもまた人情であるということを強調して、だからこそ被害者を納得させられて物語が〆に向かうという辺りもまた、『相棒』らしい。
っていうか、人情を捨て非情になることをキャラの成長と捉え、しかしその非情が人情となるという逆説的な物語構造がドラマ的に面白く仕上がってるってのは、もう何と言って良いか、スゲェ…
第16話「人間爆弾」
脚本:砂本量 監督:和泉聖治
緊張感のあるシナリオを書かせると一品だねぇ、砂本量は。
制作予算の制限の問題で地味になりそうなところを工夫して、物語に爆発性のある推進力を持たせられているのが素晴らしい。

脚本:林誠人 監督:橋本一
驚くほどにオーソドックスな推理物。捻ったところがほとんどなくストレートな作りで、卒ない仕事ぶり。
さすが、ゴールデンの『TRICK』で、迷走し始めた旗上げ役の蒔田光治・堤幸彦よりも『TRICK』らしい物語を書いた林誠人だけのことはある。
最後、何故か舞台上で謎解きを始め、犯人が投降して特命コンビと共にフェードアウトしたところで、拍手のサウンドエフェクトがかけられたと同時に幕が下りてきてEND、というこの番組自体を演劇的に見せてしまうメタ的な画面演出は、他の連続刑事ドラマにはないオサレさで、『相棒』らしいなぁ、と。
絶句!
こういう気でも狂ったかのような話をやらかしてしまっていいのか!?
そりゃもちろん、放送コードに則ってソフトレーティングされたレベルのものになっていて、数多ある映画やドラマ・マンガ・小説を探せば、これよりも何十、何百倍も濃いものがいくらでも出てくるだろうが…
これをゴールデンの、しかも保守系老舗・東映が作っている番組でやってしまっていた、という驚き!
こんなものを4年前に既に世間に出していたとは、おそるべし『相棒』!!
…ってなわけで、TSUTAYAの半額レンタル戦略に乗って、『相棒』を借りまくって観てたりします。
以下、その感想。
第7話「消えた死体」
脚本:櫻井武晴 監督:和泉聖治
たびたび登場するおバカキャラ・栄一の初登場回。
派手な展開はないが、消えた死体に関する大元の事件を追っていく流れがあって、そこにその事件を解決しないと命が危ないというタイムリミット付きのもう一つの流れが絡んできて緊張感を作り、しかし大元の事件を解決するにはこっちの流れの存在が邪魔をする、という多層的な構造が物語を引き締めていて面白い。
第8話「命の値段」
脚本:櫻井武晴 監督:橋本一
人世横丁を捜査する特命コンビの様子をアオリで撮ったり、その場面で(おそらく)脚本の指定に先んじて犯人をさりげなく強調していくなど、ところどころ映し方が面白い。
第11話「秘書がやりました」
脚本:輿水泰弘 監督:和泉聖治
これはテンポがいい輿水脚本。
本人のためと言い張って本人が望みもしない名声のために、残虐な凶悪事件をさらりと起こしてしまう狂気を持ちながら、有能秘書らしく理路整然と物を言い、時に感情的にもなるけれど、しかしそれさえも相手を煙に巻くための計算でやっているという、人間性に満ちたように見せかけている人非人のキャラ(演:室井滋)が絶句するぐらいスゲェ…
意味ありげに出てきた議員バッジが、犯人を示す証拠として指摘されるわけでもなく、犯人が捕まった後に最後の最後になって出てくるという肩透かしな登場をしながら、「このバッジの重さは、これを手に入れる苦労をした者しか分かりませんよ」と室井滋が自分の起こした異常犯罪を全て正当化して、犯人が一切の反省もすることなく物語を終わらせてしまう原因になっていて、変に有意義な重い意味を持たされていたのが印象的。
推理モノとしては「取りこぼした伏線」みたいな感じになっているけど、ドラマ的にはちゃんと回収されているのが、妙なリアリティというか、一捻りする『相棒』らしさがあった気がする。
第12話「クイズ王」
脚本:深沢正樹 監督:和泉聖治
こ、こ、こんな狂気の塊みたいな犯人出してきちゃっていいのか!?
