…ということで、見るのをちょっと敬遠してしまっていた「Season3」の初回と最終回なのであるのだが、またもやTSUTAYAの半額レンタル遭遇できたということで、思い切って一気借り。
ああ、やっぱり輿水脚本は話のテンポの重さがくどいなぁ~(笑)
今回はその御蔭で、日本の中枢たる首相官邸を揺るがせにする大事件が起こる、という規模のデカさを、足取りの重いテンポでじわりじわりと見せてくれることで、それを描くにふさわしい緊張感が出せていて、お腹いっぱいで満足満足。
脚本に書かれていない部分で、撮影班がそういう工夫をしようと頑張ってる感じで、そういう撮影班に裁量がある分、輿水脚本ってありがたかったりするんだろうか…
政治の舞台という動的なイメージのある官邸について、サラリーマンたちのお仕事場という感じで静的なシステムのように描かれていたのが、今まであまり見なかったタイプの描き方で、ちょっと好みかもしれない。
そうした本筋の大事件の一方で、脇の部分でも、薫が異動、美和子が離縁、右京がクビ、という『相棒』基本設定を揺るがす事態が起こるのが、この「Season3」序盤。
設定が修復されるのがもう分かっている身分で見ているので、この動乱も長い期間放送している作品の中でのバリエーションとして楽しめているけど、先がどうなるのか分からないリアルタイムで見ていた人たちにとっては、如何様な気持ちにさせるシーズンだったのだろうか…?
二人とも特命係から離れることになるというのは、二人の関係性を揺るがせてドラマを作り出したり、視聴者が求めるシリーズへの安定感を崩して緊張感を持たせたりするためのギミックなんだろうけど、何だかんだで結局コンビとして行動しちゃってるのを見ると、「所属は離れ離れだが事あるごとにコンビとして活躍する」というのは、このシーズンのこの後ずっと続いても良い面白い設定のように思える。
バリエーションって、やっぱり面白く感じる。
他の部分で思ったのは、それまでのシーズンと比べて、無感情的な右京のキャラが若干感情の抑揚が大きくなってコミカルになっているような感じもする。
最終回直前に朝倉ネタを取り出してきて、薫と美和子の仲を必然的に再接近させてみせるのは、無理なく復縁への手順を作っていて巧いなぁーと思ったんだけど、最終回で寄りを戻すわけじゃないのか…
尼さんの生存を目にして捜一が固まるところは、大爆笑!(笑)
その前のカットからジャンプ気味に編集してあるという落差が効いてるよなー
ただ、そろそろ寒くなってきて暖房器具が欲しくなってきたころにこのネタとは、その意味でも時機が合ってるなぁ~
新規購入しづらいじゃないかッ!(笑)
サブタイトルからも分かる通り、電気ヒーターが重要なアイテムになっているのだけど…
…オリジナル商品という扱いなので、デザインが著作権に引っかからないよう美術スタッフが一生懸命作った(あるいは加工した)んだろうが、ディティールがビミョーに詰められてなくて、どこか安っぽさが感じられるのが哀愁漂わせてるなァ(汗)
ヒット商品の器じゃないかも(笑)
亀山「責任のなすり付け合いじゃないですかッ!!」
この問題提起的なセリフで分かる櫻井脚本臭(笑)
不祥事を会社ぐるみで揉み消すために殺人を犯したのでは……という規模とインパクトのデカいネタを投下しながら、結局それはミスリードでしたー、というオチは何か拍子抜けな気はする。
そもそも、今話で起こった様々な事件がある一つの黒い陰謀に収斂されていくのではないか、という期待を持たせる構成だったのに、放火事件と殺人事件と隠蔽事件それぞれの犯人が別々だったというのは、巧くまとめられていないという評価を下すことも可能だとは思う。
ただ、殺人事件と隠蔽事件を切り離したことで、別の犯人が起こした殺人を隠れ蓑にして隠蔽した人間が捕まりもしない、というテーマが重くのしかかってくるようになったのは確かで、社会派ネタを扱うときの櫻井脚本でよく使ってる手口だ(笑)
