
シナリオ的には、ただの伏線張りに使う捨て回だったのかもしれないけど、映像演出が、怪獣映画好きの心理を突きすぎて、面白い(笑)
メインとなる被写体の手前に建物などを置いたり、遠目から撮影したカットの背景に爆炎などのエフェクトを起こして、敵の大きさを測らせるとか…
第1防衛ライン・作戦の第3段階、とかの用語にこだわるとか…
狭い路地から見上げた建物の間に君臨する敵の巨大な姿と、そして怯えるモブ(メイド隊)の姿をわざわざ映すとか…
逃げる車側に固定したカメラから遠ざかる巨大化途中の敵を映すとか…
激しい力の何かが近づいてきて揺れる室内の小物を丁寧に描写するとか…
空を飛んでいくシーンでの、レイアウトの移動を斜めに動かして空間の広がりを強調するカメラワークとか…
強敵を倒すためのヒントとかが前半で伏線的に描かれる、ということもなく、自問自答の根性論で危機的状況を力づくで脱出、というあんまり捻ってない逆転劇は、ちょっと懐かしい感じがする。
味方の勢力の万策尽きてまでやっと強敵を倒したところに、更なる敵が登場して、限界を超えての戦闘になるという、スペシャル感もまた良し。

バーナビー以外のヒーローたちが記憶取り戻すまでの段取りが野暮ったい。
そしてこんな場面で娘の紹介やり始めてバーナビーの記憶回復手立て喪失の段取りまでやってるのが野暮ったい。
虎徹「お前、完全に(俺のコト)犯人扱いだったな!」
牛角「…アレ?記憶がイマイチ…」
虎徹「しかも下衆野郎と二回おっしゃいましたヨね、二回」
牛角「…。それよりも~」
とかの、キャラの掛け合いの方が、この番組的には重要だとしても、虎徹が大した策なしに(先週切った大見得は何なんだ?)何度も自分の無実と正体を訴えて失敗するところに時間割いてるのが、バランス悪い。
もうちょっと構成がスマートにならんモンかなぁ、と言ってみる。
監督的には、夕日を背にぶつかり合う正義と正義!みたいな気に入った個々のシチュエーションが描ければ、シナリオ的な段取りはどーでもいいんだろーか?
別にヱヴァ好きってワケじゃあないし。
十数回劇場で見に行くオタクもいる中で、たかだか2回しか行ってないし。
無駄に限定盤のブルーレイディスク買って何度か見たから、今日の放送はさほど重視してないし。
最後の重大発表とデータ放送には興味あるので、飲み物とつまみを居間に用意して待ってはいるけれども、ハードディスクに最高画質録画予約しているから、本放送でなくてもいいし
ああ、好きなんだな、オレ。
まぁ、そんな感じで、TV放送版待っておりましたが、開始冒頭から私、なんか体調不良が始まって、伍号機戦が始まった辺りでトイレ駆け込み…
居間に戻った時には、墓石がズラ~と並んでるシーンに…
一旦収めて、その後を何とか我慢しようとしたけれど、第七使徒が登場した辺りから再度気持ち悪くなって、再度トイレ駆け込み…
また収めて戻って、第8使徒戦からは何とか見ようと思ったら、エヴェのスタンバイ中のシーンでまたまた気持ち悪くなって、トイレ駆け込み…
待った甲斐なく全然観られてないんですが。
っていうか、体調不良で体力削られて睡魔まで襲ってきたんですが。
何これは?
新劇場版のテレビ放送見るなという天からのお告げですか?
