Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
おそらく、映画『HERO』のヒットに便乗して帰ってきた、アニメオリジナルシリーズ(笑)
去年の玉三郎一座といい、かなりのスパンを空けてアニオリのキャラを復活させてくるなぁ…
そんなもの引っ張り出されても誰も覚えていないだろうに。(原作でも黒の組織の伏線とか、かなり長いスパンを置いて、突然昔の話が蒸し返されることはあるけど、一応コミックスだと読み返しが利くからなぁ…)
アニオリの準レギュラーキャラ作っとけばいろいろ楽できるんだから、しばしば出してくれれば、こんな混乱せずに済むんだが。いろいろデメリットとか制約があるんかな?
去年の玉三郎一座といい、かなりのスパンを空けてアニオリのキャラを復活させてくるなぁ…
そんなもの引っ張り出されても誰も覚えていないだろうに。(原作でも黒の組織の伏線とか、かなり長いスパンを置いて、突然昔の話が蒸し返されることはあるけど、一応コミックスだと読み返しが利くからなぁ…)
アニオリの準レギュラーキャラ作っとけばいろいろ楽できるんだから、しばしば出してくれれば、こんな混乱せずに済むんだが。いろいろデメリットとか制約があるんかな?
コンテ・演出が劇場版監督の山本泰一郎担当で、『金田一』を挟んだ御蔭で制作期間に余裕があったせいか作画は安定的で、画的な出来は悪くないんだけど、お話はいつもと変わらずグダグダトロトロ。
とはいえ、ゲストキャラの九条検事が警察署から出てくるところは、不要なシーンを長回しにして時間稼ぎしてるのは明白なのだが、憔悴した様子で部下に肩を支えられて入り口からトボトボ降りてくる姿が、哀愁漂っていてどこか興味深く、九条検事にかなりのスポットが当たっている前半は、九条検事が悩む様子を長回しにした露骨な時間稼ぎが多いものの、それが逆に味になっている面があり、「マドンナ検事の事件ファイル~九条玲子の憂鬱~」とでも名付けたらしっくりいって、面白く感じられるかも。
…でも、そうなるともう『コナン』ではないな(汗)
そして、蘭の母の恵理さんが、老け演技になってたのがどうも気になる。
声優の声質や年齢という基本的な部分以外のところで。
冷静沈着キャラだから落ち着いた演技になるのは当然ではあるが、「意地張ってるだけで本当は小五郎と相思相愛」なのがミエミエなのが時々描かれることを考えると、もうちょっと若々しくてもいいと思うんだけど。
今回の恵理さんは、九条検事を追及したり励ましたりするという、いつもと違う役回りで、上目線から物を言うことが多かったので、たぶんそれが一番の原因。
後半は、この「法廷の対決」シリーズの弱点がすべて出てしまったような感じ。
「対決I」では小五郎(コナン)が傍聴席から推理を披露し始めたし、今回は証人という立場でありながら長々と推理を語るし、いつも裁判のルールを無視した進行をするなぁ…
ルールに則って行なう法廷劇とフリーな探偵による推理劇の食い合わせが如何に悪いか、ということの証明になってるとすら…
おまけに、法廷シリーズ前2作で、「味方側の弁護士vs敵側の検事」というパターンでの、あまり多くはない要素を使い尽くしたせいか、九条検事の味方的に見る感じでスポットが当たり、真犯人を陥れるべく、法廷で恵理さんと共闘という流れになっていたのは、釈然としない…
それ、裁判じゃないし、法廷劇の面白味もスポイルされてますよ。
そして、そこに裁判長まで加わり、検事・弁護士・裁判長・証人全員で「四面楚歌」にして真犯人を追い詰めて悪行を暴きたて、「これにて一件落着ぅ~」みたいな感じで、『遠山の金さん』のような終わり方になってしまう…
だからそれ、裁判の形式じゃないって。
でも、『コナン』は基本的に子ども番組だから、「正義の側の人たち(推理モノでは、警察などの国家権力が肯定的な存在として描かれることから、検事や弁護士も疑いなく同様の扱いとなる)が悪者を退治しましたー!」という勧善懲悪に落ち着けなければならないのは仕方ないことかも。
そこらへんに目をつぶれば、今回の話は「火曜サスペンス劇場」とか「土曜ワイド劇場」っぽい雰囲気があり、トリックを含めてそう悪くはなかった気がする。
…あっ、でも、ひもを使って死体を動かすトリックなんだから、「女性の腕力でできるかどうか」が問われないのは手落ち。
とはいえ、ゲストキャラの九条検事が警察署から出てくるところは、不要なシーンを長回しにして時間稼ぎしてるのは明白なのだが、憔悴した様子で部下に肩を支えられて入り口からトボトボ降りてくる姿が、哀愁漂っていてどこか興味深く、九条検事にかなりのスポットが当たっている前半は、九条検事が悩む様子を長回しにした露骨な時間稼ぎが多いものの、それが逆に味になっている面があり、「マドンナ検事の事件ファイル~九条玲子の憂鬱~」とでも名付けたらしっくりいって、面白く感じられるかも。
…でも、そうなるともう『コナン』ではないな(汗)
そして、蘭の母の恵理さんが、老け演技になってたのがどうも気になる。
声優の声質や年齢という基本的な部分以外のところで。
冷静沈着キャラだから落ち着いた演技になるのは当然ではあるが、「意地張ってるだけで本当は小五郎と相思相愛」なのがミエミエなのが時々描かれることを考えると、もうちょっと若々しくてもいいと思うんだけど。
今回の恵理さんは、九条検事を追及したり励ましたりするという、いつもと違う役回りで、上目線から物を言うことが多かったので、たぶんそれが一番の原因。
後半は、この「法廷の対決」シリーズの弱点がすべて出てしまったような感じ。
「対決I」では小五郎(コナン)が傍聴席から推理を披露し始めたし、今回は証人という立場でありながら長々と推理を語るし、いつも裁判のルールを無視した進行をするなぁ…
ルールに則って行なう法廷劇とフリーな探偵による推理劇の食い合わせが如何に悪いか、ということの証明になってるとすら…
おまけに、法廷シリーズ前2作で、「味方側の弁護士vs敵側の検事」というパターンでの、あまり多くはない要素を使い尽くしたせいか、九条検事の味方的に見る感じでスポットが当たり、真犯人を陥れるべく、法廷で恵理さんと共闘という流れになっていたのは、釈然としない…
それ、裁判じゃないし、法廷劇の面白味もスポイルされてますよ。
そして、そこに裁判長まで加わり、検事・弁護士・裁判長・証人全員で「四面楚歌」にして真犯人を追い詰めて悪行を暴きたて、「これにて一件落着ぅ~」みたいな感じで、『遠山の金さん』のような終わり方になってしまう…
だからそれ、裁判の形式じゃないって。
でも、『コナン』は基本的に子ども番組だから、「正義の側の人たち(推理モノでは、警察などの国家権力が肯定的な存在として描かれることから、検事や弁護士も疑いなく同様の扱いとなる)が悪者を退治しましたー!」という勧善懲悪に落ち着けなければならないのは仕方ないことかも。
そこらへんに目をつぶれば、今回の話は「火曜サスペンス劇場」とか「土曜ワイド劇場」っぽい雰囲気があり、トリックを含めてそう悪くはなかった気がする。
…あっ、でも、ひもを使って死体を動かすトリックなんだから、「女性の腕力でできるかどうか」が問われないのは手落ち。
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