バーナビー以外のヒーローたちが記憶取り戻すまでの段取りが野暮ったい。
そしてこんな場面で娘の紹介やり始めてバーナビーの記憶回復手立て喪失の段取りまでやってるのが野暮ったい。
虎徹「お前、完全に(俺のコト)犯人扱いだったな!」
牛角「…アレ?記憶がイマイチ…」
虎徹「しかも下衆野郎と二回おっしゃいましたヨね、二回」
牛角「…。それよりも~」
とかの、キャラの掛け合いの方が、この番組的には重要だとしても、虎徹が大した策なしに(先週切った大見得は何なんだ?)何度も自分の無実と正体を訴えて失敗するところに時間割いてるのが、バランス悪い。
もうちょっと構成がスマートにならんモンかなぁ、と言ってみる。
監督的には、夕日を背にぶつかり合う正義と正義!みたいな気に入った個々のシチュエーションが描ければ、シナリオ的な段取りはどーでもいいんだろーか?
別にヱヴァ好きってワケじゃあないし。
十数回劇場で見に行くオタクもいる中で、たかだか2回しか行ってないし。
無駄に限定盤のブルーレイディスク買って何度か見たから、今日の放送はさほど重視してないし。
最後の重大発表とデータ放送には興味あるので、飲み物とつまみを居間に用意して待ってはいるけれども、ハードディスクに最高画質録画予約しているから、本放送でなくてもいいし
ああ、好きなんだな、オレ。
まぁ、そんな感じで、TV放送版待っておりましたが、開始冒頭から私、なんか体調不良が始まって、伍号機戦が始まった辺りでトイレ駆け込み…
居間に戻った時には、墓石がズラ~と並んでるシーンに…
一旦収めて、その後を何とか我慢しようとしたけれど、第七使徒が登場した辺りから再度気持ち悪くなって、再度トイレ駆け込み…
また収めて戻って、第8使徒戦からは何とか見ようと思ったら、エヴェのスタンバイ中のシーンでまたまた気持ち悪くなって、トイレ駆け込み…
待った甲斐なく全然観られてないんですが。
っていうか、体調不良で体力削られて睡魔まで襲ってきたんですが。
何これは?
新劇場版のテレビ放送見るなという天からのお告げですか?
それでも何とかゼルエル戦と、劇場公開版から刷新された次回予告は見ることができた。
宇宙空間でシールド背負いながらサイコガンぶっ放す突貫修理弐号機と、独眼竜アスカの、元気良さげな新映像が、見てて気分良かった。
新劇場版次回作『Q』は、2012年の秋に公開予定、とのこと。って結構先だな。
某所の話では、「これから虎徹がこれでもかというぐらい徹底的に追い詰められる」というような情報があったので、虎徹の正体を知る数少ない外部の人間ベンさんまでも殺されてしまい、家族も人質にとられて、虎徹の頼るツテが全くなくなってしまう、という予想まで個人的にしていたのだが…
ヒーローたちが自分のことを誰も覚えていないというところで、悲壮感の演出を盛り上げに盛り上げていたので、演出のノリを抑えていたベンさんの登場が救済策に映ったし
それに、ありがちなパターンを踏んでいるこの作品にあっては、ベンさんみたいな黒人枠は主人公の切り札的サポート役になるのが定石か。
娘である楓への虎徹の正体バレは、他の家族から諭すように教えてもらう、というありがちなパターン。
もっと劇的なタイミングやシチュエーションでのバレを期待してたんで拍子抜けの感もあるけど、今回のは、しんみりと情感が出てくる手法でもあるので、それはそれでよし。
『タイバニ』で、ラスボスが仕掛けてきた記憶消去の話で盛り上がっているが、こっちでも記憶消去ネタが登場。ちょっとネタが被った!