それでも何とかゼルエル戦と、劇場公開版から刷新された次回予告は見ることができた。
宇宙空間でシールド背負いながらサイコガンぶっ放す突貫修理弐号機と、独眼竜アスカの、元気良さげな新映像が、見てて気分良かった。
新劇場版次回作『Q』は、2012年の秋に公開予定、とのこと。って結構先だな。
セル画時代の「サラリーマン野原しんのすけ」の再放送と、ガチホラー回。
「サラリーマン野原しんのすけ」には、部長役で郷里大輔が出てきていて、見てるこちらは涙が…
一回だけの特別回だからといって、5歳児がサラリーマンやってるという特殊設定を、全然煮詰めていないテキトーさが『クレしん』っぽいなぁ~
昔の『クレしん』には、冗談にならない冗談というか、子ども向け番組にしては高い技術力で作られたガチホラー回が時々あったんだけど、今や放送コードも厳しいし、『クレしん』もギャグ特化型になったから、そういうのは見なくなった。
Bパートの話はホラー回だったが、久々にガチホラーかと思ったら、ギャグを絡めて脱力オチで終わった。
明らかに怪しい店にホイホイ入っていくキャラたち、巻き戻しボタンで事態が収拾するお手軽さ・テキトーさ、ラスボスの登場から退場・その倒し方までテキトーそのもの。
ここら辺の肩の力の抜き方が、実に臼井儀人の作風。
でも、恐怖のDVD再生後の、おどろおどろしいタイトル字に反した妙に軽く明るいBGMというギャップ、何も映っていない真っ白な平穏そのものの画面の「奥」から何気なく、そして徐々に近づいてくる謎の人影、そしてその人影の突然の変容…という演出は、ガチホラーっぽいアイデアのかかったもので、興味深かった。
「ソノウソホント」
原作では、てんとう虫コミックス4巻目に収録されている初期作。
リニュ後でも後期作を結構アニメ化していて、感動路線のオリジナルも数多く作ってるこの段階で、初期作が出てくるとちょっとした違和感があるなぁ。
知恵という意味でも立ち回りという意味でもちょっと賢くなっている後期のび太に比べ、「なんでそんなに行動と発言が浅はかなんだ!?」と思えてならないのが初期のび太に多いから。
家の中に岩を持ってあがってパパに「軽いお願いなんだけど、この岩を割って」というのは、ひみつ道具の効果発揮されてカオスになってる段階でもないのに、状況がシュールすぎるよ!
原作では、ほとんどのび太の非からコトが始まっていて、のび太が理不尽な要求をし尽してパパに迷惑かけまくったにもかかわらず、“ついで”で自分の欲しいもの手に入れて終わって、のび太が得しすぎな回だったが…
今回のアニメでは、最後のパパのスーパーマン化のところで、のび太が「(ヒーロー化したパパは)人を騙すようなヤツはコテンパンにやっつけるぞ」とソノウソホントで発言して自滅するというアレンジで終わっていて、因果応報の筋が通ったオチになっていたな。
…そうすると、冒頭のパパの「お願いって、まさか自転車? 望遠鏡? ダメダメ!」というセリフが伏線から浮いてくるんだけど。
「ぼくのすべてをアゲタイ」
こちらはアニメオリジナル回。サブタイトルがちょっとBL臭い(笑)
絵コンテを監督の善聡一郎が、演出を『新宇宙開拓使』監督の腰繁男が、作画監督を総作監の丸山宏一を担当していて、何気に強力布陣。
道具の効果発動時に毎回、ネクタイが不自然に回転しのび太が何故か謎の踊りを踊り、歌舞伎調のBGMがかかる、不要な演出が個人的に鼻についたが、それ以外はオリジナルにしては出来がいい。
他の作業に掛かり切りで、のび太の話をいい加減に聞いて、誤った道具を渡すドラえもん。
「今これだけは起きてくれるな…」と思った直後にその事態に巻き込まれるタイミングの良さ?悪さ?を発揮するのび太。
のび太の全裸オチ。最終的に全財産放逐するエスカレートぶり。
どれも原作に多い要素で、この話の中でうまく調理してある。
あと、アニメオリジナルで出てくるひみつ道具は、大概何のために使用するのか明確に説明されるけど、コレは、うそつきかがみ、みたく「コレ使ったヤツに得することが何もないのに、何のためにある道具なの?」という謎道具というかネタ道具であるところも珍しい
大原めぐみのべらんめい調が様になってて、面白かった。
そして、毎年未来の世界を舞台にしたオリジナル話を放送してる「ドラえもん誕生日スペシャル」
今年はドラえもんたちがレース大会に参加するようです。
…なぜレースorz
「介護疲れから、母親殺そうと思いましたが、踏ん切りがつきませんでした」
うん。
「下着泥棒に遭いましたが、泥棒が黒の下着が好きだというので見逃して、母を殺すトリックに利用して殺してもらうと思いました」
うん?
