研ナオコ ゲスト回。
安心の戸田山脚本回。
前回が展開を捻ってたのに比べると、今回の話の筋道自体は単純なもので、『相棒』で何度も見てきたようなパターンと言えるかもしれんけど、これぐらいの話の骨格で進めていくのがいつもの戸田山脚本回なので。
アバンでミス・アンルーリー@研ナオコの犯行の場面が描かれてしまう倒叙型のシナリオだけど、その行動の始まりが“ある時点”からのものであるのと、研ナオコと特命コンビとの絡み以外のとある場面の描写が長いことで、この手のドラマを見慣れているなら、早々にオチは分かってしまうだろう。
それより、事あるごとに私が感想で「撮り方が平板」と言ってきた橋本一監督が今回の担当だったのだけど、『探偵はBARにいる』の監督をして気分上々なのか、はたまた今までの私の目が節穴すぎたのか……まぁ、後者だろうけど(^^;)…今回はトリッキーな撮り方・編集の仕方が目を引いた回だった。
Season8-4話「錯覚の殺人」でも出てきた、鏡に映っている人物の方を長々と撮る方法が今回多数登場。特に、廊下の角の棚の上に置かれた鏡に映り込んだ景色を撮ったシーンは、ありえない角度からの撮影を可能にし、場面の転換なしにスムーズに場面を描写するのに効果的だった。
また、録音スタジオで聞き込みをしている際には、神戸クンが話している場面なのに、録音中のサックスの音と絵だけに切り替わって神戸クンのセリフが字幕処理で済まされたり。
アンルーリー最後の決断と、それとは相反する観客の行動を、アンルーリーが去って誰もいなくなった舞台裏を映しつつ、観客の手拍子が鳴り響く中、アンルーリーが今までもこれからも望んだ光景を、舞台裏に貼られていたポスターの状態を大映しにして終わる、オシャレなラストも印象的だった。
推理モノではよくある“真実ではない推理描写”……たとえば、真実は殺人である事件を他の刑事たちが「これはこういう経緯のある事故死ですね」と見誤って説明する時とか、探偵役が犯行現場の不審な点を推理した時に犯人が「それはこういう経緯があれば不審ではなくなるのでは?」などとこじつける時とか……をどういう風に描写演出処理するのか、というのは
・映像にせずにセリフだけで終わらせてしまうか
・真実の描写の一部を切り取っているけど、編集やカメラ位置の調整で“真実ではない推理”にも合っている描写に加工するか
・はたまた“真実ではない推理”通りの描写をそのまま映像化してでっち上げてするか
…といろいろ方法があるのだけど、今回は、真実ではない推理通りの映像を逐一撮っていた。
しかもやたら出てくる回数多くて、終いには、二本もタバコの吸い殻があるのにタバコの空箱が現場に落ちてなかったことを、「一本は口で咥えて、もう一本は耳に挟んでたんじゃないの?」という苦しい言い訳してたところまでわざわざ律儀に映像化したのには笑った(^^)
冒頭の研ナオコの犯行シーンで、ジャズコンサートのインストルメタルがオーバーラップしていて、その直後にOPスタートだったが…
今シーズンのOPはジャズアレンジになっているので、巧いこと繋がられたら面白かったのに。
そして今更ですが、今シーズンの相棒のOP映像って、空撮を使っていて仰々しい割には、今までで一番編集などの手が込んでいない単純なものだよねぇ…
今回、神戸クンから“細野様”に宛てたジャズコンサートのチケットが受付で置きっぱなしだったのを右京さんに見つかって隠していた神戸クンだったが、神戸クンのコンサートの誘いに来なかったこの人物の登場は今後あるのだろうか?
亀ちゃん夫妻が去り、小野田官房長が死に、たまきさんが旅に出た今、捜一トリオ・刑事部長や大河内監察官以外のレギュラーキャラを出さないと、キャラ人気が重要な柱であるこの番組にとってはジリ貧になっていく気がするのだが。
というか、こんだけレギュラーキャラ削ってるのに、神戸クン登場以降、一人たりとも新レギュラーキャラ出てきてなくて、亀ちゃん時代にはもういた捜一と大河内監察官を膨らますだけというのは限界があるのでは?
そして次回予告で、「少しはボクのコトを信用してくれてもいいんじゃないンですか!?」と右京に怒鳴り散らしていた神戸クンは、次回右京に反旗を翻すのか?
「ジョギングしなイカ!?」
原作8巻「大仏様じゃなイカ?」9巻「走らなイカ?」
サブタイトル、「遠出しなイカ?」ぐらいの方が良くない?
悟郎メインの千鶴ジョギング回に、相沢家の鎌倉旅行回を合わせたアニメ回。
全員のジョギングから話は始まるけれど、悟郎・千鶴組とイカ娘・栄子・たける組に途中で分かれて、ジョギングがほぼ関係ない鎌倉部分にイカ娘が行くので、サブタイトルの付け方に少々疑問が…(^^;)
鎌倉の大仏を生きている巨人だと勘違いするイカ娘。
イカ娘の勘違いをさらに転がしていくのは、原作では千鶴の役だったが、アニメでは千鶴が悟郎と共に走っているため、代わりに栄子の役回りに。
しかし、特に違和感のある改変ではなかったので、自然に見れた。
イカ娘に嫌がらせするには栄子でも千鶴でも互換可能…と見るとなんだか嫌な姉妹に見えてくるな(^^;)
話のメインでなくなった悟郎はご愁傷様だが、イカ娘組が大仏見に行ってる合間の描写でも十分メインといってもいいぐらい目立っていて、話のバランスが整っていたので良いではないか。
でも超長距離ジョギングで死にかけたので、結局ご愁傷様…(^^;)
早苗の二重人格が疑われる原作回。
早苗がイカ娘のSPに扮装込みでなりきって途中から誰もそれを気にしなくなるという点からして、『イカ娘』的なリアリティにも乗れない話ではあるけれど、
途中、イカ娘ストーカーとしての本能と、SPとしての職責との間で葛藤し始めて、「邪魔なSPめ」「イカちゃんに近づけるもんか」みたく言動がスイッチしながら自分で自分を殴り始めるものだから、読んでて余計に変な感覚に襲われるんだもの。
アニメでは描写がちょこちょこ修正・追加されていた。
早苗がSPの職務を完遂する様子が原作より細かく、そしてイカ娘就寝後にガマンできなくなった後は、人格がSPに戻ることなくストーカー行為に突っ走り、SPとしての自分が仕掛けた罠に前後不覚の様子でかかりまくるので、原作で覚えた変な感じは解消された感じ。
最後の「悪いヤツは捕まえておきました~」のオチがいいなぁ。
ミニイカ娘回、パート4!
