Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
まぁ、内容に関する苦言は心の中にしまうとして(笑)
(ナレーターが大友龍三郎に替わってたね)
そんなテイタラクの中、興味をそそられたのは“トリビアの種”の「学者が考える人類史上最も“カワイイ”キャラクター」。
ちなみに、四方田犬彦に言わせれば、「かわいい」という概念は日本以外には存在しない、ないし、西洋では発見されなかったものだそうで、ここでの「人類史上」ってのはつまり「日本史上」と同意なわけだ。
看板の割に、なんかやろうとすることが狭い気が…
(でも最近では、アメリカ等にも「kawaii」が上陸して、徐々にワールドワイド的になっとるようですが)
(※英語で「かわいい」と翻訳できるものはあるけれど、cuteとかcharmingだと「ガキっぽい」って否定的な意味の含みがあるし、darlingは愛の深さが強烈過ぎる。適度な距離をとって肯定的な意味で使ってるのは日本だけ)
さらに付け加えると、「かわいい」と「美しい」を比較すると、「美しい」ってのは高嶺の花を恋焦がれるようなものだけど、「かわいい」はもっと距離が近くて、手元に置いておきたいぐらいの好きさ加減なのよね。
それに「美しい」が完全無欠の絶対的な対象に対する畏怖の感情が含まれているのに対して、「かわいい」は何か欠けているものに対する愛おしさというか同情ないし優越感を表しているという。
(だから私は「萌え」は「かわいい」の感情を大本にした言葉だと思うけどね。オタクがマンガやアニメのキャラクターに「萌え萌え」言っちゃうのって、マンガやアニメのキャラクターが抽象的に簡略化された線で描かれた欠けた存在だからだし、それに、男オタクから萌えキャラと呼ばれるキャラクターを見回してみれば、何か人間として大事な部分が欠けているような頭の足りない連中ばっかりだし(笑) あと、「赤松健って萌え作家だよねー」という文章をよく見かけるけど、正確には「萌えとエロの人」だから。「かわいい」と「エロ」はリビドーの原点が違うんだってばッ!!)
あと、かわいさの背景には必ず「グロテスク」という概念が存在している。
冷静にかわいいものを見てみると、実は結構グロテスク。昔、『たけしの万物創世記』でやってたけど、『おジャ魔女どれみ』のキャラデザをそのまま実写の赤ちゃんで再現してみたらどうなるか、というのをCG使ってやったら、目が異様にデカくて気持ち悪く、異生物っぷりが感じられた。
(←再現)
「かわいい」と「グロテスク」は紙一重ということで。
ほれ、トリビアで作られたのだって、気持ち悪い気持ち悪い(笑)
さらにさらについでに、「かわいい」と「ノスタルジー」も似たようなもので、時に「ノスタルジー」もグロテスク化してしまう。ノスタルジーがグロテスク化というか恐怖や脅威になってしまうというのは、漫画の『20世紀少年』や、『クレしん』の『オトナ帝国の逆襲』でも提示されていたし。
閑話休題。
生物学的に「かわいい」を科学すると、「かわいい」という感情は、基本的に赤ちゃんに対する親の“種の保存本能(「子どもなら守るべし!」)”から来るらしいので、学者先生らが挙げた、心理学的面から見た「かわいい」というのは、大人が子どもを見る視線に由来しているのよね。
体が小さい(=頭がでかい)、丸っこい、額が大きい、目が大きくて離れていて顔の真ん中より下についている、強さがない、動物的で人格が薄く見てる側が感情移入しやすい、単純なデザインで欠如感がある、暖色系(=人間の肌の色)が好まれる…等々、すべて子どもに当てはまる要素だと言える。
…でもね、世間から「カワイイー!」と言われてるキャラクターにもかかわらず、上記の条件に当てはまらない項目が多い例外的なキャラクターがいることを、真っ先に思いついた。
ドラえもんだ。
目は頭部の上の方に付いてるし、完全な寄り目で、体色は青ベース。上の要素の半分が否定されているではないか。
おまけに、ドラえもんって役割が保護者的で、読者や視聴者に対して優越的なんだし。
それでも皆さん「かわいいー!」というし、緒方拳もハマってる(笑)
頭でっかちとか目の部分がでかいとか、そこらへんの要素がかわいらしさなのかもしれん。
…まぁ、こんなことを思うのも、夏目房之介がそう言ってたからだけど。
