
相変わらず端折り気味の進行で、今回もエドがアルの身体と対面したときのセリフを端折って、エドを心理の空間から追い出してしまっていて、「まぁ、ケレン台詞だから進行に必ず必要というわけでもなかったし、後々回想とかで付け加えられるようにはなっていたから、まあいいか…」などなど思っていたら…
最後の最後に、心理の扉をエドが蹴り開けて、「必ず迎えに来るぞ、待ってろ…!!」と凄む原作通りのシーンになって扉が閉まり、そのままエンディングテーマへ…
…という流れが、一応原作通りなんだけど、原作端折り展開のこの作品にあっては意表を突かれ、なおかつ少し原作から変更してあるから、原作以上にケレン味が増してる…ということで、面白かった。
…心理の扉の開閉が根性で何とかなるのかどうかは置いといて(^^;)

しっかし、大阪圏では『A's』の放送局が漂流するなぁー…
初放送の時も、1期がサンテレビだったのに、2期はテレ阪にスイッチしてたし、そして今回MBS…

なのは周りは、なのは本人が自分のことをモノローグで解説するし、またなのはというキャラクターがモノローグを入れても不自然ではない性格をしているから、まぁフツーに見られるけど、フェイト周りというかアースラ関係の描写になると、前作で何が起こったのかの解説なしに、結果とその後の展開だけが映されるから、その「前作を前提に見てください」感がむず痒くて仕方ない
初見の人は、ユーノのフェレットのネタにどう笑えばいいんだ?

まぁ、分割2クールが最近多くなって、不親切な2期第1話が横行してる昨今から見ると、お釣りが来るぐらい丁寧な第1話ではあるのだけど。
その一方で、戦闘シーンは、少年マンガのリズム感で心地よく、この作品の面白さの核がどこにあったのか強く意識させられるなぁ~
しかし、途中で流れた映画のCM…
折角映画という大舞台のCMなのに、重要なキーワードを、黒背景に白抜き字でナレーション込みで表示する、ってのは、安上がりのMADムービー臭がする…(汗)
そんな流れで、スピンオフ作品のこれも見ようと思ったのだが…

作品のその後の話の傾向の色を伝える1話として、その説明を不足なくできている。
…学園都市ではコレコレこういうことが行なわれていて、高飛車な有能超能力者の中で美琴はこーいう特異な性格をしていて、黒子はこーゆー感じで美琴を慕っていて、新キャラの飾利と佐天はこんな感じの設定の女のことです…というのが、すんなり頭に入ってくる。
『禁書目録』と違って原作がマンガだというせいもあるのかもしれないけど、親切設計な第1話だったなぁ~
すでに前作で明らかになっているし、今回はメインタイトルとしても挙がっているのに、美琴の超能力が超電磁砲<レールガン>であるということを、最後の最後までボカして、ここぞというキメ時に能力の全体像が明らかになる、というケレン味のあるシナリオ構成になっていたのも、面白いぐらい基本に忠実だった。
…そのおかげで、教科書的な硬さが感じられて、ちょっとパンチ不足だった感もあるけれど。
それに、主人公の強さを示すために起こる事件が、爆発をも厭わない銀行強盗に出くわす、ってのは、オーソドックスというよりは「ありきたり」か…?
話の作り的には旧時代的な臭いもあるんだけど、演出と作画はとても00年代で、そのおかげでとっつきやすくはあったかも。
ところで、『超電磁砲』は『禁書目録』より人気が高いという話を聞いたのだが、そのアニメ化に際して、メインスタッフから外されている(どころか末端スタッフでもなく無関係化された)前作監督・錦織博…
…あ、ああ、今回も敗戦処理的な役回りになってしまったヨ、この人(汗)

放映前特番だとテレビ欄に書いてあったから、2期が始まる前に予習しとこうと思って、見てみたら…
…って、これDVD最終巻でしか見れなかった特別回じゃないか!
フツー放映前特番って、人間ゲスト(こういう深夜アニメだと声優とか)呼んできて、内容の解説をちょこちょこっとやらせて、本編の映像を少しだけ見せる、って感じじゃないのか?