ちなみにパート2と3はBD・DVDの特典映像として収録されている地上波未公開モノ。
秋田書店から発刊の『イカ娘公式ファンブック』にもフィルムコミックとして収録されている。
でもやっぱり、動いているミニイカ娘の方がカワイイ!
小さいミニイカ娘を日常の風景の中で冒険させる『ドラえもん』的なシチュエーション作りがいいねぇ。
カエルやネコの作画を崩れなく仕上げているのは、お話のまとまりとして力の入れ方は正しいけど、萌えアニメでやられるとなんか可笑しい。
ミニイカ娘はパラレルワールドじゃなくて、あくまでも早苗の夢の中だけにいる存在というのが原作・アニメ共徹底している設定なんだけど、今回はなぜか悟郎に伝播。
早苗オチになると思ってたところ意表を突く終わり方だったが、法則が一つ崩れた感じがして、なんかね…
ED、イカ娘の歩く部分をまるまる走るミニイカ娘に置き換え。
尻尾の先までミニイカ娘をご堪能仕様だった。
4話EDを道尋ね外人にしておいたのがここで活きた!(^^)
重苦しい流れが続いて、心の清涼剤となるべき太田愛脚本回ですら重かった今シーズン。
今回の戸田山脚本回まで重かったら、一体『相棒ten』はどうなってしまうのだろう、と不安に思うところだったが、いつも通りの戸田山脚本、もっと言えば通常営業の『相棒』の雰囲気になっていて、良かった。
今までのシリーズの戸田山脚本回を思い起こせば、徹頭徹尾重苦しい回というのはなく、むしろ小ネタが光る軽快さが目立つ回ばかりなので、所詮杞憂だったとも言えるけど、今回のゲストが『相棒 劇場版1』の守村やよい@本仮屋ユリカということで、『劇場版1』の流れだと重くなる可能性もあったので…
不可解な事件を解決してもらおうと朝早くから特命係の部屋で待つやよい。
やよいのことを知っているのは右京と亀ちゃんのみ、しかも亀ちゃんは日本に不在で右京は出勤前、という中、神戸始め角田課長以下組対五課連中というやよいと面識ないレギュラーメンバーによる冒頭のコントからして笑える。
(←「誰だろう? とりあえず笑っとこ」的なシーン)
特命コンビを無視しようとしたら、右京に怪しい車のナンバーをいきなり言われて、メモ取るのにあたふたする捜一のシーンも楽しい。
やっぱり戸田山脚本は小ネタが光るなぁ~
刑事部長に、何が何でもブレイブスタッフ社に関わるな、と釘を刺されて、特命コンビと会議っぽい情報交換を始める捜一トリオ。
右京の質問に嫌がる様子もなく回答して「いやぁ、我々と違ってお二人のように怖いモノ知らずで正義感の強い方なら捜査を続けるんでしょうけど」と焚き付け、すっかり特命係の使い方を心得ている伊丹。
亀ちゃん時代のライバル関係はどこへやら、すっかり一つのチームみたいになってるぞ、特命コンビと捜一トリオ!(笑)
1本の事件として見た場合は、奇奇怪怪でスケールの大きい犯罪になっていて、その奇奇怪怪さは実は別々の事件が1本の事件に見えているだけだったというのは、視聴者の興味や緊張感を効果的に膨らますことができ、テレビドラマの範疇で回収可能な小さいネタで解決してみても、収まりが良くってすっきりするので納得できる、という今回の話の作り方が興味深い。
戸田山脚本回で幾度となく使ってきた手ではあるけれど。
相棒シナリオ集とかのコメントでは、戸田山さんは三題噺(まったく関連性のない三つのお題から一つの話を作ること)の心得があるとのことなので、そういうことになるのかもしれん。
先週の予想通り、今週もすっきりしない終わり方…
…とは言ってみたものの、
・中盤にヤミ金融を摘発して被害者救出の流れになっていたり
・その際の右京さんの様子がとてもノリが軽かったり
・ラストで花の里閉店の事実をようやく知って驚く神戸くんのリアクションなど
爽快感や面白みに繋がるところがあって、これまでの話よりも重苦しい感じではなかったかな。
もしかすると、Season9で凶悪犯罪の時効制度撤廃をネタにした「過渡期」みたいに、社会派のテーマ扱いながら軽めの作りにするのが本来の脚本側の意図だったところ、製作側の方針で重めの話に作り替えたのかも、などと最近の流れを考えると妄想してしまう。
あるいは、さすがに重いばかりではマズいと思った脚本側で、軽いシーンを作ろうと工夫をしたのだろうか。
「落ち着いて」と言ってる神戸の言葉なんか耳に入らない様子で、泣いているというより、“慟哭”という言葉が似合いすぎるぐらい今後の生活の不安に取り乱す被害者妻…
やっぱり神戸の「もういいから」となだめる言葉なんか耳に入らない様子で、父親が殺人で死んだことに一瞬でも安心したことを懺悔し続けて泣く娘…
容疑者として出てくる会社経営者たちが、ことごとく怪しい行動をしていて「犯人か?」と思わせる描写があった後、ことごとく会社の経営が厳しすぎるが故の行動だったというネタ明かし…
…などなど、描写が重い人物・境遇が悲惨な人物ばかりで話を進めていくのはある意味スゴイ。
作画がヘタれてきたというか、動きとパースに精彩を欠いてきたが、演出は原作を活かす形に伸びてきた。
「ラジコンじゃなイカ!?」
原作6巻「ラジコンじゃなイカ?」
サブタイトルが「ラジコンじゃなイカ?」なのに、原作ではラジコンが壊れたところから始まり、壊したイカ娘の苦悩と懺悔に話の軸とピークがあって、ラジコンほとんど無くてもいいような話だった(汗)
本来なら、ラジコン絡みでイカ娘が自分をラジコンにするところを膨らませた話に仕上げても良かったんだろうけど、劇中でたけるが思った「(イカ娘ラジコンは)思った以上におもしろくない」というのを、たぶん作者もこのネタ膨らませてる時同じ思いがよぎってしまったんだろうなぁ~