あと、某国の諜報機関とか浮世から遠い閉鎖的組織とかじゃないんだから、殺人なんて大層なものは、組織の秘密を隠蔽するために使う、なんてことはそうあることではないというのがフツーの感覚で、現実の大概の殺人は金目当てか、もしくは愛憎こもった感情的な、場当たり的なものであることが多いので、その辺の現実感覚でリアル感は出ているようにも感じられる。
なんだかんだで櫻井脚本は、私の面白さ感覚を巧いこと突いてくれるなァ(笑)
…とはいうものの、結局は投げっぱなしで終わった感じの隠蔽事件についてのテーマを重々しく提示しながら、その横で本当の犯人に関わるネタを絡めて良い話っぽく〆たように見せかけるラストは、何かズレた感じがしはする。
まだまだ頑張る昭和一ケタ(^^;)
映画第1作の『あぶない刑事』のメイキングで見たときから既に結構な爺サマだったから、今フラフラになりながらメガホン取ってるんじゃあなかろうか…
若手があまり育ってなさげなこの業界の老舗会社では、この年齢程度ではまだまだフツーぐらいなのかもしれないが。
今回は、めちゃくちゃ漂っております、サスペンス劇場臭(笑)
近親者の犯歴が人生を狂わせるみたいな重い要素も、表面なぞっただけで、深入りしたり別視点から見直したり演出的に重くしたりしない、ラストの人情を際立たせるただの刺激要素でしかない、というのが多少感じられるラフな扱いの撮り方なところが特に。
先週の、国家を揺るがす空前の規模の事件から比べたら、かなりスケールダウンした小市民的なものになってしまったが、普段の『相棒』からすると、このぐらいに気負ってない方がいいとは思う。
エスカレートしていったら、インフレ現象で収拾不能になるし。
「6-8 正義の翼」で太平洋戦争ネタなんかを引っ張り出してきたりして、視聴後に重量感が残る骨太な撮り方をする長谷部監督と、「6-7 空中の楼閣」で完全な悪役キャラがありえないほどの改心ぶりを見せてハッピーエンドになってしまうなど、感情的な部分を強調する岩下悠子脚本とのタッグ回。
「登場人物の証言を基に推理を組み立て物証を集めたが、実はその途中に嘘があった」というのが今回のトリックだけど、物証を集めるまでの過程は、右京が事件にある数々の疑わしい点を見抜いて進展していったので、右京一人の判断で物語が進んでいった形なので、その途中で判断を間違えていたので意外な展開になりましたと言われても、「だって、“これはこういうことです”と大前提のように脚本が定義づけて出してきた要素を、後々で“それは大前提ではなくて、違うことなのです”と言われても、意外という以前にヒキョー」という感じが若干しないではない。
普段なら捜一トリオが動いて一般的な解釈や視点を提供することで、右京の発言が意外なもの・真相解明に有効なものとして見えるようにしている視点の広さがあるのだけど、今回はほとんど特命コンビ二人だけで動かして、ただでさえ狭い『相棒』の視野がさらに狭く見えたような…
撮り方と編集のことについてだが、「2-19 器物誘拐」でもそうだったし、「2-18 ピルイーター」でも輿水脚本の油断っぷりを誤魔化せていなかったなど、移動シーンをビミョーに尺長く取ってあまり省略演出を心がけていないのが、長谷部メガホンの特徴かもしれない。
これを限られた予算内で忠実にアニメ化しようと思ったら、どんな工夫をすればいいのか、かなり頭を働かせなければならないぞ!
っていうか、人物も満足には動画させられない作画リソースで、峠のカーチェイスを緊張感たっぷりに描くなんて、まず無理だろ! しかも3回も!
音の再現も多分、テキトーなところで妥協してお茶を濁すしかないだろうなー
「大勢の人の中から、声色の似た人を選んできた」というネタを成立させるには声優選びがまず大変だし、「悲鳴みたいなタイヤ音」と「タイヤ音にも聞こえる悲鳴」という微妙な違いを分かりやすく聞き分けられる音を作ろうと思うと、音響効果担当の頭がパンクしそうだ。
あと、前にあの車が出てきた時には、「アンフィニ」という名前がアニメでは全く使われずに「このエンブレムが付けた車種と同じ車」というまどろっこしい言い回しに何度も置き換えられていた、という権利関係の事情が透けて見えていた事態になっていたんだけど、今回は大丈夫なのだろうか…?
FDなら商品名じゃなくて型番だからOK?