いや、愉快犯的な犯罪の真犯人として、観ている者をちゃんと納得させられるキャラを、きちんと作り上げられたということか?
「あなたたちが無能な警察官だったせいで、罪もない民間人が、一人死にます」パーン!(←犯人側が一方的に要求してきたくせに、修飾語が過激)
「私は推理力、想像力、直感、いずれも人並み外れたものを持っています。僅かな情報さえあれば、いくらでも正しい答えを導き出せる」(←断言!)
「彼のあの言葉だけは許せなかった」(←他人の夫婦の寝室に、勝手に盗聴器を取り付けて、このセリフ!)
「あなたのことを徹底的に調べ上げたわ」「日陰者のあなたに、私のプライドはズタズタにされたのよ!」(←たった一言言葉を投げかけられただけの見知らぬ人間に対して、この執念、この高慢)
セリフの端々からイっちゃてるぶりが滲み出てるのがスゲェ!
っちゅうか、その犯人の言動以外にも、「円周率105ケタ目の数字を3秒で答えろ」という問題を3.1秒(いや、これも本当に遅れていたのかどうか怪しい)で解けた右京に対して、警察の誰も彼もが「その程度の問題を解けなかったから、人が殺されてしまったではないか!!」と怒り心頭で、特命係を理不尽に追い詰めていくのは、何かものすごいズレっぷりで空恐ろしかったが。
でも、それだけの緊張感あるストーリーの中で、最後まで松山ネタで遊んで場のノリを軽くしている脚本には笑ったけど。
右京と似ているようで似ていない鏡像のキャラが、右京と対決したらどうなるか、という裏テーマが、この犯人の設定のおかげで出てきていたのも面白い。
第19話「器物誘拐」
脚本:坂田義和 監督:長谷部安春
うむ、犬がかわいい(←それだけ?
話が面白いように二転三転し、しかし一貫して「犬」というテーマが語られる、磐石な作りになっていて、楽しく見られる。
前に某脚本回では間延びしてると感じられる部分があると述べたが、この話では回想シーンとかで、わざわざ浮気相手のところに向かう様子を逐一映していたりして、良く見れば間延びしているところもあるのだけれど、それと感じさせないのはどういう違いなのかなぁ…?
最後に出てくる証拠が、弁の立つ弁護士を納得させられるだけの物的証拠かといえば、「それは別のところで飲み込んだ可能性もある」と言い返されるもので、弱いと感じられるのだけど、愛犬LOVEな犯人に対して「こんなもの飲み込んだままにさせて、それでも飼い主か!?」という説教でダメ押しするという人情で自供を引き出しているから、お話的にはOK?
まぁ、とにかく犬がかわいい(←もういい
第20話「1/2の殺意」
脚本:深沢正樹 監督:和泉聖治
もうちょっと双子ネタで遊べた気がするけど、そこらへんの抑制が効いているのが、老舗の作りっぽい安定感かもしれない。
っちゅうか、次の回で最終回なのに、こういう話を入れてくる余裕っぷりは何なのだろうか…?
