Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
全世界に対し、あらゆる戦争行為を武力によって根絶するという声明を出した武装集団「ソレスタル・ビーイング(celestial being:天上の存在)」。各国は、彼らの存在について憶測を重ね、対応を考える。
そんな中、ソレスタル・ビーイングは旧スリランカの民族紛争に介入。双方の戦力に決定的なダメージを与えて去る。
…というのが、今回の話。
――って、えっ!? たったのこれだけ!?
ソレスタル・ビーイングの行動を示す以外、話の進展が全然ないぞ。
こんなペースで、この先大丈夫なのか?
もちろん、この外郭に沿いながら、登場人物たちの会話のやり取りなりセリフなりが間を埋めていくのだけど、それで深まっていくはずの個々のキャラクターは、正直、あまり深まったようには見えない。辛うじて、推察できる程度か。いまだに、キャラより事件の方が主役。
まぁ、『SEED』の最初の数話みたいな無個性よりは、推察できるだけマシなのかもしれないけど。
しかし、本当にフック(目立つ部分)がないな、この作品。つまりは、アベレージを維持して真面目に作られているということなんだけど。
それを考えると、『SEED』って、小さい子ども向けとして適っていた、あの浅く拙く派手さだけの話や描写が、良くも悪くもフックになってたんだよなぁ~
…などと脊髄反射的な比較論で『SEED』と『00』を語っていると、私の中での凡作『SEED』が、殿堂入りの輝ける古典になっていくような錯覚に陥ってきたので、症状が悪化する前に自重しなければ(笑)
そんな中、ソレスタル・ビーイングは旧スリランカの民族紛争に介入。双方の戦力に決定的なダメージを与えて去る。
…というのが、今回の話。
――って、えっ!? たったのこれだけ!?
ソレスタル・ビーイングの行動を示す以外、話の進展が全然ないぞ。
こんなペースで、この先大丈夫なのか?
もちろん、この外郭に沿いながら、登場人物たちの会話のやり取りなりセリフなりが間を埋めていくのだけど、それで深まっていくはずの個々のキャラクターは、正直、あまり深まったようには見えない。辛うじて、推察できる程度か。いまだに、キャラより事件の方が主役。
まぁ、『SEED』の最初の数話みたいな無個性よりは、推察できるだけマシなのかもしれないけど。
しかし、本当にフック(目立つ部分)がないな、この作品。つまりは、アベレージを維持して真面目に作られているということなんだけど。
それを考えると、『SEED』って、小さい子ども向けとして適っていた、あの浅く拙く派手さだけの話や描写が、良くも悪くもフックになってたんだよなぁ~
…などと脊髄反射的な比較論で『SEED』と『00』を語っていると、私の中での凡作『SEED』が、殿堂入りの輝ける古典になっていくような錯覚に陥ってきたので、症状が悪化する前に自重しなければ(笑)
そんな感じで商品的に不安な面は少なくないけれど、しかし、私としては結構楽しんでる。
いやぁ、今日も川井憲次サウンドが絶好調なんでねぇ(笑)
『ガンパレード・マーチ~新たなる行軍歌』の行進曲とか『ウルトラマンネクサス』の「ナイトレイダー出撃」とかの私好みの音楽に比べると、低音的で大人しめな感じなんだが、「合わない」「合わない」と言われてるOPテーマを含め、あの決定的な盛り上がりを抑えてる感じが、この作品の性質を表している気がする。
そして今日の画的な目玉は、MS戦でしょう。
『ガンダム』の伝統ながら、『SEED』あたりから詳しくなってきたのを今回も踏襲している発進シークエンス。
一体どういう視聴者をターゲットにしとるねん、と言いたくなる、戦争として割とリアルめに描かれているセイロン紛争(二脚歩行兵器の武装も戦車的な取り付け方だし、カラーも緑系と黄土色系で地味)。