今回のアニメ版では、ラジコンで楽しそうに遊びまくるイカ娘の描写を前半に追加して、サブタイトルに即した形の話に。
ただし、そのせいで、話の雰囲気が前半と後半で大きく変わるようになってしまったのは良し悪しあるか…
ラジコンはたけるがお小遣いを貯めて貯めてようやく買ったばかりのものという設定になり、それを壊すイカ娘の業がより深く!
栄子「イカ娘に貸したが最後、壊されるのがオチだぞ」
イカ娘はジャイアンか!(笑)
ラジコンで早苗と散歩中のアレックスを追い回すイカ娘。
アレックスに何の恨みが?
……いや、早苗か(笑)
オチ。
なぜ『バック・トゥ・ザ・フューチャー(BTTF)』ネタになるんだという謎があるが、ただし、『BTTF』の第1作目にはデロリアンをラジコンのコントローラーで遠隔操作するシーンがあるので、ラジコン縛りの今話のテーマから大外ししているものでもなかったりする。
「七夕じゃなイカ!?」
原作8巻「七夕じゃなイカ?」
回想でロリ栄子投入。触手を使ったイカ娘のラブリーな悩みポーズも多発。清美エピソード拡充。
なんか萌えに対して阿漕だなぁと思ってしまう。
清美エピソード追加というか拡張はいいとして、3バカエピソード追加はどういう方針?
栄子の願いが「進級できますように」と判明した時の哀愁すら感じる演出が良いなぁ
イカ娘が最後に願い事を決めた後、「平和を祈る願いが多かったら、私の願いが相殺されてしまうではなイカ!」とショックを受けるが…
原作では「地上侵略」が目標のイカ娘に対し、イカ娘の計略失敗を願う渚を差して「これでお前の願いは相殺されたぞ」と栄子が茶化すギャグがあってからの流れがあるので、アニメではこの相殺システムが説明されてないと、最後のイカ娘の驚愕がイマイチ分かりにくいのでは?
「ひとり遊びしなイカ!?」
原作8巻「1人遊びしなイカ?」
宿題ネタで絡めてる原作後半をバッサリカット。オチとしてはまとまりよし。
「まぁ私は上陸するまで みんなと一緒に遊ぶという経験がまずなかったでゲソからね…」「1人遊びマイスターとでも呼んでくれなイカ?」とイカ娘が語るところ。
原作では、「1人遊びマイスターと呼んでくれなイカ?」と言うところまで表情がどんより暗いのに、アニメ版は声高らかに宣言していて、元気だなぁ~
アリに感情移入するイカ娘。
原作では公園で一人遊びを楽しんでいる人の例として登場したが、アニメではイカ娘が実践。
代わりにアニメオリジナルの一人遊びが挿入されたが…
たける「(でもあの人は楽しんでるようには見えない…あ、泣いてる。大人って大変なんだなぁ…)」
…という、公園で空仰ぎ見て何かに絶望しているサラリーマンの姿を追加。どんなオリジナルだよ!(笑)
エンディングでもBTTF風ラジコンは元気です。
ネタも古いし、絵の中の要素のいろんなものの精度がからっきしなのは仕様です(T_T)
バナナ、バナナとバカにされてる(?)ひこにゃんのツノですが、一応金属製の兜の部品なので。
ひこにゃんネタはこちらにもご用意しております…
11月3日は、映画『ゴジラ(1954)』が初めて公開された日で、ファンにとってはゴジラの誕生日。
毎年、何か記念絵を個人的に描きたくて、リアル調の絵と塗りに挑戦するのだけど、毎年未完成…
というか、最近ほとんど絵なんて描いてないんだから、画力落ちてるところにそんなのはムリだということなのですけど(^^;)
今年は思い切って描きやすいデフォルメキャラで記念絵を作成してみました。
怪獣の全部乗せしたかったけど、時間もかけてられないので、平成シリーズを中心に、興味のある怪獣をチョイス。
デフォルメとかそれ以前にテキトーな絵になっているのは仕様です(^^;)
しかし、デフォルメで描くのも難しい。
気が付くと、怪獣の皮膚の模様とか皺を細かく描こうとしている自分がいて、あまり簡略化できなかったり。
レインボーモスラとMOGERAは、ある時期盛んに描いていた時期があったので、お蔭で何も見ずにソラで描けたという…(^^;)
ただ、記念絵を描いても、肝心の『ゴジラ』側に動きがないのが虚しいなァ
以前ニュースになってた新作アメリカ版ゴジラも、監督決まった以降が続かなくて、当初の予定の2012年の公開はムリそうだし、東宝が何か国内ので盛り上げてくれてるわけでもなく…
デアゴスティーニの東宝特撮映画DVDコレクションが延長決定したことぐらいか、吉報は。
アバンのど初っ端はともかくとして…
ベース主体でやや軽めのBGM「推理」を背景に、病院のロビーで「歯科口腔科」を指さしながら、「気が進みませんねぇ…」と呟く右京さん、という冒頭部の軽さ。
今日の話の脚本家が、Season9で人情系のホンを多く書いていた太田愛ということを事前に知っていたので、先週の重い雰囲気とは一転、登場人物のやりとりが心に響いてくる話になるのかな、と予想していて、確かにそうなりました。
ただし、心に響いてきたのは、モヤモヤとした言いようのない後味の悪さでしたね(^^;)
今週もオチがすっきりしないのかよぉ~orz
本当に『相棒ten』の商業的方向性はこれで正解なのか、いちファンとしてさすがに気になってくる。
夭折の鬼籍天才と売れない画家気取り爺の奇妙な関係性でホッコリさせたりとか、陣内君に恋人っぽい雰囲気の登場人物作ってあげたり、気を張って頑張る少年を主役に励まさせたりする、私の好きな太田脚本はどこへ~?
