今年も、PTA調査による「子どもに見せたくない番組ランキング」で『クレヨンしんちゃん』が堂々のTOP10入りを果たした(3位)
反モラルが売りの『クレしん』にしてみれば、この手のランキングに顔を出すのは、むしろ勲章みたいなモンだけど、ただねぇ……
…長年いい年しながら観続けてる身としては、『クレしん』をこれにランクインさせるのはお門違いになってきてると思うんだよなぁ~
そりゃ「見せたくない番組」に吊るし上げられ始めた頃は、下半身の露出は多いは、子どもが親を小バカにするは、げんこつ等の幼児虐待は多いは、と、その汚名に違わぬ暴れっぷりを発揮していたけれど、今となっては、そんなインモラルな要素なんてほとんど排除されていて、すっかり毒が抜けた「ファミリー向けアニメ」になっているのだから。
毒のほとんどを生成していた主役のしんのすけ自身が、今は下ネタも程々に、ただのギャグメイカーにクラスチェンジしてることが何よりの証左でしょうて。
むしろ「親子で布団干しをドタバタしながらやっていたら、疲れてその温かい布団の上で親子揃って寝ちゃった」みたいな微笑ましいエピソードとか、ひたすらオヤジギャグで攻めてオチは投げっ放しの純粋コメディとか、そんな箸にも棒にもならんような、「別に子どもに見せても悪影響ないんじゃないの?」と言いたい話の方が多いし。
それでも何でランクインしてるんだろうか、と考えると、やっぱり投票している皆さんが、今の状態を観ずにイメージだけで判断してるからなんでしょうね。見せたくない、って言ってるのに、「それでも観てます」みたいな批評精神バリバリのテレビっ子な親御さんもいないだろうし。
だから今となっては、 『クレしん』が存在し続けてる、という事実自体が許しがたいんでしょうな。
でも、そういった投票者について「実情をよく見やがれ!」と批判する気が私にはあまりなかったりします。
なぜかというと、他のランクイン番組については、私もよく観てもいないくせに「まぁ、見せたくないと言われても仕方ないんじゃないのー」と一方的に思ってるからだったり(汗)
『ロンドンハーツ』は、「The Bl@ck M@il」みたいに無関係な一般人を些細な理由を大義にして盛大な不意打ちを食らわせる(ように見せていた)理不尽なコーナーばかりやってた方針から、身内である芸能人を打ち合わせの上でネタに使うややマイルドな方向にシフトしたけれど、女同士で罵倒合戦する醜態晒してるだけで、あんまり面白くないのが、これは悪影響しか残さないだろうなー、と感じさせられるので、結局ダメだと思う。
『14才の母』は観てないけれど、「未適齢期の少女が妊娠する」ということをテーマにして、そこから社会に訴えかけるようなドラマを展開していくんだろうなー、ということが予想されるけれど、親御さんにとってはその肝心の核となるテーマ自体がダメなんでしょーねー。
『めちゃイケ』は最近見てないので何も言えないけど、「七人のしりとり侍」の件を未だが引き摺られているとしたら、ヤだなぁー。『水10』も同様に。
『志村けんのバカ殿様』は下品なネタや他人をバカにするネタが多いのが批判の対象になっているのだろうけど、最近ネタの使い回しが激しいのが個人的に面白くないし(まぁ、昔を知らない若人たちには良いんだろうけどね)、ゲストとのトーク番組化してるのが一番つまらないから、こんなトーク番組観せるぐらいなら…という感じは個人的にある。
『エンタの神様』に至っては、アンジャッシュ・アンタッチャブル以外の芸人の笑いが肌に合いません!
そして『ズバリ言うわよ』はそもそも、細木数子の語りの手法が個人的に気に食わん!