そこに現れ、デタラメな戦闘力でMSを次々破壊し、場を圧倒していく、ド派手なトリコロールカラーのガンダムエクシア他……
以前『グレンラガン』の感想で「絶えてる」と言っていた“男の子の感性をくすぐるメカ描写”で、実に心地良い。(ミリオタや熱血ロボファンの感性を刺激するかどうかは知らん)
それに、今回は割と、ガンダムの大きさや戦場の広さを強調するレイアウトだった。
エクシアの足元に王留美置いたり、MS戦を超ロングショットで撮ったり。「巨大感があってスゲー!!」って程ではないけど、「始まって間もないんだから、ガンダムの大きさを説明的に示しておこう」という配慮を感じる。
工夫といえば、セリフで…
「弱くはないつもりです」 ― 「それは若さよ」
「オレがガンダムだ」
「これで稀代の殺人者。でも、それがソレスタル・ビーイングだ!」
「はじめましてガンダム!! 私はグラハム。君の存在に心奪われた者だー!!」
…などなど、トミノ節を再現したっぽいものや、女子が喜びそうなセリフを散りばめていたのが印象的。
すでに『SEED』が通っている道ではあるけれど、それとは何か印象が違ってて、その違和感が興味深いし、何より、書いているのは黒田洋介。頑張るなぁ…
今後の展開を考える上でのヒント(伏線)になるセリフもちらほら。
「憎しみが私たちに向けられるまで(戦いに介入し続ける)」ということがソレスタル・ビーイングの覚悟らしいが、ということは、武力で武力を排除するだけではなく、「敵の敵は味方」の理屈で人類が結束することで戦争がなくなるということも期待してるということか…
なんか、『ズッコケ三人組』でもそのネタ使われてたね。
しかし、どちらにしても、現実論では完全な実現の望みは薄、だなぁ…
おまけに、ソレスタル・ビーイングの首領(?)は200年前に死んでいるという。
記憶を継承したクローン、というのは『ガンダム』にしてはSFし過ぎなので、無いだろうから、声明に200年前の映像を使ったとか、200年前にこの人が提唱した理論に基づいてソレスタル・ビーイングが創設され運営され続けて存在しているとかだろうな。
…なんか、「存在しない者が起こす実在の大事件」という押井守っぽいねじれ現象になっていて、真相が本当にその方向だったら面白そう。
…しかし、200年前というと、『SEED』が舞台と仮定している時代と重なるような気がして、それが事実だとすると、この作品がますます『SEED』への当て付けっぽく見えてしまうなぁ(笑)
(『SEED』のオーブ・アークエンジェル組は、平和を説きながら武力制圧していたのに正義っぽく描かれてましたけど、それを物語の外から見るとみんなからこんな風に思われてたに違いないですよ、という。その場合、作品的に失敗したら目も当てられないが)
最後の最後に出てきた、ガンダム大好きグラハム君のエクシア強襲、という強烈なフック。
本編の低体温感とこのラストのギャップを考えると、まだまだ物語は始まっていない気がする…
ところで、ガンダムエクシアのデザインって面白くて好きなんだよなぁ~
あの缶詰みたいな、それ単体で完成されているであろう形のものに、いろいろとくっつけて、別の形のものとして完成させているというのが、なんか私的には良いんだよねぇ~
そして、ガンダムの潜伏先である秘密の無人島にやってくる、本日のチャイナ娘。
なんて場違いなんだ(笑)
ちょっと、『ジュラシック・パーク』の冒頭思い出した(笑)
いやぁ、今日も川井憲次サウンドが絶好調なんでねぇ(笑)
『ガンパレード・マーチ~新たなる行軍歌』の行進曲とか『ウルトラマンネクサス』の「ナイトレイダー出撃」とかの私好みの音楽に比べると、低音的で大人しめな感じなんだが、「合わない」「合わない」と言われてるOPテーマを含め、あの決定的な盛り上がりを抑えてる感じが、この作品の性質を表している気がする。
そして今日の画的な目玉は、MS戦でしょう。
