Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
相当ブラックでシニカルでシリアスなストーリーを、あまりにも荒唐無稽でマンガチックなギャグ演出をベースにした世界観から突如噴き出させて、視聴者にトラウマを植え付けるという、性根の曲がったスタンスで有名な堤幸彦ディレクターの代表作品『TRICK』の劇場版パート2にして、シリーズ完結編。
前の劇場版は、おそらく“制作中止になった映画の穴埋めとして作られた”ようなので、ドラマのテレビスペシャルとしてはともかく、映画としてはあまりにも稚拙で盛り上がりに欠けるストーリーが繰り広げられ、「テレビからスケールアップした劇場版」を見たかった身としてはガッカリなシロモノだった。
なにせ、「神の奇跡が次々と起こる」というテーマを持ちながら、実際は「単なる手品ショー以下のものでしかない」安っぽい奇跡が出てきたと思ったら山田がその場で解き明かし、「質よりも量だ」と言わんばかりに、それを繰り返していくだけ構成だったんでねぇ…
(せめて、ものすごく難解なトリックを使った奇跡が連続して起こり、それを山田がラストになってやっと次々と解決していく、という流れなら映画っぽかったけど)
今回の「劇場版2」は、ちゃんと「『TRICK』の劇場版を作る」ということが目的の作品なので、突貫工事ゆえのぶつ切りで進んでいくのではなく、しっかり考えられた構成=始めからラストまで一本筋が通った「映画」を見せてくれるのでは、と期待していたが…
前の劇場版は、おそらく“制作中止になった映画の穴埋めとして作られた”ようなので、ドラマのテレビスペシャルとしてはともかく、映画としてはあまりにも稚拙で盛り上がりに欠けるストーリーが繰り広げられ、「テレビからスケールアップした劇場版」を見たかった身としてはガッカリなシロモノだった。
なにせ、「神の奇跡が次々と起こる」というテーマを持ちながら、実際は「単なる手品ショー以下のものでしかない」安っぽい奇跡が出てきたと思ったら山田がその場で解き明かし、「質よりも量だ」と言わんばかりに、それを繰り返していくだけ構成だったんでねぇ…
(せめて、ものすごく難解なトリックを使った奇跡が連続して起こり、それを山田がラストになってやっと次々と解決していく、という流れなら映画っぽかったけど)
今回の「劇場版2」は、ちゃんと「『TRICK』の劇場版を作る」ということが目的の作品なので、突貫工事ゆえのぶつ切りで進んでいくのではなく、しっかり考えられた構成=始めからラストまで一本筋が通った「映画」を見せてくれるのでは、と期待していたが…
…まぁ、予想通りの小ネタ集(笑)
「ゴムゴムのピストル」なんて技まで飛び出し、「世界観のぶっ壊れ具合、ここに極まれり」という域にまでぶっ飛んでいる。
そんなスタッフの悪ノリを見てると、もう映画的構成とかマトモな視点でモノを語ることなんて、どうでも良くなってくるなぁ(汗)
劇場版1でわずかなりとも感じられた「神の御業だ!」みたいな映画的な高級感がなくて、頭から尻まで安っぽさ全開。
ただ、滑車原理を用いたトリックを、冒頭・中間・最後という風に繰り返し使って、ちょっとした連続性を作っていたのは映画っぽくもあった。(前半と後半で物語の舞台がガラリと変わってしまうのは、ネタ切れ感を見せられたようで、全然映画っぽくなかったけど)
この映画、というより、このシリーズを見てると、宗教の怖さと、信用についての捻くれた視点について考えさせられる。
山田と上田に立ちはだかる敵というのは、どいつもこいつも余裕綽々。
山田が「それはただのトリックでしょ」と疑っても、「あなたはなんで足し算が理解できないの?」ぐらいの優越的な態度で山田の疑心を非難してくる。
トリックを論理的に説明して「超能力や奇跡なんて存在しない」と科学的な結論を出しても、「それはあなたが超能力を信じたくないから、ヘリクツを付けてるだけでしょ?」と、あたかも中二病的な考えをたしなめるような物言いと不敵な笑みで、自分たちの常識を押し付けてくるのだ。
そして、トリックが暴かれた先から、間髪容れずに次の奇跡を見せつけ、山田たちを翻弄する。弱みを見せるスキをなくしながら、それの繰り返し。
