水野晴郎さん死去「シベ超最終作」製作予定だった
「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」の名文句で親しまれた映画評論家の水野晴郎(みずの・はるお)さんが10日午後3時5分、肝不全のため都内の病院で亡くなった。76歳だった。葬儀は近親者による密葬で執り行われる。
関係者によると、水野さんは今年に入って、持病の肝臓の調子が思わしくないため、都内の病院で入退院を繰り返していた。
映画評論家の木村奈保子さんは、「5日前にお見舞いにうかがったときは『背中が痛い』とおっしゃっていた。でもお年の割に頭の回転が速く、クリアで映画の話で盛り上がりました。私がジャッキー・チェンの新作の話をすると『ジェット・リーとの戦いが見たい』とうれしそうに話してらしたのに…」と話した。
「2001年宇宙の旅」作者、スリランカで死去
小説「2001年宇宙の旅」で知られる英国人サイエンスフィクション(SF)作家アーサー・C・クラークさんが、スリランカで死去した。90歳だった。クラークさんの秘書が19日明らかにした。
秘書によると、死因は心肺機能の不全。1917年に英国で生まれたクラークさんは、70年近くにわたるキャリアの中で80冊以上の著作と多くの短編小説や記事を執筆。1940年代には、2000年までに人類が月に到達すると予想していた。
クラークさんは昨年12月、90歳の誕生日に友人向けの別れのメッセージを録音。その中で、生きているうちに地球外生命体が存在する証拠を見たかったと述べていた。
3月19日8時36分 ロイター
SFというジャンルと分かちがたく結び付いている日本アニメのオタクをやっていながら、この人の『~宇宙の旅』シリーズぐらいしかSF小説を読んだことがない不届き者の私ですが、だからこそ、SF界の巨匠だから云々関係なく、この人の訃報は何だかとてつもなく悲しいな…
『幼年期の終わり』とかも読まなくちゃ。
声優・広川太一郎さん68歳死去…ロジャー・ムーア吹き替え
映画「007」シリーズの英俳優、ロジャー・ムーアの吹き替えなどで知られる声優、広川太一郎(ひろかわ・たいちろう=本名・しんじろう)さんが今月3日に、がんのため東京都渋谷区の病院で死去していたことが8日、分かった。68歳だった。葬儀は近親者らで済ませた。
広川さんは昭和15年に東京で生まれ、日大芸術学部演劇学科卒業後、一貫してフリーの声優として活躍。40年代から洋画や海外ドラマの吹き替えを多数こなした。特に、「007」の三代目ジェームス・ボンド役を演じたムーアをはじめ、米俳優のトニー・カーティス、ロバート・レッドフォードら渋い二枚目の声優として名をはせた。
その一方で、ひょうきんなキャラクターも得意で、香港映画「Mr.BOO!」シリーズのマイケル・ホイや英コメディー「モンティ・パイソン」シリーズも担当。アドリブと思わせる軽妙な語りが“広川節”として親しまれた。映画「キャノンボール」のテレビ吹き替えでは、似ても似つかぬムーアとホイを一人二役で演じ分け、話題に。
人気アニメ作品にも数多く出演、「宇宙戦艦ヤマト」の古代守や「ムーミン」のスノークでも知られる。テレビの司会やラジオDJとしても活躍し、50年代にはラジオ関東「男たちの夜かな」は私財をなげうち、自らスポンサーになって放送を続けた。ここ十数年はナレーターの仕事が中心だったが、最近体調を崩していた。
3月9日8時2分[サンケイスポーツ]
吹き替えと声優としての活躍に対して悼む人が多いだろうけど、それにプラスして個人的にはこの人のナレーションが、妙な味があって耳に残りやすかったのが印象的で、それが聞けなくなるのが残念だ…
映画監督の市川崑さんが死去 戦後の日本映画界をリード
「ビルマの竪琴」「東京オリンピック」などで知られ、戦後の日本映画界をリードしてきた映画監督の市川崑(本名・市川儀一)さんが13日午前1時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。92歳だった。
市川さんは大正4年11月20日、三重県宇治山田市(現伊勢市)で生まれた。幼いころは画家志望だったが、伊丹万作監督の「国士無双」(昭和7年)に感動。映画の世界で働くことを決意する。8年に入社したスタジオでアニメの企画、脚本、作画、撮影などを一人で担当したことがその後の監督生活に大きく役立ったという。