いや、見れて嬉しいですけど。
しっかし、放映された「特別26話」は、おまけ回ってこともあって、コメディ特化型のシナリオだなぁ~
その割にはバランスがいいし、話がどんどん深刻になってくると同時にバカバカしくなってくる伏線の張り方というか、話に出てきた諸要素の使い方も面白かった。
ファンとしては是非とも買いたいんだけど、でも、東宝特撮のBlu-rayが続々発売され始めているこの時期にDVDかぁ…
最近我が家のDVD機の買い替えを考えている段階だというのに、DVDかぁ…
でも欲しいなぁ~
でも、創刊号で1000円近いのかぁ…
コンプリートするのに、だいぶ資金がかかるなぁ…
でも、東宝から出てるDVDに5000円以下のものがないのを考えると、かなりおトクなんだよなぁ~
でも、安いDVDは、内容の作りも映像のトリミングも安くて(チャプターが4つしかない、とか)、見辛いこともあるんだよなぁ…
でも欲しいなぁ~
…という感じで悩み中の私なのであった(汗)
ところで、デアゴスティーニから発売されるこの手の雑誌って、毎週雑誌に付いてくる部品を集めて、一つのミニチュア模型を完成させていくタイプが多いんだけど、怪獣映画にはミニチュア模型であるところのガレージキット(ガレキ)人気が根強いんだから、毎週DVDが付いてくるじゃなくて、作ってくタイプもありかもしれん……なーんてことを思った。
毎週ゴジラの身体の各パーツを集めていって、ゴジラのガレキを完成させる…
…って、それ何て『週刊恐竜ザウルス』?(笑)
毎度のとおり、過去記事を大量にアップして、その話題に触れることなくしれっと当日記事を書いちゃったりしてます。
不定期更新サイトは伊達じゃない!(笑)
…ていうか、記事を溜めまくるから余計に不定期更新になっているよーな気も。
ちょっと書きたいものをオミットすれば、ささっとアップできちゃう記事をもうちょっと短いスパンでお送りできるんですが、何分凝り性なもので…
今回は前々からやりたかった、ブログのトップページイラストの張り替えと、それに合わせていろんなところの色彩をいじってみました。
…いじってみましたというか、いじってみるつもりでした、つまりまだ完了していないという…(汗)
イラストも結局完成しなかったので、仮で作ったものだし。
…というわけで、今後何のアナウンスもなくブログデザインを変えることがありますので、お見知りおきを(^^;)
出遅れて、今更感のある話題になってしまったんですが、『クレしん』の感想をあれこれ書いて版権画まで載せているウチのホムペなので、どんなに出遅れても話題にせねばなりますまい…
…まぁ、何というか、初めの失踪というニュースを聞いたときは、五体満足で戻ってきてほしいと思うのが人情でありまして、それが叶わずこういう結果になったのは残念としか…
とはいえ、原作者のことなんかほとんど話題にしたことがないココでそんなこと言っても、白々しいんだけかもしれんけど…
個人的に、『クレしん』はアニメスタッフの方に目が向いていて、原作者について高く評価していたわけではないのは確かではありますが。
しかし、私がまだマンガの技法を覚えようと試行錯誤していた幼少時分に、『クレしん』原作は我が家に置いてあった数少ないマンガで、頻繁に読み返しては模写していたので、私の画法スタイルは臼井儀人のそれに大きく影響を受けていたりします。(私が描く4コマとか、もろに臼井スタイルだものな~)
言うなれば、師がまた一人逝ってしまったわけです。
その意味では、たいへんありがとうございました。
ご冥福をお祈りします。
前回の予告編で幼女誘拐描写が映って、「おいおい、このご時勢にそんな話放送して、この番組大丈夫か、しかもアニメオリジナルで…」といろいろ思うところあって、今回のを見てみたのだけど…
幼女誘拐は冒頭のホンの一部分で、話のメインは、それを発端にして事件に巻き込まれて人質にされたコナンと犯人との珍道中だった…
じゃあ、わざわざ予告編で映して、リスク高めるようなマネすんなよぉ~(^^;)
子ども向けとはいえテンプレートすぎるセリフ回しとか、周りに警察がいて別に単独行動する必要もないのに独断専行して犯人に捕まるコナンとか、誘拐されたコナンを追う目暮にコナンが誘拐されたと部下が報告を入れるという無駄な話の流れができてるとか、毛利探偵事務所が無線LAN完備になっていた上、それについて小五郎が繰り出す救いようのないオヤジギャグだとか、「この事件、まだ裏がある」という理由だけで犯人逃亡を幇助するコナン&阿笠博士(犯人を警察に引き渡しても、事件の裏は捜査できるのに…)とか、話の展開がいろいろとヒドすぎるんだけど…
