う、うーーーんんん……
どう評価したらいいもんかね、これは…
感動的なエピソードが目白押しで話に緩急がついてるし、それを盛り上げる演出も悪くはない………が、良くもない。
すべてがさらっと流されてしまって、演出的なタメが少ないんだよなぁ…
風子のために一番近くで助力してきた朋也と渚が、遂にその風子の記憶をなくしてしまうという最も重い事態が発生したのに、他の連中と同じように「なーんか忘れてるよーな…」みたいなあっさりとした描かれ方だったのは納得いかんなぁ…
その後、記憶を取り戻して再び風子の姿が見えるようになった時も、呆気なく戻ってきた感じがしたし。
ここらへんは基本的にミドルショットより遠めのカットが多かったし、無言(あるいは思考中)のシーンを多くするとかで時間的なタメを作ることもなかったので、感動という主観的なシーンに対して、客観的になりすぎてるのが問題だと思われ。
もっと時間的なタメを作ったり、クローズアップを多用したりして、クドいと思われるぐらいの演出で重要なポイントを強調した方が、むしろ感動的にはなりそう。
タメが少ないのは、詰め込まれてるエピソードに対して尺が少ないから、とっとと進めていかないと間に合わないからだろうけど、そう考えると三人が夜中の演劇部部室で戯れるシークエンスは、記憶をなくす悲壮感を強調するために「三人でいた頃はこんなに楽しかったんだよ」という説得力を生むのに必要なんだろうが、全体の構成からいったら無駄っぽいので、もっと思いっきり縮小して、削った分の尺を他の部分に回せば良かったのに。
…が、そうはいっても、あのコメディ部分も『CLANNAD』を『CLANNAD』たらしめる重要なファクターであろうし、原作ファンが動画で見たがってた場面かもしれず、それにあれがないと、ただひたすらラストの感動シーンに向けて一直線の「あけすけな話」になってしまうから、いろいろと考え物だろうが。
そして、今回のキモは、忘れていたはずの風子との約束を何となく思い出した生徒が集まってきたおかげで幸せに結婚式を終えた姉を見届けて風子が昇天(?)してしまう場面と、最後の最後に姉の前に姿を現した風子が自分の口から祝いの言葉を送るシーンだろうから、そこに重点を置こうとすると、他の場面に重めの演出を施して全体的にもっさりした感じになるのを避けるために、バランスを考えて他のところはさらっと流してたのかもしれない。
実際、そのクライマックスシーンには演出に一番力入ってたし。
あと、みんな風子の記憶を忘れてしまっても、今までの風子のがんばりが功を奏しているのか、☆型の贈り物が「ヒトデ」だとみんな覚えていたり、みんなが入院中の少女(=風子)の退院を今でも心待ちにしている、という〆は、ひとつのエピソードの終わりとしてキレイだった。
ここからは余談。
最後のモノローグを聞いた感じでは、みんな見えなくなったというだけで、病院で目覚めない限り、風子の幽霊は学校の中に留まり続けるってことなんだろうか? そう考えると、何か切ない。
んでもって、ヒトデ型を持ってた人はなぜか結婚式に来てしまうというのは、風子の思いが届いたというよりは、自分の意思に反して行動してしまうという「呪い」っぽくも見える(笑) あながち「幽霊が呪いのアイテムを送りつける」という校内の噂は間違いではないな。