「太田脚本は話の筋が分かり易すぎて何だかなぁ~」などと悪口に近い感想を書いていた時もありましたが、分かり易くてもいいので、もっと軽めのお話プリぃーズ!
いやまぁ、この話も個人的には好きな部類ではあるのだけど。何と言いますか、担当脚本家に期待するイメージというものが…
方向性としては、“事件の真相を追う”という『相棒』の基本ラインを重視するのではなく、主役と登場人物のやりとりに重点を置いた面白さや心の琴線に触れるブンガク的な味わい深さを感じさせていて、そこはいつも通りの太田脚本だったようにも思えますな。
話の展開の捻り具合は、今までの太田脚本よりも格段に複雑な作りになっているようではあった。
感想の頭で「ともかく」と言った本当の冒頭部で、少し先の展開を先見せしたりなどで、ちゃんと今話の雰囲気がどういうものになるか伝えてくれているシナリオ演出や編集・選曲含めた撮影スタッフ側の演出になっている辺り、話の雰囲気の統制が利いているのだから、私が不満を持つ方がお門違いなのかもしれませんが。
余命半年を宣告させた女流歌人が、身辺整理をしていたら出てきた謎の毒入り小瓶。彼女と偶然病院で知り合っていた右京は、彼女の頼みで、40年前彼女と同棲していた男性が服毒死した事件と絡んでいると思われる小瓶の謎を調べることに…というお話。
テーマとしては「愛を求める故に、愛を失う」ということか?
それを突き詰めたような、理不尽というかやるせないラストだったなぁ…
まるで、Season7後半の右京相棒不在時を想定したシナリオじゃないか、と思いたくなるぐらい右京出ずっぱり状態で、神戸はいてもいなくても話の展開上別に問題ないようなシナリオ設計だった…
正確には、右京に対する“ワトソン・ポジション”(一般的な考えを持って、天才である探偵の話を分かりやすく視聴者に伝える橋渡し役)を立派に勤め上げていたが、本当にそれだけしかしていない感じもあったので、神戸が神戸としてのキャラクターでもって動いていた場面が皆無に近い印象だったので。
神戸君が輝いていたシーンが、退職した刑事に会いに山奥を1キロも彷徨って帰ってきたら右京サンに「君、枝豆を採りに行っていたのですか?」とお土産のことを悪態吐かれるぐらいしかなかったのは、悲しすぎる(^^;)
というか、探偵役と依頼人との出会いが強引なまでに偶発的、とか、重要なヒントに気付いた際にフラッシュバック映像の後に探偵役の顔を大写しにする、とか、この話の全般的に、推理部分においては探偵モノのお約束というかフォーマットにとても忠実で、悪く言えばオリジナリティが感じられないところがあって、その点も太田脚本らしいといえば、らしい。
思い求めていた愛の形が、目の前でそれと違うと突きつけられた時の、本当にぶわっと来たかのような三田佳子の泣きの演技は凄くて見どころではあった。
次回は、常に特命係の部屋を覗きこんでいる大木・小松に久々にセリフありの出番がありそうな、話が慌ただしく展開していくような感じで、ようやく軽めの話がくるのかなぁ~、と期待しながら脚本家などを調べたら、櫻井武晴脚本でSeason9の「ボーダーライン」系の話だという…
ま た 重 い の で す か !