ドジでコミカルな犯人と行動をともにせざるを得なくなるというキャラ重視の状況設定になっていて、目の付け所はいいなぁ、と思ってスタッフロールを確認したら、[脚本:柏原寛司]…
ああ、納得(笑)
警察に隠れて、あらゆることについて単独行動するのは、刑事モノのドラマでよくある話だからなぁー
話の展開がヒドいのは、いつも通りということで(笑)
まぁ、脚本では理由付けがしっかりなってたのに、絵コンテレベルや編集レベルで切り落とされた可能性もあるので、一概に脚本家をクサすことはできないんだけど。
…まぁ、そういうことで、前回の予告編で感じた「この番組大丈夫か!?」という不安は解消されたワケだが、別の方向から「この番組大丈夫か!?」という問題が…↓
ベテラン声優・神谷明が『名探偵コナン』の毛利小五郎役を降板へ
『キン肉マン』のキン肉マン役、『北斗の拳』のケンシロウ役などで知られる声優・神谷明が18日付のブログで『名探偵コナン』(日本テレビ系)の毛利小五郎役を降板することを明かした。神谷は「理由などは、詳しくお伝えすることは出来ませんが、契約上の問題と、信・義・仁の問題とだけ申し述べたいと存じます」と綴っている。
ベテラン声優である神谷が、1996年から13年に渡り演じてきた『名探偵コナン』の毛利小五郎役を降板することを発表した。神谷は「ファンの皆様にはそのご期待を裏切る結果となり、申し訳なさで一杯です」と番組を楽しみにしているファンに謝罪。さらに、「毛利小五郎役を引き継ぐ方には、是非頑張っていただきたいと、エールを送ります」と激励している。
また、今後は声優としてではなく「名探偵コナンの応援団として、支えることが出来ればと思っております」としている。
神谷は1970年代から声優として活躍し、『ゲッターロボ』の流竜馬役、『うる星やつら』の面堂終太郎役、『シティーハンター』の冴羽リョウ役など人気作品の声優を次々に担当。現在は、コンサート、講演会なども行い、幅広く活動をしている。
9月18日10時30分配信 オリコン
ええええええええええええええええええーーーーー!!!?
長寿アニメの声優交代劇をいろいろと見てきた(聞いてきた?)けど、ここまで金の黒い臭いが明白な交代劇は見たことがないぞ!(長寿アニメじゃないのだったら、少しはあると思う。あと、リニュドラは一応報道時には金の臭いにフィルターかかってた)
いや、それよりも代わりの声優さんが誰が適してるのかテンで想像できないんだけど…
…って、なんか『ドラ』の時と一緒の感想になってないか、オレ(汗)
「またゴールデンに釘宮理恵が現れたヨ!」なんて話題振っても、誰も付いてこれないって!
いや、番組特別ツンデレカルタで、厳つい表情で御馴染みの北村弁護士の似顔絵が美男子化されたのに、一家全員で笑ったので、それほど孤独な戦いではなかったが。
そしてそのとき、この前東京旅行に行っていたウチの父弟がメイドカフェに行っていたことが判明。
えー、ちなみに、昔このサイトによくいらっしゃってた方はご存知かと思いますが、ウチの弟=とんでもブラザーはそっち方面にてんで食指が伸びない人でして…
ていうか、頭を金髪に染めて、どっちも裏向きに見えるよう作ってあるトリックアート的なジャケットと、穴あきジーンズをだらしなく着こなし、首や腕に銀色の装飾品をジャラジャラとぶら下げるのが外出時のファッションという、どー考えてもメイドカフェには不向きな雰囲気を漂わせているお方なので(^^;)
「バカみたいで、ちょーウケたわー!!(嘲」とは弟のメイドカフェ感想でしたが、あんたがメイドカフェという異空間に居たところを、写真に撮ってたとしたら、そっちもウケると思うよ、ボクは(笑)
今更ながら『サマーウォーズ』見てきました。
アニメ版『時をかける少女』とかでオタク界隈では言わずと知れた細田守監督の最新作。
ネット上の感想サイトでは、細田監督初期作の『劇場版デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』との類似点を比較しながら見るとさらに楽しい、などの意見が出てたりするんですが…
とんでもない!
比較してたら、とてもじゃないが、この映画単体のまともな評価なんか下せそうにない!