23年に「花ひらく」でデビュー。「三百六十五夜」(23年)、「夜来香」(26年)などのメロドラマから、「足にさわった女」(26年)、「プーサン」(28年)などの風刺コメディーまで幅広いジャンルをこなした。
名作「ビルマの竪琴」(31年)では、水島上等兵の生き方が人々の共感を呼び、60年には再映画化。「29年前には成し得なかった海外ロケとカラーで撮りたい」という市川さんの強い希望があった。同作品でベネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞受賞。米アカデミー賞外国語映画賞候補にもなった。
大映に転じた30年代も「鍵」(34年)、「黒い十人の女」(36年)など秀作を世に送り、初のドキュメンタリー「東京オリンピック」(40年)で市川の名は日本中に親しまれた。150台のカメラで選手の表情や動作を追い、五輪を人間賛歌ととらえて「記録か芸術か」の論争も巻き起こした。映画は空前の大ヒットとなり、その後の五輪映画に大きな影響を与えた。ミュンヘン五輪の記録映画「時よとまれ、君は美しい」(48年)でも世界10監督の一人に選ばれ、陸上男子百メートルを担当した。
横溝正史原作の「犬神家の一族」(51年)では金田一耕助ブームを起こし、その後も多くの監督によって製作されたが、シリーズ最高傑作の呼び声が高い。「細雪」(58年)など文芸作品でも独特の映像美とカット割りを見せた。
90歳を迎えた平成18年には石坂浩二の金田一耕助で再度「犬神家の一族」をリメーク。健在をアピールしていた。
私生活では、脚本家の和田夏十(本名・市川由美子)さんとおしどり夫婦として有名だったが、和田さんを昭和58年に亡くしていた。ヘビースモークがトレードマークだったが、晩年は「あと1、2本は映画を撮りたいから」とたばこをやめていた。
2月13日18時52分【産経新聞】
個人的には『四十七人の刺客』のイメージしかないから、故人に対して何か言う資格はないのだけれど、これで日本映画界の財産がまた一人…
『どら平太』録ってあるけど、まだ見てないんだ…
宮沢喜一氏死去 元首相
宮沢 喜一氏(みやざわ・きいち=元衆院議員、元首相)28日午後1時16分、老衰のため東京都渋谷区神宮前6の34の1の自宅で死去。87歳。東京都出身。葬儀は7月1日正午から東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は妻庸子(ようこ)さん。
1991年11月、第78代首相に就任、国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させた。93年6月、政治改革法案が挫折する中、自民党分裂で内閣不信任決議案が可決され、衆院を解散。総選挙で過半数割れに追い込まれ退陣、自民党一党支配に象徴される「55年体制」最後の宰相となった。
退陣後も小渕内閣で蔵相就任、「平成の高橋是清」とも呼ばれた。小泉純一郎前首相の引退要請を受け、2003年11月の衆院選に出馬せず、政界を引退した。
51年のサンフランシスコ講和会議に出席した吉田茂首相(当時)に随行。大蔵省退官後、53年の参院選で初当選し、参院当選2回、衆院当選12回。外相、官房長官、蔵相など重要閣僚を歴任。
2007/06/28 21:15【共同通信】
中江真司氏死去 ナレーター、声優
中江 真司氏(なかえ・しんじ=ナレーター、声優、本名佐藤良孝=さとう・よしたか)28日午後0時30分、肝細胞がんのため東京都小金井市のホスピスで死去、72歳。東京都出身。葬儀・告別式は7月2日午前11時から東京都国分寺市西恋ケ窪1の39の5、東福寺むさしの斎場で。喪主は妻夕希子(ゆきこ)さん。
「仮面ライダー」シリーズや「トリビアの泉」、ドラマ「特捜最前線」などのテレビ番組でナレーションを担当した。
2007/06/29 19:31 【共同通信】
物心ついた頃の首相って、もう細川総理だったからなぁ……私の中で宮沢さんは、あくまでうるさ型のじいちゃん議員。の割にひょうきんなイメージがあるのは人柄か?