地球環境のため、湖岸に打ち上げられたプラゴミとか粗大ゴミをせっせと集めておったわけですが、この「地球環境のため」というのが曲者の大義名分でしてねぇ……というのをしみじみ感じたのですよ。
それはどういうことかというとね……ということから始まる、以下ものすごく厨くさい内容(汗)
そんなことを考えているぐらいなら、ほかの事を考えましょう、まる
湖岸のゴミの中には、厄介なものがあって、長い間波に晒されていると、波が運んでくる砂の体積効果で、ゴミが砂浜に埋まってしまうものがあるわけです。
普通ならそういうゴミは人力で取るのも大変なものがあるので、無視しても差し支えないんですが、そういうものにはかなり凝り性なワタクシ、ムダなリキを入れて埋まったゴミを取ろうと息巻くのでありまして…
ところが、とあるビニール袋のゴミは、湖岸に生えた小木の根っこの部分に埋まってまして。しかもロープのオマケ付き。
凝り性な私はこれも取ろうとするのですが、相当前から埋まってたらしく、引っ張り出そうとすると重い。
しかも、このビニールってのがやたら薄くて、あまり力を入れて引っ張ると破れて、地中に残ってしまうような、ヤワくて面倒臭いシロモノ…
昔話で、高い技術力を見せ付けるために究極に薄い茶碗を作った職人が、薄すぎて手を火傷した殿様に「使う人のことを考えろ!」と逆に怒られてしまう、というのがあったけど、それと同じ気分になった(笑)
ビニールが破れて見失わないように、土を掘っていったわけですが…
ところが、土を掘っていくと、この小木、ビニールを突き破って根を広げている感じになっていて、ビニールを取ろうとすると成長中の柔らかい根っこをブチブチを切っていくことに。
環境破壊防止のためにゴミ拾いしてるのに、なぜ私は木を破壊してるんだろうと思いつつ、しかしここまで来たら、ビニールを回収しなけりゃ気が済まない、ということで、木の足元をどんどんと掘削。
つーか、その木も木で、害でしかないこのゴミビニールにわざわざまとわり付くように生えていて、ビニールの害について無頓着というか、害であるゴミでさえも自分に取り込んでしまっているというか…
結局、どこまで掘ってもビニールの全体が見えてこず、テキトーなところで引っ張ってみたら案の定途中で切れてしまって、もうどこにビニールが埋まっているのか分からなくなってしまい、終了時間も差し迫っていたので、中途半端にゴミを残してその場を去ることに…
振り返ってみてみれば、来た時よりもヒドい有様になっている小木周辺が見え、とてもキレイな環境になってとは思えない…
人間って、これと同じで、結局環境破壊しながら環境保護をしていて、しかも目に見える範囲のものしか環境破壊のものを除去してなくて(それさえも充分でなく)、底にある問題は解決されずに放置されてしまい、その守るべき対象の自然は、人間の環境破壊物を取り込んだまま自然になってしまっていて…
そんな不毛な作業になってしまっているんだろうなぁ…
絵コンテ:名村英敏 演出:細田雅弘 作画監督:山崎展義
動画・仕上:ハヤシ株式会社 制作協力:DANGUN PICTURES
しかも、アップの顔が崩れて、ロングショットの姿が割とキレイに描かれるとか、どういう力の入れ具合なのかさっぱり分からない不安定さ。
題して乱調トムス。
これで国内グロスってんだから、日本のアニメ技術もまだまだ発展途上である。
戦犯はハヤシ株式会社率いるDANGUN PICTURES。がんばれ。
本堂瑛佑が殺人事件の容疑者になってしまう回。
敵側(=黒の組織側)ではないことがすでに判明してしまっていて、もうコナン側の身内キャラといってもいいキャラなので、身内が殺人を犯す事態なんてこの作品ではありえないのだから、「本当にヤツが殺したのか!?」という危機感って実は薄かったりする。
(『金田一少年の事件簿』だったら、二度ほど準レギュラーが犯人になってたりしたけど)
こういう場合の物語に求められるのは、「うわーッ!! このままじゃ本当に逮捕されちゃう!!」という危機感であったり、「彼の挙動が怪しい本当の理由とは一体何なのか」という探求だったり、そっち方面を重視する演出だろうねぇ。
…原作では、当然のことながらそういう方面に物語は膨らまずに平板化しているわけだが(汗)
「彼の挙動が怪しい本当の理由」であるところの、ゲイ疑惑カップル。
…そこの声には、くじらを連れてくるべきだろう!!
