過去二回、『名探偵コナン』の作画崩れについて指摘したのだが、それはある意味仕方ないことかもしれない。
というのも、この時期はテレビシリーズの制作に加え、映画の制作を同時並行で進めている時期でもあるし、何より映画公開前の忙しい時期にもかかわらず正月には2時間SPという長丁場の番組を作らなくてはならない、という三重苦に襲われていて、去年も同じ時期にひどい崩れがあった。
だから、最低限映画のクオリティだけは維持しようとすると、他に皺寄せが来るのは或る意味職人根性ではないかと…
…などと思っていたら、先日の『迷宮の十字路』確認したら、けっこう目立つ作画崩れがチラホラあって、映画でもこのテイタラクだったか、と落胆させられた。
そんな考えがあったので、今年の日本アカデミー賞から設立された「アニメーション部門」に、『コナン』の映画がノミネートされてるのを見た時は仰天した。
・『あらしのよるに』
・『ゲド戦記』
・『時をかける少女』
・『ブレイブ ストーリー』
・『名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌(レクイエム)』
今年も良い評判聞かないのに、なんでやねんッ!
『ゲド』がノミネートしてるのもクオリティの点で同様に疑問だが、まぁ興行成績が無視できないほど飛びぬけて高かったし、それにあれは映画それ自体で完結しているからいいけれど、あからさまな番外編(テレビシリーズの従属物)扱いの「劇場版」映画はアカデミー賞の場に相応しくないのでは?
ひょっとして、『うる星やつら2』とか『セーラームーンR』のように、原作付き劇場版の雇われ監督としてしか評価されずに憂き目を見ている才能を見過ごさないようにするための予防策?
あるいは、最近のジャパニメーションが萌え燃え言い過ぎて忘れがちな「子供向けアニメ」に目を向けてもらうための宣伝?
それとも舶来物のフルアニメーションの対抗馬としての国産技術であるリミテッドアニメーション枠?
だったらなぜ『ドラえもん』ではダメなの?
…と文句を並べ立てた後、少し冷静になってノミネートの理由を考えてみた。
『コナン』映画のコンセプトは「子供向け」「推理モノ」「ハリウッド系アクション」という要素に大別できると思う。
「推理モノ」というのは、名作と呼ばれる多くの映画がそうであるように、観客の思考をアカデミックに酷使する(=観客に考えさせる、議論を喚起させる)高度な物語構造が要求されるジャンルであり、それを「子供向け」に分かりやすく提示し解説するストーリーに組み上げるのは相反する行動であるがゆえに至難の業である。そうした「静」の物語の一方では「ハリウッド系アクション」が展開されているのだが、これは「動」の物語であり、映像的な快楽を観客に提供する「アニメーション」の愉しみの原点とも言えるものである。
“「静」の物語”である程度のリアリティを保ちつつ、“「動」の物語”でアニメという表現形式が可能にする荒唐無稽なお話(=観客が映像的快楽を得られる幻想の世界)を展開していると見ることもできるだろう。
そして、『名探偵コナン』では、それらの要素をまとめることにおおよそ成功しているのではないか。内容はともかくとして、コンセプトとそのまとめ方に「子供(青少年)向けアニメ」として見るべきところがあるからこその受賞なのかもしれない。
…などとムリヤリ考えてみるよりも、もっと簡単な答えがある気がしてきた。
『日本アカデミー賞授賞式』を放送するのは、日本テレビ。
そして『コナン』は、よみうりテレビ=日本テレビ系の製作…
ひょっとして捻じ込んだかぁ!?