…そんな感じで、見続けてる『クレしん』だけ「ランキングから外してくれ!」と擁護してる私であります。
…が、ちょっと考えると、このランクに入っていることは、実は「アニメ」というジャンルに属するものとしては正しいのかもしれないと思うところがあったり。
というのも、ジャパニメーションの原点であるところの戦後日本マンガは、モラルから外れていることで、その勢力を拡大していったという背景があるからで…
要するに社会規範に対する世代間の対決になってしまう。(まぁ、戦後20年は全共闘時代だし)
で、子どもの方はどうやって鬱憤を晴らしていたかというと、その方法の一つが「まんが」だったことは想像に難くない。
終戦直後の「まんが」なんて、当時としては周辺メディアもいいトコで、大人には見向きもされない存在だったけれど、しかし見向きもされないということは逆を言えば、チェックの手が入らないということだから、規制も何もあったものではなく、割と好き勝手描けるというメリットがある。要するに、アングラってヤツですな。
それに、手塚的な映画手法満載の「まんが」は、まだまだ新しい表現だったので、新しいということは「まんがとはこういう内容のものを描くべきだ」という縛りも決まってはいなかったので、その点でも自由だった。(まぁ、「漫画」伝統の風刺精神は受け継がれていたようだけど)
そうした表現者の側の自由は、(まんが家と読者の年齢が割と近かったこともあり)読者たる子どもたちの自由でもあった。
科学や忍術という言い訳で理論武装しながら、想像力のみを頼りにした非現実的で荒唐無稽な物語が誌面で展開される幼稚さ、しかしその語り口は大胆で力強く、何より演出に惹き込まれる。時折見られる社会への風刺のようなテーマは、反権力主義の盛りである少年たちの心をくすぐる。こんな魅力的なものがリーズナブルな値段で手に入るという奇跡。そりゃあ、子どもたちは飛びつくでしょうて。
ところがそうやって人気が出てくると、当然に親御さんの目にも留まるようになるわけで、そうなると「まんが」は親の側から見たら、与えられた義務を放棄させ、世間に迷惑をかけ親への反抗を扇情するような悪い知識を吹き込む俗悪商品以外の何者でもない。子どもに見せたくないと思うのは当然でしょうな。
「まんが“なんか”読んでないで、勉強しやがれ!!」ってね。
今は親御さんの世代が下りてきたこともあって、「マンガ“ばかり”読んでないで、勉強しなさい」になってるけど。
それでも親御さんたちの望むものというのは、子どもが社会の倫理に沿った良い子に育つような教材であって、マンガもそういうメディアになってくれれば文句はないんだろうけど…
でも、そんなものは、絵本の専売特許みたいなもんじゃないか。マンガの存在意義がない。そんな行儀よすぎるものは、むしろ胡散臭くて幼稚臭い。
(いや、絵本は絵本で良いところは多いんだけどね)
どうせ幼稚なら、行儀も何もかも構わずに、とことん荒唐無稽に物語をかっ飛ばしてくれる方がいい。小説よりも直情的で分かりやすい、というか難しい文章表現が駆使されているものより実感しやすい。
だから「まんが」はインモラルで荒唐無稽で扇情的であり、だから親には「しょーもないもの」扱いされ、子どもにはそれらの要素がウケた。また、「まんが」の作品の端々から漏れてくる漫画家たちの作家性に若者読者が気付き需要することで、荒唐無稽でバカバカしい「まんが」は世界を魅了する「マンガ」として認められるようになった。
(そして、戦後初期の「まんが」でさえ幼稚臭いと思われるようになったら、劇画とかGARO派とか大友克洋以降とかが現れて、「マンガ」はどんどん上の年代でも鑑賞に耐えうるようなリアル調になっていき、地位を磐石にしていく)
以上、いささか単線的に短絡的な史観を記してみたけれど…
…ただ、そうやって少年や若者のニーズに応えてきた「マンガ」も今となっては、テレビゲームの出現や芸人ブームによるバラエティ番組の台頭で、すっかり勢力が減退してしまったからなぁー
願望充足の役割はテレビゲームに持っていかれ、行儀の悪いアウトローの世界を見る面白さは制作費の安い芸人バラエティ番組にゴールデンタイムの放送枠を押さえられたことで取って代わられたし。
マンガ自体も、多方面からの規制や圧力で、昔の過激さに比べてだいぶマイルドになっちゃったし。特にアニメの牙の抜かれっぷりは目も当てられない。
そんな中で、『クレしん』だけが「荒唐無稽でバカバカしく反社会な姿勢が売りの“まんが”、ここにあり」と、(内実は伴わないが)「見せたくない番組ランキング」の上位に入り、気概を吐いているのは、マンガやアニメにとって、ちょっとした希望なのかもしれない。