あれでは、「男声に聞こえてしまう女声」に聞こえないぞー(笑)
演出はまずまず。ちゃんと瑛佑を怪しく見せているなど、きっちりシナリオの要求に応えている。
終了間際には、今回の事件の疑問点や伏線を分かりやすく整理していて、推理モノ強調路線は続くようだ。
スザク「モルドレッド(=軍用兵器)が出動した!?」
ギルフォード「黒の騎士団か!?」
オペレーター「学園地区にて暴動が発生した模様。ナイトポリス、緊急出撃」
学園内のお祭り騒ぎがエスカレートにエスカレートを重ね、遂に勘違いした軍隊まで乱入しかけるという展開。
今までのギャグ回は学園内のメンツで繰り広げていたから、外部の、それも国のトップの連中までドタバタに巻き込まれるところまでスケールアップしてしまう暴走っぷりは、その収拾の付かなさっぷりが個人的に好みで、大爆笑。
このままドタバタに絡んできてくれてたら良かったのに、ただの賑やかしに終わって残念。
物思いに耽って立ち尽くすシャーリーの背景で、様々な人や物(馬も)が大量に右往左往していた画ヅラも、どこかギャップがあって可笑しくて好き。
ただのお遊びにアーニャが軍用マシン・モルドレッドを持ってきてしまったことに対しての、ルルーシュの一言。
ルルーシュ「アーニャまで一般常識に欠けていたとは…!」
…なんか、完全なるキレイごとの理想主義(しかしその実、排他的な偏向思想)で世界を統べてハッピーエンドと謳う常識外れっぷりを見せ付けた某番組への当て付けに見えてきたヨ、ハハハハ…
ルルーシュの108人デート、ミレイの思いつきイベント、天然娘・咲世子の暴走、ルルーシュ正体バレの危機、恋煩いで思い悩むシャーリーなどなど、話を四方八方に動かすという暴走をしてここまでいろいろやらかしたのに、最後にはミレイ会長卒業の物語として今回の話がまとまっていたかのようにキレイに終わらせてしまう強引な演出力は、月並みだけどスゲェ。
ミレイが満足げに成立カップルを眺めて、少し本音を呟いて、「これにて、モラトリアム終ー了ー!!」とにこやかに叫んで帽子を放り上げ、それをカメラが追ったと思ったら落ちて来た帽子に画面が遮られ、その次の瞬間には場面が一気に変わって、慣れた様子でお天気お姉さんやってるミレイを大写しにする…
…という演出の仕方が、「どうやったら物語を総括したように見せられるか」というお手本みたい。
…その演出・その総括がこのタイミングで視聴者やシリーズ構成的に求められていたか、物語的に有意義だったかどうかは、甚だ疑問だが(汗)
それに、コーネリアが何となく復活。
満を持した再登場なのに、演出的に何の重みもなく、(この番組は情報量が多いから整理が必要とはいえ)あっさり流されすぎなのは、あまり効果的な演出が施されているとはいえないしなぁ…
その上で、この後に気分をドーンと落とす衝撃の展開を用意している手際の良さは、毎度のこととはいえ、スゲェ。
ミレイの「これにて、モラトリアム終ー了ー!!」というセリフは、これからの物語展開の予告だったわけか。
シャーリーが深刻に思い悩んでいる最中に、ルルーシュがギアス関係の能力を持った敵と対決、という流れは、前期の2クール目突入時期と同じ展開。
しばらくこういう流れはなかったのに、またまたなぞってるなぁ。
でも、同じような展開でもこちらの期待度が衰えているというわけではなく、そこら辺は巧み。
…ひょっとして、1期とまるで同じ展開を芸もなく続編で繰り返してしまって呆れられてしまった某番組への(以下略)
そんな中、ナナリーに助け出されるカレン。
…チッ!(←オイ
…テレビ放送版では、そういう色気を出さない方がいい、と思ったりもするが。
唐突に南の海から始まってしばらくそのまま進行するものだから、てっきり解説は後回しでアトラクションだけ先に済ませるものだとばかり思っていると、全然解説が始まる様子もなく進み、ようやく前回から繋がっていることに気付く。
最近、録り溜めてて気が向いたときにしか見てないから、気付かなかった…
…やっぱり『ドラ』にこういう連続ドラマ的なスタイルは不釣合いだと思うなぁ
絵コンテ:於地紘仁 演出:黒田晃一郎 作画監督:朴昊烈
原画:黄響樂・李在鎬・金正鉄・元泰星・李東益・伊貞熙・藤川優希
動画・仕上:孝仁動画 制作協力:アゼータ・ピクチャーズ
やっぱり作画がビミョー。
作監のクセといえば、まぁクセの範疇ではあるだろうけど、数々の低調トムス伝説を築いてきた「孝仁動画」のグロス回だけのことはあるといえばある。
…なんでこのタイミングでグロス回になるのか、この会社の制作スケジュールが謎だが。
でも、作画崩壊寸前というわけではなく、乱調のレベルに留まっている。
放送期間がしばらく空いていたおかげで、いろいろと修正できたのか?