中江さんは『トリビア』のナレーターという肩書きだけで生涯を括られると不幸だなぁ…
それまでのキャリアとかキャラというか色があってこそ、『トリビア』が活きてくるんだから
松岡農水相が自殺=議員宿舎で首つり-安倍政権に打撃
松岡利勝農水相(62)が28日正午すぎ、東京都港区赤坂の議員宿舎の部屋で、首をつっているのが見つかった。心肺停止状態で意識不明の重体となり、慶応大学病院(東京都新宿区)へ搬送されたが、午後2時に死亡が確認された。警視庁赤坂署は自殺とみて、詳しい状況を調べている。政治資金問題で野党から追及を受けていた松岡農水相が自殺したことは、安倍政権にとって打撃となるのは必至だ。
調べによると、秘書が同日正午すぎ、警護員とともに、部屋に入ったところ、リビングのドアのちょうつがいに、布でできた犬の散歩用ひものようなものを掛け、立った状態で首をつっていた。
秘書は午前10時ごろ、農水相と話したが、正午ごろになっても、来ないため、部屋に入った。これまでに遺書は見つかっていないという。
松岡農水相をめぐっては、緑資源機構(本部川崎市)の官製談合事件で、担当者が東京地検特捜部に独禁法違反容疑で逮捕された公益法人「森公弘済会」(千代田区)も加盟する業界団体「特定森林地域協議会」(特森協、解散)の政治団体「特森懇話会」(特森懇、同)などから約1億3100万円の献金を受けていた問題を、野党が国会で追及していた。
5月28日14時31分配信[時事通信]
<ZARD>坂井泉水さん死去 病院のスロープから転落
「負けないで」などのヒット曲で知られる人気歌手、ZARD(ザード)の坂井泉水(さかい・いずみ、本名・蒲池幸子=かまち・さちこ)=さん(40)が27日、入院していた東京都新宿区の慶応大病院で脳挫傷のため死去した。病院のスロープから転落したとされ、警視庁四谷署は詳しい状況などを調べている。
同署によると、26日午前5時40分ごろ、同病院の外に取り付けられたらせん状スロープ下のコンクリート地面に、坂井さんが倒れているのを通行人が見つけた。靴ははいており、ジーンズにTシャツ姿で、27日に死亡が確認された。所属事務所「リレーションズ」によると、日課にしている散歩から病室に戻る途中で、前日の雨でぬれていたため足を滑らせ約3メートル転落し、後頭部を強打したという。
事務所によると、坂井さんは昨年6月に子宮けいがんのため摘出手術を受け、入退院を繰り返したが、肺への転移が見つかったため、今年4月に同病院に入院。抗がん治療はうまくいっていたという。秋にアルバムの発売を予定し、3年ぶりのライブツアーも計画中で、病室でスタッフと打ち合わせをしたり、詞を書きためるなど再起を目指していた。
坂井さんは神奈川県出身で、東京都町田市在住。レースクイーンを経て、91年にZARDのボーカルとして「Good―byeMyLoneliness」でデビュー。93年の「負けないで」が大ヒットし、94年のセンバツ入場行進曲にも選ばれた。97年のベストアルバム「ZARD BLEND」は累計250万枚を記録。00年の「Get U’re Dream」はNHKシドニー五輪テーマ曲になった。
99年には高額納税者の長者番付の「歌手」部門で5位にランクイン。「揺れる想い」「君がいない」「Don’t you see」などミリオンセラーを連発し、テレビやラジオなどにほとんど出演しないことでも知られていた。
事務所は「坂井泉水が数々のヒット曲とともに、いつまでも皆様の心の中に生き続けることを願ってやまない」とコメント。葬儀は密葬で行い、ファン向けの「お別れの会」を予定している。
最終更新:5月28日13時14分[毎日新聞]
何だかなー…
<訃報>植木等さん80歳=俳優「スーダラ節」「無責任男」