ディスク7・8は、通常放送版の収録は1話ずつのみ。
ディスク7には前に書いたようにパイロット版(2時間)が収録されていて、ディスク8にはナイトライダーの直系の続編『新ナイトライダー2000』が収録されている。
シーズン1のオープニングもこれで見納め。
しかし、DVDにはオープニングの日本語吹き替え版は途中の部分までしか収録されていない。
日本放送版ではシーズン1該当話数はシーズン2の後に放送され、それに合わせて、シーズン1該当回のオープニングもシーズン2準拠で、ボニーとエイプリルの部分だけ差し替えた日本オリジナル編集でされているので、吹き替えが微妙に合わないと思われ。
でもシーズン3のオープニングの吹き替えも不完全なので、ボニーのことをちゃんと紹介したオープニングはシーズン4以外ないことに…
…恨むぞユニバーサル。
「コンピューター泥棒を追え!ナイト2000大追跡ジャンプ!!」
(原題“NOBODY DOES IT BETTER”…訳すと、「誰も上手くやれない(アイツが一番上手くやる)」)
ゲーム会社に産業スパイが入ったことについての調査依頼がナイト財団に入る。マイケルは会社幹部のジュリアンが怪しいと睨んで調べるが、彼の周りにはフラナリーという謎の女性がつきまとっていた…
冒頭は、目出し帽を被った全身黒タイツがゲーム会社に侵入しようとするシーンから始まる。
「今話の事件の発生か?」と思ったら、その犯人はすぐに捕まってしまい、社長室まで連れてこられたらそこにデボン登場、目出し帽を取ったらその正体はマイケルであり、今回の事件がすでに起こっていて既にナイト財団が調査を開始していたと判明する…
シーズン1も終盤となり、フラナリーに本筋とは違うところで翻弄され事件の核心に迫れないマイケル、後々に判明する真犯人の正体など、凝ったシナリオが展開されるようになってきた。
マイケル・ジュリアン・フラナリーが犯人に捕まった後のカーチェイスシーンや、真犯人との最終決戦では『ナイトライダー』に珍しい雨中の戦いとなっている。
…ただ、最終決戦の撮影は、キットのカウル横に取り付けたカメラからの映像が、レンズが泥水で汚れまくっていて、ほとんど見えないという残念な事態に(汗)
「死の銃撃戦!マイケル・ナイト2000」
(原題“Short Notice”…訳すと、「性急な通告」)
ヒッチハイクしていた女性・ニコルを乗せ街まで向かう途中モーテルに泊まったマイケル。そこに二人組の男が襲いかかってきて、マイケルは格闘のもみ合いの末、男の一人を射殺してしまう。ニコルは姿を消し、マイケルは第二級殺人容疑で逮捕されてしまう。デボンの助けで保釈されたマイケルは、陪審が始まる前に自分の正当防衛を証明しなければならなかった。正当防衛の証人であるニコルを探し当てるが、彼女は陪審での証言を拒否。モーテルを襲った二人は、ニコルの夫ハロルドの部下で、人質になっている娘ナタリーの救出をニコルは目指していたが、ハロルドは自分の下から逃げたニコルを制裁しようと躍起になっていた。マイケルは娘を助け出す代わりに証人になってくれと頼むが、一方、部下を殺されたハロルドはマイケルへの復讐をも企てていた…
日本未放映のエピソード。
マイケルに殺人容疑、しかも証人は証言拒否でいきなり背水の陣、別の事件を解決しなければならず、おまけに命を狙われる、という緊迫したストーリーが展開される。
こんなに魅力的なエピソードなのに、なんで日本で放映してくれなかったのかと恨みに思うほどの出来である。
正当防衛とはいえ、実際に引き金を引いたのがマイケル自身、というのがネックだったのだろうか?
「事件を解決しないと、証言者が協力してくれなくて、ピンチ!」という展開は、「消えた証人を探せ!爆走ナイト2000波止場の大激突!!(THE FINAL VERDICT)」と似たものがあるが、あっちが、証言者が必要とされている事件と証言者が抱えている事件がまったくの別物で、片方が「いやぁ、証言が間に合って無実になって良かった」とひどく簡単かつ強引に解決された、というものであったのに対し、今回の話は、どちらも同じ犯人、しかも一つの当事者は主人公マイケル本人なので、クライマックスで敵と対決したら両方の問題がキレイに解決、ということで話としてまとまりがいいよな。
後半は、ニコルと救出した娘ナタリーを裁判所まで送る旅になる。
キットと秘密の会話するナタリーの様子が微笑ましい。
特に、ナタリーは「楽しくないわ」が口癖("fun"という単語を良く使う)のようだが、終盤のアクションシーンでキットの派手な走行を体験して、「面白い?」というキットの問いに「うん!(Yeah!)」と満面の笑顔で答えているのが、何とも微笑ましい。
キットがナタリーを脱出させている間、マイケルとニコルはハロルドたちとガチンコ対決。
リボルバー式拳銃を片手に、カントリー風の建物の影を進みながら敵と銃撃戦を繰り広げるという、西部劇の世界が展開されるのが憎い。
最後の、キットと敵の車が真っ向から接近し合ってのチキンレースは、無敵カー・キットの性能を見るに結果は明らかなのだが、それでも低い位置からのカメラの撮影映像をクロスカットさせて見せるのは、燃えてくるシチュエーションだねぇ
最後、マイケルが話の冒頭の状態になぞらえてニコルに「ヘイ、ヒッチハイカー、乗ってくかい?」と尋ねて、二人いい感じで財団まで戻っていく、始まりと終わりを意識した〆方も快い。
…と、シーズン1のエピソードはこれで終わったわけだが、DVDセットに収録された最後の話、『新ナイトライダー2000(KNIGHT RIDER 2000)』のこと…
うーん、ナイトライダーファンならば誰もがそうだと思うが、あまりこの作品について語りたくないなぁ…
いや、ある種の言いたいことは山ほど出てくるので、語れないワケではないし、むしろそのことで語りたい人もいるだろうが、それはすなわち壮絶な愚痴り合いになることを意味する(汗)
『ナイトライダー』シーズン4の終了から5年、放映当時は10年先の未来だった西暦2000年を舞台にして、マイケル・デボン・キットが再集結、新たなメンバーも加わって、『ナイトライダー』の新たな物語が始まる……というのがこの『新ナイトライダー2000』。