そうして、相手が疑うことに疲れ、信じることにすがってくるまで、これでもかこれでもかと奇跡のトリックを怒涛の勢いで被せてくるわけだ。
「科学は疑うことから始まり、宗教は信じることから始まる」という誰かの言葉があるけど、この作品の描写はまさにそれ。
そして、この作品の描写は、「信用すること」について捻くれた描写をしている気もする。
少年マンガや青春ドラマでは「なぜ仲間を信じないんだ!?」と叱責し、仲間との絆を深めることで事態が好転して打開する描写が多々見られるなど、信用することを賛美する傾向にあり、それらは良いこととして消費者から正義として評価されているものだ。
ところが『TRICK』では、あらゆる人々から信用されている人物の奇跡の御業の正体を暴くことが主人公の役目となっている。つまり、主人公は、「信用すること」をぶっ壊す側なのである。
『TRICK』において、主人公の山田奈緒子が1秒たりとも良い目を見ず、人々から蔑まれ虐げられ、「詐欺師の詐欺を暴いた」ことを断罪され、怨まれ、奇跡のアラを探す姿勢を非難されて始終追い詰められているのは、「他者を信用する」という我々の価値観・常識の崩壊を目論む「悪の立場」にいるからなのだ。
「ゴムゴムのピストル」なんて技まで飛び出し、「世界観のぶっ壊れ具合、ここに極まれり」という域にまでぶっ飛んでいる。
そんなスタッフの悪ノリを見てると、もう映画的構成とかマトモな視点でモノを語ることなんて、どうでも良くなってくるなぁ(汗)
劇場版1でわずかなりとも感じられた「神の御業だ!」みたいな映画的な高級感がなくて、頭から尻まで安っぽさ全開。
ただ、滑車原理を用いたトリックを、冒頭・中間・最後という風に繰り返し使って、ちょっとした連続性を作っていたのは映画っぽくもあった。(前半と後半で物語の舞台がガラリと変わってしまうのは、ネタ切れ感を見せられたようで、全然映画っぽくなかったけど)
この映画、というより、このシリーズを見てると、宗教の怖さと、信用についての捻くれた視点について考えさせられる。
山田と上田に立ちはだかる敵というのは、どいつもこいつも余裕綽々。
山田が「それはただのトリックでしょ」と疑っても、「あなたはなんで足し算が理解できないの?」ぐらいの優越的な態度で山田の疑心を非難してくる。
トリックを論理的に説明して「超能力や奇跡なんて存在しない」と科学的な結論を出しても、「それはあなたが超能力を信じたくないから、ヘリクツを付けてるだけでしょ?」と、あたかも中二病的な考えをたしなめるような物言いと不敵な笑みで、自分たちの常識を押し付けてくるのだ。
そして、トリックが暴かれた先から、間髪容れずに次の奇跡を見せつけ、山田たちを翻弄する。弱みを見せるスキをなくしながら、それの繰り返し。
そうして、相手が疑うことに疲れ、信じることにすがってくるまで、これでもかこれでもかと奇跡のトリックを怒涛の勢いで被せてくるわけだ。
「科学は疑うことから始まり、宗教は信じることから始まる」という誰かの言葉があるけど、この作品の描写はまさにそれ。
そして、この作品の描写は、「信用すること」について捻くれた描写をしている気もする。
少年マンガや青春ドラマでは「なぜ仲間を信じないんだ!?」と叱責し、仲間との絆を深めることで事態が好転して打開する描写が多々見られるなど、信用することを賛美する傾向にあり、それらは良いこととして消費者から正義として評価されているものだ。
ところが『TRICK』では、あらゆる人々から信用されている人物の奇跡の御業の正体を暴くことが主人公の役目となっている。つまり、主人公は、「信用すること」をぶっ壊す側なのである。
『TRICK』において、主人公の山田奈緒子が1秒たりとも良い目を見ず、人々から蔑まれ虐げられ、「詐欺師の詐欺を暴いた」ことを断罪され、怨まれ、奇跡のアラを探す姿勢を非難されて始終追い詰められているのは、「他者を信用する」という我々の価値観・常識の崩壊を目論む「悪の立場」にいるからなのだ。
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