まぁ、私が『ぼくらのウォーゲーム(Children's War game)』にどっぷりハマり込んでいるのが最大の理由ではあって、わずか40分という短い上映時間内に、強敵に出現で徐々にかつ一方的に悪化していく状況が的確に演出(シナリオ&画面ともに)され、また、本家テレビシリーズにはなかったであろう「デジタル世界の出来事が現実の世界に影響を及ぼす」という設定を、コミカルに分かりやすくテンポよく表現して、『“デジタル”モンスター』のメインタイトルに恥じぬ形で描写しており、さらには劇場版らしい“シリーズ史上最強の敵出現!!”みたいな謳い文句を実際に形にできていて、それを打破するカタルシスもバッチリ、という贅沢な諸要素を、まるで無理なく詰め込めているのが強力な魅力だったので。
『サマーウォーズ』は『ぼくらのウォーゲーム』アイデアを一般作化するに当たって、『デジモン』成分を一般作成分に置き換え切れなかった、という感じがある。
たとえば、『ぼくらのウォーゲーム』なら、世界に問題を起こしている敵がデジモンという作中の一般人的には未知の存在なので、デジモンと交流できる太一たち主人公が主になって問題に対処しても…いや、むしろ主人公たちしか対処できない設定になっているから、他に事件に対して解決を図ろうとする人が出てこなくとも問題ないんだけど、『サマーウォーズ』の場合、敵がコンピュータウイルスという既知の脅威なのだから、主人公一家だけが事態対処に動かなければならない理由が―開発者の中に一族の者がどーのこーのというエピソードを足したところで―特にないので、他に事態解決のために動いている人(システム管理者とか公的機関とか)が誰も見えないのが気になってしょーがない。
っていうか、『ぼくらのウォーゲーム』に大家族モノ要素を追加した時点で、大家族だということを活かす設定に作り変えなければならないはずなのに、賭けに使うためのアカウント数稼ぎに使われるぐらいしかないだなんて…
もっと設定やエピソードを『ぼくらのウォーゲーム』から刷新してもいいのに、中途半端に使っているという印象がある。
逆に、『ぼくらのウォーゲーム』の中でも一般作成分としても使えるだろう部分が採用されてなかったのも多々あったのが、残念。
個人的には、応援メールの扱いを残しておいてほしかったなァ
『ぼくらのウォーゲーム』では、最終決戦に向かう主人公たちや主役デジモンたちに、世界中の子どもたちから「がんばれ」「負けるな」という応援メールが次々と届くんだけど、ネット上で戦っているデジモンたちにとっては、メールが多く送られてくるほど情報処理のために回線負荷がかかってしまい、動きが鈍くなって敵の攻撃の的になってしまい、主人公たちが「頼むから応援しないでくれッ!!」と心の底から叫ぶという、応援が邪魔になる捻くれたアイデアがとても好きだった(笑)
それをただ捻くれたアイデアに留めるのではなく、最後早く敵にトドメを刺さないと核ミサイルが爆発するというタイムサスペンスの中、動きが素早くて補足できない敵に対して、さっきのメールを転送することで逆に相手の動きを鈍くさせるという、一発逆転の最後の手段として使われて、「みんなの気持ちが一つになって敵を打ち破る!」という王道パターンに落とし込めているのも、目から鱗の構成力だったし。
子ども用作品である『デジモン』でこれだけの毒が入れられたのに、一般作の今作でなぜこれが入っていなかったんだ…?