以前、私がまだ満足にインターネットも見られず、シーズン3より後の話がどのようなことになっているか知りもしなかった時分のこと、私の何度目かのナイトライダー熱が再燃していて、どうしてもシーズン3より先の話が見たい、というか『ナイトライダー 激突!装甲戦車』(=シーズン4第1話)以外にそんなものがあるのか、いや存在していてくれ、などと思っていた時があって、そんな時に深夜の映画放送枠に「ナイトライダー」の文字を見つけて、喜び勇んで見た思い出がある。
新聞のTV欄には「字幕版」(=吹き替えは無い)と書かれていて、作品を見るまでは「なんで吹き替えてくれないんだよ!」と怒ってさえいたと思うが、実際見てみた後はこう思った…
「ああ、吹き替えじゃなくて、本当に良かった」と(汗)
だって、佐々木功さんたちの声で吹き替えされていた日にゃ、それで慣れ親しんでいる私にとっては、その作品を正史扱いにしなければならなかった(オフィシャルでは正史なので、個人的な気分として、という意味だが…)ので。これが私が愛した作品の真の結末なのだ、と。
つまり、それほど期待にそぐわなかった作品を見せられたということですね。
なんせ、無敵を誇った82年型トランザムのナイト2000は、登場シーンであっさり分解され済みで姿が出てこない…
かつての熱血漢・マイケルはすっかりヘタレで何とも残念な姿になっていた…
デボンにとって残念な結果が訪れるが、それが本筋の事件の進展とは関係ない流れで起こって必然性が感じられない…
今話で退場するマイケル・デボンに代わって、その二人からかなり見劣りする主役コンビに交代…
ニューデザインとなったキット…ナイト4000は見た目カッコ悪い上に機能がちっとも魅力的じゃなくてスペシャルカー感皆無…
オリジナルシリーズで魅力的だった勧善懲悪のシンプルな流れに比べ、この話の終劇時の爽快感は相当薄い…
他人が見れば、少しは面白いところ・魅力的なところも見つけられるかもしれないが、個人的には『ナイトライダー』としてみる上での不満点の方が大きくてねぇ…
というか、このDVDセットはなぜにこんな位置にこの作品を収録してるんだろうか。この後は、シーズン1から直結のシーズン2・3が控えているのに。
…ということで、気を取り直して、シーズン2と3を見よう!!(笑)
冒頭で「10月だっていうのに暑いな…」というセリフがあったので「プププ。現実ではもう木枯らし一号は吹いてる季節ですけどね」などとチャチャを入れた感想を書いてやろうと思ったけど、今回の話のテーマにがっつり絡んでくる重要な要素だったので、チャチャを入れる気になれない程、重い…
『相棒』の制作側はこれでイケると思っているのだろうか…?
いや、もちろん期待の櫻井武晴脚本、個人的にはとても楽しめたのだけれど、テーマが社会派でずっしり重すぎて、新規視聴者含めこれからグイグイ興味を持たしていかなきゃいけない放送第2回目で、見るのがしんどい程のネタを出してくると、離れる人もいるんじゃなかろうか、と思うもので。
まぁ、いないと思ってるから、この戦略なのだろう、テレ朝・東映的には。私もそこまで思ってないけど(^^;)
5年前人を死なせた青年が出所後殺害されたところから始まるストーリー。
完全なる自分の身勝手で人を死なせたのに刑事裁判では不当な判決、民事裁判で賠償請求して勝訴しても被告に逃げられたら取れず終い、被告は殺されその親の片方は死にもう片方も姿をくらませて打つ手なしで、まったく無念が晴れずに精神的に疲労しまくりの被害者遺族…
息子は勝手な理由で人を殺すし反省の色もない、マスコミの取材は辛くテレビのインタビューでは近所の人々が冷淡な意見を吐く、嫁いだ娘のところにもマスコミの取材が押し寄せ幸せそうじゃない、挙句妻は心労で死んだ、次は自分かもしれないと辛い加害者家族…
ああ、いつもの櫻井脚本ですね(^^)
被害者遺族の無念を大上段に掲げて事件の真相は二の次の話になってるあたりSeason3の「ありふれた殺人」と被るものがあるけど、今回はそこに加害者家族の苦悩の話も追加。
「ありふれた殺人」みたいに、見方によっては心が晴れる部分があるようラストにはなっていなくて、今回は双方に救いがないラストが待っている。あと、ある意味神戸にもな。
Season9の「ボーダーライン」みたいな感じになったなぁ…
弁護士役で登場した渡哲也には、制作側が華を持たせてる印象があった。
被害者遺族のためを思って行動するなど、ところどころ主役級の扱いや役割の振りがあって、右京とのダブル主人公みたいな要素が…。って、神戸君の立場がない(^^;)
事件の真相自体には全く関係ないものの、「逃げ水」というテーマの使い方が素晴らしい。
被害者遺族にとっては、謝罪のための賠償をしてもらえずに逃げられ、探しても見つからない犯人やその家族、そして、その犯人に求める謝罪…
加害者家族にとっては、事件を起こした犯人の家族というレッテルと奇異の目の追跡から逃れた生活、そして、犯罪を犯した当人が行う贖罪…
そんなテーマを、今回殺される犯人の青年が殺される直前、しかも償いの行動を誤魔化そうと計画してる最中に、遠い昔の懐かしく微笑ましい記憶のキーワードとして語らせるとは、何という皮肉を利かせた演出!
最後、神戸が右京に尋ねた問いとその答え…
「なぜ身内が犯人だとわざわざ告げたんです?」―「すぐに分かることですから、犯人を突き止め自首をさせた僕が伝えるべきです」―「残酷だとは思わないんですか?」―「それに耐えられないなら、人に罪を問うべきではない。僕はそう思っています。」
右京の答えはSeason1の「下着泥棒と生きていた死体」の頃から、変わらない信念のように思える。
その答えもまた、神戸にとっては理解するには遠い「逃げ水」のようなもの……というのを、遠くに逃げ水が見える道を一人先行く右京を見る視点ショットで表現する演出が憎い。
…そのラストショット、蜃気楼の逃げ水が映ってるんじゃなくて、本当に水撒いて逃げ水のように見せかけてません?(^v^;)
個人的に、さほど楽しめなかった回だったかもしれん…
セレクトされた原作の時点でさほど好みではないせいかも…
「Englishじゃなイカ!?」
原作8巻「英語じゃなイカ?」
たけるとイカ娘がシンディに英語を教わったら、偏差値低い栄子が大ピンチ!…という話。
後半が原作から思いっきり改変されて、アニメオリジナルの“英語っぽく聞こえる日本語連発大会”に(^^;)
アメリカ人のシンディが英語を喋る話なので、わざわざバイリンガルの帰国子女連れてきて、生天目仁美の代わりに英会話のシーンアフレコさせてた。
自然な英語力でシンディのネイティブさの説得力が増した反面、演技力が大幅ダウン!
