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Take@管理人が、知ったかぶりのテレビ番組批評やとりとめもなく面白くもない日記などを書く、オタク臭さ全開のくどい不定期更新ページ(泣)
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 デジタルでキレイに仕上がったねぇ、ということを確認しに行くことだけが目的だった映画。
 毎月一日は特別価格1000円で、足運びやすかったし。


 ストーリーどーのーこーのー言おうとしても、TV版で一番真っ当だった時期の話を映画化しているので、ヒドい出来になるわけがないし。おまけに20世紀中に語り尽くされたシリーズだからねぇ。
(まぁ、そんな冷めた態度でも覆させるフックがあったのは儲けモンだったけどね。ラミエル先生、アクティブすぎます(笑
第六使徒ラミエル ただの箱だなんて決して侮るなかれ…!!

 だったら、注目すべきというか、目的となりうるのは、作画クリエイター集団・GAINAXの血筋を持つ布陣による画面演出技術の鑑賞と、「映画」として再編集できているかという確認の、二点しかないじゃないか!

 まぁ、まだ完成の目処がつかないから間際でドタバタして突貫工事の危険性もある劇場版第二段よりは、確実に力入ってるし、あのスタッフだから、レイアウトや仕上がりは完璧。むしろ、グチャグチャな画面になってしまう方がおかしい。
 劇中のセリフじゃないけど、(作画が)「成功するのは当たり前、失敗したら怒鳴られる」映画。…う~ん、作る方にしてみれば、この前提は辛いよなぁ…
 ただ、ラミエル先生、アクティブすぎます(笑
第六使徒ラミエル ただのポリゴンだなんて決して侮るなかれ…!!

 「映画」として編集できているかの確認、というのは、これが一本の映画の構成として成立したものになっているか、というストーリー構造の分析。
 残念ながら、尺の不足と、やりたいところだけはとことんやるギミック描写の達人たるGAINAX魂の炸裂により、バランスを欠いているきらいがあり、映画になりきれなかったなぁ、というのが個人的な感想。
 冒頭から後先考えずポンポン駆け足で進んでいくので、世界観にのめり込みにくい。ただ、そうして前半を犠牲にしたおかげで、後半のヤシマ作戦になると、膨大なアレンジの甲斐あって、ようやく「映画」を感じることができる。
 ここのおかげで満足して劇場を出ることができた。ラミエル先生、アクティブすぎます(もういい あと予告編ね。…一瞬、「阿漕」という単語が頭に浮びはしたが(笑)



 でも、どうにも解決できない大きな不満がふたつほど。

 映画的なまとまりを重視するなら、予告編1の最後に出てきた、日本の電力が回復していくシーンで終わることを期待してたのだが(危機の回避・平和の奪還=非日常から日常への帰還が、映画の終了と寓意的に符合して、感動できる)、カヲル君に全部持っていかれた上に、電力回復の描写すら存在せず…
 …ああ、あれって、停電の逆回しだったわけね。予告編成作者にまんまと釣られた。

 それから、HAT神戸の映画館……
 画面が暗ェんだよ!! 後半何が映ってるのか分かり辛いんだよ!! 投射ガンマ値修正してくれよ!!
 まぁ座った位置もかなり悪かったから、それも一因だろうけど。


(↓推敲中)

 「映画」として編集できているかの確認、というのは、これが一本の映画の構成として成立しているものになっているか、というストーリー構造の分析。
 残念ながら、尺の不足と、やりたいところだけはとことんやるギミック描写の達人たるGAINAX魂の炸裂により、バランスを欠いているきらいがあり、映画になりきれなかったなぁ、というのが個人的な感想。

 冒頭から後先考えずポンポン駆け足で進んでいくので、世界観にのめり込みにくい。30分のテレビ放送なら「盛り沢山」になるものだろうけど、映画の最初でそれをそのままやると、画面が騒がしいだけ。「25話 Air」では、静かなシーンから始めてググッと物語に加速を付けていく方法が効果的に働いていたから、監督の力量としてやれんことはないのだろうけど。
 ただ、そうして前半を犠牲にしたおかげで、後半のヤシマ作戦になると、膨大なアレンジの甲斐あって、ようやく「映画」を感じることができる。映画の中で散りばめておいた様々な伏線が、最終決戦の最後の一発に収斂していく面白さ。

 …が、そのアレンジのせいで、レイだけクライマックスのドラマに絡めてなかったような。
 テレビ版だったら、シンジとミサトの人間関係を解決させて、それからトウジとの軋轢を解消して、その後レイとの距離を近付けて……という風に、順繰りにドラマを重ねていっていたんだけど、映画としてのまとまりを考えると、その方法をとった場合、クライマックスの分散を意味し、全体的に印象散漫になってしまう。
 そこで映画的感動を重視するなら、クライマックスシーンでいろんなことを一気にどばっと解決!という、まとまりのある流れにするべき。今回もそれに従い、本来ならヤシマ作戦前に解決しているシンジとミサトの感情の乖離は、ヤシマ作戦中の出来事として持ち越されることになる。
 で、この持ち越し再編集のおかげで、レイのドラマがぶつ切りにされてるんだよねぇ。だから、「笑えばいいと思うよ」ら辺の描写に、いまいちすっきりと感情移入できない。
 レイ「も」大事にするなら、もうちょっとエピソードを変えておくべきだったかも。



 やっぱり、視聴形態が変わると、作品の作り方も変えなければならないわけで…
 テレビ放送されたときの視聴率が『ブレイブストーリー』14.4%で『時をかける少女』12.2%だった理由の一因はそれだと思うんだよなぁ。

 映画的なまとまりがいいのは確実に『時かけ』なんだけど、『時かけ』はワンシーンごとに結構尺をとるので、どうしても間延びした印象が続くんだよね。でもそれだけ尺をとった意味というのが後半になるとガーンと効いてきて大きな感動を生むようにできている。
 しかし、それは暗闇の椅子に事実上固定されてしまって身動きが取れない状況、つまり劇場の中で観るからこそ、多少尺を長めに取っても、見てる側はその間を素直に享受して、映画全体の流れと絡めて演出意図を考えて受け入れるけど、家のテレビだと、他の用事しながらでも観られるし、チャンネルを変える権利は視聴者の側にあるから、ちょっとでも間延びしてしまうと「退屈」の一言で、より強い刺激を求めて他の局に鞍替えしてしまうからねぇ…

 だから駆け足脚本で印象散漫な『ブレイブ』の方が、俄然有利になってしまう。短時間に様々なイベントが起こるし、一時的にチャンネル変えてまた戻ってきても、ストーリーを積み重ねることで初めて生まれる感動ポイントが少なくて場当たり的だから、再び視聴しようという気になれるし。

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