Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
うーむ…
Aパートの軍需産業についての説明ゼリフが長すぎる…
難しいが必要な用語について説明してくれるのは、懇切丁寧で好感が持てるのだけど、セリフですべてを語るのは分かりにくいし、芸がないので、多少絵を入れるか演出によって理解できるよう説明していただきたい。
そういう凝り性な設定を見せつける姿勢に加えて、地上に降りてはしゃいでいるオペレーターの女の子たちのキャピキャピした(←死語)姿を強調して見せてるオタク向けサービス精神とか、バーでのお子ちゃま立ち入り禁止な男女の会話とか、土曜6時にして深夜アニメの雰囲気がバリバリに醸し出されとります。
今回はサブタイトル通り、エクシアの新兵器が登場する回ではあるけど、話のメインは、軍需産業立国の幇助を決定した新欧州連合(AEU)とソレスタル・ビーイングが戦争状態に突入し、最後の最後に刹那の師(もしくは恩人)が、かなりできる傭兵としてエクシアの前に立ちはだかる、という相変わらずの、ロボやキャラじゃなく、状況重視のお話設計。
そういうところからして、この作品、深夜アニメ臭いんだよねぇ…
そして、徹底的に主人公サイドに視点を寄せていかない、状況重視の姿勢は『ガンダム』臭さを消している要因でもある。
『機動戦士ガンダム』のエポックメイカーぶりは、それまでの「地球征服を企む悪の組織を正義のロボットを操る主人公がやっつける」という勧善懲悪と毎回毎回のお約束展開(パターン)の繰り返しで作られていた単純設計のロボットアニメに、現実の「戦争」の要素・構造をそのまま持ってきて、ハードな「状況」を作り上げたことが一つにあるわけだが、もうひとつ、登場人物の内面にクロースアップしていき、そして外面では登場人物(兵士)同士が(セリフによって)壮絶にせめぎあう、という部分にもある。
ロボットに乗って戦い敵を打ち破れば万事評価されて当然だったのがそれまでのロボットアニメだったのだが、敵を倒してきても主人公を「二度もぶった」り、「ガンダムを一番上手く操縦でき」ても、勝手な行動だと言って独房に閉じ込めたりと、主人公の行動の美化を否定したのが『ガンダム』の新しいところであり、そのような「状況」下でアムロのように苦悩したり、シャアのように策略をめぐらしたりする登場人物たちの内面を描くことをとことん重視していたのも目新しかった。
また、互いに見知らぬ、因縁も何もない兵士同士が戦場で出会い、戦闘中の会話によって互いの陣営(あるいは個人)の主張を言い合い、ぶつけあっていく様は、馴れ合い(のような雰囲気)に満ちたそれまでのロボットアニメにはなかったものであり、『ガンダム』を『ガンダム』たらしめている理由でもある。
ただ、『ガンダム』が現在評価されているのは、そのような登場人物を描くために設定された「状況」に、かなり強い現実的&SF的な説得力があるという点においてではあるが、ストーリーの重点はやはり「状況」よりも登場人物の内面や関係性にあった。
そういう『ガンダム』の文脈と比べると、『00』は描写が「状況」寄りだから、『ガンダム』らしくないわけだ。
おまけに、キャラを深めるために使われるであろう刹那と傭兵の戦いには、トラウマ的な因縁があると来ている。『SEED』でのキラとアスランもそうだったけど、過去の因果で結びついた者同士が物語の牽引役になるのは『ガンダム』っぽくないかもしれない。永遠の宿敵・アムロとシャアの間柄もトラウマ的な因縁ではあるが、それはシリーズを通して培われたもので、最初は他人同士だったわけだし。(セーラとシャアは因縁があったけどね)
次回は、その因縁が物語を牽引していくことは確実だから、どういう描き方で『ガンダム』っぽさを出すのか、はたまた『00』らしさを出していくのか、それとも「深夜アニメ」臭さが増すのか(笑)、気になるところではある。