作画以外の部分もまずまずの出来で、特に、原作通りに進めていては尺が余ってしまうという問題に対し、シナリオにオリジナルな部分を入れて原作のトリックの補足として有意義に使っていたのが素晴らしい。
いつもなら、セリフのないどーでもいい描写部分をグダグダと引き延ばしたり、各シーンに使う時間を長めにとったりして、間延びさせていて下手なことこの上ないものだから。
スタッフのアレンジャー能力が高いおかげか、放送期間が空いて時間をかけられたから良いアレンジ策が浮かんだおかげなのかは、定かではないが(汗)
でも、犯人が動機を語る部分は、「私の思い通りにならない男なんか死んじゃえ!」というかなり勝手な理屈なのに、演出が坦々としていて同情的になっているのは、何か違う気がする。
もうちょっと狂気を感じさせてくれてもいいのに、そこらへんの物語の描写を読み違えているような…
監督、物語を取り繕う技術はあるけれど、物語を巧く演出する発想はないのかも…
ちなみに、今回のトリックって、高さのある物体の重心の問題を完全に無視してるのよね。
ついでにここもアレンジしてもらえれば……いや、ここの問題を取り繕えば取り繕うほどドツボに嵌ってくから、触らない方が無難だな(汗)
しばらく再放送がなくて
タダ見できずに悔しい寂しかったが、久々の、それも結構最近の話数の再放送なので、テンション上がったわさ。
途中まで櫻井武晴脚本だと思い込んで、「恩賜の懐中時計なんて一般的ではないレアアイテムを話に持ってくるところが、櫻井脚本の凝り性なところだなぁ」などと勝手に想像していた私は、全然脚本のクセが読めない大バカ者でございます(汗)
でも、だってさー、須藤プロデューサーと共に『相棒』の作品構造を作り上げた功績者であるとはいえ、輿水泰弘の脚本って、2時間スペシャルでは時間持て余している感があるというか、時間配分に間を与えて俳優の演技に任せる部分を作っているけど物語進行的には間延びしている感があって、テンポ良く進んでいくイメージがないんだもの。
レギュラー放送では「Season2-10.殺意あり」と「Season2-18.ピルイーター」でも間延びしてたなぁ…
ただし、輿水脚本の真髄は、薫の作ったマッチ棒タワーを書類を広げるために逡巡なく薙ぎ倒す右京、とかのキャラのセリフや挙動の可笑しみにあるけれど。
このシリーズから旗上げ役の須藤プロデューサーが抜けているので、そこら辺が薄めになってきてテンポ重視になってきてはいるみたい。
そんな感じで、5分に1回不審な点を右京が見つけたりする二転三転するストーリーとか、セリフの機微の違いが犯人特定に繋がる細かい仕掛けとか、結構楽しめた話でしたわ~☆
普通なら「熱い思いが届いて、二人は巡り合ったんですねぇ」としみじみとさせて人情を謳い上げるべきところのネタ(『はぐれ刑事』ならオチに使っていただろう)を、「そんな都合のいい展開があるものか。何か裏があるに決まってる」と冷酷なまでに合理的に物語の解答を与えてしまうシニカルさも『相棒』らしくて、面白い。
…と確かに純粋に楽しんでいる気持ちはあったけれど、引っかかる部分が多かったのもまた事実でありまして(汗)
まず誰でも思うだろうことは、冒頭のミリタリーマニアのホームレス襲撃事件と本筋がほとんど関連性がないというところ。
冒頭からありったけの火薬(=派手なシナリオ要素)を使ってデカい花火を打ち上げ、視聴者の興味と目を惹きつけてから、その後火薬を必要としない話をじっくりと進めて、花火で出た火の粉を回収していくのが『相棒』スタイルとはいえ、今回は打ち上げた花火がデカいのに火の粉を回収しようとしてないので、気になってしまう。
まぁ、これが本放送の頃は、イラク派兵の撤退問題やら格差社会やらが槍玉に上がってた時期だから、時事性を狙ってシナリオにねじ込んでみたというだけの、物語のスパイス的な扱いに済ませたかったということなのかもしれないけれど。
冒頭の事件がその後の本筋と関係なくなるのは、『相棒』の最初の話でも使われていた手でもある。
…が、その時はちゃんとその冒頭部分だけで解決し完結していて後腐れなかったので、繋がってなくても問題ないのだけど、今回のミリマニは思わせぶりに登場してしばらく捕まらず、襲撃犯の正体に迫っていく流れができていたのに、「彼らの行動にはどんな謎が含まれているのだろう?」という伏線を期待し始めた頃合に、あっさりと犯人バレして解決しちゃうもんだから、冒頭の事件の扱いにこちらが困ってしまう。
ここで頭を切り替えるべきなのか、それとも何かの裏があるから留意しておいた方がいいのか…?