それはさておき、この巻で思ったことは…
遂に目暮警部の「死神」呼ばわりが、毛利のおっちゃんからコナンにシフト?(笑)
しかしなー、初期を除いて、コナンが少年探偵団絡みで関わる事件って、ある程度の時期まではあまり殺人事件の発生ってなくて、蘭と小五郎と一緒のときに関わる事件が殺人中心として差別化している感じが少しあったんだけど、もういつの頃からか、どんな小さな事件にも殺人が絡むようになったよねェ…
「コジマさん選手権」での被害者となった小嶋会長は、死んだのがちょっと可哀相かも。
ミステリーの定石である「恨みを買うような登場人物が死ぬ」に当てはまる行動ということではなかったし、自分のものを取り返したいという当然の要求が行動原理だったわけだし、事件の発端からして偶発的なものだったんだから、意識不明の重体、という程度で留めておいても問題はなかった気はする。
「元太のオヤジさんが殺人者!?」という、話の緊張感を生み出すためだけに死が与えられたような感じで、哀れなキャラだなぁ…
あと、もう主要キャラクターは美形だけ、という方針なのかなぁ?
元太みたいな、ブ系だけど性格や行動で良い味出してる主要キャラって、最近(前から?)全然居ないので。
今回出てきたとある近親者は、あまり納得のいく造形では…
File9のラスト7ページは、最近『コナン』では見られなかった、ルーティン的ではない、緊張感を生み出すシチュエーション(後ろに居たと思った車がもう横に!)とかコマ割とかで、演出が効果的だったのは目を惹かれた。
今回の話はその辺巧いことやっていると思う。
…が、部分的にちょっとだけ引っかかったことについて、少し。
屋上から飛び降りたきららを助けようと、銀時がビルの壁面を壁走りで追いつこうとする、現実ならありえないシーン…
その嘘を「ありえる」ように見せるために、自由落下より壁走りが早く追いつくには、縦横をひっくり返しただけの普通の走り方ではなくて、もっと下へ下へ向かって壁を蹴り上げる(下ろす?)前傾姿勢の作画の方が説得力があると思う。
まぁ、そのシーンは背景動画がんばっているので、説得力を持たせる努力はしてると思うけど。
嘘をつき続けてきた二人が正直に言葉を交わすラストに、この話の発端であった文通ネタを持ってきて〆るのはまとまりが良くて結構なのだけど、あの割と危険な状況でのんびりと文通やろうとする必然性は薄い…
読めるかどうか分からない小さい文字を書くよりも、声を出して伝えろよ、という感じで。
あのシチュエーションが許容される状況を作るには、声を出して伝えるには周りがうるさくて、字を書いて伝えなければならないという風にしなければならないはずなので、そのシーンの直前までガヤ音はもっと大きくしておくべきだった。
まぁ、その直前といったら、きららと銀さんの「感動的な」会話が続いているので、それに水差すようにガヤ音を被せるわけにもいかなかったのだろうけど。
昨日の『刑事貴族3』で、水谷豊がやたら不逞な腹巻オヤジやら酔っ払い工事現場オヤジの変装を披露していて、今の右京さんとのギャップを考えると、そのはっちゃけぶりが笑えて仕方がない。
今話は脚本・徳永富彦×監督・東伸児という、『相棒』のブレインスタッフに初挑戦のコンビ。
東伸児はずっと『相棒』助監督だったので、今回満を持しての『相棒』初監督ということに。
2本のジュース瓶でバイナリ爆弾ができるのではと言う薫に「そんな混ぜ合わせ方をする人はかなり珍しいですネ」とツッコむ右京さんとか、監視映像で確認したら推理が外れててうろたえる薫とかは、若干輿水脚本テイストで、ラストのすっきりしない雰囲気のセリフ回しも含め『相棒』テイストを色濃く出そうとがんばっている様子。
先週とは打って変わって、『ブラッディ・マンデー』よりこっちの方がよっぽど巧く和風に翻案できているだと言いたい(笑)『24』チックに、ハイテンポで話が進む。
議員会館で爆弾事件という、シャレにならん規模のデカいネタを持ってきて、ワーキングプアという社会問題も取り上げてしまって、それでも卒なくまとめ上げるストーリーテリングが、相変わらずトバしてるな~
2時間スペシャルとのテンポを比較してふっと思ったけど、レギュラー放送回の『相棒』のスタンスは、2時間ドラマで展開するような物語要素を1時間に詰め込んでお送りする「いつでも心に土曜ワイド劇場」な感じだったりしたりして、それがこのハイテンポを生み出しているのだろうか?(汗)
オタ的には、磯部勉が出てきたことに惹かれておくべきかな。
「時事問題を取り上げれば、社会派風ということで好意的に見られるだろう」という上層スタッフ側の安易な計算が見えてくる感じもしたのだけど、そういう安易なネタを波及させて「ワーキングプア問題が取り上げられて揺れている現代だけど、冷遇されている貧しい人はずっと昔から連綿と存在して続けていたんだよ」ということまで深めて言及していて、「軽いネタにはしないぜ」的な意地を見せている感じなのは、現場スタッフがどこまで自覚的だったんだろうか?
