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Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
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 映画デーで入場料一律1000円の日に、レイトショーで観に行った。
 公開初日だから、遅い時間帯なのに、老若男女問わず割と多くの客が来ていた。
 
 「劇場版なのに映画になっていない」というガッカリな作品が多い中、とりあえずちゃんと「劇場版」になっていた「映画」で、原作のテレビシリーズファンとしては嬉しい限り。
 さすがは、テレビシリーズの時点で映画並みな『相棒』。言わなくたってやってくれる!(笑)


 …とは思うんだけど、大層仰々しいコマーシャルで散々煽られた期待感をすべて昇華してくれるほどエキサイティングな映画だったかというと、ファンというのはある意味一番敵になりやすいもので…(汗)

 劇場版ということで、力みすぎて規模をデカくしすぎて本質を見失った作品というのも世の中には多いが、この劇場版は正しくいつもの『相棒』になっていることは間違いない。
 最初に目を惹く大きな花火を打ち上げて分かりやすく盛り上げた後に、その火の粉を一つ一つ回収するかのように丁寧に物語を紡いでいって中身を充実させて、視聴後の満足感を高めてくれる、というこのテンプレートに忠実に従っている。
 今回は映画ということで、最初に打ち上がる花火がかなり大きくて、かなり後の方までバンバン打ち上がりまくる。そこらへんが「劇場版」を感じられるところ。

 ただ問題は、この花火が大きすぎて長すぎて、火の粉を回収しきれてないように見えるところ。 
 そのせいで良くも悪くも話が大味になっている。


 始めは誰も関連性を見出していなかった個々の殺人事件が、実は同一犯による連続猟奇殺人であることが判明していく、という出だしは、かなりワクワク感を煽っていて相当良い感じ。
 おまけに、そこから犯人のメッセージを読み解いたことで、犯人が警察という巨大組織に間接的に挑戦してくる、というプレッシャーもその後の経過を盛り上げてくれる。
 そして犯人の正体が分からないまま、しかし犯人の仕掛けた巨大な犯罪計画だけは実行されることが判明して、その計画を阻止しようと警察組織が総出で右往左往する、という本映画最大の見せ場に突入していく。


 実はここで私はすでにノれていなくて、チビチビと一人ずつ誰にも知られぬことなく坦々と殺してきたけれど総被害者はそれほど多くはない事件の犯人が、ドカンとデカいステージが用意された公衆の面前で大量虐殺を企てるというのは、規模が一気にレベルアップしすぎで、「なんでそれが最終標的になるねん?」という“見かけ”の動機が見えなかったのが原因。
 しかもそれが、最初っからそこに向けて計画されていて連続殺人もその計画の一部だった、ということを主人公側が見抜いた、という流れならそこまで引っかからないんだけど、犯人がいきなり提示してきた犯行予告だから、余計に一足飛び臭くて…

 それに、その肝心の東京ビッグシティマラソン爆弾事件、演出や音楽、ストーリー進行のおかげで確かに盛り上がるんだけど、冷静な目で見てみると、その盛り上げる要因である犯行予告であるチェスに犯人が仕込ませたメッセージがどれも引っ掛けばかりで、“とりあえずの意味”がないただのにぎやかしだったのが、何か物足りない。
 一番盛り上げどころの最後の爆発事件は、廃工で爆発させる意味が見えないし。


 そして、数々の危機を乗り越え、その犯人がいよいよ捕まるという段になって、私の“ノレてなさ”は頂点に達する。

 ここまでの事件で、連続殺人に気付いた右京に余裕かましてチェス勝負というお遊びを挑んでくるふてぶてしさや、その試合結果にメッセージを組み込んだことでチェスの先読みができるという頭のキレを見せるところや、無差別大量爆殺を目論む大胆不敵さなど、そこから見えてくる犯人像は、とても普通では考えられない域に達している感じなのに、実際に捕まった犯人といえば…
 犯人のキャラクターと動機が想像以上にマトモすぎて、ここまで築き上げてきた犯人像を支えるほどの強度を持っていなかった(と私は思ってしまった)