困ってしまう更なる要因は、そこに同時並行して「落ちぶれたホームレスが持っていた、高貴な菊花御紋の懐中時計」という興味が惹かれるにも程がある組み合わせの謎についての捜査が進んでいって、例えば「ミリマニたちがホームレスたちを襲撃したのは、その内の一人が持っていたこの時計が真の目的であり、それがその一人がホームレスの立場に甘んじていた理由も含めて、時計の元々の持ち主と関連がある」とそれぞれの要素を関連付けて疑ってもいい余地があって、いろいろ考えを巡らせていたにもかかわらず、その疑いに実は解答がなかった点にもある。
せめて、「なんであれだけの人がホームレスなんかになっていたの?」と登場人物たちが口々に言って、そこに何か隠された理由があるように見せていたのを何とかすれば良かったのに。
あれじゃ、「彼は、関連性の薄い冒頭の事件と本筋とを結び付けるためだけの物語的なバイパス役でしたー」とタネ明かしされても、「ミスリードしすぎ」という否定的な感想が…
その割に、最後にその彼を強引に本筋に絡めて、しかも絡めたことにさほど意味がなくて、何だかスッキリさせない終わらせ方にしているし。
そうそう、懐中時計をなぜ盗まれた扱いにしていたのか、という理由も、思わせぶりだった割に凡庸だったし。
同じように様々な謎要素がいっぱい出てくるものの、その要素それぞれに解答が与えられてスッキリした「Season6-1.複眼の法廷」とは違う感じ。
まぁ、それらは流行要素(?)の取り入れという形で納得するとしても、時事性が関係なく、シナリオ側の提案であろう「右京が最初に関わった事件が、時を超えて再び浮上してくる」というアイデアが、全然活かされてないのは不思議。
最初の事件だから右京が執拗にこだわって捜査してしまう、という使い方なのかもしれないが、まぁあの人が執拗なのはいつものことなので、普段と差異なし(汗)
右京がその当時の現場を実際に目にしていたからというアドバンテージを発揮するわけでもなく、過去の回想シーンに若かりし頃の姿を現してファンサービスを行なうわけでもなし。
…でもまぁ、回想シーンに現れないのは大正解だけどね。
過去シーンを描くとなると、右京のよく分からない性格の形成の過程も多かれ少なかれ描くことになるだろうけど、あの性格の形成がどのように行なわれたか(生まれつきああなのか、この事件の時は普通人なのか、ということさえ)「整合性の取れた過去描写」は難しいだろうから、直接描写しないで視聴者の想像に任せておくのが一番。
だからって、右京がその事件の話をあまり語らないというのは何か違うとは思うが。
シーズン中の各話でこれらの続きの話をする、という手段もあるので、それならいろいろ出てきた要素もこの程度の扱いでいいだろうけど、あらすじ見る限りどこにも絡みそうにないしなぁ…
容疑者がたっぷり出てくるが、本ボシが途中参戦ってのは、反則…
でも、そんな反則はこれまたいつものこと?(笑)
美和子が変なオリジナル宗教にかぶれていた妙にも程がある様子も、もっと本筋と絡んでこなきゃ意味がない……と思っていたが、4年も続けてきた新聞社勤務という重要な設定変更を視覚的に知らしめているので、まぁいいか(笑)