「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバーとして活躍し、サラリーマンの哀感を込めた歌「スーダラ節」や映画「ニッポン無責任時代」など“無責任シリーズ”の大ヒットで一時代を築いた俳優、植木等(うえき・ひとし)さんが27日午前10時41分、呼吸不全のため東京都内の病院で亡くなった。80歳だった。葬儀は近親者だけで行う。
三重県宮川村(現大台町)生まれ。実家は浄土真宗の寺で、11歳で修行のため上京し、修行のかたわら、東洋大文学部へ進んだ。
1946年、ブルームード・セクションのバンドボーイとなり、クラブ・カサブランカなどで活躍。54年「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」に移籍し、57年ハナ肇率いるクレージーキャッツに参加した。
59年「おとなの漫画」(フジテレビ)で人気者となり、61年「シャボン玉ホリデー」(日本テレビ)と歌の「スーダラ節」の大ヒットで、高度成長期のエネルギーを体現する存在として国民的スターに。62年の「ニッポン無責任時代」など東宝映画でも一時代を築いた。その後は舞台、テレビで個性を生かした俳優として活躍。86年「新・喜びも悲しみも幾歳月」(松竹)で毎日映画コンクール男優助演賞、キネマ旬報賞助演男優賞などを受賞。
90年には「スーダラ節」などヒット曲をメドレーにした「スーダラ伝説」がヒットし、NHK紅白歌合戦に出場した。93年紫綬褒章。
97年ごろ肺気腫を患い、療養のかたわら仕事を続けていた。今年1月、体調の不良を訴え入院。今月中旬から容体が悪化していた。
3月27日21時28分 [毎日新聞]
青島幸男に続いてまた一人…
女優の岸田今日子さん死去
個性派女優で、アニメ・ムーミンの声優や随筆家、童話作家としても知られる岸田今日子さんが17日午後3時33分、脳腫瘍による呼吸不全のため亡くなった。76歳。
1930年(昭和5年)4月29日、東京生まれ。父は劇作家の岸田国士、姉は詩人の岸田衿子。1949年に舞台美術家を志して文学座に入るが、翌年女優デビュー。三島由紀夫作「薔薇と海賊」、三島演出の「サロメ」などで鋭い感性と存在感を発揮し、地歩を固めた。文映画「砂の女」(64年)で注目され、シェークスピア劇に多数出演する。私生活では54年に文学座の仲谷昇と結婚、長女まゆさんをもうけるが、78年に離婚した。
日経スポーツ[12月20日15時32分]および読売新聞[12月20日22時6分]から改変
前東京都知事・青島幸男氏が死去 マルチタレントとして活躍
放送作家、俳優、小説家、国会議員とテレビ時代を代表した「マルチ人間」で、前東京都知事の青島幸男氏が20日午前9時31分、骨髄異形成症候群のため都内の病院で死去した。74歳。
1955(昭和30)年、早大商学部卒。同大学院中退。在学中に漫才の台本を書いたのがきっかけで芸能界と関わり、「シャボン玉ホリデー」などでコント作家として活躍。「青島だあ」などの流行語を生み出した。
植木等さんの「スーダラ節」などのヒット曲も作詞。俳優としては「意地悪ばあさん」が代表作。81年には祖母をモデルにした『人間万事塞翁が丙午』で第85回直木賞を受賞。68年、参院全国区で初当選し5期24年間、参院議員を務めた。
95年の東京都知事選に無所属で立候補し、既成政党の候補らを抑えて当選。都が開催予定だった世界都市博覧会を公約通り中止した。99年に退任後、タレント活動を再開していた。
サンケイスポーツ[12月20日12時55分](一部改変)
最近ここが単なる「ニュースメモ」というか「お悔やみメモ帳」化してる気がしないではないが、まぁいいや。
個人的に思い入れのある有名人の訃報が重なるなんて、大変な一日だなぁ…
…などと雑記を書いていたら、最中にまたもや訃報が↓
カンニング 中島さん死去…急性リンパ球性白血病
