キャトルミューティレーションと人体改造という非現実なオカルトで始まった話が、なんでインターネットゲーム世界での仮想大冒険を描く長編に発展するんだ!?
この発想は、ネタの整合性がついていなくて強引過ぎる負の側面が強いんだけど、残念ながら、私には面白い(汗)
やはりこの作品は、ダイアログがいい感じ。
声の底から怨み辛みを吐き出しているような感じの杉田智和とか、声優の演技の奮闘も、もちろん素晴らしいんだけど。
一人だけ違うドライバーになっている、というネタを一つ投入したら、それに愚痴を吐き、吐いた愚痴にまた愚痴る銀さんの発想、それに逐一入る新八のツッコミ、その間に入る神楽のちょっかい、さらにそれに反応する銀さんのからみ、といろいろな方向に雑談の流れが展開していく引き出しの多さが、面白い。
…くどいという意見も当然あろうが(汗)
いつでもリセットも中断もできるゲーム世界での出来事に緊張感を与えるために、ゲームの中でも死んだらもうゲームできない、という流れにしておくのは当然の処置とは思うが、しかしそうなる理由が、主人公たちの主人公らしからぬ(しかしとっても『銀魂』らしい;笑)ルール違反というか暴挙の連続で、サーバー管理者に目を付けられてしまったから、という捻った、というか捻くれたアイデアを投入してきているのが、一筋縄ではいかんこの作品のキモかも。
いちいち出てくるメッセージウインドウも、ゲーム世界ネタに合わせて、芸が細かいなぁ~
怪猿を罠にかけようとする展開では、毒バナナを投げた瞬間にオチが読めるのに、NowRoadingの画面が一瞬挟まれて、罠に引っかかる神楽の画をバーンと大映しにすることで、ギャップ感を強めさせて、笑いを強化する工夫が面白くて、しっかりと笑えてしまう。同じこと2回されても何か笑ってしまったし。
冒頭のUFO襲来が、あまり青抜きできていないブルーバック合成っぽさと、時間差撮影を同ポジションで誤魔化してフィルムをぎこちなく繋いだ編集の雰囲気みたいな懐かしい画面をわざわざ作り出すなんて、今時誰が考えるアイデアなんだよ(笑)
3人いっぺんに立ち上がったら、テーブルがズレて新八の脚に当たって痛がるけど、特に気にすることなく話を進める、なんて何のギャグにもなっていないけど、自然な仕草を大事にする姿勢が見えるところも微笑ましい。
今回の絵コンテ・演出は南康弘。おお、やっぱりできる人だった。
投げっぱなしオチで括られた2編。
Aパートのアニメオリジナル桂寿司屋潜入の話はイマイチな出来。
笑えるネタがピンポイントで指で数えられるほど少なく、しかもどれも練られたモンでもなく、ストーリーも状況説明しかやっていないような薄さがあって、どこを切っても面白味がない…
『銀魂』っぽいのは、窓繋がりの言葉遊びで坦々と笑いを取ってるところと、シリアス気味に誰それ構わずシンパシー感じる桂ぐらいか。
一番マズイのは、身を挺して涙ながらに博愛主義を語るキメどころを与えられた、ハタ王子の扱いの良さ。
ヤツは、どこまでも地味にヒドい性格が原因で、どこまでもヒドい扱いされてこそ栄えて、愛されるのだから、扱い良くなっちゃダメよ(笑)
Bパートは、珍しく原作読んでる。
かっぱ巻きぐらいしか作れない長谷川が、銀時たちにマグロ握りをそれなりに教えられていると思ったら、次のコマでなぜか急にかっぱ巻きが出来上がっている、という連続性のあるマンガのコマ同士の空間的な断絶を巧く使ったギャップネタに大笑いした記憶がある。そこからの応用で、お妙は消し炭、銀時はパフェが出来上がってしまうという、キャラに合わせたネタを投入する転がし方も良い。
アニメではカッティングでそれを見せるわけだけど、前後カットの繋がりが結構不自然だったのがちょっと期待はずれ。あそこは、握ってるネタを全て隠してから次にカットに移った方がより面白い気もするが、ネタがしっかり見えてる方が、「カットの間に何があったー!!?」感が強くなるのか…
真撰組の二人が話に入ってくる辺りは、前回に引き続き、中井和哉の演技が良い。
あのナチュラルに異常状況にツッコミ…というか解説を加えている素気なさが、何とも言えない味わい深さ(笑)
