本郷みつる、原恵一、水島努、というシンエイ動画屈指の才能が紡いできた『映画クレしん』伝説に(原恵一降板後からすでに評判が落ちたとはいえ)、決定的な終止符を打ったかのように見えるムトウユージ監督版の劇場版。
ムトウ監督版の何がマズイかって、映画版なのに「映画になっていない」ところだと思う。
映画ならではの特別な・内容の濃いストーリーが繰り広げられるわけではなく、どこかグダグダな雰囲気が全編を包んでいるし、レイアウトに関しても大画面のスクリーンの広さを使い切れておらず、スカスカさを感じてしまう。
まぁ、気負わずに見やすいっちゃー見やすいので、今までの映画版がやや年齢高めに制作されていた感があることを考えれば、お子様向け映画としてはこれで正解なのかもしれないが(とはいえ、ワクワク感がないのは致命的だとは思う)
…なーんて否定的な印象を持っているムトウ版だが、今回の映画はそうしたあらゆる否定的要素を無視して、手放しで褒めちぎりざるを得ない。
だって、『クレしん』屈指の萌えキャラ(笑)でありながら、不遇な扱いを受け続け、時に制作者からも忘れられているんじゃないかとさえ思えた、野原の飼い犬・シロにスポットライトを当てるというそのコンセプトだけで、もうすでに感涙が(笑)
だから、あそこの演出がどーだとか、ここのストーリー展開があーだとか、枝葉末節なんて気にならない気にならない!
――と、言えたら良かったんだけどなぁ…(汗)
年とったせいか、たかが子供向け番組に対して枝葉末節が気になる気になる。
いや、何が不満だったかって、こういうコンセプトの物語でだったら当然感動のポイントとして期待される………というよりも、私が期待していた「みんながシロのためにがんばってくれている」感が薄かったんだもの。
映画のほとんどの部分が、爆弾についての説明と、2大組織の抗争に割かれていて、映画のテーマ、というか、キーキャラクターなのに、いつも通りシロが脇に追いやられている。
爆弾なんて、シロを危機的状況に追いやりそれを野原一家が救おうと行動し活躍するための動機付けでしかないのに、沖縄で爆弾が付いてから春日部に帰ってしんのすけが逃亡して状況がスタートするまで、空港と高速道路での攻防はともかく、時間がかかりすぎ。
敵対組織の方は、主人公の行動の障壁となって物語を盛り上げるスパイスとしての役割が求められるのに、しんのすけたちの行動をダイレクトに妨害にはあまり向かわず、しんのすけたちを間に挟んでならまだしも、主人公そっちのけで組織同士で争ってるというのは、ちょっと…
そして、「シロのためにがんばる」という部分を盛り上げるためにも、作中で普段はないがしろにされている、という以上に、昨今はペット熱が高まりまくってそうでもないけど、普通でも人間と同等の家族の一員として人間の命と引き換えにできるほどの存在としては見ることのないペットと、人間家族との絆を確認する要素がもう少しあれば、という思いもある。
しんのすけは気まぐれ&わがままなキャラクターだから、何とも思っていない普段の状態から(というか、作中では純金カンタムロボとシロを交換しようとした後で)急にシロが大事だと叫んでも不自然ではないが、ひろしとみさえはそんなに大事に思っていた様子もシリーズ中はなかったし(この映画の冒頭で、“オムツ”が外れないことをちょっと気遣ってはいたけれど)、第一、全人類の危機という非常事態下なのだから、一匹の犬の危機を比べてどちらを優先すべきかの分別はつくと思うので、もうちょっとシロに対して非情にもなれる役割であって欲しかったかも。(完全な非情キャラは別にいるので、そこまでいかないまでの、ということだけど)
いや、何、ロケット発射基地の病室で、シロを見捨てることを、「残念」ぐらいの感情ではなく、かなり辛いと思っていた様子だったのがちょっと引っかかりまして。
まぁ、シロを見捨てることを辛く思うより、しんのすけを説得することを辛く思っていた、という箇所もあり、それが病室でのしんのすけの言葉で、「シロも家族」と考えを改め、行動を決心する、という流れはちゃんと出来ていたのではあるのけれど、決心付けるまでのタメとして、そこにあと少し何か欲しかった。
いや、その程度で改善できるというモノでもないか…
この映画、全体的に何かあと少し足りないんだよね、シークエンスごとに。
爆弾が地球にやってくる → 爆弾がシロにくっつく → 野原一家の知らないところで爆弾争奪戦 → 一家、爆弾のことを知る → 逃亡劇 → しかし捕まる → 救出作戦
…という、この映画のプロットや内容紹介から用意に想像できる話の流れを、バカ正直にそのまま実行してるだけな気がして、捻りが足りないというか、肉付けする枝葉のエピソードがないというか。逃亡劇のところなんて、救出作戦のためのタメでもあるし、もっと膨らませられたハズだろうて。
モノによっては、時間的配分の問題でエピソードを削らざるを得ない、という映画もあるだろうが、この映画の場合、同じ動きを3方向から撮って連続して映す演出を、特にこれといった効果はないのに3回もやっていたり、感動させる意図のスローモーションも2回やっていたりして、ムダに時間は有り余っているはずなんだけどなぁ…
おまけに、特に重要キャラでもない、ボインなパンチラ3人娘の動きは小まめに描写してたりするし、このコンセプト、プロットで何をすべきかの取捨選択がぐっちゃぐちゃ。
あと、Untiの長官室での長官vs野原一家の場面では、ひろしの必殺仕事人攻撃が失敗したことにひろしが「ゲッ!」とか何とか反応する様子を映すより前に、ラストのどーでもいい部分への伏線となる下剤混入の様子を懇切丁寧に映していたり、爆発するロケットから脱出してしんのすけの無事を観客が確認した後なのに、ひろしたちが悲しむ姿をかなり重い空気をもって映し出すとか、細かいところでもエピソードの順番を効果的にしていないのにも気になった。
打ちあがる寸前のロケット内でのしんのすけとお駒のグルグル回る攻防の際の、シロのリードを結んでいる止め具の動きがムダにリアルとか、ロケットが打ち上がる間際、ひろしたちが駆けつけた瞬間からの背景動画による高速ズームアウトのタイミングとか、ところどころの作画のがんばりは相変わらず素晴らしいんだけどなぁ~
あと、長官の性格造形は、なかなかに良い。もうちょっとアクが濃かったらなお良かっただろうけど。
…という以上の感想は、テレビ用に編集されたものを見た際の感想なので、編集されてカットされた部分にはこれらの不満点が解消される描写があるかもしれない、ということは付け加えておく。
でも、その場合、不満点が噴出するようなテレビ朝日の編集の問題が…