それにしても、コーラサワーのあまりのピエロっぷりには唖然とした。
第1話で自信満々にエクシアに突っ込んでいって瞬殺されたのに怨み節タラタラという、強烈な「笑える負け犬」臭を漂わせていたので、その時から「再登場のときも当て馬とか負けキャラになるんだろうな、それも『00』らしくクールでセーブされた雰囲気で描かれるのだろう」とは予想していたけど、あと一歩でロケット団になるぐらいまで戯画化されるとは思わなんだわ(笑)
でも良いのかなぁ、それで…
そういうところからして、この作品、深夜アニメ臭いんだよねぇ…
そして、徹底的に主人公サイドに視点を寄せていかない、状況重視の姿勢は『ガンダム』臭さを消している要因でもある。
『機動戦士ガンダム』のエポックメイカーぶりは、それまでの「地球征服を企む悪の組織を正義のロボットを操る主人公がやっつける」という勧善懲悪と毎回毎回のお約束展開(パターン)の繰り返しで作られていた単純設計のロボットアニメに、現実の「戦争」の要素・構造をそのまま持ってきて、ハードな「状況」を作り上げたことが一つにあるわけだが、もうひとつ、登場人物の内面にクロースアップしていき、そして外面では登場人物(兵士)同士が(セリフによって)壮絶にせめぎあう、という部分にもある。
ロボットに乗って戦い敵を打ち破れば万事評価されて当然だったのがそれまでのロボットアニメだったのだが、敵を倒してきても主人公を「二度もぶった」り、「ガンダムを一番上手く操縦でき」ても、勝手な行動だと言って独房に閉じ込めたりと、主人公の行動の美化を否定したのが『ガンダム』の新しいところであり、そのような「状況」下でアムロのように苦悩したり、シャアのように策略をめぐらしたりする登場人物たちの内面を描くことをとことん重視していたのも目新しかった。
また、互いに見知らぬ、因縁も何もない兵士同士が戦場で出会い、戦闘中の会話によって互いの陣営(あるいは個人)の主張を言い合い、ぶつけあっていく様は、馴れ合い(のような雰囲気)に満ちたそれまでのロボットアニメにはなかったものであり、『ガンダム』を『ガンダム』たらしめている理由でもある。
ただ、『ガンダム』が現在評価されているのは、そのような登場人物を描くために設定された「状況」に、かなり強い現実的&SF的な説得力があるという点においてではあるが、ストーリーの重点はやはり「状況」よりも登場人物の内面や関係性にあった。
そういう『ガンダム』の文脈と比べると、『00』は描写が「状況」寄りだから、『ガンダム』らしくないわけだ。
おまけに、キャラを深めるために使われるであろう刹那と傭兵の戦いには、トラウマ的な因縁があると来ている。『SEED』でのキラとアスランもそうだったけど、過去の因果で結びついた者同士が物語の牽引役になるのは『ガンダム』っぽくないかもしれない。永遠の宿敵・アムロとシャアの間柄もトラウマ的な因縁ではあるが、それはシリーズを通して培われたもので、最初は他人同士だったわけだし。(セーラとシャアは因縁があったけどね)
次回は、その因縁が物語を牽引していくことは確実だから、どういう描き方で『ガンダム』っぽさを出すのか、はたまた『00』らしさを出していくのか、それとも「深夜アニメ」臭さが増すのか(笑)、気になるところではある。
それにしても、コーラサワーのあまりのピエロっぷりには唖然とした。
第1話で自信満々にエクシアに突っ込んでいって瞬殺されたのに怨み節タラタラという、強烈な「笑える負け犬」臭を漂わせていたので、その時から「再登場のときも当て馬とか負けキャラになるんだろうな、それも『00』らしくクールでセーブされた雰囲気で描かれるのだろう」とは予想していたけど、あと一歩でロケット団になるぐらいまで戯画化されるとは思わなんだわ(笑)
でも良いのかなぁ、それで…
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