いや、今作でも、サーバー冷却用の氷を警官の兄ちゃんがおばあさんのために持ってっちゃって、サーバーが熱暴走を起こしてネット上で戦ってた主人公たちが負けてしまい、警官兄ちゃんからは「こんな時にパソコンに夢中とは、呑気なモンだねェー」と悪態突かれちゃう辺りがそれに近いか…
『ぼくらのウォーゲーム』との比較を置いておいて、今作単体で見た場合でも気になるところはあって、シナリオ構成がやけにごちゃごちゃしてるところがそうだった。
『時かけ』がいろいろなネタや小エピソードを盛り込んでいた割にキレイに進行がまとまってたのと比べれば。
…とまぁ、そういうシナリオ分析はどんな人にでもできるし、しているだろうから、オタ的には演出技術分析をせねばならんのだろうが…
あれだけ画面上に人物がひしめいているのに、にわか知識でレイアウト演出分析なんてできるかい!(血涙)
目立つであろう、細田作品の御馴染みの同ポジ演出さえ、あったかどうだか記憶に留めて置けなかったのに…
まぁ見づらかったり、訳分からない感じがほとんどなく、むしろ場面場面の様子をすんなり理解できていたので、上手い具合だっただろうが…
…って、こんなんじゃ分析になってませんね(泣)
無音空間に吐息だけが聞こえてきて思い詰めてる登場人物を映す「細田空間」(笑)が3回連続というのは、思い起こせば、少しくどいかも。
あと、最終決戦を前に家族全員で飯を食うシーンのところは、もっと作画が暴走してくれても良かったかなぁ、とは思う。 「時間がないのに全員で飯喰ってるなッ!」というツッコミどころがあるので、マジメに描写されるとちょっと脱力感に見舞われるから、あそこは「理屈はどーでもいい、腹が減ったら戦ができんだろッ!」という勢い押しが欲しかった。宮崎アニメみたいにキレイかつナチュラルな動きで描かんでも……もうちょっと“まんが”でいいのよ。
それまで、ネット上の危機に対してスタンスがバラバラだった一家が団結するターニングポイントなんだし、お話的にどーにかできなくても、作画・動画の勢いで誤魔化すことはできたのではなかろうか。
ラストのキスシーンで、動画の勢い重視で割と崩し気味に描けていたので、できんことはないのだろうし。
いろいろ気になるところがあって、素直には楽しめなかった部分もあるのだけど、今回の細田作品は、前作『時かけ』に比べて、テレビ放送栄えする話になっているのではないかな、と少し思った。
『時かけ』は映画の頭から尻尾まで全部通してみることで、ラストの感動を引き起こすというストイックな構成をしていたので、間にCMを挟み、全国のまちまちな視聴者の生活状況に視聴状況が左右されるテレビ放送には向いていないように思えたんだけど、本作の場合だと、そこまでシナリオ的な伏線がかっちりはしていないので、テレビ放送用にブツ切りにされても、場面場面で面白さや感動を味わえるんじゃないかなぁ~
あと、事前情報をなるべく頭に入れないで観に行ったせいで、スタッフロールを見て初めて気付いたんだけど、音楽が松本晃彦だったんかい! 『踊る大捜査線』ファンの私に何たるサプライズ!
いやぁ、『時かけ』の時はもっと叙情的なスコア書く音楽家と組んでたから、『踊る大捜査線』のように分かりやすいメロディーラインの音楽家が出てくるとは、予想してなかったもので。
…とはいえ、『時かけ』以外だと、分かりやすいスコア書く人と結構組んでるか…
ところで…
音楽:松本晃彦、過去の監督作からの構成・エピソードの引き写し、ラストに感動ポイントの目白押し、エンタメ重視の姿勢、前作に比べてスキの目立つシナリオ構成…
…私の過去作品蓄積容量の少ない脳内コンピューターが、本作と『踊る大捜査線2』とのリンクを形成しました!!(笑)

今巻は、ヒューズの仇=エンヴィに遂に辿り着いたマスタング大佐の、情け容赦ない静かな狂いっぷりが印象に残る。
口内や目玉なんて一般人感覚のヒーロー観では攻撃を遠慮すべき弱点を積極的に狙って(いや、殺すか殺されるかの戦場での攻撃方法としては弱点ばかり狙うのは的確なんだけど)、焔をぶちかまし、「ベラベラと回転の良いその舌には、よほど脂が乗っているとみえる。よく燃えるじゃないか、エンヴィ」と、凶悪な表情をしながら穏やかな口調でセリフを吐き捨てるとは、どこの悪党だ!?(笑)
そんな大佐を鎮め(これはホークアイ中佐の御蔭が大きくはあるが)、エンヴィを諭して決着に導いたのが、この二人に今まで敵ったことがない一応(笑)主人公のエドだったのは、何か感慨深いなァ~
エンヴィに言ってることはどことなく青臭いんだけど、前後の描写やこれまでのエピソードの積み重ねで、敵を落とすに足る説得力が生まれていたし。

…っていうか、私自身がそういう読み方を身に付けてしまっただけか(^^;)
