Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
ヒッチコックの『サイコ』っぽい話だなぁ、と思ったら、話の最後で自白していて、潔いことこの上なかった。
殺人エイリアンが現場に血文字のメッセージを残していく(おまけに、女性が血まみれのままにこやかに食事とは何事だ!?)というストーリーなので、主人公たちの組織・デウスにエイリアンが挑戦してくるバトルものか、エイリアンと何らかの因果がある第三の存在が現れて、エイリアン・第三勢力の争いにデウスが加わり、三つ巴の駆け引きが展開していくハードボイルド話か、などの白熱した話を期待していたんだけど…
殺されるのは麻薬の売人、復讐の原因が割と現実的な刑事事件、という感じで、狭く小さい話に落ち着いていた。
今回は、脚本:長谷川圭一×監督:小中和哉の黄金バッテリーで、だいぶ見られる出来。
後半を見ないと前半の意味が分からない片手落ちな構成だったり、エイリアンが唐突に「貞子」っぽく近付いてきたりするなど、アレレレ?な部分もあったけど(笑)
殺人エイリアンが現場に血文字のメッセージを残していく(おまけに、女性が血まみれのままにこやかに食事とは何事だ!?)というストーリーなので、主人公たちの組織・デウスにエイリアンが挑戦してくるバトルものか、エイリアンと何らかの因果がある第三の存在が現れて、エイリアン・第三勢力の争いにデウスが加わり、三つ巴の駆け引きが展開していくハードボイルド話か、などの白熱した話を期待していたんだけど…
殺されるのは麻薬の売人、復讐の原因が割と現実的な刑事事件、という感じで、狭く小さい話に落ち着いていた。
今回は、脚本:長谷川圭一×監督:小中和哉の黄金バッテリーで、だいぶ見られる出来。
後半を見ないと前半の意味が分からない片手落ちな構成だったり、エイリアンが唐突に「貞子」っぽく近付いてきたりするなど、アレレレ?な部分もあったけど(笑)
血文字が読みにくくて、「NO MAN(=もう死んだ)」→「NOT MAN(=私はエイリアン)」→「NOT MAN(=私は女)」→「NORMAN(=『サイコ』の犯人の名)」という風に解釈が変わっていくのは面白かった。(おまけに、どの解釈も本質を突いているのは興味深い)
「数々の証拠からある一つの結論を導き出したが、実はそれが…」というどんでん返しが今回のキモで、回想シーンが複数回出てくることで、次々と推理の上塗りが重ねられていき、最終的に真実の過去が形になって現れる、という構成は、ちゃんと定石を踏んでいて面白い。
ただ、新しい事実が発覚すると、回想シーンの映像の一部が「差し替え」られていくのは、芸がないというか、フツーだなぁ~
回想シーンの映像は、過去に確かに起こったことを描写しているのだが、それが最初の段階では、巧みに隠蔽・編集されていて、さも事実とは逆のことが起こったかのようにしか見えないようになっていたのが、新しい事実が発覚することで、隠されていた部分が「復帰」していき、最終的に元に戻る…
…という感じだったら、面白かったかも。
でも、シルエットとかで隠蔽するだけとか簡単な方法でやったら、意図がバレバレで意味が無いので、「巧みにやる」ってのは難しいんだけど。
それと、今回のようなストーリーラインだと、視点はエイリアンの方に固定しておくと、「今まで信じていたものが壊れていく」感じが強調されて、話の流れ的にはすっきりした気もする。
実際はデウスとエイリアンの二極視点で、事実を映すデウスと幻想を語るエイリアンという構図がラスト前にならないと明らかになってこないので、それまで視聴者側は、その二つがごっちゃになって進行していく部分を単に事実を表しただけのものと捉えているから、どんでん返しが発動した時点で、どっちの視点に立って話を振り返ればいいのか分からなくなってくるんだよね。
現実を覆されたエイリアンと一緒に驚愕すればいいのか、事実を突きつけるジンと一緒に事実の塗り替え作業を確認していればいいのか…