なんだ、このMBSアニメのリンク具合は!?(笑)
家族崩壊の瞬間という深刻な回想場面を、ラッコとカッパのぬいぐるみで再現して最もコミカルな画面してしまう演出に大爆笑。
この番組では毎度のこととは言え、どうやったらこんな素っ頓狂な演出プランを考え出せるんだ、と感心してしまう。
登場直後から異常なストーカーっぷりを発揮して痛い子でしかなかったが、その最終プランである初夜を実演ではなく妄想で行っていて、実行を見事に外していて、それでも熱に魘されながらこれで成功、とかモノローグしている姿になんだか悲しくなってきた。
双子の片割れがマミられたー!
ちなみに、メインキャラが怪物に突然頭をパックリ食い千切られて死亡、というのは『魔法少女まどか☆マギカ』がこれを第3話目でやってかなり話題になったが、『BLOOD-C』は現在6話目…
やっぱり展開遅くないか…と思ったが、Bパート終盤では、双子のもう片方が村人十数人を道連れにして死亡。
一転、急展開だ。
あんまりにもサクサク人を殺すもんだから、グロ規制の光渡しが隠し至るところに不自然に発生して、見にくくって仕方がない。
寝起きで胸元肌蹴てる小夜とか、触手に襲われちゃう小夜などのエロチックな要素が出てきたけど、売上につながるか甚だ疑問だなぁ…
今話は特に全体的にレイアウトがかっちりキマってなくて(演出上無駄な空間が至る所に発生していて)、気になった。
今話の絵コンテである浜名孝行は、経歴の監督作を俯瞰してみると、あっぱぱーな感じではあるけれど(汗)、予算とか制作の遅れとか、はたまた意図した伏線か、他の要因もあるかも。
今回はミュージカル仕立てできたかー、と思ったら、絵コンテが、『桜蘭高校ホスト部』で2度にわたりロベルタ学園回=ミュージカル回を担当していた金子伸吾だった。
ミュージカルパートは、キャラクターがフリップ上に描かれたような紙人形みたいな半3Dなってて、手の込んだ作画処理をしている。
そのせいか、ほかの作画部分がだいぶ簡略化されてたけど。
日本というかアニメでは、ミュージカルは「なんで急に歌いだすの?」「話に進展あるなら普通に進行してよ」などという感じで、あまり理解されにくいのだけど、今話は基本的にミュージカルは妄想パートのみの存在にすることで、ミュージカルの演出を分かりやすくしている。
ただし、一度だけそのルールを破っていて、苹果が虫に驚いて抱きつくというのを自作自演をしたが失敗して藪蛇を突いてしまう、という重要なところだけ、ミュージカル内で起こったことが現実の出来事になっている。
妄想部分だけでしかミュージカルできないことに、演出家が我慢できなかったのかな…?
現実と妄想を分けて描写しても、それでもやはりミュージカル部分が難しいという感想があるかもしれないけど、ただし今話は、ペンギンたちの奇行を見ているだけでもかなり楽しい回である。
池で溺れて沈んでいく苹果にペンギンが近づいていくシーンは、まあペンギンたちの立ち位置的に苹果を素直に助けるということはないだろうとは思っていたけど、本来見えないはずのペンギンが死の淵で苹果に見えて、登場人物の立ち位置が変わる契機になるのかなー、ぐらいには思っていたら、なーんにもせずに、魚だけキャッチして即リターンですよ!
シナリオ展開にまるで貢献してないよ、ペンギンども!(笑)
ベタベタなギャグではあったけど、かなり思い切ってやってたので、思わず笑ってしまった。
延々と続いていた日常描写。
しかし、変わらずに続く日常こそが異常だった!
…これ、この番組の4話でやるの、遅くない?