銀行強盗に昏倒させられ、目口を塞がれて拘束されるジョディ先生の描写に、扇情的な何かを感じてしまう私は何か溜まっていますか?(^^;)
あと、立ち往生してたところを拾ってもらった博士と灰原が、怪しい運転手たちの動向を探るため寝たフリをするときに、「おじいちゃんもせっかくだから寝かせてもらいましょ?」とウインクしながら灰原が博士を誘うところに、何か卑猥なイメージを抱くのも私のせいだろうか…(^^;)
「三国志の三顧の礼の時に出てくる軍師」の格言を引き出して来る刑事が出てきたところで、三国志に詳しい蘭に対して小五郎が「おい、その軍師って、まさか…」と聞いた直後に、その刑事が地元署の高明という名の刑事だと判明して、コナンが「なるほど、所轄署(ショカツ)の高明(コウメイ)刑事ってワケね、ハハ…」と呆れ顔でツッコミを入れていたのが、この作品にあるまじきメタ的な進行になってて、何か開き直ってる感じがするところで、「ああ、もうあざとくてもいいや」と思えた。
(とはいえ、剛昌スタジオには『三国志』ファンが数多くいるという話だから、『レッドクリフ』に何かしら影響されないでいる方が酷なのかもしれんが)
…それにしても、最近の『コナン』は、「この犯行はどうやったら可能になるんだ!?」という形式のトリック殺人話がなく、「犯人は、これこれこういう行動をしていたり証拠が残っているので、あの人しかいない」という状況分析から犯人探しをする話ばかりで、『相棒』的になってきたなぁー、と。

まぁ、巧いことまとまった…のかな。
この連載の中盤ぐらいから感じていた「伏線回収放棄になることへの不安」を思えば。
今まで出てきた目立つ伏線にはすべて概ね納得がいく解説が付けられ、期待を煽り続けて拡がっていた大風呂敷に見合う規模のクライマックスの舞台も用意され、いろいろと滲み出ていたドラマ的な諸要素にも「そーゆー要素を出すんなら、コレコレこういう展開が後々必ず待っていて、作者なりの見解でオチを付けるんだろうなぁ」という感じで想像していた通りに展開と結末が与えられた。
…でもなー、納得はいったが、期待に応えてもらえた感じではないんだよなー、個人的には。
●物語がかなり慌しくなってきた頃に、「さて皆さん、ここで落ち着いて…」という風に流れをぶった切る感じで、ほとんど物語の蚊帳の外だったアトムに、謎の解答を一気呵成に全部喋らせたことで、「謎が明かされた!」という爽快感が特になし。
●クライマックスに起こる地球の危機については、地球最強のロボットたちの間で構成されていたレベルの話に「地球の危機」というレベルの違う要素を持ってくるには、突然危機が現れた感じであり、展開が唐突。
●憎悪で戦い合ってたアトムとプルートゥが、何がキッカケだったのかよく分からないうちに、憎悪の虚しさを悟って号泣し合って和解、その果てにプルートゥによってもたらされる原理不明かつ拙速な地球の危機の回避、という、やはり唐突な決着。
●話のオチが付き協力スタッフ一覧が載った後に、「あー、回収してなかった伏線があることを忘れとりましたが~」という感じで始まり、ブツ切りで終わる、ブラウ1589とMr.ルーズベルトの結末。
…とまぁ、ストーリーの展開・流れにドラマの感情が乗っていかなかったんだよねぇ…
あと、「ロボットに心はあるのか」という題材は、この作者の作風にはイマイチ合ってないんじゃないか?…と強く思った。
『YAWARA』とか『マスターキートン』の頃ならまだしも、『MONSTER』以降の浦沢作品って、シナリオや画のタッチが無機質で、でもそこから時折有機的というか、心の温かみに触れる話や表情・行動が漏れてくることで感動が増す、という作風なのだけど、それは人間を題材にしていたから無機質な感じでも琴線に触れるようにできていたのであり、無機質なロボットを無機質に描いて、何かロボットに感情移入するのは、難しい。
それは作者も分かってるだろうから、主要キャラのロボットは完全人型になってるんだけど、そうすると今度はどうやって描いてもロボットではなく、人間くさくなりすぎてしまうし…
今巻のゲジヒトとロビタの親子エピソードにそれが顕著で、表情があるかどうか…というより顔があるかどうかさえ見定めにくい無機質すぎるデザインのロビタがガッションガッションと歩く姿を見て、人間臭すぎるゲジヒトが「生きているという言葉の意味が今本当に分かった!」と感動しても、白々しくってしょーがない…
廃棄されかけたロビタが何も言わずにゲジヒトの服を掴む、という場面があるけど、あれがロボットに“心”を感じさせられる描写の限界だと思う。
…まぁそれか、「姿が無機質なロボットに心があっても拒絶した感情を持たないことができるか」という逆の発想のテーマが『PLUTO』だったのかもしれないけど。