「No More Cry」のフルバージョンが聞きたくて、今まで一度も観たことがない『ごくせん』の最終回をラスト30分だけ観る(笑)
前作も最終回しか見なかった気がするけど…
にもかかわらず、チャンネル変えた瞬間に「ヤンクミをクビにするならオレたちは卒業式に出ない」というセリフが出て、話の流れが全て把握できる、この親切な作りよ。
設定も大体知っているので観る分には支障なかった。
前作で悪役だった猿渡教頭@生瀬勝久が、ヤンクミ@仲間由紀恵の味方に付いてちょっと活躍してたのが楽しかったり。
しかし、前作の卒業式にも思っていたけど、この番組ってホント演劇的だよなぁ~
話の全てがヤンクミ、3-Dのために進められていき、余分なことは一切語られない。
それは理事長の卒業生に向けての言葉に顕著で、卒業生全員に贈るべき話なのに、語られる内容は「3-Dはダメなヤツら」とか「来年は良い学校に生まれ変わる」とか、3-Dに関わる話ばかりで、とても卒業式で言うような内容ではない。
ヤンクミ最後の言葉も、生徒や保護者全体に向けた挨拶ではなく、3-Dの教え子のコトばかり。
(前作の答辞もヤンクミだけに宛てた言葉だった)
他の組の生徒や保護者が話に入ってくる余地など微塵もなく、背景キャラに徹するのみ。
先生の方も関心は3-Dのコトにしかないように見えるよう描かれている。
それは3-Dの連中の描写にも容赦なく適応され、彼らの成長は「人を思いやる気持ちを持てたこと」のみに終始し、高校生が直面するであろうその他の問題やそこからの成長に関しては一切語られない。
何というか、劇世界の広がりが感じられないというか、必要最低限の描写のみで話を進めて盛り上げていっている。
焦点をしぼって作ってあるというコト。
話の型も『水戸黄門』とかオーソドックスなものを踏襲しているから、焦点をしぼってストレートに分かりやすくしている話がなおさら分かりやすいし。
(そこに、女教師、任侠の世界、ギャグで進めるストーリー、というひねりを加えているのがこの作品のミソ)
(特にギャグは、ギャグで世界観を作り上げ地を固めることで、荒唐無稽だがシリアスな話を視聴者に許容させるのに効果的)
このストレートすぎる作りが『ごくせん』の強み。
社会現象化するほどの超ヒット教師モノであるが、今期はもうひとつ、教師モノがあったりする。
元祖社会現象教師モノ『3年B組金八先生』がそれである。
視聴率は10%前半をうろうろしていて、『ごくせん』の半分と振るわない。
(いや、『ごくせん』の数字がバケモノなだけだが…)
『金八』と『ごくせん』を比べてみると、『金八』にも多分に演劇的な面があって、コメディっぽく話を進めたりするのだが、決定的な違いがひとつ…
『金八』はあくまでリアリティにこだわる。
いかにフィクショナルな展開を用意していようとも「現実にありそうかも」というレベルにまで持っていくために、話の下準備(伏線張り、など)を欠かさない。
(失敗しているときもあるけど;汗)
問題が起こったときの人々の反応や対応も非常に現実的。
そのため、ほかの教師の活躍、話の本筋には関わらない保護者の介入、警察の登場、町の様子など、3-B以外のコトを描くシーンがかなり多く、劇内世界の広がりが感じられる。
卒業式も、答辞の内容が、金八や3-Bのことが中心でも、一般的な内容も交えたり、在校生や他のクラスの卒業生に訴えていたりして、答辞としての現実味がある。
敵対していた千田校長の言葉も、金八や3-Bの文句とか今後の学校の運営方針とか卒業式に相応しくない内容であっても、ちゃんと「ご卒業おめでとうございます」から始まる。
『ごくせん』が積極的に捨てている要素を『金八』は多分に取り入れている。
これは、今期が少年が関わる麻薬事件の描写に重点を置いているように、『金八』が現実に起こっている学校の問題を描き、(理想化されすぎるきらいがあるものの)その問題に対する解決策を提示するなど、現実世界と向き合うことをスタンスにした番組だからである。
世の中学生やその他の人たちに訴えることが、スタッフが『金八』に課した使命…
だから現実的であろうとする。
多くの人に問題を知ってもらうため=観てもらうために、楽しめる内容にしようとドラマティックにする。
この二つを折衷しているのが『金八』のという番組の形。
しかし…
『金八』がターゲットにしている現実の問題を訴えたい相手である中高生は、演劇的でフィクションの世界に徹している『ごくせん』に夢中…
……あれ?