後半のオリジナルの展開でドタバタギャグチックな流れになっているのに、喋りだけは始終落ち着いた感じのシンディに強烈な違和感!
というよりも、大概「声+固定的な外見」がアニメのキャラのアイデンティティを構成しているのに、声優は別人でしかもヨソ行きの格好でイメチェンしてる今話のシンディは、もはや新キャラ登場と言っても過言ではない(^^;)
良し悪しだなぁ…
そもそも、根幹設定は結構いい加減に流してる『イカ娘』なんだから、生天目仁美に英語喋らせてぎこちなくても、「まぁ、『イカ娘』で英語が出てくるといったらこんなモンですよね」で流してもらえると思うんだけど、案外きっちりさせましたね。
もしかして、金元寿子@イカ娘も大谷美貴@たけるも田中理恵@千鶴も結構それっぽい英語話せてたから、生天目仁美に英語喋らせるとコレ以下に聞こえるとか? ……失礼しました。
「イカ娘が英語を習うとどうなるか?」という流れを主軸にしてネタを広げた方がまとまりが良かったように思えるけど、“大学入試レベルの数学ならスラスラ解けるイカ娘”という設定がある以上、“すぐに覚える”という結果が見えたあんべ先生にこの方向でネタを広げることはできなかった…
ゆえに、数学ネタの時に解答に苦しんでいた栄子が、英語でもアホを晒す羽目に。アニメではそこをさらにエグる羽目に!(^^;)
調子に乗って失敗しても得意げな栄子に「もう栄子はそれでいいでゲソ…」と言うイカ娘で〆、ってのは完全に立場逆転というか、役割逆転だ。
おかげでこの話には、“イカ娘の行動がメインにならず、かつ、イカ娘でオチない回”というビミョーさが…
原作の、栄子がシンディを誘う下りは、アニメではバッサリカット。
「で、いつなら空いてる? シンディの都合に合わせるよ」―「別にいつでも? ヒマだし」―「(ホントに働いてないんだんだな…-_-;)」のメタネタがちょっと好きだったのに残念(^^;)
「止めなイカ!?」
原作5巻「くすぐらなイカ?」「しゃっくりしなイカ?」
あまり嬉しくない人体の反射機能、という括りで原作2編をまとめたパート。
原作でも若干あざといネタだったのが、アニメで動きと声が追加されてエロちっくさが増した(^^;)
シンディに「生物学的な意味での変態ではない」というツッコミ入れられる栄子は、なんで数学と英語分からないんだろうなぁ(^^;)
イカ娘のしゃっくり許容回数が30回と判明するシーンは、この後の話が皆でしゃっくり止めようと一生懸命(?)にシフトしていく話なのだから、もうちょっと重要そうに見える演出を施してほしかったな。
なんか説明が軽く流された感じあって、後の展開にうまくパスできていない印象があるので…
同時に、イカ娘を本気で殺しにかかる千鶴と死を覚悟するイカ娘のシーンも、もっとはっちゃけたオーバーな演出が欲しかったかもしれん。そこが仰々しいほど、その後の「生きているって、なんて幸せなんだ!」で終わる軽いオチが、陳腐にならずに有効になると思うので。
「流れなイカ!?」
原作7巻「流さなイカ?」
個人的に原作の時点で思ってるんだけど、イカ娘大好きな子どもたちは、あの何をやってもドジばかりなイカ娘のどこに「何が何でも嫌われたくいない!」と思うほど惹かれてるんだろうか…?
イカ娘が子どもに人気あるのは原作でもアニメでも端々に描写があるけれど、自分たちの楽しみを犠牲にしてまでイカ娘を立てようとするあの子たちは、尋常ではない気がする。
そこに納得してないので、前半の接待笹船競争の下りは「何をしているの、この子達?」という冷めた見方しかできなったなぁ…
後半では、まさかのミニイカ娘登場!
原作の笹船をどこまでも追っていくイカ娘の様子のネタを広げた楽しいアレンジだ。
笹船にドンドン中二病臭い名前を追加していくのは1期の「ささなイカ?」っぽくもある。
ただ、笹船に自分が乗っていると妄想して大冒険の様子を想像するシーンなので、BGMは穏やかなミニイカ娘のテーマより、インディ・ジョーンズ的なケレンの効いた音楽の方が好きだったかもしれん。
そんな個人的な好みを置いておけば、ミニイカ娘の愛らしい姿を描くにおいては、ここのスタッフは抜かりねぇな!
ミニイカ娘が出てきたので、エンディングにも2話のトンビや3話のアレックスみたいに登場するかなと思ったら…
…Aパートでたけるに道を聞いて栄子に「I'll kill you」言われた迷子の外国人が登場するサプライズ。
ええーっ、ミニイカはー!? …などと不満に思いながら、やっぱりこの番組はギャグマンガなんだなぁ、とわずかに関心した(^^)
平成モスラ3部作完結編。
公開当時、『モスラ2』でガツンとこのシリーズの魅力に引き込まれた私が、宣伝ポスターの第一弾を見て俄然興味をそそられて、友達誘って見に行ってたなぁ~
モスラが変身するのが売りになってたこのシリーズ。
第2作で水中モードを会得し弱点を一つ克服したモスラが、次に何に変身して弱点を克服するのか……空を飛び海を泳げるようになったら、次はどこまで行けるようになるのか、興味があったのだが、その答えは「鎧モスラ」だった!