『ガンダム』の伝統ながら、『SEED』あたりから詳しくなってきたのを今回も踏襲している発進シークエンス。
一体どういう視聴者をターゲットにしとるねん、と言いたくなる、戦争として割とリアルめに描かれているセイロン紛争(二脚歩行兵器の武装も戦車的な取り付け方だし、カラーも緑系と黄土色系で地味)。
そこに現れ、デタラメな戦闘力でMSを次々破壊し、場を圧倒していく、ド派手なトリコロールカラーのガンダムエクシア他……
以前『グレンラガン』の感想で「絶えてる」と言っていた“男の子の感性をくすぐるメカ描写”で、実に心地良い。(ミリオタや熱血ロボファンの感性を刺激するかどうかは知らん)
それに、今回は割と、ガンダムの大きさや戦場の広さを強調するレイアウトだった。
エクシアの足元に王留美置いたり、MS戦を超ロングショットで撮ったり。「巨大感があってスゲー!!」って程ではないけど、「始まって間もないんだから、ガンダムの大きさを説明的に示しておこう」という配慮を感じる。
工夫といえば、セリフで…
「弱くはないつもりです」 ― 「それは若さよ」
「オレがガンダムだ」
「これで稀代の殺人者。でも、それがソレスタル・ビーイングだ!」
「はじめましてガンダム!! 私はグラハム。君の存在に心奪われた者だー!!」
…などなど、トミノ節を再現したっぽいものや、女子が喜びそうなセリフを散りばめていたのが印象的。
すでに『SEED』が通っている道ではあるけれど、それとは何か印象が違ってて、その違和感が興味深いし、何より、書いているのは黒田洋介。頑張るなぁ…
今後の展開を考える上でのヒント(伏線)になるセリフもちらほら。
「憎しみが私たちに向けられるまで(戦いに介入し続ける)」ということがソレスタル・ビーイングの覚悟らしいが、ということは、武力で武力を排除するだけではなく、「敵の敵は味方」の理屈で人類が結束することで戦争がなくなるということも期待してるということか…
なんか、『ズッコケ三人組』でもそのネタ使われてたね。
しかし、どちらにしても、現実論では完全な実現の望みは薄、だなぁ…
おまけに、ソレスタル・ビーイングの首領(?)は200年前に死んでいるという。
記憶を継承したクローン、というのは『ガンダム』にしてはSFし過ぎなので、無いだろうから、声明に200年前の映像を使ったとか、200年前にこの人が提唱した理論に基づいてソレスタル・ビーイングが創設され運営され続けて存在しているとかだろうな。
…なんか、「存在しない者が起こす実在の大事件」という押井守っぽいねじれ現象になっていて、真相が本当にその方向だったら面白そう。
…しかし、200年前というと、『SEED』が舞台と仮定している時代と重なるような気がして、それが事実だとすると、この作品がますます『SEED』への当て付けっぽく見えてしまうなぁ(笑)
(『SEED』のオーブ・アークエンジェル組は、平和を説きながら武力制圧していたのに正義っぽく描かれてましたけど、それを物語の外から見るとみんなからこんな風に思われてたに違いないですよ、という。その場合、作品的に失敗したら目も当てられないが)
最後の最後に出てきた、ガンダム大好きグラハム君のエクシア強襲、という強烈なフック。
本編の低体温感とこのラストのギャップを考えると、まだまだ物語は始まっていない気がする…
ところで、ガンダムエクシアのデザインって面白くて好きなんだよなぁ~
あの缶詰みたいな、それ単体で完成されているであろう形のものに、いろいろとくっつけて、別の形のものとして完成させているというのが、なんか私的には良いんだよねぇ~
そして、ガンダムの潜伏先である秘密の無人島にやってくる、本日のチャイナ娘。
なんて場違いなんだ(笑)
ちょっと、『ジュラシック・パーク』の冒頭思い出した(笑)
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