「ドリルは男のロマン!」というアホなオタク格言を人生訓にまで昇華させてしまったドアホウ脚本に、カビの生えた少年まんが的荒唐無稽テンプレート展開を迫力・説得力・熱血力を十二分に持たせて描ききってしまうドアホウ演出・作画でお送りした、今世紀最後のモーニングタイムロボットアニメ、ここに堂々完結!
萌え系路線をひた走り軸線ブレまくってパッとしなかったGAINAXが、『新世紀エヴァンゲリオン』以来久々に放つ地上波ロボットアニメということで、放送前から注目されて期待が高かった今作だが、第1話を見たときの期待を裏切ることなく、全27話を突っ走ってくれた。(第4話は忘れろ;笑)
GAINAX作品で、ここまでマトモに終わらせたのって、『ふしぎの海のナディア』以来なんじゃないかしら?(笑) 全体的なまとまりも含めてキレイというなら、おそらく、これが初めて。
「根性さえあれば何でも解決」という昔懐かしのアバウトな指針を元に、ノリとテンションの高さで全部引っ張ってきた強引なだけの作品だったようにも見えるが、それでいて上辺だけの中身スッカラカンにならずに、ちゃんとドラマ性が確保されていたのが、この作品の心地よさの秘訣。
まぁ、そのドラマ性も深みがなかったり単純だったりするんだけど、しかし、主人公たちの言動が変に矛盾していたり、中二病力全開の捻くれ思想で行動してイライラさせられたりするものではなく、健全でストレートな主義主張で構成されていたから、見ていてスッキリするので良し。(特に17話以降の第3部ではそうした面の面目躍如という感じで、あそこでのセリフ選びはいい感じだったなぁ)
おかげで、話数が進むごとに説教節や打開策が“お約束”化していたけど、しかしそれを「主人公の揺るぎない信念」の表れだと見なすことを許す作風だったので、“お約束”展開もむしろ快感だったし、何より、ただの繰り返しにせず、最終的に銀河系を手裏剣にするわビッグバンを砲撃としてぶっ放つわという天文学を凌駕する域までスケールアップさせて、画的・設定的に進展させることで盛り上げていたのが、工夫。少年マンガが連綿と培ってきた『ドラゴンボール』的なインフレーション現象、ここに極まれり、って感じ。
とはいえ、この作品の醍醐味は、GAINAXがかき集めてきた日本トップクラスの原画家陣が作り出すアクション作画というフィルムの表層部分であり、「動いてナンボ」というアニメーションの原点の楽しみ方を思い起こさせてくれるところにある。今時金田系作画全開の作品がウケるとかスゴイことだよ!
私もやっぱり、各部後半のアクション作画の物量戦はテンション上がったし、その一方で、ドラマ性が濃くなって湿っぽくなってきた3部以降では日常芝居も効果的に演出されて、アクション系とリアル系、ジャパニメーション作画の二つの進歩というのを見せてもらったように感じられたなぁ。
でも、私も所詮、作画に関しては浅い知識しか持ってない若輩者なので(いや、絵コンテや演出に関してもか)、具体的に誉める言葉というのが見つからないのだけど(汗)
なんせ、某動画投稿サイトで1, 2部のクリップ見て、「ああ、この頃は、何にもない荒野でシンプルにアクションしてたから、作画の見所が分かりやすかったなぁ。後半になってくると、作画がハイスピードで物量戦仕掛けてきてゴチャゴチャしかけるから、原画がスゴいんだか動画がスゴいんだか仕上がスゴいんだかエフェクトがスゴいんだか演出がスゴイいんだか脚本がスゴいんだか、どこ誉めていいのか分かんなくなってくるんだもん」と分かったような文句を叩く不届き者ですから(汗)
ただ、最近の話で文句を申し上げるのなら、24話、25話でキャラがどんどん死んでいくのはいただけなかったなぁ。
その死がドラマ上必然と見えるものだったら文句はないのだけど、戦闘に絶体絶命感が不足していたせいか、「今までこれ以上の死線くぐり抜けてきた連中がこの程度で死ぬべきか~?」と思えてしまい、「とりあえず最終回間際に死人が出れば盛り上がる」的な打算からドラマが作られてる臭いしかしなかった。
