2話目にエレキング登場ってのは『ウルトラセブン』へのオマージュ?
ホント、金子監督はこういうオタ的なの好きねェ~(笑)
しかし、ビット星人に操られていないとか電気吸収するとか、『セブン』の時のエレキングからはだいぶ設定変更されていて、怪獣の方にはあまりオマージュを感じられない。
リニューアルされたドラえもんが保護者的なキャラから原作寄りの雑な性格のおバカさんに変わったことに激しい非難が向けられたことからも明らかなように、架空のキャラクターというのは生身の役者とは違って人の手によって容易に改変できることから、キャラとしての同一性が重要になってくるわけで、
例えば「みそラーメン」とメニューに書いて店に出されているのに、注文して食ってみたら「醤油ラーメン」だったら、看板に偽りアリ、というかそりゃ全くの別モノなワケだから、客としてはちゃんとみそラーメンを出すかメニューの名前を実態に合うように変えてほしいと思うのは当然で、
それと同じく、電気使うというところだけが一緒で他の特性が違っているならエレキングである必要性はなく、別の怪獣として出した方がキャラの統一性を守るという点ではその方が良い。
金子監督は『ゴジラモスラキングギドラ大怪獣総攻撃』のときも悪役宇宙怪獣という肩書きが売りのキングギドラを善玉の護国霊にしてしまうなど設定を大幅に変えていたので、今回もそれと同じ感覚でストーリーに合うように変更したんだろう。
これは私の意見ではなくて、某保守系ゴジラファンサイトの受け売りなんだけど、そこのサイトの作品評価掲示板は設定変更に怒った管理人自身と常連の手によってまた荒らされるに違いない(笑)
番組終わりの怪獣紹介コーナーで、『セブン』のエレキングについても触れられ、「見た目は同じだが今回のエレキングには元のと違った部分がある」と説明されていたので、オリジナルも大事にするような多少の配慮がなされていると分かって好感触だったが。
でも、見た目一緒でも中身違ってたら、やっぱりそりゃ別モノって言わないか?
それにもっと根本的な問題だけど、今回のエレキングのふたつ名が「放電竜」って割には、電気吸収してばかりだったんだが…
オイオイ、原典のことを置いておいて単品で考えても「看板に偽りアリ」ですよ(笑)
街中の電気が突如として消える恐怖の不可思議現象という前触れがあって、その後にさらなる恐怖である怪獣出現、という段階が踏まれているのは、恐怖を効果的に描く怪獣映画の基本フォーマットであるがしっかり守られていて良い。
でもその直後に、マンションの一室でケースの中に飼われてるちびっちゃくなったエレキングを見せるのはどうなんだ?
怪獣の恐怖を演出するのには効果的でないというか、逆に脅威力を薄めてしまうのだけれど。
怪獣の魅力ってのはその巨大性や超常的な能力やそれらが生む恐怖や脅威なワケで、そこをしっかり描いてこそ魅力は引き立つものなんだけどなぁ…
飼われてる感じのする怪獣ってのは矮小に見えて、なんか拍子抜け。
それに、街を破壊する怪獣から逃げる群衆の姿は描かれるのに、次の日のシーンに移ると何事も無かったように日常の風景が映し出されていたのは、怪獣の脅威を示す点でさらにマイナスだろう。
今回の話の主軸は日常空間での出来事に置かれているので、日常空間の描写をしっかり行うことで一井の生活の場が怪獣と関係しているという特異な状況を引き立たせることができるし、物語を面白くするのに必要だと思うのだけれど、そういうのがないんだよなァ…
あれだけ被害が出たのだから生活に支障が出ないわけはないし、無かったとしても話題にはなるだろう。主婦が井戸端会議で「昨日怪獣が○○町辺りに出て云々」「それは怖い云々」「移動が不便になる云々」みたいに程度の低い問題を話題にしていたり、出勤するサラリーマンが「取引に影響が云々」などと言っていたりするなんてことは充分考えられる。人々が困った顔で何か会話してるようなシーンを挿入するだけでも、「怪獣が市民生活に影響を及ぼしている」ことが感じ取れて、怪獣の姿を見せなくても怪獣の脅威を示すができる。こういった描写はじっくりやる必要はなく、メインの女性キャラが出勤する短いシーンの背景にそういった光景をちょこっと挿入するだけも充分な効果を上げられるので、やってやれないことはないと思うんだけど。
あと、DASHの隊員があのカッコで街中調査し回ってるっていうのに、横を通り過ぎる人々が全然関心を示さないのは変、というか滑稽にすら見える。
DASHが存在する世界観(DASHの隊員が歩き回ってても変ではない世界)を守るために、コスプレしてるにーちゃんたちに奇異なモノを見るような冷たい視線を向ける、なんて興醒める現実的な反応をモブにさせない演出だから別に悪くはないのだけれど、現実だって見慣れた警察官がウロウロしてたら気になるもので、「何を調査してるんだろう」程度にエキストラが気にするような描写をちょっとぐらい入れたって良いというか、そっちの方が自然に見えると思う。
変なところはDASHの方にもある。行動ではなくて設定で。
迅速に現場に向かう必要があるというのに、発進前になってから小型戦闘機を大型母艦に収納し始める(しかもこれがまたムダに時間がかかる)のは問題でないのかい?