(ナレーターが大友龍三郎に替わってたね)
そんなテイタラクの中、興味をそそられたのは“トリビアの種”の「学者が考える人類史上最も“カワイイ”キャラクター」。
ちなみに、四方田犬彦に言わせれば、「かわいい」という概念は日本以外には存在しない、ないし、西洋では発見されなかったものだそうで、ここでの「人類史上」ってのはつまり「日本史上」と同意なわけだ。
看板の割に、なんかやろうとすることが狭い気が…
(でも最近では、アメリカ等にも「kawaii」が上陸して、徐々にワールドワイド的になっとるようですが)
(※英語で「かわいい」と翻訳できるものはあるけれど、cuteとかcharmingだと「ガキっぽい」って否定的な意味の含みがあるし、darlingは愛の深さが強烈過ぎる。適度な距離をとって肯定的な意味で使ってるのは日本だけ)
さらに付け加えると、「かわいい」と「美しい」を比較すると、「美しい」ってのは高嶺の花を恋焦がれるようなものだけど、「かわいい」はもっと距離が近くて、手元に置いておきたいぐらいの好きさ加減なのよね。
それに「美しい」が完全無欠の絶対的な対象に対する畏怖の感情が含まれているのに対して、「かわいい」は何か欠けているものに対する愛おしさというか同情ないし優越感を表しているという。
(だから私は「萌え」は「かわいい」の感情を大本にした言葉だと思うけどね。オタクがマンガやアニメのキャラクターに「萌え萌え」言っちゃうのって、マンガやアニメのキャラクターが抽象的に簡略化された線で描かれた欠けた存在だからだし、それに、男オタクから萌えキャラと呼ばれるキャラクターを見回してみれば、何か人間として大事な部分が欠けているような頭の足りない連中ばっかりだし(笑) あと、「赤松健って萌え作家だよねー」という文章をよく見かけるけど、正確には「萌えとエロの人」だから。「かわいい」と「エロ」はリビドーの原点が違うんだってばッ!!)
あと、かわいさの背景には必ず「グロテスク」という概念が存在している。
冷静にかわいいものを見てみると、実は結構グロテスク。昔、『たけしの万物創世記』でやってたけど、『おジャ魔女どれみ』のキャラデザをそのまま実写の赤ちゃんで再現してみたらどうなるか、というのをCG使ってやったら、目が異様にデカくて気持ち悪く、異生物っぷりが感じられた。
(←再現)
「かわいい」と「グロテスク」は紙一重ということで。
ほれ、トリビアで作られたのだって、気持ち悪い気持ち悪い(笑)
さらにさらについでに、「かわいい」と「ノスタルジー」も似たようなもので、時に「ノスタルジー」もグロテスク化してしまう。ノスタルジーがグロテスク化というか恐怖や脅威になってしまうというのは、漫画の『20世紀少年』や、『クレしん』の『オトナ帝国の逆襲』でも提示されていたし。
閑話休題。
生物学的に「かわいい」を科学すると、「かわいい」という感情は、基本的に赤ちゃんに対する親の“種の保存本能(「子どもなら守るべし!」)”から来るらしいので、学者先生らが挙げた、心理学的面から見た「かわいい」というのは、大人が子どもを見る視線に由来しているのよね。
体が小さい(=頭がでかい)、丸っこい、額が大きい、目が大きくて離れていて顔の真ん中より下についている、強さがない、動物的で人格が薄く見てる側が感情移入しやすい、単純なデザインで欠如感がある、暖色系(=人間の肌の色)が好まれる…等々、すべて子どもに当てはまる要素だと言える。
…でもね、世間から「カワイイー!」と言われてるキャラクターにもかかわらず、上記の条件に当てはまらない項目が多い例外的なキャラクターがいることを、真っ先に思いついた。
ドラえもんだ。
目は頭部の上の方に付いてるし、完全な寄り目で、体色は青ベース。上の要素の半分が否定されているではないか。
おまけに、ドラえもんって役割が保護者的で、読者や視聴者に対して優越的なんだし。
それでも皆さん「かわいいー!」というし、緒方拳もハマってる(笑)
頭でっかちとか目の部分がでかいとか、そこらへんの要素がかわいらしさなのかもしれん。
…まぁ、こんなことを思うのも、夏目房之介がそう言ってたからだけど。
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