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Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
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『HERO』ポスター_「久利生公平、最大の危機」 名産地で取れた野菜ばかりを使った白菜鍋がおいしかったからといって、劇場版でカニ鍋が出てくると期待してはいけない。
 野菜は二、三種類増えたが、ただ単に量が多くなっただけ。旨いけど何かが足りないダシの味は相変わらず。



 というわけで、映画『HERO』である。
 ジェット・リーダスティン・ホフマン照英は出てこないので要注意(笑)

 TVシリーズは個人的に、“『踊る大捜査線』のよくできた二番煎じ”だった。
 …『踊る』に映画観を変えられてしまったショックから未だ抜けきれずに、ことあるごとに比較するのはよくないことだとは思うけど。
 それでも、奇をてらわない程度ではあるが遊びのある表装をしながらも堅実な部分がある作りのため、毎週楽しんで観ていた。
 ただ、「大ヒットだったけど、出演料かさむキムタクもいるし、全体的に映画化に耐えるって雰囲気ではないなぁ…」とどこかしら思っていたので、今回の映画化、それもSPを挟んでの6年越しのカムバックとは恐れ入る。


 この映画の入場料は、「久々に『HERO』の新作が見れる~!!♪」という感動のみに支払われる。
 つまり、『HERO』というテレビドラマを見たいと思っている人にとっては、ちゃんと満足できる出来に仕上がっている。

 それはすなわち、“『HERO』の劇場版”を期待して待っていた人には、肩透かしな内容になっているということ。TV版そのまんまの内容、カメラアングル、編集。ちょっと映画風な味付けもしてあるけど、正直、その部分を巧いとは思わなかった。
 …まぁ、これは、クランクイン時のこじんまりした撮影風景とか、何の意味があるねん韓国ロケの一報とか、映画の進行を丁寧に伝えてくれる予告編見てたら、容易に想像できることではあるけれど。

 だから、この映画が面白いかどうかと訊かれれば、それはもう、『HERO』という作品フォーマットが合うかどうかという問題になってくるんじゃないだろうか。
 私としては、ファン補正もあって、「まぁ、アリかな」とは思う。




 以下は、想像以上のものが仕上がってこなかったことへの、私の勝手な不満。


 とにかく、“法廷モノの「映画」”を作るならともかく、“法廷モノの「劇場版」”を作るのは、かなり難しい。
 「クライマックスは法廷で」「未定事項を確定にする」というフォーマットが決まっているからだ。これは舞台限定・移動不可能な密室劇と、既出シナリオの追認ということを意味する。 
 刑事モノだったり、警察モノだったなら、「劇場版」にするのは比較的簡単だ。大体が犯人を逮捕して終わりになるが、犯人が捕まる場所を変えたり、逮捕土壇場で意外な真実が明らかになって真犯人が登場したりと、「移動の自由」と「未発見情報の追究という目的」をフル活用して、スケールアップして見せることが可能だからだ。
 しかし、法廷モノの場合、クライマックスの前にこれらの要素がすべて終了してしまっている。最後は法廷という地味な限定空間での、「熱血性」を抑えた「理」の世界の話になってしまう。これは盛り上がりに欠ける。
 しかも、このフォーマットを外して盛り上がる構成に変えようとすると、途端に「それ、“法廷モノ”じゃないのでは?」と言われてしまうので、ヘタにいじることもできない。

 ならば、刑事モノフォーマットが使えるクライマックス前で、ド派手なことをして盛り上げてしまおう、という考え方もある。(盛り上がりのバランスが悪くなるという弊害はあるが)
 実際、『HERO』でも、捜査で歩き回っている前半部分に韓国ロケを挿入して、スケールアップ感を出そうとしていた。
 が、この映画の場合、この韓国ロケの部分が後のお話にさほど絡んでなくて、ほとんどムダ扱いになってるのが残念(笑)
 この韓国の部分だけ『HERO』の捜査話の魅力を紹介する別の話だと割り切れば、納得できるかもしれないけど、でもそれって映画的な構成ではないよね?