 いや、真相を聞けば、とりあえず理には適ってはいる。
 この事件の真の最終目的を遂げるために、それまでの事件を起こすということはちゃんと必要だった、という説明はなされて、合理的でもある。

 ただ、その目的ならば、ここまで仰々しい計画を組まなくても達成できたのではないか、という疑問も出てくる。そこの、動機と行動のギャップが、最大にノれない理由だ。
 「実はこの事件には真犯人がいる!」というサプライズは、あった方が嬉しい。実際、この映画では何度も犯人像が刷新されていて、何が本当の犯人像を示しているのか分からなくなってくる混沌とした感じが、緊張感を煽っていて面白くもある。
 しかし、そうしてバラまいた伏線の上で、そこから観客が容易に想像できる表向きの犯人像と、その予想を覆す意外な真犯人が結び付かないと、このサプライズはうまく機能しない。
 「そうか、そう言われてみれば、あの伏線はこういう風に捉えれば、確かに真犯人のことを指し示している!」という感じの合理性というか、伏線に二重の意味が込められていれば、納得できるし、サプライズの威力も段違いなのだが…

 …だけど、右京が真犯人が誰か確信を得る証拠が、あんな直接的なのはどうなのかねぇ?
 あんまりにもあからさますぎて、「実はこれはちょっとしたフェイクで、真犯人に何らかの関わりのある程度の関係性」ぐらいにしか思えなかったよ。

 一応、仰々しい計画を組まなければならなかった理由は説明できる。
 最終目的は、これらの計画なしに単体で実行することは可能だ。しかし、それだけでは、世間に訴える力はない。単なる不審者侵入事件として片付けられてしまう。
 そこで、その侵入事件の裏で、同じ犯人が警察をここまで翻弄した大事件を起こしていた、となれば、マスコミの注目度は一気に上がる。事件の隅々まで調べ上げ、犯人側の思惑だけではなく、それに少しでも関係する人物・事件について事細かに報道することは想像に難くない。そして世論はそれに影響される。
 そうなれば、真犯人が一人ではなしえなかった目的を、世論の力で政治に圧力をかけて実現させることができる。

 ……おそらく、こういう説明が差し込まれるべきだったのだろう。これがあれば、違和感は多少軽減されただろう。
 でも、そういう説明はなかった。
 映画という枠を考えたとき、この説明はちと長すぎるので、オミットされたのかもしれない。


 しかしながら、この犯罪計画にはそもそも、サプライズを妨げる穴が存在している。
 右京のようなキレ者が警察側にいるということを絶対条件にしないと、この犯罪計画はスタートできないようにしか見えないという点である。
 右京がいなかった場合を考えてみよ。
 まず連続殺人があることが気付かれない。そうなると、その連続性の関連を調べた結果であるあのウェブサイトと処刑リストまで辿り着けない。サイトに辿り付けなければ、チェス勝負になることもなく、東京ビッグシティマラソンを標的にするという犯行予告メッセージは伝わらず、警察を翻弄することはできず、目的は達成できない。
 いや、そもそも右京だからこそチェス勝負に乗ってきたのであり、相手が警戒してチェス勝負を放棄していたら、あるいはチェスの定石が理解できないのにやる気だけはある素人が相手だったら、どうする気だったのか?
 しかも処刑リストには裏の意味があるから、そこにも辿り着いていないと、なぜ爆破予告事件が起こされるのかというとりあえずの意味が伝わらないぞ。
 そして、右京がいようがいまいが、東京ビッグシティマラソンの日時は決まっている。事件の全体像が明らかにならないまま、爆破予告事件だけがパッと出になってしまって、やっぱり意図が伝わらないという危険性を充分にはらんでいる。

