水野晴郎さん死去「シベ超最終作」製作予定だった
「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」の名文句で親しまれた映画評論家の水野晴郎(みずの・はるお)さんが10日午後3時5分、肝不全のため都内の病院で亡くなった。76歳だった。葬儀は近親者による密葬で執り行われる。
関係者によると、水野さんは今年に入って、持病の肝臓の調子が思わしくないため、都内の病院で入退院を繰り返していた。
映画評論家の木村奈保子さんは、「5日前にお見舞いにうかがったときは『背中が痛い』とおっしゃっていた。でもお年の割に頭の回転が速く、クリアで映画の話で盛り上がりました。私がジャッキー・チェンの新作の話をすると『ジェット・リーとの戦いが見たい』とうれしそうに話してらしたのに…」と話した。
映画評論家の渡部保子さんは授賞式での水野さんについて、「体調が思わしくなく『病院から直行してきたよ』と力なく話していた。式が始まるまでずっと部屋で横になっていた。自宅で転んだ骨折のダメージがかなり大きかったようで、見ていてつらかった」と話した。
1931年、岡山県高梁市生まれ。幼少時は中国東北部(旧満州)で過ごした。両親を亡くしたが戦後は郵便局職員として兄弟を支えた。アメリカ映画から民主主義を学んだことで映画に夢中になり、56年、24歳で20世紀フォックスに勤務。5年後に日本ユナイト映画の宣伝総支配人となった。
ノルマンディー上陸作戦を描いたハリウッド大作「ザ・ロンゲスト・デイ」を「史上最大の作戦」と名付けるなど邦題で大ヒットさせるアイデアマンだった。72年から日本テレビ系映画番組「水曜ロードショー」「金曜ロードショー」の解説者となり、97年3月まで担当。日本アカデミー賞、ゴールデン・グロス賞の発案者として知られ、特に日本映画批評家大賞は批評家が選ぶ賞として、水野さんが中心となって91年にスタートした。
また、96年には主役の山下奉文陸軍大将を自ら演じた「シベリア超特急」を「MIKE MIZUNO」名義で監督した。
棒立ち、棒読み-の素人風の演技が、かえって北野武監督やイラストレーターのみうらじゅん氏らに絶賛され、サブカルチャー界から人気が拡大。“シベ超”の愛称でファンを生み、映画と舞台でシリーズ化された。昨年には最終作の製作が予定されていたが延期となっていた。
83年当時の新自由クラブから参院選に出馬したが落選した。内外の警察事情に精通し、『世界の警察』などの著書がある。
6月11日17時3分【夕刊フジ】
夕刊の端の有名人お悔やみ欄でこの人の名前を見つけた瞬間に、思わず「ハァッ!!?」と大声で驚いてしまった。
ジブリやルパンというアニメを楽しむためだけに『金曜ロードショー』を観ていた幼少時代…
おかげでこの番組を観ることが習慣化してしまい、私が映画好きになるキッカケの一つだったのかもしれない。
そういう今の自分があるのは、この人のおかげだったのかもなぁ、とちょっとしみじみ。
…まぁ、[映画好き&映画評論家≠優れた映画が撮れる]ということを、最もネタになる形で証明してしまった『シベリア超特急』という問題作も作っていたりする“困ったさん”でもあったのけれど(汗)
しかもそれほどまでに酷評されたってのに、全然懲りずに何作もシリーズ化してしまったのだから、よっぽどの身の程知らずだとは思ったが、まさか↓のような事情があったとは…
水野晴郎、戸籍上の名前を改名していた!恐るべし『シベ超』への愛!今日都内で会見
11日、高円寺にある日本映画批評家大賞事務局にて、10日に逝去した水野晴郎監督の愛弟子であり、水野が長年手掛けていた『シベリア超特急』シリーズにも出演している俳優の西田和昭ら関係者が会見を行った。
軍服姿の水野のイラストが入ったシベリア超特急のTシャツを着た西田らは、悲痛な面持ちで会見に登壇。恩師である水野を悼みながら、約1時間に及び水野の最期を語った。
水野はシリーズ8作目となる『シベリア超特急』の最終シリーズ監督に向けて意欲を燃やしていたという。しかし、クランクインを予定いしていた昨年の10月から体調を崩し、12月からは入退院を繰り返していた。4月22日に再入院してからも、自ら台本に新たなアイデアを加えたりしていたが、今月の始めに容体は急変。歩くこともままならない日々が続いた。
そんな中でも、映画への愛はいつまでも水野の心から消えることはなかった。先週5日には、病床で配給会社から送られてきた『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』のDVDを楽しんだが、その映画が水野が観た最後の作品となった。
また、生涯独身だった水野にとって、自らがメガホンをとり、主演し、配給、そして宣伝まで手掛けていた『シベリア超特急』シリーズはまるで子どものようなものだったという。とりわけ、第2次世界大戦当時、陸軍大尉だった山下奉文への思いは強かった。「先生は、僕らが知らないうちに、自分の本名まで変えていたんです。本名の水野和夫から、いつの間にか、山下奉大に変えていて……。保険証を見せてもらったんですが、本当に山下に変っていてびっくりしました」と西田が話すと、集まった報道陣からも驚きの声が上がった。
28年間、水野を支え続けてきた西田は、「最後の最後まで映画しかない人でした。意識が混濁していた2日前も、映画を撮らなきゃ……と言って、手すりを持ち立ち上がろうとしていた。『お疲れ様でした。ゆっくり眠って』と言ってあげたいです」と声を詰まらせた。
台本はすでに出来上がっていたという『シベリア超特急』ファイナルは、遺志をついだ西田らがなんらかの形で完成させるという。映画を愛した水野が、自らの最後の作品につけたタイトルは、『シベリア超特急 旅路』。長い旅へと出た水野は、きっと今ごろ、大好きなクラシック映画の俳優や、監督たちと楽しく話しているのではないだろうか。
6月11日20時15分配信 【シネマトゥデイ】
彼は身の程知らずではなかったのですね。
とことんまで行った映画バカだったんかい!!(笑)
ここまでのレベルだとものすごく清々しいなぁ~