 この残念な前半を越えれば、『HERO』は落ち着いた“法廷モノ”のエンタメ話として面白くなってくる。
 裁判の流れを(傍聴席開放から開廷まで)時間を割いて描写するなど、割とリアルな感じを意識して撮っていたのが印象的。
 これは、観客を椅子に縛り付けて見るものを強制する映画ならではの有効な策だ。
 TVシリーズでは、捜査ばかりしていて、法廷内のシーンがあまり出てこなかったので、ある意味で新鮮かもしれない。
 クライマックスでは、事件当夜の様子を滔々と語る久利生をかなり長回しで撮ったシーンが出てきて、これにちょっとウルっと来てしまう。

 …が、これは、演出が好かったから、とか、キムタクの演技が素晴らしかったから、ではなく、「事実をそのまま語る、ただそれだけのことがどれだけ感動的か」というドキュメンタリーの強みが、刹那的に(伏線の積み重ねではなしに)表れただけのことだが(汗)

 久利生の出してきた有罪証拠を、弁護士がことごとく否定して裁判長に認められ、久利生がまた別の証拠を探して提出し決定打とする、という繰り返しの駆け引きが、法廷モノとしての見物。
 ただ、「そのぐらい予想しておけ」レベルの弁護士の反論に、対抗できずに黙り、次の公判まで反撃が持ち越されるのは、頭脳戦として薄味かも。
 そうやって、観客が簡単に思いつく程度の証拠提出と反論を繰り返すので、型破り“優秀”検事と“有能”辣腕弁護士の戦いには見えなかったなぁ…
 たぶん、マンガ『DEATH NOTE』の駆け引き内容を理解する10分の1の理解力があれば、今回の話は充分。
もっとも、『DEATH NOTE』の先読みと対策は濃すぎるレベルで、基準にするのは間違っているだろうが、普通のドラマでも8分の1ぐらいは要求されそうなので、『HERO』はかなり分かりやすく作ってあるとも言える。ターゲットの客層を広く取ってそうだから、分かりやすさは当然といえば当然だが。

 まぁ、公判をまたいで新たな証拠を出してくるというのは、「山口母子殺害事件裁判」とかが未だに引き延ばされてる現実を鑑みたとき、リアルといえばリアル。
 だけど、劇中でたとえられていた「千本ノック」方式(打った物を捕る)より、「ピッチャーライナー」方式(投げて打って捕る)の方が、駆け引きを描くものとしては面白いんだけどなぁ…
 つまり、一度の公判で、弁護士の鋭い反論を、久利生が咄嗟の機転を利かせて切り返し、頭のキレるトコ見せるのだけど、それを上回る反論を弁護士がさらに続け追い討ちをかけられる、という一進一退の攻防展開を見てみたかったの。
 TVシリーズで、飯島直子扮する弁護士の策略で、法廷で突然敵になってしまった味方の証人に対して、久利生がその場で切り返して形勢逆転する、という頭のキレを一度見せているから、なんか退化しているようにも見える。
 この辺は好みの問題だろうけど。

 あと、「刑事裁判とは事実上、検事と弁護士の答弁技能を競う勝負である」という慣例というか原則が示された方が良かったかも。
 でなければ、弁護士に「あなたとの勝負は楽しいです」とゲーム感覚で語る久利生と、被害者の家に見舞って「オレは真実を明らかにしたい」と言う久利生の人格が乖離してしまう。
 あれは、法廷では法廷の性質(=勝負)に従うが、志はいつも「真実を明らかにしたい」という一点で固まっているという、久利生の真っ直ぐなキャラクターを一貫して表しているってことなんだよね。



 …しっかし、去年のスペシャルでも思ったけど、中井貴一の優遇されっぷりは、一体何なんだろう?
 しかも今回、そのSPの事件の話は碌に説明されず、映画だけではイマイチ繋がりが分からないというのに。

 例えば、久利生が滝川の言葉で意志を固めるシーン。
 このシーンで重要なキムタクからはカメラがどんどん離れていって窓の外まで出て行ってしまうのに、中井貴一にはどんどん寄っていって画面を支配してしまう。
 何、この逆転状況?

 それゆえに、ヒゲが……不自然なヒゲの生えっぷりが気になって仕方がなかった…
 病気でヒゲ剃る気力もない、という設定を描写してるんだろうけど、だったらなんで口の周りにだけボーボーに生えて、アゴとか頬は脱毛したみたいにツルッツルなのさ!?
 メイキャッパー、もっと気を遣ってよぉ~

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