おそらく閉店騒動になる店のために、遠くの海で銛で魚に立ち向かって狩ろうとする(買ってこないのかよ!)虚しい行動の長谷川のアクティブ+ポジティブな一言で終わるこっちの投げっぱなしは、Aパートの脱力+意味不明という順当な投げっぱなしオチに比べて、力任せに放り投げた、って感じがする。
本当にニコチン中毒なんじゃないかというぐらい、大声上げながらの怒り以上の何かで声が震えてる感じとか、同じ震え調子でブツブツと神経質に小声で愚痴るところとか、パターン演技になってないところが絶妙。
個人の些細な欲望の追求が意図せず世界を救うほど大きく影響してしまう、というネタは数多あるとは思うけど、ものがタバコだけに『プラネテス』のフィー姉さんを思い出してしまった(笑)
阪口大助がヤムチャ@古谷徹の声真似してて、最初阪口本人と気付かないほど思いのほかよく似てたので感心したけど、同時に、どちらかといえば若井おさむだよなぁ、とも思った(笑)
感想サイトの各所で言われてることだけど、若本規夫を召喚しているのに、セルのパロに声を充てさせない不思議。
本人にそのままやらせるよりも、他の声優に当てさせるからこそ、ビミョー感があって面白いのだし、ちょっと声優主体のキャラ遊びというボーナス感もある。杉田智和も見事だったし。
どこかから持ってきたネタをそのまま映すのではなく、捻ってネタするということで、パロディが何たるかよく分かっていらっしゃる。
それに、あの松平のとっつぁんの、官僚っぽく建前を並べてみるマジメな喋り口を最初見せるけど、基本気だるそうな上、どんどん私情の部分を隠さなくなって最終的に暴走してしまう、という若本規夫の演技は、あのシーケンスのシチュエーションともども個人的に好きだったりする。
もう、銀時たちが老いても変わらない心を奮起させ老体に鞭打って奮闘する、という流れと落としどころになるのはパターン的に決まっているので、問題はその過程をどう独自性豊かに工夫し、納得のいくストーリーに仕立て上げるかというところなのであるが…
今回のは、無難だが、何か引っかかりを感じるビミョーさが…
今まで想像を絶するボケっぷりで迷惑しかかけてこなかった老銀時・老桂が、奮起する理由がイマイチ不明。
他人の会話をちゃんと聞き取れず、返答もトンチンカンな連中だっていうのに、浦島の必死の思いが、素直な形で伝わるとは思えん。
もうちょっと、老人なりの理解というか、若干素っ頓狂な理解をしつつも、その曲がった理解なりに若い心に響いていって奮起……という回り道な感じでも良かったかも。
姿は老いても心の若いままの老人たちの奮闘、というラストバトルが、「それ、とても老人のパワーでできることじゃないよ」という力押しばかりなのもなあ…
老人特有のすり足走法で敵をまくのはまだいいけど、それが壁走りまで可能ってのは、リアリティ的にもテーマ的にも納得しがたい!
これはたぶん原作準拠のビミョーさだとは思うが。
ビミョーといえば、ババア神楽のデザインがビミョー。
齢をとって背が縮むのは老人として不自然ではないが、その絵的なデザインが、顔はしわくちゃに描かれるが、腕や脚の皮のたるみや骨っぽさはまるでない、ただ背が縮んだ少女・幼女の姿そのままになってしまってるのは、ギャグをやられていても何か興が冷める。
しかし、ラストのこの笑顔の作画で、悪い印象は帳消しかも。
好きだった人に褒めてもらいたくて何とか若さを保とうと醜いまでに固執した敵キャラ・乙姫に、「(本当に褒めてもらいたかったら)しわくちゃのババアになっても、笑って迎えてやれば良かったんだよ」と銀時にガツンと言われた後のエピローグでの、この乙姫の笑顔…
→
(Before←→After)
ちゃんとバアさんなりの美しい笑顔になっているのが良いねぇ~
「バアさんになっても“キレイだ”と言われる美しい笑顔」という画を説得力を持たせて描こうとする場合、上のお妙のように、若い顔にしわを張り付けて描いてしまうのが一つの手だったりするが、それは「バアさんのキレイな笑顔」ではなく、「キレイなバアさんの笑顔」という別物になってしまう。
かと言って、画には表れないシナリオ上の裏設定か何かをセリフとかでごり押ししながら、醜く老いたままの顔を描いて、「画的には醜いバアさんの笑顔だけど、シナリオ的にはキレイなんだよ」という乖離したものを出されても、白ける。