「下着泥棒が自分の家で再犯したので、トリックが作動して成功しました」
えっ?
「死にかけたお蔭で母の体の調子が良くなりました。お陰様で不起訴です」
はっ?
…まぁ、原作でも『コナン』のトリックレベルってこんなモンですよねぇ~とは言いたくないヨ(笑)
無理ありすぎ! オチも都合よすぎ!
まず下着ドロなんていつ来るか分からんモノをトリックに利用するなヨ!
そもそも下着ドロ頼みのトリックっていうのがマヌケに見えるヨ!
いつ来るか分からんのに毎日複雑なトリックをセットしてたら、手元狂ったら自分で作動させちゃうだロ!
原作『コナン』もこんなモンだろ、とか言われても、やっぱり思っちゃうヨ、そういう文句!
そして新一は、一人で突っ走って真相に辿り着いているのに、周りに説明しなさすぎ!
「説明しないので、新一の行動が下着ドロ並みの怪しさに見える」というのがネタなのだろうけど、周りに説明しないという状況設定が甘すぎる。
チカンに対して目を▽(逆三角)にさせながら激怒して罪を追及する蘭は、蘭というより園子の気質が混じってないですか?
いや、もうキャラ設定は、その話に沿った形の改変&面白くできてたら、原作に合わせる必要もないか。
事件関係なしに、前半のチカンにまつわるコミカルなやり取りは面白かった。
次回は実写版服部平次登場。
新一と背中合わせで真相語ってるところを見ると、やっぱり時系列合わす気ねぇな。
まぁ、それはそれで面白そうではあるけれど。
ちなみに服部初登場は原作11巻で、この時点で新一とは面識なくて、新一はコナンになっている。(そしてこの話でコナンは偶然新一に戻る)
原作では、幼い頃の二人の推理対決のネタも後出しで描いているんだけど、すれ違いで会えなかった・真相を説明するとき片方は電話など、何が何でも面識作らないようにしようとエラく工夫している。
島田紳助引退 突然の会見で「本日限り」…暴力団関係者と親密交際
衝撃が走った。東京・新宿の吉本興業東京本部で23日午後10時から会見が開かれ、所属タレントの島田紳助(55)が、この日限りで同社を退社し、芸能界を引退することを発表した。会見で紳助は暴力団関係者との交際があったことを告白。吉本興業は「自ら社会的責任を取って芸能活動から引退したい旨の申し出を受けました」と、紳助の意向で一線を退くことになったという。現在、レギュラー番組6本を抱える人気司会者の突然の引退劇に、芸能界への影響は計り知れない。
午後10時、紳助は約300人が待つ会見場へ姿を見せた。フラッシュの光を浴びても、まばたきはしない。表情をこわばらせ、口は真一文字に結んでいた。「今日をもって芸能界を引退します」。頭を下げ、37年間の芸能活動に終止符を打った。
暴力団関係者との交際が理由だった。吉本興業は8月中旬、外部の人間から、紳助が05年6月から07年6月まで暴力団関係者A氏と携帯メールのやりとりをしているなど交流関係を持っていたという情報を得た。社内調査後、日本テレビ系「24時間テレビ34」の出演が終わった21日深夜、紳助に事情を聞いた。紳助から引退の意思を告げられ、この日午後5時、正式に受理された。
紳助によると、A氏とは数十年来の付き合いだった。さらに、十数年前に自身に降り掛かったトラブルを、A氏が知り合いの暴力団関係者B氏に話し、収めてもらったという。吉本興業は、このトラブルについては「認識しておりません」としたが、「紳助は『僕的に解決できないトラブル』」と表現し、「(B氏に)恩を感じた」と付け加えた。
吉本興業はA、B両氏とも暴力団関係者と認識。だが、紳助は「Aさんに確認したら違うと言っていた」と説明する。B氏に直接メールはしていないが、「Aさんを介し、Bさんにメールを送った」と話す。04年から05年にかけて元マネジャーへの暴行事件で謹慎しているとき、「お二人がいると心強いです」などという文面だった。また、大阪市内に経営する飲食店などで「偶然も含め5度ほど」B氏と会ったとも明かした。