ただ、それでもまだまだ甘い感じは否めず、この辺を深く掘り下げるともっと面白い話ができたかもしれないが、そこまでいかないのが『相棒』テイスト…
…私が他の作品でこういう感じの話を観ていたら、「この程度で言及を止めているのは中途半端だ」と酷評しているだろうに、『相棒』には甘い証拠(汗)
散々言ってきたのでこれ以上言うと正しくバカの一つ覚えなのだけれど、それでも言いたくなる…
…引き延ばしすぎてテンポが悪い、と(汗)
今回のを見ていると、青木雄三コンテの方がアニメ的にまだ巧いのが分かるなぁ~
原作を忠実に再現したかのようなゆったり丁寧ペースという感じで、原作のダメな部分まで忠実にアニメしているし(汗)
いちいち「気付きの視線」とか「驚きの間」とか「キャラ」とかのカットをあちこちに差し込んで、面白味なく無難に引き延ばすんだったら、原作でオミットされていた重要部分や膨らまし甲斐のある部分(どうやってか囲まれていたトイレから急に姿を消した彩華、皆さんの武田信玄の埋蔵金への執心具合、など)をオリジナルで付けて、説得力を足したり、物語の緊張感を高めさせれば、マシだと思うんだけどなぁー
「甲斐巡査も見殺しにされたも同然だったわ。誰にも気付かれずに餓死したから」というシンプルな説明をするのに、そのセリフの間に「主人が殺された第1の事件と同じように~」「言ったでしょ? ~だったって。確かに~で~だったけど」というとっても懇切丁寧な説明がゴテゴテ付いているのも、音声にして聞くと相当不自然だったし、こういうところを意味を変えずに言い方だけ巧くアレンジしてくれる脚本さん居ないのかなー?
作監の力量の割に作画がビミョーだけど、崩れてはないのは幸いか。
どーでもいいけど、一族の皆さんを説得するところのおっちゃんの菩薩みたいにスッキリした表情が、演出の方向は間違ってないのだけれど行き過ぎてて、逆になんか怖い(笑)
誰が見ても、ラストの逮捕シーンは結婚の暗喩であり、その直後の薫と美和子の割と真っ当な結婚との比較として、負の意味が突き抜けた鏡像だということは明白なのに、その相対関係を強調することなく、セリフ一つでさえ結び付けず(「オレたちはああいう風にならずにやっていけるさ」みたいな)、「それはそれ、これはこれ」というスタンスで完全平行で話が進んでいくのが、妙な作劇だなぁ、と。
まぁ、ここを強調すると『はぐれ刑事』のラインになってしまうし、美和子とたまきはそういう各話のメインストリームに絡んだり巻き込まれたりしない傍観者というのが番組内の立ち位置のようではあるし、撮り方や演出に感情の篭った湿っぽい感じにしないのが今風というかウケてる理由の一つとも思えるし、なんだかんだで『相棒』らしいのか。
あと、公式ホームページに載っている粗筋を、こういう風に肉付けにするのか!…と唖然と思ってしまうような「変な感じ」があるところも不思議なところか。
粗筋を見る限り、警視庁内で犯罪が起こって建物が封鎖され警官同士が疑心暗鬼に陥る、なんて、スピーディで緊張感いっぱいの櫻井脚本風の話が期待されてもよさそうなものだし、奇抜ながらオリジナリティがあって興味が惹かれるものなのに、そこら辺の部分には興味がないかのように、この粗筋なら枝葉末節になりかねない部分に心血注いでる感じがするので。
「官房長の小野田ですら出られない状況」とあるので、「どんなかつてない厳戒態勢が番組内で起こるんだ!?」と緊張していたら、いや、自分で警視庁内に引っ込んでるじゃないかッ!(笑)
まぁ、その御蔭で、抱腹絶倒の「暇か?」の変則バージョンが見られたワケだが(笑)
小野田を持ってきてパターンを変則させるのは、砂本脚本が初めてだったはずで、その時は「生みの親の脚本並みに面白いギャグをかっとばしたなー」と感心していたのだけど、その生みの親の脚本にそのギャグパターンが組み込まれたか…
最初に出てきた凶悪犯人のキャラクターが変に独特なのは、輿水脚本ならではなところでもあるけど、役者の演技の御蔭も大きいよなぁ~