ちゃんと、説得力を持って、バアさんなりの、思わず「キレイだ(または、とっても良い)」と漏らしたくなる笑顔を描けているのが
こういう、若いでもなければ醜いでもない、中間辺りの人間をしっかり描ける人は、あまり見たことなかったんだよなぁ~
あと、老人マダオがカッコよかった(笑)
立木文彦の老人演技をしながら熱血声を出すという高度な技術を成功させているところが素晴らしい。
ダラダラ話すところになると、途端に画的にもダラダラしてしまって、面白くなくなってる。
ただ、良い所は良い。
30秒もない神楽のアクションパートに、アクション映画っぽいアイデアが凝らされてたり、画的にも工夫があった。
神楽と九兵衛の壁登りのところも、図星を突かれて一旦動きを止め、その後不自然に動きを早めて上っていく、というのも、ベタながら面白い。
亀梨と長谷川の特攻が無意味に虚しく終わった後に新八の激しいツッコミが入るまでの間をビミョーに長く取ってあって、乾いた笑いを誘っているタイミング取りも巧いなぁ~
バカバカしすぎる乙姫とお妙の女の対決は、もっとギャグテイストの生える演出を施すべきだと思うが、荒々しいBGMのせいでかなりマジメな戦闘シーンっぽく演出されていたのは、場違いな感じがする。
…なのだが「マジメ全開でバカをやっていることがギャグ」という感じの演出なのかも。
しかし、よく考えてみれば、ここ最近のアニメの中で、一番ストレートにジュブナイルSFを展開する作品になっている気がする。
シリアスもかますギャグマンガゆえの底の浅さが、濃すぎるネタになったり捻りすぎたパロディになるのを防いで、結果的に功を奏しているのか
というか、ジュブナイルSFの分野って、今の世の中ではギャグマンガでしか生き残れないのか…
冒頭での「無人島編(ギャグ)」→「竜宮城編(シリアス)」へのシフトチェンジが、巧くいったような感じじゃないなぁ…
亀梨の言い分が、主人公たちを騙すための言い訳なのか、本気で言ってることなのか、どちらの感じを出そうとした演出なのか、よく分からなかったのもあって、状況をどういう風に捉えたらいいのか分からなかったし。
無人島でのチャンチャンバラバラが、作画の良くなさも相まって、タイミング取り的にもビミョーな仕上がりだったし、今日の絵コンテ&演出はイマイチ感が…
今日の担当の南康弘、下手な人じゃなかった記憶があるのだが…
銀時@杉田智和と桂@石田彰の老け演技は、あのしゃがれ具合といい、喋りのトーンやテンポといい、それらしくてかなり良いなぁ~
そのときから思っていたけど、ギャグのお手本のような回。
『浦島太郎』を下敷きにしていたギャグストーリー、というコンセプトを打ち立てた時点で、半分ぐらいネタは決まったも同然ではあるのだけど、そのネタが何かというと、「下敷きにした元ネタとは逆のことを行なう」ということ。これは、ギャグ、というかパロディの基本である。
「他人に虐められていた罪のない亀を助けた御礼」で竜宮城に招かれるのではなく、「出歯亀を自分たちの手で暴力成敗することから助ける見返り」に竜宮城に上がりこむ、という冒頭は、元ネタのベース要素をすべてひっくり返すことで成り立っている。
その後は、「竜宮城は選ばれた者だけが行ける」という雰囲気がある元ネタをひっくり返し、唐突にも竜宮城に招かれた人物が次々と現れる(しかもことごとく身内のキャラ)、という展開で笑いを取る。
その中に「亀に助けられて竜宮城へ」という、ある意味今回の物語の発端候補だったかもしれないひっくり返しネタが含まれているのも、ひっくり返しギャグのシミュレートの結果報告みたいだし、しかもそれで連れて来られたのが、準レギュラーの“ザ・まるでダメな男”長谷川という、「亀に助けられるぐらい憐れなのはコイツぐらいだろう」と思わせてくれるぐらい適任すぎるから、余計に笑える。
最後に、「亀が題材なら出すしかない」と当然のごとくガメラネタが出てきたと思ったら、スッポンでした、というベタなネタの上に、「桂が桃太郎一行として天竺に行く途中だった」というネタが乗っていて、ひっくり返すどころから元ネタから離れてしまうのも「同じネタを繰り返して、最後に捻ってみせる」ギャグの基本。(ここでキテレツ思考回路の桂を持ってくるのもベストチョイス!)