個人的に「行ける世界が広がる、っていう方向じゃないのかよ!」とガッカリしたものの、しかし、これでモスラの防御力の脆さを克服!
そうして鉄壁の防御を手に入れ、平成モスラが最後に立ち向かうのは、怪獣王ゴジラの永遠のライバル・宇宙大怪獣キングギドラ! 相手にとって不足なし!
…と、おバカな男の子の好奇心を否が応でもくすぐる要素盛りだくさんだったのに、実際当時見終えた際の感想は「うーん…」だった(^^;)
川北紘一特技監督が定年で、この映画以降の東宝特撮から抜けたのは、私個人としては相当な痛手だったのだろう。
平成ゴジラで特技助監督を続けてきた鈴木健二が、この映画で特殊技術班のチーフに昇格したのだが、鈴木チーフのどうも私の好みとは相性悪いみたい。
ちなみに、『ゴジラの逆襲』以後使われ続けてきた“特技監督”という役職名は、この映画以降東宝特撮から消える。
特撮班が、特撮パートでの独立した監督を持つのではなく、本編撮影の一部門担当として再編成されたからだ。
シリーズ通してこの作品に至っても、合成のヒドさは直っていない。
エリアス三姉妹の合成シーンもそうだし、実景や空撮に怪獣たちを合成したシーンでも動きや色調が全然合ってないんで、違和感がヒドい。
『ゴジラ2000』の時に、「実景とゴジラの合成シーンで、マスクが合ってなくてゴジラが浮いている!ヒドい!」という文句がゴジラファンから多数出てきたが、その前年のこの映画の時点でこのレベルでしかなかったのだから、期待する方が無茶だったとも言える(^^;)
というか、『モスラ』シリーズ見てなかったのかなぁ?
まぁ、『モスラ3』と『ゴジラ2000』の間に、『ガメラ3』なんて怪獣特撮の頂点が出現しているので、怪獣映画の本家本元に変な期待ぐらいしたい気も起ころうというものだけど。
この映画では、怪獣映画お馴染みの都市破壊シーンがわずかしかなく、それも「時間も予算もなかったので、あまり手間にならない方法」を取っている。
ただの真っ白な石膏ボードを爆破して、そこに実景や怪獣をCGで合成するというやり方。
しかし、この方法は、この映画の特撮の中で唯一巧く行ってる試みじゃあないかしら。
あまり作りこめていないミニチュアを破壊しまくってた『ゴジラ2000』よりは、よっぽどリアルで迫力がある誤魔化しだったと思う。
この映画でぬいぐるみ感が抜けて生物感が増したと言われるモスラの造形だけど、個人的にはあまり好かない造形だったりする…
リアル感も大事だけど、主役はやっぱり華がないとなぁ…
だから『モスラ(1996)』『モスラ2』のぬいぐるみみたいなフワフワの現実味薄い造形でも、私は好きだったの。
その代わり、現代に現れるキングギドラ(通称グランドギドラ)と、白亜紀型キングギドラ(通称ヤングギドラ)は、双方ともキングギドラ造形史上素晴らしいデザインだなぁ、と思って大好きだったりしますが。
ただでさえ薄い本編パートは、エリアス三姉妹に関わる話はそこそこ盛り上がるのだけど、人間側の話が前2作に比べても紆余曲折がなさすぎて、いくら怪獣が出てれば出てる分だけ喜ぶ特撮ファンでも、物足りないというもの。
というか、ちゃんとこの種の映画に要求される演技できてるのが、羽野亜紀だけってのは辛いぞ(^^;)
ただ漫然と怪獣バトルを映していた川北特撮と比べ、鈴木特撮は、逆転の一手を思いついたかのようなモスラの視点ショットを入れて見たり、怪獣や怪獣を映すシーンにある種の感情を持たせようとしてるなぁ。
「ホントにコレ、『ジュラシック・パーク』以後の映画か?」とまで揶揄された、マペットを使ったティラノサウルスとトリケラトプスの陳腐な撮影……あのシーンでも、ギドラの切り落とされた尻尾が地中に消えるミステリーを目の当たりにした2頭が口をあんぐりさせて顔を見合わせるというギャグは、「センス悪いぞ」と言われようが、ちょっと好きだったり(^^;)
(書きかけ)
よし、久々にモチを見に行こう!
と意気込んだのに、見事に寝坊。ひこにゃんの出る開会式に行けず。
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しかし、サンミュージックに本買いに行くついでにゆるきゃら祭りに立ち寄れるのが、犬上川以北の彦根民の特権だな(^^;)
というわけで、今日二日目の午前中ちょい見してきました。
でも、午後のひこにゃんが出る閉幕式は用事で行けない私……何なんだもう(T_T)
私が以前見に行ったのは、もう3年前のことになってしまった。
その時分は夢京橋キャッスルロードのみでやっていたのが、今や規模拡大で4番街スクエア全体も含めて会場になり、通り道を歩いていくのもひと苦労の人だかり。
親子連れで多数賑わっているのを見て、あちこちに出没するゆるきゃらたちにキャッキャッ喜んでいる姿が微笑ましいなぁ~
そして、そんな会場にいい紛れ込んでる、いい歳した私は何でしょうね(T_T)
…と自虐してみたいところだが、そういういい歳した、身なりにあまり気を使ってない一人旅行者男性を、会場でちらほらと見かけた…
おお…同じ穴のムジナか(-v-;)
(書きかけ)