もう、銀時たちが老いても変わらない心を奮起させ老体に鞭打って奮闘する、という流れと落としどころになるのはパターン的に決まっているので、問題はその過程をどう独自性豊かに工夫し、納得のいくストーリーに仕立て上げるかというところなのであるが…
今回のは、無難だが、何か引っかかりを感じるビミョーさが…
今まで想像を絶するボケっぷりで迷惑しかかけてこなかった老銀時・老桂が、奮起する理由がイマイチ不明。
他人の会話をちゃんと聞き取れず、返答もトンチンカンな連中だっていうのに、浦島の必死の思いが、素直な形で伝わるとは思えん。
もうちょっと、老人なりの理解というか、若干素っ頓狂な理解をしつつも、その曲がった理解なりに若い心に響いていって奮起……という回り道な感じでも良かったかも。
姿は老いても心の若いままの老人たちの奮闘、というラストバトルが、「それ、とても老人のパワーでできることじゃないよ」という力押しばかりなのもなあ…
老人特有のすり足走法で敵をまくのはまだいいけど、それが壁走りまで可能ってのは、リアリティ的にもテーマ的にも納得しがたい!
これはたぶん原作準拠のビミョーさだとは思うが。
ビミョーといえば、ババア神楽のデザインがビミョー。
齢をとって背が縮むのは老人として不自然ではないが、その絵的なデザインが、顔はしわくちゃに描かれるが、腕や脚の皮のたるみや骨っぽさはまるでない、ただ背が縮んだ少女・幼女の姿そのままになってしまってるのは、ギャグをやられていても何か興が冷める。
しかし、ラストのこの笑顔の作画で、悪い印象は帳消しかも。
好きだった人に褒めてもらいたくて何とか若さを保とうと醜いまでに固執した敵キャラ・乙姫に、「(本当に褒めてもらいたかったら)しわくちゃのババアになっても、笑って迎えてやれば良かったんだよ」と銀時にガツンと言われた後のエピローグでの、この乙姫の笑顔…
→
(Before←→After)
ちゃんとバアさんなりの美しい笑顔になっているのが良いねぇ~
「バアさんになっても“キレイだ”と言われる美しい笑顔」という画を説得力を持たせて描こうとする場合、上のお妙のように、若い顔にしわを張り付けて描いてしまうのが一つの手だったりするが、それは「バアさんのキレイな笑顔」ではなく、「キレイなバアさんの笑顔」という別物になってしまう。
かと言って、画には表れないシナリオ上の裏設定か何かをセリフとかでごり押ししながら、醜く老いたままの顔を描いて、「画的には醜いバアさんの笑顔だけど、シナリオ的にはキレイなんだよ」という乖離したものを出されても、白ける。
ちゃんと、説得力を持って、バアさんなりの、思わず「キレイだ(または、とっても良い)」と漏らしたくなる笑顔を描けているのが
こういう、若いでもなければ醜いでもない、中間辺りの人間をしっかり描ける人は、あまり見たことなかったんだよなぁ~
あと、老人マダオがカッコよかった(笑)
立木文彦の老人演技をしながら熱血声を出すという高度な技術を成功させているところが素晴らしい。