 映画を盛り上げるために大事件化させる諸要素に合わせる形で、観客へのフェイクとして提示する犯人像に付きまとう凶悪性が、サプライズの真犯人のキャラクターと動機とうまくかち合わなかったことで起こった悲劇であろう。


 そこらへんが、この映画を「大味」だとする理由。
 とりあえず、今この瞬間を盛り上げる、ということが重要であり、それをまとめるための説得力は必要とされていない。説得力の無さはサプライズでカバー。
 どれだけ大味に見える無茶な盛り上げどころを作っても、後のフォローで大味な隙間を埋めるように無茶をカバーしていく『相棒』シナリオならではの緻密さがここにはない気がする。花火が長すぎたんだろうなぁ…

 でも、大味なのは、緻密なフォローをするだけの腕がないということを即座に意味しないと思う。
 観客を映画館のイスに二時間座りっぱなしにするわけだから、大スクリーンを前にあまり細かい説明をクドクドとしても栄えないこともある。あと集中して見るのだから、頭も疲れるだろう。
 だから劇場版“だからこそ”、いろいろなものを間引いてシンプルに見やすくしてあるのかもしれない。



 ついでに不満をブチまけさせてもらうと、この映画には『相棒』の柱が欠けている。
 キャラ遊びが全然ない。
 あのアップテンポのハイキーで構成されているいつもの陽気なオープニングテーマみたいな軽いBGMが一切使われず、全部重苦しかったり緊張感煽ったりするBGMばかりだったのがいい証拠で、軽めの部分が全然ないんだわ。
 伊丹の「特命係の亀山ぁ~」が無いのは物寂しいぞ(笑)

 それに、右京のキレ者っぷりが、どこか威力が落ちてたように見えたのも気になる。
 これに足りないのは、右京の“下を行く”推理や行動を披露する刑事役の人間。
 犯人のミスリードにまんまとひっかかってしまったり真意に気付かなかったりする「普通」の頭脳を持つ人間(『相棒』の場合だと捜一トリオとか刑事部長)がいて、その上にミスリードを見抜き真意に辿り着くことができる「選ばれた」人間である主役がいる、というヒエラルキーで優位性を示す、という探偵モノのセオリーが働いてなかったんだよねぇ・・・
 これは、この事件が空前絶後の大事件であることを示すために、「普通」の頭脳ではミスリードに“すら”辿り着けないお手上げの状態になっていたからであり、頭脳的ヒエラルキーが成立しなかったからだろう。

 あと、右京と薫に一番関わりの深い美和子とたまきが、まさにそのマラソンに参加しているという特殊な状態なのに、何か事件の深刻な部分と関わり合いになるのではないかという私の期待が叶えられることもなく、ただ右京と薫が事件解決に必死になるための動機の一端でしかなかったのは、「劇場版だから、いつもは前に出れないあの人たちにも物語に絡むスポットライトが!」というスペシャルなキャラ遊びが足りない…
 こんなときでも、「美和子とたまきはメインストーリーに深く関わることがない、外部的なにぎやかし役に徹する」というテンプレートに合わせて話を作っているのが、何とも徹底している…



 …まぁ、いろいろと細かいことで文句は言ってるけど、つまらない駄作では決してない。
 いつも高品質な『相棒』というブランドに、さらに高い品質を求めてしまったからこその文句であり、始めの方で書いたように、“いつもの『相棒』”が提供されていることは確かなのだから、普通以上の水準のものは出てきているということだし。
 タイトルバックで、警視庁の空撮からどんどんと郊外に離れていって、画面の端に「あるもの」が見えてきたときの、「異常事態が始まった」ゾクゾク感は最高!
 映画ならでは、というか、テレビという媒体から離れた作品ならではの、映画媒体で上映する意義を持たせた社会派なテーマ性を出すことにも成功しているのも、「劇場版」としてはスゴイことなのかもしれない。
 私も、もう一回観に行ったら評価変わるかもよ。

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