しまいには、その全部のネタが不協和音を起こして砲撃戦に発展するところも、やけに作画にリキが入っていたので、それも可笑しくって仕方がない。
前半は、モブキャラの一人一人に動きが付けられているビーチのシーンから始まって、総じて作画が良いのだけれども、これも「バカは全力でやってこそ見ていて気持ちいい」という基本。(後半は、止め画やリピート作画などが増え、長谷川のグラサンの下りの絵コンテが悪かったのを含めて、ちょっと見劣りするけど)
これは無人島編になっても同じ流れを繰り返す。(これも最後の桂の、他の人物の行動と似ているようで全然違うというズレ方の方向がすさまじくて、素晴らしく笑える)
「竜宮城へ行って最高に賑やかに楽しく過ごしました」というのが、「竜宮城へ行く途中で無人島に取り越され、最悪なバカンスになりました」というのがAパートのオチになっているのも、きちんとひっくり返しになっている。
一つ一つのネタの練度はそう高くも無く、基本的ですらあるのだが、こういう物量作戦で来られると、もう笑うほかにしょうがない。
(笑いのために)キャラ設定のパターンを捻る『銀魂』の中において、珍しくオーソドックスな設定や性格をしているアンドロイドキャラ・たまにクロースアップする回。
同時に、この作品に珍しく、素直に(私を含めた)オタクどもの萌えに繋がりそうなキャラでもある(汗)
おそらくは原作をさして改変せずそのままアニメ化しているのだろう、ちょっと間がある演出になっている。
ある種の引き延ばしには違いないのだが、休日の過ごし方が分からず階段でたまがじっとしたままの無音のシーンで、出かけていったはずの銀時のベスパの原動機音が、次第に戻ってくる(しかもアイドリング中のトットットという小気味いいテンポと音量の音で)ところに、何かの情緒的なものを感じて面白かった。
自動車でごった返す大通りに、二人乗りのベスパが居るところとかは、ちょっと青春ムービーっぽい画ヅラだったし、スクランブル交差点を通っていたときの銀時が「ちなみに給料いくら貰ってるの?」と言った後、たまが「?」と反応する姿を若干長めに尺とっていたところとかは、邦画的なタイミング取りのようにも見えたし、全体的にちょっといつもとは違った雰囲気が感じられたなぁ~
ところで、ロボットに感情は必要ないということが本人の口からも語られ、話の流れでも終盤まで強調されてる割に、ネジに尋常ならぬ興味を抱いているたまは、その段階でも充分感情的なキャラだと思うヨ。
ちゅーか、アニメ『銀魂』は今放送されてるアニメの中でもかなり好きな(というより見やすい?)作品なので、何かその意思を表現するために感想を書きたいとは思っていたんだよねぇ~
今日放送されたのは、オカマバーのオカマがホストに恋をするアニメオリジナルと、オシャレな傘を手に入れてご機嫌な神楽のショートエピソード。
原作の『銀魂』は、ベタベタなギャグや感動の展開を卒なく仕上げて面白く見せるストーリーテリングや、変に納得させられる老成した考え方とかパターンを外して意表を突いてみせるボケとツッコミとかのセリフ回しは巧いんだけど、コマ割やページ構成がすっきりとは見辛いゴチャゴチャした感じでかなりヘタだったり…
なので、原作話をアニメした時の話って、アニメ的に再構成しづらいのがありありと見えて、変に動いてなくて止め絵が多かったりする。
そんな制限的な状況がある中でも、動かしどころを見つけて、あるいはオリジナルシーンを補完挿入して、アニメ栄えさせようと頑張っていて成果に表れているのが、このアニメの良いところだと思う。
今回の話は、オリジナルだからいつもの制限的な状況がないので、自由に動かせている感じがよく出ていた。
それも、何か懐かしい方向に…(笑)
あのオカマの妙にオーバーで軽やかな一挙手一投足の動画は、何か90年代的なモノを感じる(汗)
神楽の話は、私が原作を読んでいたがために、比較サーチャーが発動(笑)
傘を手に入れてからの神楽の有頂天ぶりが原作をアニメ的に再現できていて良い感じだなぁ、とは思いつつも、自動的に否定的な意見になる(汗)
尺を埋めるためにオリジナル分も混ざって長くなったサブタイトル前のダイアログは、それ単体としては『銀魂』として良い出来なんだけど、それが余計なもの削ぎ落として神楽のウキウキぶりだけで面白く見せていた本編のミュージカル仕掛けとの繋がりに、決定的な齟齬をきたしてしまっているのが残念。
雨の日に傘を差して出歩くのが何よりの楽しみになった神楽の様子を描写する微笑ましいシーンが、台風の日にまで笑顔で出かけてしまうので、同じようなシーンでも完全にギャグになってしまうという部分。