急性リンパ球性白血病のため闘病を続けていたお笑いコンビ「カンニング」の中島忠幸さんが20日午前11時46分、死去した。35歳だった。中島さんは、04年末に体調を崩して入院。06年夏ごろは骨髄移植の手術を行い、その後、一時は退院して自宅からの通院で治療を続けていた。中島とのコンビ復活を心底望んでいた相方・竹山隆範(35)の懸命なサポートも実らず、ついに帰らぬ人となった。
[12月20日21時13分]スポーツ報知
時代を担い続けてきた大物二人の逝去の後に、下火な一過性の芸人を取り上げるのは思慮が浅いかもしれないけど、個人的にはどちらも気になる訃報であるは変わりなく、それにしても中島、なんという日に逝ってしまうのかなぁ…
しかも復帰すると聞いていたのに、こんな結果になるとは…
なんか今年は、心なしか、逝ってショックな人たちの訃報が多い気がするなぁ…
…多分「心なし」というのは当たってるだろうが。
今年に入って突然、親類・親戚含めて4人もこの世を去ったのが、私の情報選別眼にかなり影響してるという結果かも。
まぁ、それを考慮に入れても多かったなぁ…
「ウルトラマン」「帝都物語」の実相寺昭雄さん死去
テレビの「ウルトラマン」シリーズの演出や映画「帝都物語」などで知られた映画監督の実相寺昭雄(じっそうじ・あきお)さんが29日深夜、死去した。69歳だった。通夜・葬儀の日取りは未定。
東京生まれ。59年、ラジオ東京(現TBS)に入社し、66年の「ウルトラマン」をはじめ、「ウルトラセブン」「怪奇大作戦」など特撮番組に数多く参加。奇抜な構図や照明を駆使する独自のスタイルで、不可解で不条理なムードあふれる映像を作り上げた。
69年に映画に進出。エロチシズムを大胆な手法で表現した「無常」「曼陀羅(まんだら)」、人気小説を原作とした「帝都物語」「姑獲鳥(うぶめ)の夏」などを監督。「魔笛」などオペラの演出も手がけた。
昨年は「ウルトラマンマックス」の演出に参加。半年ほど前、手術を受けたが、かつて手がけた特撮番組を自らリメークした映画「シルバー假面(かめん)」を完成させ、11月の試写会に姿を見せた。12月23日の公開を待つばかりだった。
東京芸術大名誉教授。著書に「ウルトラマン誕生」など。
(asahi.com) 2006年11月30日06時16分
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えええっ、うそォー!!
テレビ点けた途端にこのニュースが飛び込んできたんで、びっくらこいた。
つい十年ちょっと前に総理大臣やってた大物がこんなに早く亡くなるなんて。
…いや、在任中に不幸に襲われたオブっちゃんの件の方がサプライズではあったけれど。
普段ニュースVTRに出てくるときは、ぽっくり逝きそうな様子では全然なかったのにな。
「亡くなられて残念です」とコメントしてた中曽根・宮沢元首相とかよっぽど(以下自主規制
あと、弟の大二郎知事の姿見ても、兄の方はもう天に召されるのかよ、と思ってしまう。
まァ、それもこれも橋龍が黒い髪色してるのが印象的だったからなんだろうけど。
白髪の人間は齢を食っていたり病気になっていて死期が近く、黒髪の人間は元気で当分死にそうにない、という暗黙の一面的認識が一般的に、というか、私にはあるのらしいので。
体格のがっしりしてた岡田真澄の逝去が伝えられた時も「この人が死ぬなんて…」と思ったしな。
60で娘ができたって会見したときには「こりゃ娘が成人するまで長生きしきゃなりませんな、このオヤジは」と呆れてたというのに。
かなり記号的な見方をしてるなァ、とちと反省。
しかし、死んだ直後だから故人の悪口を言うのは憚られるというのもあるのだろうけど、今やニュース番組では橋本元首相の「輝かしい」功績を顧みて称賛気味に偲んでいるけれども、個人的に橋龍ってあんまりいい印象無かったんだよなァ
1億円献金事件をさて置いても、首相辞任の原因となった参院選敗退のときでさえ「ざまぁみろ自民党」などと思っていたし。
…って、そんなこと考えてた小学生、なんか厭だ(汗)