少なくとも現段階から見たら、2話と3話を何とかして一緒に纏めてた方が、序盤のシリーズ構成はテンポが付いて良い気がするんだけど。
2話は、退屈すぎる日常描写→日常から乖離した怪異事件・戦闘、と1話の焼き直しみたいなもんだし、3話もAパートはほぼ一緒。 日常側のパン屋の御主人が怪異事件に巻き込まれて惨殺された場面で何もしない・何も思わない小夜の異常性、喋る怪異の登場、ということで3話Bパートでようやく少し動きが出てきた。
続く日常の異常性を出すためには、その“続く日常”を強調するために繰り返し描写することも大事だけど、上の2話・3話の流れだけ見てたら、二つを纏めても、日常を重ねて描写しつつ、話に動きを付けて興味を惹かせる流れを作るのはできるのでは、と思ったりする。
1話冒頭から続く、よく分からないモノローグ、誰が誰に向かって何を言わんとしているのか、あまりはっきりしてなかったが、今の話が前日譚であって、モノローグ部分はその前日譚を踏まえて後日振り返って小夜に言ってる感じなのが描写された。
1話アバンの、水彩画チックなボヤけた影の付け方をした特殊な仕上げと、PUFFYの歌と「みんなのうた」チックな簡略の行き過ぎた記号アートなアニメーションで、最初「NHKアニメ!?」と思ったりした(笑)
松ケン・芦田愛菜主演で実写映画が公開されるのに合わせて、『ハチミツとクローバー』・『のだめカンタービレ』みたく宣伝兼ねてアニメ版も放送しよう、という企画で作られたであろう、実にフジテレビ・ノイタミナ的発信なアニメ。
ちなみに、関西は「ノイタミナ」という枠ではなく、「アニメわ~く」という枠名称になっている。
制作しているのはプロダクションI.G.で、日常ドラマ系アニメをI.G.が手掛けるのは意外な気がする。
…って、調べてみたら、『君も届け』もここでしたね(汗)
爺さんの隠し子という身寄りのない幼女を、冴えない30歳独身男性が引き取って、慣れない子育てに奮闘するという、よくある設定の疑似家族モノ。
「爺さんの隠し子」の衝撃性以外は、物語の前提設定はよくある感じなのだが、よくある設定というには中身がちょっと異質な気がする。
子育て奮闘モノに、というか、この手の日常リアクションが大事な作品には当然あるべきであろう“衝突”がない。
たとえば、育てる側の方が、子育てを甘く考えていて失敗したり、「この子は一体何を考えているんだ、さっぱり分からない!」とか子に理不尽な怒りを覚えたり、仕事と子育てどっちを優先させるのか悩む場面に突き当たったり、子どもの方は「(おじさんは、私のこと分かってくれない)」みたいな事を言う…いや言葉には出さずに行動だけなんか変になっていたり、とか…
登場人物同士の考えや思いのズレ、理想と現状のズレが発生して、そのズレの不満を他の人にぶちまけて“衝突”したり、葛藤の末打破しようと突き進んでいく“衝突”が起こってドラマが進んでいく、というのが普通のTVドラマとかの作劇だと思うが、この作品にはそれがない。
りんが悩んでいる理由をすぐに察して解決したり、仕事もほとんど迷いなくスパッと変えたり、あるいは、葬式の場で親類に無下にされても不満を発露させることなかったり、託児所でも不満を感じなかったり…
大吉もりんもいい子すぎます。
とはいえ、この作品見てる分には、それがとっても心地よかったりするんですが。
1話終盤~2話前半の、年下の叔母さんネタを活かしたやり取りはちょっと好み。
現実的かどうかで言ったら、葬式でやたら暴れまくってたウザい親類の麗菜とか、「りんちゃん、それ壊さないでね。バイバーイ」と仲良さげながら自分の都合を押し付けて帰ってく託児所の子みたいに、我を目一杯主張する子どもの方が、現実的。
劇中にそういう人物が的確に描かれているということは、制作側に描く能力がないのではなく、メイン二人のキャラクター設計をわざわざそういう風にしているということで、ここら辺突いても詮無いことではある。
3話目で、りんの本当の母親の情報が入ってきて、ようやく衝突要素が発生してきた感じではある。