エイリアンの幻想を事実の描写として撮っている感じしかしなかったから(そして、どんでん返しの時に、事実にしか見えていなかったものが幻想であった、という価値観の転換を上手いこと演出していないから)、余計に。(だから、「差し替え」が卑怯に感じられるんだよなぁ)
でもこれも、あまりに伏線張った撮り方や話の進め方するとバレバレになるので、匙加減が難しいところではありますが。
今回のエイリアンは、「記憶喪失であり、表層的には人間でありながら、意識の奥底にはエイリアンとしての本能が…」という感じで、ジンと似たような立場にあるのが分かる。
本能が殺戮行為だったエイリアンは、最後に人間的な感情をぶちまけても、断罪されて殺されてしまったが、果たしてジン=ウルトラセブンは「本能が救世主として活躍すること」というだけで、あらゆる行為が赦されているいいのか、あるいは、エイリアンは断罪されて然るべきだったのか…
ここ何話か、エイリアンとの対比でウルトラセブンを語ろうとする話が多いなぁ。
「数々の証拠からある一つの結論を導き出したが、実はそれが…」というどんでん返しが今回のキモで、回想シーンが複数回出てくることで、次々と推理の上塗りが重ねられていき、最終的に真実の過去が形になって現れる、という構成は、ちゃんと定石を踏んでいて面白い。
ただ、新しい事実が発覚すると、回想シーンの映像の一部が「差し替え」られていくのは、芸がないというか、フツーだなぁ~
回想シーンの映像は、過去に確かに起こったことを描写しているのだが、それが最初の段階では、巧みに隠蔽・編集されていて、さも事実とは逆のことが起こったかのようにしか見えないようになっていたのが、新しい事実が発覚することで、隠されていた部分が「復帰」していき、最終的に元に戻る…
…という感じだったら、面白かったかも。
でも、シルエットとかで隠蔽するだけとか簡単な方法でやったら、意図がバレバレで意味が無いので、「巧みにやる」ってのは難しいんだけど。
それと、今回のようなストーリーラインだと、視点はエイリアンの方に固定しておくと、「今まで信じていたものが壊れていく」感じが強調されて、話の流れ的にはすっきりした気もする。
実際はデウスとエイリアンの二極視点で、事実を映すデウスと幻想を語るエイリアンという構図がラスト前にならないと明らかになってこないので、それまで視聴者側は、その二つがごっちゃになって進行していく部分を単に事実を表しただけのものと捉えているから、どんでん返しが発動した時点で、どっちの視点に立って話を振り返ればいいのか分からなくなってくるんだよね。
現実を覆されたエイリアンと一緒に驚愕すればいいのか、事実を突きつけるジンと一緒に事実の塗り替え作業を確認していればいいのか…
エイリアンの幻想を事実の描写として撮っている感じしかしなかったから(そして、どんでん返しの時に、事実にしか見えていなかったものが幻想であった、という価値観の転換を上手いこと演出していないから)、余計に。(だから、「差し替え」が卑怯に感じられるんだよなぁ)
でもこれも、あまりに伏線張った撮り方や話の進め方するとバレバレになるので、匙加減が難しいところではありますが。
今回のエイリアンは、「記憶喪失であり、表層的には人間でありながら、意識の奥底にはエイリアンとしての本能が…」という感じで、ジンと似たような立場にあるのが分かる。
本能が殺戮行為だったエイリアンは、最後に人間的な感情をぶちまけても、断罪されて殺されてしまったが、果たしてジン=ウルトラセブンは「本能が救世主として活躍すること」というだけで、あらゆる行為が赦されているいいのか、あるいは、エイリアンは断罪されて然るべきだったのか…
ここ何話か、エイリアンとの対比でウルトラセブンを語ろうとする話が多いなぁ。
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