まぁ、26話でカミナを含めて「死んだ者たちはオレたちの胸の中で生きている! いつでも一緒だ!」的な言葉でドラマ的に回収されたっぽくなってるから、まったくムダにはなってないのが救いだけど、
あと、結局、シモンはカミナの示した道の上だけを進んでいってしまったなぁ。
「アニキならそうしていたはずだ。だがオレはオレのやり方で行ってみる!」みたいな“師の道を踏まえた上で違う道を作る自分”というのが成長物語のセオリーなんだけど、25話までそれがなかったし。
まぁこれも、26話・27話で「オレの道はドリル道」宣言が出たおかげで、シモンとカミナの違いが出たわけだが。それがなかったとしても、カミナが示した道を歩み続けるというのは、可能性の数だけ枝分かれする多元宇宙を逆にすべて1本に収束させてしまうほどの螺旋力の持ち主であるシモンが、カミナの生き様をも1本に合わせることで、どんな壁でも天元突破できる無限の力が生まれる、という含意があるのかもしれない。
なにはともあれ、最後まで見続けてたらそんな文句も吹き飛ばせたし、最近不足していたアニメ成分を補充できた楽しい作品だった。
またこんなロボットアニメが出てきてくれれば良いなぁ…
…とは思うものの、そこに一つの不安が。
『グレンラガン』の裏テーマとして、1970年代~2000年代の各年代のロボットアニメのテーマの再現、というものがあったらしい。
ムチャと熱血の塊・カミナが引っ張っていた第1部では、『マジンガーZ』や『宇宙戦艦ヤマト』、『コン・バトラーV』(そして、これはロボットアニメではないけれど『あしたのジョー』)など1970年代に放送された巨大ロボットアニメの原点の雰囲気を…
第2のヒロイン・ニアが登場し最終決戦に向かって猛進する第2部では、『超時空要塞マクロス』などでの幾多の女性キャラと主人公の恋愛的絡みが目立ってくる人間関係と、『機動戦士ガンダム』以降出てきたJ9シリーズ、『ボトムズ』、『レイズナー』などなど、ロボットアニメ濫造期の1980年代の状況を…
新たなる戦いによって人々からの信頼を失い内部分裂していく第3部では、『新世紀エヴァンゲリオン』に代表される1990年代のニヒルで精神的に閉塞した世界観を…
量子論の世界に突入し可能性の数だけ作られる別宇宙をさまよう第4部では、2000年代の選択肢テレビゲームの存在が普遍化した視聴者背景を…それぞれ再現していたという。
(でも、最終回に近付くに従って、また70年代に戻っていってる部分があって面白いけど)
しかし、これが“再現”ではなくて、ひょっとして、「男の子向けロボットアニメを“総括”した作品」という位置付けになりはしないか、というのが不安の種でありまして…
だって、最近のテレビ欄を見れば、子どもたちが見られる時間帯にロボットアニメなんて(戦隊モノ以外)一つもなく、皆さんテレビゲームの方に走っちゃうし、アニメの申し子というべきオタクでさえ、ロボットアニメには食指伸ばそうとしないし。部活の若い男子に聞いても「ロボットアニメは肌に合わない」という萌えオタさんが多くてねぇ。……『コードギアス』は見るクセに!(笑)
そうそう、『ガンダムSEED』や『コードギアス』など、オタク人気の高いロボットアニメは現在でも存在してるけど、それらの作品はキャラクラー人気が主流で、ロボットの方は一顧だにされないという、「オタク女子向け(ロボット)アニメ」なので、「男の子向けロボットアニメ」の雰囲気を持った人気作品はほぼ絶えていると見ていいかと。
だから―まぁ、ロボットアニメが人気を失ったことは、前々から言われていることだけど―『グレンラガン』が「ロボットアニメの本格的な墓標」になってしまうかもしれない。
ロボットアニメ好きの我が身としては、そのような事態は避けたいのではあるが…
まぁ、スピルバーグがCG使って実写で『トランスフォーマー』を大迫力で作っちゃう時代だから、これも仕方ないのかなぁ…