殺人を犯した警官に対して「気にすることはない、誰にでも魔が差すときはある」と諭しちゃうチグハグなシチュエーションが生まれてる辺りからもキャラの強烈さが滲み出てるけど、かなーり身勝手な殺人を犯した者に対して擁護的な言葉をかけるというのも、『相棒』ならではの不真面目を感じてしまうなぁ。
右京の口からは犯人に対して、澄んだ心を持った視聴者が納得する懲悪的な言葉を投げかけて〆るのがこの番組のパターンでありスタンスだけれど、特命コンビが関わらないこういう脇の部分では、実は結構懲悪的ではないことが多いんだな、これが。(Season7の初回スペシャルで、伊丹の起こした暴行が結果的に好判断として扱われているのも、それが顕著)
『相棒』らしい、と言ってしまえば聞こえはいいが、普通だったら、蒔いた物語要素を本筋に絡められずに腐らせてしまっている、というマイナス評価になるなぁ(汗)
キャラの魅力(変さ)でカバーはできてはいるが、事件が始まるまで冗長なのが今回の話の玉に瑕なところで、倒叙型ミステリーだと気付くまでが辛いので、そこら辺はやっぱり輿水脚本らしさ?
ん? ほのぼの路線に振り戻した?
でも、笑顔の下に他の女に対する敵意をギラギラ隠してるざんげちゃんが、料理対決になんてヌルい勝負に挑むのか、必然性が薄いなァ…
この作品の演出スタンスとして、ちゃんと描かれた背景の上でキャラを動かすような、省略背景か描き込み背景かのどちらかと言われれば描き込み系の方だと思うのだけど、今回はけっこう記号的な省略背景が目立っていた。
…でも省略背景って、この番組的には有効なのだろうか? 雰囲気の統一という意味で。
これまでのスタンスと少しズレてる気がするんだけど。
しかも、凪が入学できたカラクリを語る場面とかでは、省略背景のままカットが長々と続くので、余計に違和感が強調されてる気もする。
そーかそーか。再放送版だと、音楽版権それほど厳しくすることなしで、そのままで使えるんだった。
土曜ワイド劇場時代のエンディングがDVDでは差し替えられてるのは分かってたけど、TVシリーズにおいても結構細かいところで差し替えてるんだ。
DVD見てるだけだと、この辺の元々の演出意図が分からないので、再放送版は貴重だなぁ、とそんな当然のことを再確認。
…ただ、散り散りになった子どもの逞しさから将来を信じて思いを馳せるというラストには、明るく送り出す大衆曲も良いけれど、希望をほのかに感じさせる「帰還」がかなりピッタリハマっていたと思っていたので、改変された選曲の方が好みだなぁ~
その他の部分でも曲の入れ替えがあったのかもしれないけれど、その終盤10分間しか見ていないので、何とも判断できず(汗)
(犯人の追い詰めシーンで使用されてた哀愁漂うトランペット曲はサントラに収録されてなかった曲だったなぁ~。義野裕明の作曲とも思えない雰囲気だったから、未収録曲?)
個人的にこの話は、前半の盛り上げはすごく面白いと思うのだけれど、後半での伏線のまとめ方がどうも納得が行かなくて、あまり好きではないので。
バスを使う以外そんなに予算かけてないのに、大量の子どもが同時に誘拐されたという設定だけで物語の広さを感じさせて、その設定的な広さを柱にして物語をグイグイと進めていくのは砂本量脚本らしいアイデアとパワーに溢れているのだけれど、その勢い溢れる事件が、どうしてその形式(誘拐という方法の選択、なぜ10人以上もの人数なのかという規模的な問題、目撃される虞を回避する策があったのか、など)で行われなければならなかったのか、という説得力が、あの犯人と動機ではかなり弱いんだよなぁ…
まぁ、アイデアとパワーという点では、同じ誘拐というアイデアでこれの後に制作された「4-11 汚れある悪意」より、よくできているから、こっちの方が好きだけど。
「汚れある悪意」は誘拐事件に警察がどう対応するかという部分を丁寧に描いているのが優れているけど。