「芸能人とそういう業界(暴力団)の人と付き合うのはいけないという理解を持っていました。ただ、芸能界のルールとして、この関係はセーフだと思っていた。認識が甘かった。僕が間違っていました」。関係者によると、A氏は元プロボクシング世界王者渡辺二郎被告(恐喝未遂罪で実刑判決を受け上告中)という。紳助はかつて、渡辺被告の裁判に、情状証人として出廷。暴力団関係者とつながりが深かった渡辺被告の嘆願を訴えたこともあった。後輩にも厳しく接していたため、示しをつけるため、自ら重い決断に至った。
紳助は1度だけ、涙を見せた。真っ先に、ダウンタウンの松本人志に引退を電話で報告し、引き留められた。22日には上地雄輔が自宅に来て、泣いたという。「(引退することへの)後悔の涙ではない。皆さんの熱い思いを思い出しての涙です」
レギュラー番組6本、CM1本を持つ。「テレビ局、スポンサーの方々、ファンの方々にご迷惑をお掛けしました。自分の勝手な引退を申し出まして本当にすいませんでした」。今後は「静かに若い人に勇気を与える仕事をしていきたい」と言う。
[スポーツ報知 8月24日(水)8時2分配信]
…。
ニュース番組で会見を見たけど、歯に衣着せない発言から繋げて笑いを取る人だったのに、奥歯に物が挟まったような会見だったなぁ
事態はオオゴトではあるけど、引退に向けての下準備とか関係各所に根回しとか全然できていない段階で、事態発覚後すぐに引退決定という潔さには、潔いとかいう以上の黒いナニかを感じてしまう。
そして霞む前原議員の民主党代表選出馬…
世界遺産に関する問題の中で、彦根城の話題が出た。
地元民としてはちょっと嬉しい。
そして、1992年の世界遺産の申請から20年近く過ぎてた今でも落選し続けている城としても紹介された。
地元民としてはちょっと恥ずかしい(笑)
「彦根城の特徴的な建築方法」という問題で、当時の城の作り方の一つである「他の城の資材を使って建設してある」という答えが出てこなかった私、多少ショック。
知ってたんだけどなぁ~
ちなみに番組では、天守閣が大津城、天秤櫓が長浜城、太鼓櫓門が佐和山城からの移築と紹介された。
知らなかったなぁ~(←オイ
世界遺産登録のため、姫路城と違って、城下町も築城当時そのままに近い状態で残っているという点も押しているようだが、あんなドン突きばかりの町中、自動車で近所の家訪れる時とか通り抜けにくくて、邪魔な設計にしか思えなくて仕方がない(汗)
仮に町まで重要物になった場合は、再開発や再整備ができずに生活が不便な部分が残る場合があるからなぁ……階段がすり減って危険でも直せない神戸大学の六甲台学舎みたいに(笑)
ちなみに彦根のドン突きは、敵兵が城下町まで攻め込んできた際、T字路やL字路ばかりの街角で進軍を遅くしたり混乱させたりする構造になっているのです。
某所の話では、「これから虎徹がこれでもかというぐらい徹底的に追い詰められる」というような情報があったので、虎徹の正体を知る数少ない外部の人間ベンさんまでも殺されてしまい、家族も人質にとられて、虎徹の頼るツテが全くなくなってしまう、という予想まで個人的にしていたのだが…
ヒーローたちが自分のことを誰も覚えていないというところで、悲壮感の演出を盛り上げに盛り上げていたので、演出のノリを抑えていたベンさんの登場が救済策に映ったし
それに、ありがちなパターンを踏んでいるこの作品にあっては、ベンさんみたいな黒人枠は主人公の切り札的サポート役になるのが定石か。
娘である楓への虎徹の正体バレは、他の家族から諭すように教えてもらう、というありがちなパターン。
もっと劇的なタイミングやシチュエーションでのバレを期待してたんで拍子抜けの感もあるけど、今回のは、しんみりと情感が出てくる手法でもあるので、それはそれでよし。
我が故郷・彦根の松原水泳場でほぼ毎年開催されている「鳥人間コンテスト」。
一時期スポンサーが付かずに、大会廃止になった鳥人間ですが、新たなスポンサーを獲得して何とか今年も続行中。
地元民ならば注目せざるを得ない番組ですが、私はあまり見てなかったりする(汗)
ええ、開催当日も現場近くまで行ってたけど、脇目で見て素通りしたりしてる私ですよ!(笑)
しかも見に行ったわけじゃなくて、用事があって見に行けなくて、移動ルートが湖岸だったから見れただけだよ!