普通の雨の日には上機嫌の神楽と同じく笑顔で志村家の縁側で談笑するお妙だが、台風の日には変わらず上機嫌の神楽と違ってそれどころではなくなってしまい慌てふためいているという、そのいろいろなギャップが面白かったりするのだが…
アニメでは嵐の日のところは最初志村家やお妙は普通の雨の日と同じ感じで、途中から障子が飛んだり慌てふためいたりするようになる、という風に演出しているのが、何かギャップ感を薄めているようで、あまり好きじゃないなぁ…
ラスト、ボロ傘を差しながら鬱向いて出歩く神楽に、今まで散々傘に対して興味なさげにしていた銀時がただ一人傘を褒めて、良い感じで〆るのだけれど…
褒めるのが「ただ一人銀時だけ」という空しさと、同時に粋な感じがするという不思議なバランスで成り立っているものが、アニメすると、やや長めのセリフのせいで、空しさが増して強調されてバランスが崩れてるなぁ…
この原作話、あの捻くれた作品の中にあって異色的にストレートすぎて、単純すぎる上にベタというところが逆に面白かったりするのだが、そういう単純な話というものは逆に変なバランスの上に立っているのだなぁ、と思うことしきり。
びわこ放送でアクロバット録画してた分が届きましたよ、キャサリンの回のヤツ。
なんかキャサリンに肩入れしすぎて失敗してるなぁ…
いきなり主人公の陣営に変な新キャラ増えたなぁと思ったら実はソイツ店の売り上げ泥棒でしたー、という、途中で警察が事情説明に来た時点で見え見えの展開ながら、行き当たりばったりのように飄々と話が進んでいく様子が前半の面白いトコなのに。
キャサリンの心象描写を中心にしながら伏線張るから妙に情感出ちゃって。
キャサリンのあの顔は読者の感情移入を拒絶するデザインでしょうが。
微妙に濃くて異質な無表情だから内面で何考えてるか分からないのだけれども、しかしその御蔭で、キャラ印象は良くも悪くも無くニュートラルなままで保たれるというのもある。
だから、泥棒だと発覚すれば瞬時に「泥棒キャラ」に変わるし、その後の話で出戻ってきても「変な店員」のままで居られる。
「“温情で店員にしてもらったのに平然と泥棒の本性を表した”裏切り者」だとか「“泥棒を働いたくせに平然と店に戻ってきて世話になってる”罪人」だとか、“修飾語”が連なって設定に葛藤が生じているキャラではなくて、泥棒のときはふてぶてしい泥棒、店員のときは変な店員、と前のイメージに引っ張られること無く役割の印象を瞬時にスイッチできるキャラというワケ。
今まで店員だったヤツが泥棒のカッコして逃げていくシーンを見せられると、「何だとぉー!?」と意外に思うよりも、「ああ、なるほど」とスムーズに納得して、それが笑えるという。
これがレギュラーキャラだったら「キャラ設定がなってない」だけなのだが、ゲスト的な脇役だったから許容され、特殊な効果が出るワケ。
その時点でキャサリンは、キャラに厚みのあるゲストよりもキャラが薄っぺらい狂言回しや道化になるしかないし、事実今回の話の肝であるお登勢のエピソードを引き出し際立たせるための役割しか負っていないのだが、脚本家・横手美智子は重要なキャラに血肉通った人格を与えて扱いを良くしようとしたために、キャサリンに“分かりやすい内面”を与えたので、いちキャラクターに昇華され人格に厚味が出たが、狂言回しが狂言回しとして機能しないということになってしまった。
基礎作劇法に則って順当に作りすぎです、横手美智子。
ついでに言うと、原作ではカタカナ中心に書かれたキャサリンのセリフも、片言の日本語を意味するだけでなく、ロボットの機械音声にも使われることから分かるように感情のない言葉を吐いている印象を読者に与える効果も出るので、それが余計にキャサリンをニュートラルなキャラクターにしている。
それが、同じ片言日本語を喋る異星人キャラなのに、セリフがひらがな中心に書かれる主要レギュラー・神楽との違い。
しかし、アニメ化の際して、実際の声や音でこの効果を出そうとしても不可能に近いので、マンガの印象に近づけるのはなかなか難しい。
…それでも、キャサリンの声をもうちょっと、こう、顔に合った声にしてもらえば良かったかもしれん。
個人的には青木和子@ジャイ子あたりがこのキャラを表現するのに適任ではないかと(笑)
あと、銀時も杉田智和みたいに落ち着きすぎた声質の声優ではなく、中田譲治とか鈴村健一みたいなもちょっと尖った声質で気の抜けた演技した方がキャラに合ってると思うんだがなぁ…
どうした小林克良。