甲子園中継で休止して以来、録り溜めて全然見ていなかったけど、ハードディスクの残量もヤバくなってきたし、思い切って全話視聴。おかげで先週の総集編は要らなかったぜ(笑)
12話でのヒゲ文明大暴走に大笑いし、13話でのひと夏の出会いと別れにホロリとさせられるなど、明るい雰囲気の世界観で繰り広げられていた騒動のことを思い返すと、14話以降の流れはそれとは別物のようなハードな仕上がりになっていることに気付く。
単純な話、この作品は、「ふつうではみえないものがみえるフシギなメガネがでてきて、みんなよろこび大さわぎ~!」というファンタジー的なジャンルの延長と言えるんだけど、そこに最先端電子機器テクノロジーのエッセンスを取り入れて裏設定を構築し、「現実にありうべき未来」の話として描いたのが目から鱗のミソであり、2クール目からの性質変換の要因でもある。
つまり、単純にただメガネ型情報端末&映像投影機使って、バーチャルの世界でバカ騒ぎするのが当初の作品目的のように見えたのが、そういう最先端テクノロジーが一般の生活に普及した未来の現実世界において、人間はどのような問題を抱え、どのようにテクノロジーと付き合っていけばいいのか、というテーマが強調されていくことになる。
そして、ここでの人間が抱える問題は、間近に迫った事象であるが故に、ハードに描かざるをえないわけだ。
電子化社会の怖い部分はホラーになり、バーチャル世界への没頭はそれを助長するものと引き離そうとする者の追跡劇・対決劇になり、設定を語っていく様子は一種の推理劇になり…
そして何より、毎回毎回話の密度が濃く、予想もできない展開の連続で、面白い。
ただ、前半で見られたおふざけ演出が少なくなってきたのは残念。
#19で
それに、今までは子どもの視線から世界を見ることを心がけていたのが、大人の目線で倫理・道徳を押し付けようとしてきてるのも気になる。
「こーんな便利なツールがあったら、遊びに使いたくなるじゃん♪」「都市伝説が本当のことだったらワクワクしない?」という子ども的な願望を気持ちいいぐらいスカーンッとお話にして実現させて見せていたのが今までで、#16でイサコが言った「大人は子どもの言うことを信用しない」というセリフに照らし合わせるなら、「子どもの言うことを信用する」ことが作品を成り立たせていたわけだが…
それが段々「便利すぎたり楽しすぎるのも問題だ。そんなツールに頼ってはいけない」「都市伝説に興味を持っても良いことは何もない」という大人的な管理者立場からの意見のようなものを強調する流れになってきている。
…とはいえ、元々これ、ヤサコやイサコの達観した考え方とか、彼女を死なせたハラケンの心境とか、やたら最新技術や権利関係の事情に詳しいフミエを見ていると、大人びた雰囲気が強くて、小学生を主人公にした話とは到底思えないんだけどさ(笑)
まぁ、そうした目線の変化は、少年少女の成長物語を描く教育的側面としては悪いモンでもない。
それに、今回のイサコのメガネが原因となった死(?)を受けて、次回#24で子どもたちがメガネを手離す展開のようだから、最終回でもないのにその流れになるということは、ただ単にメガネを害悪扱いして終わりってワケでもないんだろう。
そこらへん、ネット掲示板の有効な面を考慮せずに一蹴してしまった『金八』と違うトコだな(笑)
苦言ついでに、不満点を申し上げると、この作品の説明不足感が未だになくなってない、ってのがどうにも…
それは、メガマスという用語が民間の大手電脳メガネ会社の名称だという説明がなかった気がするのもそうだし、物語の根幹に関わる#20でのイサコが協力的な態度になった心変わりの説明とかが、印象的になされていなかったのもそうで、他にもいろいろと視聴者に理解の負担をかける部分が多い。そういうところをうまく処理できてた作品だと思ったんだけどなぁ…
そして、作画狂アニメだったはずなのに、2クール目入ってから省力作画に移行していったのが残念。
それでも、ホラー的だったり叙情的だったり、動きがなくても不自然じゃないよう、話の雰囲気の演出でカバーしていたのはさすが。
ただ、2クール目から監督が書いた脚本に外部から修正入りまくりなんだけど、なんかあったのかな?
何だかんだで、残り3話。どういう風に締めてくれるか…