でも今回はラスト30分ぐらいのところをたまたま視聴。
震災復興を願って東北大学ウイングノーツが今大会一番の記録を達成しようか、という胸熱場面だった。
…胸熱場面なのだが、ここのパイロットが、動画サイト各所で「地上波でアニメの名言っぽいセリフを吐く痛男」として散々ネタにされている。
数年前にも、発言が濃い優勝パイロットがいて、ネットの僻地でちょっとした話題になってたので、今回のを見ていて、「今年のココもネタにされそうな感じだなぁ」と思っていたら、案の定でした。
ちなみに数年前の人が↓
(某所から拝借した画像)
http://www.youtube.com/watch?v=IveOG1NHghQ
飛んでいる最中の持って回った言い回しが笑いものにされている彼だが、話に聞くとどうも、序盤で無線とGPSがダメになって方向を見失って逆走してしまったのだが、何とか持ち直して反転し、無駄な体力消費しながらも今大会最長飛行距離まで持って行ったという、脚本でもあるのかと言いたくなるドラマがあったよう。
そして私が視聴していた部分でも、終盤の体力の限界で脚がダメになってるのに、もう落ちるか落ちないかのところでギリギリ踏ん張って、一瞬プロペラが止まってヒヤリとしたり、機体の一部が着水したのにそこからもう一度浮かび上がってを数回繰り返していたし。
出回っている動画は、発言部分だけを抜粋しているので、ここらへんのシーンも込みでないと、発言の面白さが半減かもしれない。
ネタといえば、話に聞くところによるとタイムアタック部門で、「おいもっと高度上げろ」というガイドの忠告無視してパイロットが「大丈夫、余裕余裕!気持ちいー!」と余裕ぶっこいてたら、ゴール直前で落下し失格、という残念な方もいらっしゃったようだが。
あと、京都大のチームが、トルク振動キャンセラーなる新システム…ペダルとプロペラの駆動の間にバネを仕込んで超距離飛行の効率を良くするシステムを投入していたが、飛行早々バネが千切れて、プロペラ回す駆動までダメになって、1キロほどで墜落という、何とも残念な結果になっていたな。
Youtubeの動画見てたら、東欧の鳥人間コンテストで、どーみても飛びそうにない、鳥人間というより山車だろソレ、という機体でプラットホームから飛ぶ…いや、海に飛び込んでいて笑えた。
と同時に、日本の鳥人間コンテストになくなってしまったユーモアの部分だなぁ、と淋しくもなった。
鳥のキグルミ来てプラットホームから飛び出すような人がわんさか出てくるコミックショー的な部分がなくなって久しくて、「これじゃあ只の人力グライダー選手権だよ! どこが鳥人間コンテストやねん!」という、『欽ちゃんの仮装大賞』に対するそれにも似た不満(「これ仮装じゃなくて、黒子と装置使ったセミプロ寸劇じゃん」)もあるんだけど、もうこれはこれでいいのではないでしょうか…
番組の趣旨が変わってしまって当初のコンセプトが見る影もないのは、その番組が好きな者にとっては何とも残念なことだが、しかし例えば、初期はギャグ&バトル付きアドベンチャーだったのが、後期はシリアスバトルモノに変わって、変わった後の印象が皆の作品に対する共通認識になった『ドラゴンボール』みたく、鳥人間コンテストも変更後の路線がスタンダードになっていくということで。