前もって積んでおけ。
まぁ、ワンダバシーン(=発進シークエンス)ってのは『ウルトラマン』シリーズの伝統だし、そう固いこと言うべき作品でもないのだけれど、「おお、こんなカッコいいシーンが見られるなら細かいことはツッコまないぜー!」と唸らせてくれるような出来でもなく、ひたすら冗長な感じもする。
夜に隊員が全員就寝していて、作戦室に誰も待機してないってのはどうなのよ?
不測の事態が起こりやすい職種なんだから、一人ぐらい番をさせるのが普通でしょ。
おまけに全員寝ぼけてるってことは、いつでも臨戦態勢を取れるよう寝ていてもすぐに起きて行動ができるようにしておくという基本的な訓練も積んでいないのかね、コイツらは!?
直後に怪獣が暴れてるシーンに移るってのに、何とも緊張感を削いでくれる逆効果な演出だなァ…
しかしこれもまァ、寝ぼけてドジな行動をする隊員を見せて、視聴者に親近感を持ってもらおうという、あんまりガタガタ言う必要の無い演出なのだろうけど。
後で仕事かまけて「あの女の人キレイだったなぁ…」という話で盛り上がる何ともゆるいシーンとかあるし。
でも個人的には仕事をきっちりとこなす優秀な面、怪獣退治のプロッフェショナルであることをある程度見せて設定の地盤を固めてからこういうコミカルな面を見せた方が良いと思うのだが。
『ネクサス』で冷徹すぎる組織を描いて不評を買ったことに対する反動?
もしくは隠蔽のプロフェッショナルなのに下手な演出のせいでズサンな面が随所に垣間見えて設定に説得力がなくなってしまっていた『ネクサス』の対怪獣組織の二の轍を踏まじと、開き直ってバカな面を先に見せておいてちょっとぐらい演出に不備があっても大丈夫に見えるようにしてあるのか?
怪獣の探査。
マンションの狭い一室の中から巨大怪獣の反応が出ているという不自然な状況になぜ納得する?
「ここから反応が出てる」
「こんな小さい部屋の中に怪獣がいるってのか? なんか変じゃない?」
「しかし反応がある以上はそう考えるしかないでしょ」
そんな短いやり取りで最終的に強引に納得させてもいいから、ちょっとは疑問に思ってくれぃ…
マックスとエレキングの戦闘シーンはいろいろと細かな工夫がしてあってなかなか面白かった。
エレキングが尻尾でトレーラーを潰すところなんかは、尻尾がすごい勢いで急に振り下ろされたことが分かるようにトレーラーが一瞬で潰れるという、ミニチュア撮影にしては結構手間がかかると思われる演出が怪獣の脅威を充分見せていて良い。
鈴木健二特殊技術監督、グッジョブ!
しかし、形勢が変わるたんびに、傍で観戦している女性隊員の表情をいちいち見せるのは、別に大したことをしてるワケでも演出的に効果的でもなくテンポが悪くなるだけなので不要です。
今回の話はなぜかロボットオペレーターが目立って、しかも話のシメの部分までかっさらっていくという主役っぷりを見せていたけれど、今回の話でオペレーターをキャラの主軸する意味はあったとは思えない…
キャラ立てするにしても、主役のカイトとキャラ立てが充分になってからの方が良いというのに。
…それはそれとして、ちゃんとロボットが行動するようにぎこちなく動いてアンドロイドというキャラを巧く見せていた女優さん、お疲れ様(笑)
あー、何だかんだ言って、1話完結のシリーズってのは「1話でも見逃せない!」と気負わずに見られるから『ネクサス』より楽だ(笑)